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第3話 今日はバイトはじめました

時間は11時手前。昼のピークタイムの少し前だ。

まさか、さっきのコーヒーがおいしいカフェで働くことになるなんて。

さっきとは違う緊張が身を包む。最初は「コーヒーが飲める!」ってだけで入れたけど、今回は働くのだ。なんだか背筋が伸びる。

大きく深呼吸をする。コーヒーのかぐわしい香りが鼻をくすぐり、ほんの少しだけ勇気をくれた。

意を決して扉を開けると、さっきの花人(はなびと)、リストさんが不思議そうな顔をして出迎えてくれた。


「いらっしゃいま…ん?君、さっき見たな。忘れ物か?」

「いえ。募集を受けて来ました、日雇いバイトです」

「ああ、来たか…って、まさかコーヒーのお嬢さんが来るとは」


店主さんもちょっと驚いている。まあ2、3時間前に来たお客さんがバイトに入ってきたらびっくりするか。

店主さんについてスタッフルームに入ると、エプロンを手渡された。濃い青色の無地で、汚れも目立たなさそうだ。

仕事内容の説明をされたけれど、オーダーが手書きだってこと以外ほとんど前世のカフェバイトと同じだった。これなら頑張れそう。


「それから、私は店長の月宮・十五。店長って呼んでくれればいいから」

「わかりました、月宮店長」


そして、いよいよ仕事が始まる。最初に指示されたのは、入ってきたお客さんにお冷を出すこと。

グラスを手に取ると、指紋ひとつないピカピカの状態だった。きっと、リストさんが綺麗に磨いたのだろう。わたしも頑張らないと。

緊張で手が震える。久々のバイト、しっかり働いてコーヒー代を稼がないと。意識すればするほど、震えはおさまらない。

震える手で水をついでいたら、ついにカウンターにこぼしてしまった。

一瞬、時が止まった気がした。

こぼれた水が木目の隙間をゆっくりと広がっていく。


「おや、大丈夫かい?ここは僕がピカピカに拭いてやるから、行っておいで」


リストさんは優しかったけれど、店長は無言でこっちを見ている。怒っているのだろうか。せっかく採用してくれたのに申し訳なくて、背筋が丸まってしまう。

でも、その後はミスらしいミスもなくなんとか昼の忙しい時間帯を乗り切ることができた。

お客さんがいなくなり、ほっとしたのも束の間、店長に呼び止められた。

もしかしてさっきのミスを叱られるのかな。不安で視線を彷徨わせていると、店長はコーヒーサーバーを取り出した。


「君、コーヒー淹れられるでしょ。淹れてみて」


怒られるわけではなかったみたいだけれど、どうしてコーヒーを淹れられるってわかったのだろう。

不思議がっていると、リストさんが横から補足してくれた。

「月宮店長は観察眼ならピカイチだからね。おおかた、ドリップを見る目付きなんかでわかったんじゃないか?」

なるほど。確かに、経験したことのある人とない人では見るところが違うのかもしれない。もしくは、豆の香りを嗅ぎ慣れてそうだったとか?

ともかく、カウンターに入ってコーヒーを淹れさせてもらうことになった。飲むだけじゃなく、淹れるところまで経験させてもらえるなんて。

いずれは打診してみようと思ってたけれど、こんなに早くチャンスが巡ってくるとは思っていなかった。これは気合いを入れてやらないとね。

豆を計り入れて、ミルを回す。豆の砕かれていく感触と、漂ってくる香り。ひと回しするたびに、感覚を思い出していく。

ちょうど中細挽きくらいになったそれをフィルターに移し、まずは少量のお湯で蒸らす。このひと手間が大事なんだよね。

そしてお湯を注ぎ入れると、一気にコーヒーの香りがカフェ中を満たした。

周りから音が消える。リストさんも、手を止めてこちらを振り返った。


「……」


店長は、真剣な表情でこちらをじっと見ている。どう思われているのかわからないけれど、今は気にならなかった。

やがて黒い雫が落ちきると、サーバーからカップに注いで、わたしが異世界で淹れた初めてのコーヒーが完成した。

店長に差し出すと、そっとカップを手に取り、ひとくち口に含む。どうだろう。自分としては、けっこう上手く作れたつもりだけれど。

店長はしばらく目を閉じて無言だったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……すごいじゃん。香りが違う。もしかしたら、私が淹れるより美味いかも」


なんと、ものすごい高評価をいただいた。


「この味は、相当淹れ慣れてないと出せないと思う。君、前世でバリスタでもやってた?」


趣味です。まあ、確かに毎日淹れてたけれど。

そんなに褒めてもらえると思ってなかったから驚いたけれど、自分の好きなことを褒められるのはすごく嬉しい。思わず顔がほころんだ。

しかし、店長は何やら考え込んでいる。

何を考えているのだろう。まさか追い出されるなんてことはないだろうけど、なんだか不安になってきた。

そして1分ほど経ったころ、店長は「よし」と小さく声に出すと、わたしの目を見てうなずいた。


「君、明日も来なよ。ホールじゃなくて、ドリンク担当として」

「えっ!?待ってくれ店長、ホール担当が増えるんじゃなかったのか!?」


わたしより先に声を出したのはリストさんだ。彼は「後輩ができると思ったのに」と不満そうにしている。

それより、明日も…ってことは、まさかの長期採用?日雇いのつもりだったのに、そこまで評価してもらえるなんて。

だけど、これはチャンスかもしれない。大好きなコーヒーを淹れて、大好きなコーヒーを飲むためのお金をもらうことができるのだ。

つまり、コーヒーでコーヒーを買っていることになる…のか?こんがらがってきた。浮かれているのかもしれない。

だってもしかしたら、わたしの天職かもしれないのだ。テンションも上がるってものだよね。


「まあ、今のうちにとりあえずまかないでも作るよ。ちょっと待ってて」


店長は厨房に入っていってしまった。残されたのは、しかめっ面のリストさんと浮かれたわたし。

リストさんはつかつかとわたしの方に歩いてきた。一歩進むごとに、紫色のパンジーの花弁が揺れてかわいらしい。

だけど、何を言われるのだろう。まさか理不尽に怒られるんじゃ…


「採用されて浮かれてるみたいだけど、店長は厳しいからな。君も気をつけなよ。…まあ、さっきの、悪くない香りだったけど」


あ、優しい人だ。

ちょっと言い方に棘はあるけど、調子に乗りすぎるなと注意してくれて、褒めてもくれた。よく見るツンデレ男子というやつだろうか。

ほっとして笑うと、リストさんはばつが悪そうに袖のフリルをいじっていた。


「ありがとうございます。これからよろしくお願いしますね、リストさん」

「ふん。敬語なんか使うなよ、僕がそんなに堅苦しい奴だと思うか?」


正直、思った。「僕は先輩だぞ」とか言いそう。でも、敬語じゃなくていいと言うならありがたく甘えさせてもらおう。


「わかった、じゃあ改めて。よろしくね、リストくん」


そう言うと、リストくんは「……ああ」と言ってそっぽを向いてしまった。緑色のショートヘアが揺れて、まるで葉っぱみたいだ。

優しい人たちに囲まれて、幸せな今世が過ごせそうだ。コーヒーの香りが、まだ店内にふわりと残っていた。

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