36.狂った果実……
しばらくイリスさんと、ユイ、アーシャの三人でこそこそ相談していましたが、大人の話をする人選が決まったのでしょう。イリスさんがミーティングルームを出ていき、数分後にカレン衛生班副班長とクラリスさん、そしてなぜかギルド受付嬢のパトリシアさんを連れて、イリスさんが戻ってきました。
「……パトリシアさんが乗艦している事を、僕は知らなかったんですけど……」
つぶやいた僕の声は、あっさりと皆さんに無視されます。相変わらず素敵な笑みを浮かべているパトリシアさんですが、そんな彼女の笑顔を見ながら、僕はイリスさんをジト目でみて説明を待つことにします。
「私も、この手の話はそれほど詳しくないですので、専門家(?)のカレンと、証人になりそうなお二方を連れてまいりましたわ。カレン、宜しくてよ?」
いわれたカレンさんは、珍しく嫌そうな顔でイリスさんをねめつけますが、しぶしぶ話し出します。
「素面で他国の夜の生活を話せっていってもなぁ、班長、あたしにもそれなりに常識や良識ってものが……「この24時間の、私と艦長のエールの配給を差し上げますわよ?」……乗ったぁ!!」
カレンさんの抵抗は、あっさりとエールによって陥落します。その後、僕が聞かされたのは周辺国というか、アレキサンドリア以外の一般の人たちの夜の営みの話です。
まあ、アレキサンドリアとチッタアベルタ以外の場所では、夜間も煌々と明かりがついているのはよほどの大都市ばかりです。普通の町や村は、夜は通りも真っ暗ですし、魔物や魔獣も活発化する夜は家からあまり出る事は出来ません。
アレキサンドリア以外の国では灯かりの元は油ですから(アレキサンドリアは魔光式という魔法石を使用するものと、近年電気式の照明が普及してきています)、当然油を買うにはお金もかかります。ですので、人は明るくなれば起きて暗くなれば早々に寝る生活をしますが、老若男女、長い夜に毎日じっとしているには限界があります。
考えてみれば、旅をしていた時も隣室ではお盛んな声が聞こえてた時もありましたし、何度も僕のいる部屋への侵入者を障壁でさえぎった事もあります。壁どころか、窓も木戸で塞いであるだけの家が多いので、防音性能はありませんからね。そう言う環境下で育った一般の人々は、割と性にオープンなそうです。もちろん、双方合意の上でが絶対条件ですが。
それにとカレンさんが言うには、アレキサンドリアは読書や音楽鑑賞、研究や執筆などの個人でやれることが数多くありますが、他国の平民にはこれらは全てできません。
「まあそういう環境で、若い男女ができる事は限られるからね。酒を飲めば羽目を外す者もいるって事ですよ」
そう言ってカレンさんは、ケタケタと笑います。
「あまり厳しい制限を組むと、徒党を組んで通りを歩く女性を襲う奴らもでるようですし、
場合によっては警らや修道士まで加わって、裏通りの女性が住む家を襲う奴も出るようですよ?
一部厳しく罰した修道院や教会なんかは、同性愛にふける者まで出ちゃって、教会自体が壊滅したなんて話もあるくらいです。
そこで、公娼という公に認められた売春婦がいる店を作って、そう言った連中のはけ口を作ってやるわけです」
カレンさんはそう言って、僕ににんまりと笑いました。
「艦長が左舷側に作ったという薔薇小路には笑わせてもらいましたよ。歎願した連中が押しかけたら、薔薇のマークのプレートと、一面薔薇の絵が書いてあった通路があるだけだったとか(笑)」
僕がきょとんとしていると、苦笑いしたパトリシアさんがにこやかに教えてくれました。薔薇はその花弁の形などから、女性のあそこを指す隠語として使われる事も多く、一般に薔薇小路というのは、町の中でも娼家がある通りと指すことらしいです。娼家は娼婦を抱え、客を遊ばせるお店の事ですね。
イリスさんやユイ、クラリスさんまで顔を赤くしてお腹を抱えて笑っていますし、パトリシアさんはいつも通りの優しいけど得体のしれない笑みを浮かべています。
カレンさんがいうにはQA以外の船は、沿岸の様々な街で補給と休養を繰り返しながら船を進めます。風向きが悪ければ、長期間同じ港にとどまる事もあり、その際には当然休養が与えられますので、娼家を利用して欲求不満を解消していたらしいのです。
しかし、QAは動力船であり、他の船に比べれば大きく、冷蔵庫や艦内食料生産プラントや淡水造水機などもありますので、停泊を必要としていません。
アルムニュール国への航海では、周囲に港はありませんのでしかたないと思っていたのでしょうが、東方のエメラルド島まで無寄港で進むとは思ってもいなかったようです。そこで、男性乗組員の有志が薔薇小路の設置を歎願したというらしいのですが……
「……そんな比喩しりませんよ!! もっと分かりやすく言うように言ってください!!」
怒って声をあげた僕に対して、カレンさんが目尻の涙をぬぐいながら答えます。
「いや艦長、それは無理でしょ。成人になったばかりの美少女さんに、そんな説明するくらいなら男性諸氏は悶死しますよ……」
うんうんとうなづく皆さんをみて、僕は心の中で嘆願書を出した有志のリーダーを扼殺することにしました。そして、大笑いしているアーシャの顔を見て言います。
「アーシャ、嘆願書のリーダーってリアンだったんだけど……笑っていていいの……?」
途端に笑い声の止まるアーシャをみて、僕は黒い笑顔を浮かべます。イリスさんやユイも笑みを引っ込めて僕とアーシャの顔を交互に見ています。そして、アーシャは僕にむかって言いました。
「あ~、この間なんだか名前を書いてくれって頼まれて、名前を書いたって彼言ってましたけど、この件だったんですね。
借金の連帯保証人の名前を書く欄だったらどうするのよって怒ったんですけど、この件で安心しました。クロエ艦長教えていただいてありがとうございます」
そう言って笑みを浮かべます。くそっ、拍子抜けですね…… アーシャ余裕の笑みですか
「……はいはい、僕の負けです。ごちそうさま、もうお腹いっぱいです……」
黒い笑みを引っ込めて、両手の平を肩の高さで上に向けて降参のポーズをします。そんな僕をみながらほほ笑むアーシャには、ムキになって突っかかってくる様子はありませんね。その昔、『あんな』の呼ばわりされた記憶はしっかり残っていたんですが、そろそろ忘れる事にしましょう。
「まあ、そういう訳で貴族様やアレキサンドリア共和国以外は割とおおらかと言いますかそう言うところが多いんですけど、公的に認められた娼婦ですからそれなりの立場と制限があります。
その中の一つで絶対守らないと行けない事が、子供ができた場合は堕胎しなければならないという事です。未婚の男子が通う訳ですから、当然子供が生まれてしまうと長子となる確率はとても高くなります。そして長子は、男女いずれにしても相続のもめ事になりやすいんですよ。そして彼らの様な公娼との子供を、世間一般ではこう呼びます『狂った果実』と……」
相続の第一優先となりますからねと、カレンさんは言います。しんと静まったミーティングルームに、カレンさんの声が響きました。
恐らく、子供たちの母親はエメラルド島の娼館に居た女性でしょうから、一流の娼婦だったことは間違いないでしょう。そんな娼婦が子を成して逃げたというのは、娼館としては非常にまずい話になります。
しかも、結局子供を捨てて娼館に戻った女性もそれなりにいるようですし、戻れるとすれば子供が死んだという時だけでしょう。そして今現在子供たちと居る女性も、やがては同じように逃げてしまうかもしれません。
「子供たち自身に罪はありませんが、彼らは罪人の子供として扱われるならまだしも、存在していない人間になります。どこの国民でもありませんし、いかなる組織にも所属していません。私たちが彼らを助けるという事は、ある意味自由商人組合への、それだけでなく東方の商人たちと敵対するととられてもおかしくないのが問題です。
それを避けるには、子供たちを自由商人組合に差し出せば良いでしょう。でもそれは子供たちだけでなく、彼らの母親も死罪になる可能性すらある厄介な問題なのですよ」




