第4話 今日は豆を買いました
「やっぱりこの豆じゃ、あの味は出せないか」
閉店準備をしていると、ぽつりと店長が呟いた。
あの味、ということは、他の豆…おそらくもっといい豆で淹れたコーヒーを知っているってことだろう。
この世界ではコーヒーは高級品なんだよね。もしかしたら、店長ってそこそこお金持ちなのかもしれない。
「そういえば、ここの豆って、そこの市場で仕入れてるんですか?」
「あそこでは豆は売ってないよ。週に1度行商人が来るから、そこで買ってる」
行商人。前の世界ではなかなか聞かなかった言葉だ。スパイスと潮風の混ざった響きがある。
「ちょうど明日の朝、買い付けに行く予定だけど。一緒に来る?」
「いいんですか!?ぜひ!」
「OK、なら今日より2時間早く来てね」
今日のお給料を受け取って、わたしは軽い足取りで神殿へと帰った。
その晩は、ブルーマウンテンを飲む夢を見た。こっちの世界にも、似たような香りの豆があるといいのにと思いながら、朝を待った。
─
朝早く、空気に冷たさが残るうちから、市場は活気のある声に溢れている。
果物や魚のにおい、色鮮やかな工芸品。売る人も買う人も笑顔だ。
そんな市場から一歩離れたところに、行商人たちは荷物を広げていた。
いちばん奥のスペースで、2人のお姉さんが茶葉や豆の入ったカゴを馬車から降ろし終わったところだった。
「紅茶、ほうじ茶売ってマ〜ス」
「コーヒーもあるヨ〜」
そんな気の抜けたお姉さんたちの声に、周りの雰囲気まで南国っぽくなった気がする。
声を聞きつけて集まってくる人たちは、ほとんどはお茶目当てのようだけど、たまにコーヒー豆を袋に詰めてもらっている人がいる。
「ああいう人達は、だいたい転生者だね。私たちは人波がちょっと収まってから行こう」
横で店長が教えてくれる。やっぱり、コーヒーを飲むのは転生者ばかりみたいだ。
しばらくして、人がまばらになってきたタイミングを見計らって私たちもお姉さんたちのところに行った。
「お〜月宮オジさん、いつもありがとネ」
「そっちは見ない顔ダ。娘さン?」
「違うよ、うちの新しいバイト。コーヒー淹れるの上手いんだよ」
いきなり紹介されて思わず背筋が伸びた。挨拶すると、お姉さんたちはにこっと笑ってくれた。
お姉さんたちは姉妹のようで、姉が張三、妹が李四というらしい。
確か『張三李四』って、ありふれた存在…みたいな意味だっけ。お姉さんたちは異国風の見た目で、全然ありふれた風には見えなかった。
店長はいつもこの姉妹からコーヒー豆を買っているようだ。
張三さんが豆の詰まった大きめの袋を店長に渡す。どうやらカゴに盛ってある分とは別に分けておいてくれたらしい。業者のつながりってやつか。
店長は袋から少し豆を掴むと、香りを嗅いだ。
「悪くはない…けど、ちょっと浅いな」
「ここ最近暑さが足りなくてネ〜」
李四さんが「わかっちゃうか〜」みたいな顔をして頭をかく。プロの目はごまかせないというやつだろう。
そうだ、今なら聞けるかも。もっといい豆を知ってるんじゃないかって予想が当たってるかどうか。
「昨日言ってた『この豆じゃ』ってやつ、もっと品質のいい豆を扱ったことがあるんですか?」
「あー、あれなぁ。まあね。王都で働いてたときに、ちょっとだけ」
王都で…?新しい情報が出てきた。なんとなく、ずっとウィストに住んでる人みたいなイメージがあったけど。
「この豆の品質は全体で言うと中の下ってところかな。でも、これくらいの豆がいちばん落ち着くんだよね」
「ム。ワタシたちだって頑張ってなるだけいい豆を安く仕入れてるのヨ?」
「はいはい、ごめんごめん」
市場を出るころには、太陽がだいぶ高くなっていた。店長は豆の袋を軽々と肩に担いで歩いていく。
「王都って、どんなところなんだろう」
思わず口にすると、店長は少しだけ笑って、「賑やかしくて、目が眩む場所」とだけ答えた。
その言葉が、頭の片隅に残り続けていた。
─
「おかえり。市場はどうだった?」
「ただいまリストくん、楽しかったよ」
店ではリストくんが開店前の掃除をしていた。…行く前と比べて、一角だけがめちゃくちゃ綺麗になっている。
出発したときから結構時間が経っているはずなのに、リストくんはまだテーブル拭きしか終わらせていないようだ。
「床掃除、まだ終わってないの?手伝おうか?」
「気持ちだけもらっておくよ。これは僕の仕事だ、僕以上にこの店を綺麗にできる人はいないからね」
…まあ、こだわりがあるのだろう。ここでしつこくしても仕方がないから、話題を変えることにした。
「そういえば、コーヒー豆は結構な値段がしたよ。あれでも中の下だってことは、もっといいやつはどれくらいするんだろうね」
「さてな。そういうのは大体貴族たちが買い占めてるみたいだぞ。贅沢品は、常飲してるってだけで箔が付くからな」
ブランド品のバッグや財布を買う人たちみたいなものかな?我ながら想像力が貧困だ。
生産地はどこなんだろうと思っていると、リストくんが答えのようなことを言った。
「南の群島とかではそれなりに安く買えるみたいだけどね。子供の頃、家族で行ったことがある。向こうには花人が大勢暮らしていて、色々な植物がどんどん育つんだ」
花人は植物を育てるのに長けているそうだ。そういえば、この店の花壇や観葉植物はとても状態がいい。
リストくんは花弁をふわりと揺らして、「いつかまた行きたいものだ」と懐かしそうに笑っていた。
コーヒー豆の香りが、ふと漂ってきた。店長が新しい豆を挽いているのだろう。
その香りを嗅ぎながら、わたしは思った。いつか、ここでのお気に入りの1杯ができるんだろう。
そしてその1杯は、きっとここで飲むものなんだろうな、と。




