第10話 この仕事が終わったら、結婚しない?
「そういえば、自己紹介がまだだったわね」
薄暗い石造りの通路を歩いていたメアリは、ふと足を止めた。
壁に埋め込まれた青白い鉱石が、彼女の横顔を淡く照らしている。
彼女は振り返ると、柔らかく微笑んだ。
「私の名前はメアリよ。あなたの名前は?」
「しまさだ」
「しまさね」
メアリは俺の名前を確かめるように、もう一度小さく呟いた。
その声は、不思議と耳に残る響きをしていた。
それから彼女は、歩きながら楽しそうに話し始めた。
兄弟が何人いるのか。
得意な魔法は炎系であること。
なぜこの危険なトムトムダンジョンに足を踏み入れたのか。
だが、正直に言えば、その話の半分も頭に入ってこなかった。
なぜなら――。
彼女の青い瞳が、宝石のように輝いていたからだ。
ダンジョンの冷たい光を受けて、メアリの瞳はまるで深い湖の底に沈んだサファイアのように揺れていた。
こんな場所には似つかわしくないほど、澄んでいて、まっすぐで、そして綺麗だった。
俺は思わず目をそらした。
心臓の鼓動が、妙にうるさい。
魔物と戦うときよりも、よほど緊張している自分が情けなかった。
「そ、そろそろご飯にするか!」
少しでもこの張り詰めた空気をごまかしたくて、俺はわざと明るい声を出した。
「賛成!」
メアリがパッと笑顔を見せる。
その笑顔を見ただけで、胸の奥が少し温かくなった。
「よし。今日はとっておきの牛乳スープを作ろう」
「牛乳スープ?」
メアリは荷物袋から取り出された瓶を見て、首をかしげた。
そして、瓶に貼られたラベルを見た瞬間、表情が固まる。
「……この牛乳、賞味期限が一週間切れてるけど……大丈夫なの?」
「全然OKだ」
俺は自信満々にうなずいた。
「お腹を下すには、ちょうどいい」
「目的が間違ってるわよ」
メアリは呆れたようにため息をついた。
けれど、その口元は少し笑っていた。
「でも……すごい努力ね。普通、そこまでして自分を追い込まないわ」
「強くなるためには、内臓から鍛える必要がある」
「その理論、初めて聞いたわ」
メアリは肩をすくめながらも、焚き火の前に腰を下ろした。
俺は鍋を取り出し、怪しげな牛乳と、干し肉と、よくわからない薬草を入れて煮込み始める。
やがて、鍋から白く濁った湯気が立ちのぼった。
匂いは――まあ、独特だった。
「これ、本当に食べ物なの?」
「食べ物かどうかは、食べた者だけが決められる」
「名言っぽく言わないで」
そんなくだらない会話をしながら、俺たちは夕食を囲んだ。
不思議なことに、牛乳スープは想像していたほどまずくなかった。
いや、うまくもなかった。
ただ、ダンジョンの冷たい空気の中で飲む温かいスープは、少しだけ心を落ち着かせてくれた。
メアリも恐る恐る一口飲み、意外そうに目を丸くした。
「……思ったより、飲めるわね」
「だろ?」
「でも、二口目は勇気がいるわ」
「それがこの料理の醍醐味だ」
俺たちは顔を見合わせ、思わず笑った。
その笑い声は、石壁に反響し、暗い通路の奥へと消えていった。
――それから俺たちは、ともにダンジョンを攻略していった。
メアリの魔法は強かった。
彼女が杖を振るたび、炎の渦が魔物たちを包み込む。
「ファイアーボール!」
「ブォー!!」
燃え上がる炎の中で、トムゴブリンたちが悲鳴を上げて吹き飛んでいく。
だが、俺も負けてはいなかった。
「くらえ――デスおなら!」
「ツカーン!!」
轟音とともに放たれた一撃が、通路いっぱいに衝撃波を生み出す。
魔物たちは顔を歪め、次々と倒れていった。
「相変わらず、とんでもない技ね……」
メアリは鼻を押さえながらも、俺の背中を守るように立ってくれた。
俺が前に出て敵を引きつける。
メアリが後方から魔法で援護する。
最初はぎこちなかった連携も、戦いを重ねるうちに、言葉がなくても通じ合うようになっていった。
罠を見つけたときは、メアリが俺の袖を引いた。
魔物の気配に気づいたときは、俺が彼女の前に立った。
傷を負えば、互いに手当てをした。
疲れた夜には、焚き火を囲んでくだらない話をした。
気づけば、俺たちは最強のパーティーと呼ばれるようになっていた。
トムトムダンジョンの深層。
最後の扉の前で、俺たちは肩を並べて立っていた。
扉の向こうからは、重く不気味な気配が漂っている。
おそらく、この先にいるのがダンジョンの主だ。
メアリはしばらく黙って扉を見つめていた。
そして、不意に俺の方を向いた。
「ねえ、しまさ」
「なんだ?」
「私たち、この仕事が終わったら――」
彼女は少しだけ頬を赤らめた。
いつも明るくて強気なメアリが、珍しく言葉を探している。
その姿を見て、俺の胸が静かに高鳴った。
「結婚しない?」
時間が止まったような気がした。
ダンジョンの奥で響いていた魔物の唸り声も、天井から落ちる水滴の音も、遠くに消えていく。
俺はしばらく何も言えなかった。
けれど、メアリの瞳はまっすぐだった。
初めて会ったときと同じ、青く澄んだ宝石のような瞳で、俺を見つめていた。
俺は照れくさくなって、鼻の下をこすった。
「こんな、うんちビチビチの男で良ければ、な」
メアリは一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。
「ふふ。あなたのそういうところも含めて、素敵よ」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
ただ、胸の奥が熱くなった。
俺は剣を握り直す。
隣では、メアリが杖を構えていた。
「行くぞ、メアリ」
「ええ、しまさ」
俺たちは最後の扉を押し開けた。
たとえこの先にどんな敵が待っていようと、もう怖くはなかった。
俺の隣には、メアリがいる。
そして俺は、彼女と生きて帰ると決めたのだ。




