第13話 メアリの加護
「メアリ!」
「メアリ……!」
「メアリー!!!」
何度彼女の名前を呼んでも、返事はなかった。
今になって、ようやく気づいた。
この名前が、どれほど美しい響きを持っていたのかに。
馬鹿だな、俺は。
もっと、もっと早く呼んであげればよかった――メアリ、と。
うんこではない何かが、俺の目からこぼれ落ちた。
それは俺の中に残った人間らしさだった。
「しまさ。なぜ悲しむ? お前はここに来るまでに、何体ものモンスターを葬ってきただろう」
背後から、低く冷たい声が響いた。
「それがどうした」
俺は振り返らずに応じた。
「そのモンスターたちはな、元は人間だったんだよ。お前と同じ、人間だったんだ」
「……なんだと?」
「俺の食べているこのドッグフード。それを食べると……死ぬか、モンスターになるんだ」
トムちゃんはそう言って、不敵に笑った。
「許せねえ……!」
「俺はな、しまさ。お前みたいな奴を――
ぼこぼこにして、痛めつけてから、ドッグフードを食うか、
全身の皮を剥いで、指を一本一本切り落として、
地獄のような拷問にかけるかの二択を迫るのが、大好きなんだよ」
「……なんてやつだ。お前だけは……お前だけは絶対に許さない!」
「思い出せ、しまさ。俺がただの犬だったころ、人間は俺を殴った。
そのとき、そいつは何を感じた? しつけのつもりだったか?
だが俺にとっては違う。今ではお前たち人間を家畜として扱うのが、
俺が好きでたまらない」
トムちゃん……言葉が過ぎたな。
俺はここでお前を、殺す。
「やっと、それらしい目になってきたな」
「お前の目、青いな。気持ち悪い」
俺の瞳は『エンチャント・エヴァーレイス』によって青く輝いていた。
だが当時の俺は、その力の意味をまだ知らなかった。
『移動おなら』
「ブーッ! ブーッ! ブーーーッ!!」
速い……!
続けざまに放つ、『デスおなら』
「ブゥゥゥッ!!!!」
「甘い!」
トムちゃんが尻尾で反撃する
「しっぽびんた!」
「ドカーンッ!!」
すさまじい衝撃音とともに、二つの力は正面からぶつかり、相殺された。
再び、『移動おなら』
「ブーッ! ブーッ! ブーーーッ!!」
「そんな単調な動きで、俺を倒せるとでも?」
トムちゃんが吠える。「ワン! ワン! ワン! ワン!」
「ドカーン!」
「ツカーン!」
「ツカン!」
「ドンドカン!!」
しまさは、カモシカのようなしなやかな動きで、トムちゃんの攻撃をリズミカルにかわしていく。
そして、トムちゃんは気づいた。
あの女が死に際に、しまさに加護をかけていったのだ。
加護は、与える者にとっては呪いに等しい。
死してなお成仏できず、この世にとどまり続ける。
しまさが死んでもなお、彼女はこの世から離れられない。
通常なら三年も経てば、魂は狂ってしまうというのに……。
それを、永遠に。
「まさか、そこまでしまさを愛していたとはな」
女性を見れば、男の器が知れるという。
しまさ。
お前がそこまでの男だったとは。
「ならば俺も、本気を出そう」




