第2話 今日はコーヒーを飲みました
窓から射し込む光で目が覚めた。今は何時くらいだろう。
部屋の時計を見ると、6時半を指している。この世界の時間が、前の世界のものと同じだといいけれど。
まだ早いけれど、寝ている気にもなれなくて部屋を出ると、すでにシスターさんたちが忙しく掃除を始めていた。
なんだか手を止めるのも悪い気がして、挨拶だけしてその場を通り過ぎた。
食堂に歩いていくと、昨日歯磨きの時に見かけた猫っぽい獣人シスターさんがいることに気がつく。向こうも気がついたのか、話しかけてきてくれた。
「おはよう、昨日来た子?」
「お、おはようございます。そうです」
「敬語なんていいよ。私も今月来たばかりでさ、仲間ができて嬉しいな」
猫シスターさんは今月の初めに転生してきたそうだ。同じ新参者かと思ったのだけど、どうやら少し事情が違うらしい。
「この世界って、1年が4ヶ月しかないんだよ。もう聞いた?」
「えっ?じゃあ、すごく早く歳をとるってこと?」
「いいや、その代わり1ヶ月が90日くらいある。時間の流れ自体は同じみたいだから、体感は前の世界と変わんないよ」
今日は1月の81日。つまり、1月の初めの方に来た猫シスターさんとは2ヶ月近く差があることになるのだ。
わたしが日付の感覚に戸惑っていると、猫シスターさんはくしゃっと笑って、「まあしばらくしたら慣れるよ」と言ってくれた。
…ん?つまり、転生者証ってけっこう長く使えるのか。この世界の福祉に感謝しつつ、そのまま雑談を楽しんだ。
─
朝ごはんを食べ終わり、いよいよ町に出てみることにした。
それを伝えると、神殿から少しのお小遣いをもらった。今後も滞在する2週間の間なら、神殿のお手伝いをすることで少ないながらお駄賃がもらえるらしい。どこまでも親切だ。
神殿の扉を開けると、爽やかな風が入り込んできて、草の匂いが鼻をくすぐった。外のにおいだ。
一気にワクワクが押し寄せてくる。これから、新しい世界で生きていくこと。その実感が、興奮とともにわたしの心にやって来たのだ。
わたしは思わず駆け出して、町の中に飛び込んで行った。
朝の市場はもう動き出していて、果物の甘い匂いや野菜の青々とした色に満ちている。
石畳を馬が歩く音が響いて、わたしの知らない世界だということを教えてくれた。
様々な種族の子供が遊び回る声や、威勢のいい店主さんの呼び声、聞いたことのない鳥の鳴き声。どれも新鮮で、心が弾む。
果物の匂い、馬の足音、子供の声。それぞれが、"生きている"音をしていた。
軽い足取りで町を歩いていると、ふと大好きなあの香りが漂ってくることに気づく。
「これって…コーヒー?」
香りのするほうへ誘われるように歩いていくと、町の裏通りに入っていく。こういうところって治安が悪いイメージだけど、普通に人は通ってるし、むしろなんだか暖かい雰囲気だ。
そうしてたどり着いたのは、木のぬくもりが感じられる小さな建物。看板には、「Cafe Monday」と書いてある。
ここに入ればきっとコーヒーが飲める。少し緊張しながら、扉を開けた。
「いらっしゃい、好きなとこ座って」
出迎えてくれたのは、30代後半くらいのお兄さん。どうやらここの店主のようだ。わたしはカウンターに座り、メニュー表を見る。
様々なドリンクがあるが、コーヒーは他より高い。オレンジ果汁の倍くらいする。やはりこの世界では高級品のようだ。
手持ちのお小遣いはかなり減るけれど、コーヒーが飲めることに比べたら些細な問題だ。わたしは迷いなくブレンドコーヒーを注文した。
「コーヒー?お嬢さん、中々わかってるじゃん」
にやりと嬉しそうに笑うと、店主さんは早速コーヒー豆を挽き始めた。ゴリゴリという音、漂う豆の香り。すべてが懐かしい。やっぱりコーヒーといえばこれだよね。
きちんと器具の湯通しからやってくれている。まだ朝だからかもしれないが、目の前でやってくれると信頼が持てる。
粉になったコーヒー豆をフィルターに置き、先の細いポットからお湯を注ぐ。蒸らされた粉がふわりと膨らんで、黒い雫がサーバーへと落ちていく。
最初の雫が落ちた瞬間、世界が一瞬静まった気がした。
雫が落ちきると、サーバーから温めたカップに注いで、わたしの目の前に出してくれた。
「ブレンドコーヒー、お待ちどう」
念願のコーヒーだ。異世界に来て初めての買い物。それがコーヒーとは、シスターさんに話したら呆れられそうな気がする。好きだから仕方ないじゃないか。
ゆっくりと口に含むと、コーヒーの豊かな香りが鼻を抜けていく。そうそう、これが飲みたかったんだよ。
今までずっと飲めなかったコーヒー。この1杯で、これまでの人生が報われた気がして、思わず頬がゆるんだ。
店主さんもなんだか嬉しそうだ。コーヒーを頼む人、少ないんだろうな。こんなに美味しいのに…いや、美味しいからこそ高いのか。
そうして味わっていると、「掃除、終わったよ」という声が聞こえる。店員さんだろうか。わたしが振り向くと…
そこには、大きなパンジーが立っていた。
いや、正確には頭に大きなパンジーを乗せた、3頭身くらいの男の子が立っていた。
「…なんだ?そんなにじろじろ見て。さては君、転生者だな?」
しまった、不躾に見てしまった。慌てて謝ると、パンジーの店員さんは「ふふん」と笑った。
「まあ僕の花の美しさに見とれてしまうのは仕方がないか。僕はリスト、パンジーの花人さ」
花人。聞いた事のない響きだ。
でもおそらく、獣人の植物バージョンなのだろう。アルラウネとかドライアドとか、そういうの。
「リスト、掃除が遅い。完璧にこだわるのはいいけど、もう少し時間配分考えて」
店主さんに叱られて、リストさんはすごすごと厨房に入っていった。エプロンの蝶結びが、花弁のようにひらひら揺れていた。
正直もう少し花人についての話を聞きたかったが、仕方ない。
コーヒーも飲み終わり、お金を払って店を出る。店主さんは「また飲みに来な」と言ってくれた。
いい店だった。前世にあんな素敵な店があったら、毎日のように通っていただろうな。勿体ない。
…いや、今も通えばいいのか。今の手持ちは少ないが、2週間は毎日の食事に困らない。生活費を考えなくて済むということだ。
確か神殿の手伝いをすればお金がもらえたはず。それから、転生者証を見せれば日雇いで働かせてくれるところがあるとも聞いていた。
これから働いてお金を稼いで、そのお金でコーヒーを飲む。素晴らしい循環だ。
「そうと決まれば…すぐに働き先を探さないと!」
それからわたしは近年稀に見る積極性を見せ、無事に今日の働き先をもぎ取った。
でも、その店の名前を見たら、なんだかおかしくなって吹き出してしまった。
──「Cafe Monday」。それはさっきのカフェだったのだ。




