これからも変わらぬ想いを 大団円
住宅地を抜けた坂道は、丘の上を目指す石階段へ続いていた。
「ねぇ、ショウ。疲れませんか?」
「鍛えているから、問題ない」
「あたしを抱っこしたままでいいんですかって、意味です」
「ユメコは軽いぞ。もっと食ったほうがいいぜ」
本当に彼の言葉どおり、軽々と抱えられているユメコだ。言い返す言葉もなく、頬を膨らませながら相澤の肩に頭をもたせかける――乱れることのない歩調が頼もしい。
「でも、やっぱり」
ユメコはもう一度体を起こした。間近にある相澤の瞳を見つめながら、口を開く。
「ショウ。あたし、あなたと一緒に歩いてゆきたい」
相澤は口の端を上げてニヤリと笑った。そうして、ユメコを地面に降ろしてくれた。
「そうか。そうだったな」
「ありがとう、ショウ」
差し出してくれた大きな手に、自分の手を重ね、相澤とともに階段をのぼっていく。
丘の頂上まで辿り着くと、そこにはしみじみと心に染み渡るような美しい光景が広がっていた。
「うわぁ……すごいです」
丘の上は、天からの温もりが降りそそぐ緑豊かな庭園墓地となっていた。
高く澄んだ空まで遮るものはなにひとつなく、遠く地平線に接している海と島々、海岸線から河川、里山、ひとびとが寄り集まって暮らす町――歩いてきた住宅地や公園が、くっきりと見渡せた。
カタン、カタンという軽やかな連続音につられて視線を下げると、丘の下を数両の電車が連なってのんびりと移動していた。
「いい場所だな」
「うん……こんなに素敵な場所だったんですね。あたし、ここまで来たことなかったから、知りませんでした」
地元の者たちは、先立ってしまった家族や先祖を、とても大事に想っているようだ。緑の合間に並ぶ御影石はどれもきれいに磨かれ、冬間近であるというのに美しい花があふんばかりに彩りを添えている。
墓石も花も、すべての色彩が空の青さと周囲の緑に溶け込むように調和しているのであった。
「お墓の並ぶ場所が、こんなにもきれいだなんて……」
「さあユメコ、おいで」
相澤はつないでいた手をそっと引き、ユメコを案内した。
「このすぐ先だ」
「うん」
穏やかな歩調で歩いていたユメコは、目指す区画の手前で立ち止まった。先導していた相澤の歩みが止まったのだ。
「どうしたの、ショウ」
相澤は静かな面持ちで、じっと前方を見つめていた。その視線を追って目を向け、ユメコは驚いた。
そこには数名の警官の姿があった。緑あふれている穏やかな墓所には不釣合いな光景だ。
その警官たちの奥に、刑事らしきスーツ姿の男がふたり立っていた。そしてその向こうに、ユメコと同じほどの背丈をした少年が立っていたのだ。
「……東雲シンジ」
刑事に挟まれるように立っている少年の後ろ姿は、確かに東雲家の当主のものであった。
ユメコは息を詰め、自分の隣に立つ相澤の顔を見上げた。
相澤は表情を変えず、ただ真っ直ぐにその光景を見守っていた。
手を合わせていたらしいシンジは、腕を下ろし墓前に向かって頭を下げたあと、背を向けた。
こちらの姿が視界に入ったのだろう、ほんの刹那だけ驚いたように表情を動かしたが、すぐに表情を戻し、背筋を伸ばして歩いてくる。
すれ違う寸前、相澤とユメコの横で立ち止まり、シンジはこちらから目を逸らせたまま口を開いた。
「これで、貸し借りはなしだ」
「ああ」
相澤が短く答える。
シンジは再び歩き出した。刑事と警官たちも少年に付き従い、遠ざかっていく。
……すまなかった。
幽かに、そんな言葉が聞こえた気がして、ユメコは背後を振り返った。けれどシンジの背は、刑事や警官たちの姿に埋没し、もう見えなくなっていた。
再び周囲は静かな雰囲気を取り戻した。どこかから鳥の鳴くやわらかな声が聞こえてくる。
「ユメコ」
名を呼ばれて視線を戻すと、相澤が、目指す墓石の前で待っていた。
「恵美先輩……?」
墓の前に、ほのかなピンク色に輝く光の靄がある。
「俺の力を解放した。周囲に他人はいない。だから気にしなくていいぞ」
ユメコは頷き、相澤と入れ違うように前に進み出た。
光が膨らみ、ぐんと伸び上がる。ユメコの目の前で女性のシルエットを成し、顔が――表情がはっきりと見て取れるようになった。引越しで別れたときと変わらない、やわらかな眼差し。
懐かしさと悲しみの両方が、どっと胸に押し寄せる。
「先輩……せんぱ、い……」
こみあげてくる様々な想いに、ユメコはのどを詰まらせた。
話したいことはたくさんあった。なのに、どれから伝えて良いのか分からなくなってしまう。想いがあふれ、熱い雫となって両目からこぼれ落ちる。
「死者へ語りかけるときは、あえて言葉にしなくていい。心の内で強く思えば、それらがすべて伝わる。ユメコの想いは、いま充分に伝わっていると思うぞ」
言葉とともに相澤が歩み寄ってきて、震えていたユメコの肩を優しく支えた。相澤自身も、目の前で形を成した恵美の霊体に語りかけた。
「約束は……果たせたかな」
その問いに答えるように、恵美が口もとをゆっくりと微笑みの形に変える。陽光の透ける瞳には、満足そうな光があった。
ユメコは相澤の力を通じ、恵美からたくさんの想いを伝えられていた。
あたりまえに将来を夢見て幸せだった頃への懐かしさ、朝が弱い後輩への心配、引越しで別れたあとも覚えていてくれたことへの喜び。そして――感謝。
涙を拭き、こわばる頬を励まして、ユメコはようやく笑顔になった。
「あたしも、ありがとうございます、先輩。いろいろお世話になりました」
ユメコは深く頭を下げた。
そっと首を頷かせた恵美は、この上もなく嬉しそうな様子でにっこりと笑った。
ユメコが抱いていた想いをすっぽりと包みこむような、ぬくもりに満ちあふれた笑顔。
そうしてゆっくりと、だが確実に透けるように姿が薄らいでゆく。
――今度こそ、本当のお別れになってしまう。所長のときと同じ、遠いところへ旅立ってしまうことを、ユメコは理解した。
恵美は、次に相澤と視線を合わせた。
相澤はユメコの肩を支えたまま、恵美に頷いてみせた。
「いろいろありがとう。感謝している」
どんどん透けてゆく恵美の姿は、空中に漂うやわらかな光となり――やがて天高く吸い込まれるようにして見えなくなった。
まるで春先に舞い降りたひとひらの雪のように薄れつつ、最後の光が天へと高く昇ってゆく。
光を追うように空を見た姿勢のまま、相澤に抱き支えられていたユメコは訊いた。
「ねえ、ショウ。あたしたちの出逢いって、偶然だったのかな。それとも、運命みたいに決まっていたことなの?」
「どちらでも同じことさ。俺たちは俺たちだ」
相澤がきっぱりと言った。
「……そっか」
視線を戻すと、相澤がユメコの顔を見つめていた。差し出されていた手に気づき、ユメコは戸惑った。
「え。これは……まさか」
相澤の手に握られている小箱には、陽光に煌めく指輪があったのだ。
まるで流れる音楽を形にしたように優美な線を描く白金のフォルム、どこまでも澄んでいる金剛石の多面体が光を内包して、真昼に地表へと降りてきた一粒の星のように輝いている。
それが婚約指輪だと呼ばれるものだと気づき、ユメコは淡色の瞳をいっぱいに見開いた。
「去年のクリスマスのとき言っていた、ユメコに最初に贈る指輪だ」
「し、ショウ、すごいです! エンゲージリング……ですよね。生まれて初めていただきました!」
「当たり前だ。他の男から贈られてたまるか」
相澤は憮然とし、それから少しだけ笑った。
「ユメコ」
膝を折り、長身の相澤は身をかがめてユメコと視線を合わせ、言葉を続けた。
「改めて正式に、おまえに結婚を申し込む。……待たせてすまなかった。全霊をかけておまえを愛している。俺とともに生きて欲しい」
どこまでも真っ直ぐな眼差し、真剣な表情。なのに口もとは優しげに微笑んでいる。こちらの手を握る長い指が、ほんの少しだけ、緊張に強張っている気がした。
はじめて逢ったときの顔。今の表情。ずいぶんと変わったような気がするが、変わっていないような気もする。
そうか――ユメコは思い至った。それほどに馴染んでいるのだ、自分が。ショウという存在に。
じわじわと理解と安堵がこみあげ、譬えようもない喜びにユメコが吹きだすように笑うと、相澤は呆気にとられたような顔になった。
「なんだか、いつもの自信たっぷりなショウと違いますね」
素直にそう伝えると、相澤は微笑み、ユメコの額を指で弾いた。
そして、ユメコの細い腰を力強く抱き寄せた。
瞳を覗き込まれ、野性味あふれる整った顔が近づいてくる。さらりとクセのない髪が、ユメコに触れる。
「結婚の申し込み、受け入れてくれるのか?」
「はい」
「おまえのすべてを愛している、ユメコ」
「うん」
「……ユメコからは言ってくれないのか?」
「大好き」
「それでは足りないな」
「すごく大好き!」
「なんだそれは」
拗ねたような声。相澤の素直な表情が愛おしくて、ユメコはそっと微笑んだ。
「なら、これで足りますか?」
その意思の強そうな唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
相澤が反応し、次のキスがすぐに返される。強く深く重ねられ、息を吸い込む隙もない。
「……んっ……ふ、んんっ!」
相手の胸をこぶしで弱々しく乱打すると、ショウが顔を上げた。
ユメコはようやく息を吸い込んだ。
「もぉっ、ショウ! やりすぎです!」
「嬉しいんだ、ユメコ。愛しているが故だ、許せ。もう一度――」
「駄目ですよ、こんなところで! あとにしてください!」
ふたりを祝福するように、穏やかに笑うように、周囲の緑の葉が揺れた。
空を見上げたユメコは、天高いところにピンク色のうさぎを見た気がした。――が、相澤が抱きしめてきたので、すぐに視線が逸れてしまう。
「ショウったら! ほんっとうに俺様なんですから!」
騒ぐふたりの周囲には、あたたかな陽光が満ちあふれている。
たくさんの出逢い、さまざまな記憶、つながりあった想いは、すべて同じ言葉を伝えていた。
「ありがとう」と――。
【 完 】
完結しました。ありがとうございます!




