75.ある日のアリアンロッド
「ふぅ、どうやら今回は無事に切り抜けたようじゃな」
下界の様子を見ていたアリアは、やや薄い胸をほっと撫でおろした。あいも変わらずクロエが作り出した負の遺産は、アリアの胃をキリキリと締め付ける。
「それって、クロエちゃんの責任じゃなく、ただの食べ過……」
「うるさいわ! それにしても、ついにあのような時代にそぐわないものが一般の人間の目に触れてしまうとは……」
アリアが頭を抱えるのは、海に浮かんだ『QA』を見てからである。
隣国どころか、アイオライト中を探しても、『QA』に対抗できる戦力はない。滑空砲弾では、ガラス部に当たらない限り、装甲すら抜けない上に、意図的に魔法障壁を解かない限り、ダメージは与えられない。
クロエが乗艦していない状態であれば、一部の竜種や海龍などの種族であれば沈める事は可能だろうが、あの船が動くときはクロエが乗艦している。沈める事は不可能である。
陸上戦用の魔導戦車を搭載すれば、陸・海・空・海中では人間種としては最強の戦力が、あの艦だけで集約できてしまい、アレキサンドリア以外の国の手に渡れば、それこそ世界征服などと考える王が現れてもおかしくはない。
「全く、あ奴は厄介事ばかり作り出す……」
他国に奪われる心配を、実はアリアは心配しているようで心配していない事は、傍から見ている精霊樹にはまるわかりである。
クロエが作り出す物のなかで、こと戦闘に使える物に関して、クロエ自身の警戒は、みていると徐々に偏執的と言って良いほどの対策が施されている。
破壊力が高い兵器類は、本来その必要が無くてもクロエの存在を前提として製造される。
今回の『QA』はその典型である。そもそも艦内への侵入すら不可能な状況を作り上げたうえで、艦自体が奪取された場合には、クロエ自身も含めて消滅させることも辞さない安全装置を組み込むのである。
おそらく、アリアはクロエ自身が消滅することで安全装置とするその考え方に、危機感を抱いており、神にはありえない胃痛などをもたらすのだろうと、精霊樹は考える。
「ユーリアが成人しないと、『QA』に乗せてくれないとなると、僕の加護も発動しにくいし……」
海上では精霊樹とはあまりにも相性が悪い。ユーリア自身が『QA』に乗船したとしても、ユーリアだけに加護を施す事が精一杯になる。精霊樹の葉を介しても、海上では影響範囲が極端に狭められてしまう。
「……確か、血はだいぶ薄くなったけど、『QA』に乗っている血族がいたよね。あの子を使うしかないか……」
一人ごちる精霊樹を尻目に、アリアは素知らぬ顔をして緑茶をすすっているディスの言葉に、彼ををジト目でにらむ。
「言っただろうが、あ奴はそうそう死ぬことは無いと」
「アホか貴様は。身体と魂だけで、危なく精神が消滅するとこだったじゃろうが」
ディスはジロリとアリアを見て言い放った。
「何故そこまであ奴に入れ込む? 貴様は自分自身が試験中だという事を忘れているんじゃなかろうな?」
ディスに言われて、アリアは黙り込んだ。とはいえ、試験自体は今のところ問題なく進んでる。クロエを助けようと、干渉しそうになっては自制するという、危機的状況はあったけど。
本来、神は地上の存在に対して干渉をすることは許されない。それは精霊樹などのように、地上に眷属をもつ上位精霊などまでが許される。神は直接地上の者に干渉せず、眷属を介して行うのである。
そして、アリアは試験中というだけではなく、管理神は眷属をもたない。管理神はその世界の神々の調整役でもあるため、特定の者に肩入れすることは不和を招き、管理対象に混乱を引き起こすだけとなるのだから。
「それは……せっかく連れて来た面白い者を失っては退屈になるではないか。
そんな事よりも、あそこにいたのはなんじゃ? 我々の知らない狭間の世界に生きるものか?」
アリアの問いに、ディスは肩をすくめています。
「知らん。それに、もう考える必要はない。手下を向かわせた。俺が知らん死の世界なぞゆるさん」
なんだかんだ言って、ディスも気にしているのは事実のようだ。ただ、あの存在は精霊樹には何となくわかるような気がするものだ。
神にまで昇華しきれていない、かといって精霊樹などの妖精や精霊ともまた違う、わずかにベクトルがずれた存在。
死のようで真の死ではなく、闇のようで真の闇とはことなる、魂の昇華していった結果が神だとすれば、あれは消え去るべき精神の名残が沈殿してできたような存在だ。
ディスが手下を向かわせたという事は、それなりに警戒してのことだろうし、先ほどの様子では問題なく消去されることだろう。
「それにしても、クロエちゃんて変なものにばかり好かれるねぇ……」
「……それは勿論自分自身も含めての物言いであろうな?」
アリアの小声での質問というか確認に、精霊樹はどうかなぁと素知らぬ方向をむくことでごまかす。
海賊頭シオンとの闘いでは、シオンにより空中に投擲されたレイピアは、本来であればシオンの右胸とクロエの左胸を貫く軌道をとっていた。
しかし、ディスの眷属であるリッチが、死の大鎌でわずかにレイピアの落下する軌道に干渉することで、クロエが致命傷を受けることを防いでいる。
口ではなんだかんだ言いつつも、ディスですらその身を守るのだから、クロエもかなり異例の存在となっている。
精霊樹は、はぁっとため息をつきながら独り言ちた。
「とりあえず、あの自己犠牲的な考えは止めさせられないかなぁ。多分、それが君の試験の最大の障害になると思うんだよね」
精霊樹にとって、クロエは干渉をするに値する存在だ。居丈高で他種族を見下し、緩やかな滅びにむかっていた自分自身の眷属であるアレキサンドリアのエルフ族を救ってもらっただけではない。北の針葉樹林帯にあるエルフの村も、木々の伐採を強行しようとしていた人族からも救われている。
「北の精霊樹の娘にもお願いされてるし、もう少し積極的に動いてもいいのかもしれない……」
精霊樹の独り言を聴きながら、傍らのディスはイチゴのショートケーキをほおばり、指についたクリームを舐めとって言う。
「あいつが不要に死の世界に干渉せぬように、こちらも監視は続けるがな。では、俺は失礼しよう。あいつが送ってきた海賊どもの処理があるからな」
そういってディスの姿が掻き消えると、精霊樹はある事に気が付いて慌てて目の前のイチゴのショートケーキに手を伸ばした。
「あ、私のショートケーキ……」
クロエがお供えしているものはいつも二つ。精霊樹とアリアの分であり、ディスがしょっちゅうアリアのお菓子をかすめ取っているのをしらない。そして、今日もまたディスにしてやられたようだ。
「……ケーキ……私のイチゴショートを返せ~……」
アリアの悲痛な叫びを横目に、しっかりと自分の分をお腹に納めて、精霊樹はほっと息を吐くのであった……




