第三節 幽霊
第三節 幽霊
朝食を終えた僕たちは市立の図書館に来ていた。奈央が開いている分厚い本は郷土史について記されたものだった。
「あのさぁ、奈央に取り憑いて僕をここに来させたのは誰?何のため?取り返しがつかないことって何?」
「それを今調べてるんだ…」
「奈央って陰陽師とかそういう系の何かなの?」
「うーん、ただの大工の娘だけど。ちょっと、霊感が強いだけ…。あっ!有った。これだ!」
そう言って奈央が指したところに僕は目を移した。江戸時代、天領だったころの記述が載っている。
「日田って、天領だったんだね。裕の家の辺りって、昔は代官所だとかのお役所があった場所に近いんだ」
「そうらしいね。そもそも、今の家がある場所はご先祖様が当時の代官から授かった由緒ある土地なんだと死んだじいちゃんが言ってたのを聞いたことがあるよ」
「そのお代官様に恋をして捨てられた女の人が自害した場所なんだよ」
「えっ!まさか?そんなことどこにも書いてないじゃないか」
「それは、その人が教えてくれた」
奈央はそう言って、僕の隣を指差した。その指先を追うように僕は振り向いた。
「うわあ!」
そこに居たのは死んだじいちゃんだった。僕は奈央の顔を見た。
「これって、もしかして…」
「そう!幽霊。この人だったのよ。私の体を借りて裕をここに呼んだのは」
「他の人には見えないのかな?」
「多分ね」
『わしはお前の祖父ではない…』
「うわあ、幽霊が喋ったよ」
「喋ったんじゃないよ。念を送ったんだよ」
『その通りじゃ。やっと直接話が出来るわい。わしはお前の爺ちゃんではなく、その死んだ娘の父親なんじゃ。わざわざお前を呼び寄せたのには訳があるのじゃ』
「訳って?」
『大事なことを伝えねばならんのに誰にもわしの声が届かんのじゃ。最初はお前にも届いとらんかった。じかし、このお嬢ちゃんのおかげでどうにかお前を呼び寄せることが出来た。』
「大事なことって?」
『あの子を守らなければならん』
そう前置きをしてから、じいちゃんにそっくりな幽霊は当時の経緯などを話し始めた。
そもそも、栗林の家は代官の補佐を務める役を幕府より賜った家柄なんじゃ。
新しく赴任してきたお代官様はとてもお優しい方じゃった。ある時、わしの娘がお膳をお出ししたのをきっかけに二人は恋仲になってしまったのじゃ。ところが、お代官様には既に奥様がおられたのじゃ。
当時のお代官様は西国郡代として九州全体の幕府直轄領を司るお役目を担っておられたのじゃ。正室の他にも、あちこちに側室がいらっしゃった。お代官様は娘を側室にとおっしゃってくれたのじゃが、奥様が反対されて、それは叶わぬこととなってしまったのじゃ。
娘は悲しみのあまり、三日三晩泣き続けた後、大鎌で自らの首を切り落として自害したのじゃ。そのことを憐れに思われたお代官様は娘の霊を供養するために、祠を立てられ、わしにそれを守るようにおっしゃったのじゃ。それ以来、栗林家は娘の霊を弔う役割を担ってきたのじゃ。
明治に入ると、幕府からの収入が得られなくなり、祠を守るだけでは食っていけなくなった。そこでやむなく、娘の霊を封印して祠を取り壊し、八百屋を始めたのじゃ。そして、本来の役割を忘れぬよう、屋号を“大鎌”とし、受け継いできたのじゃ。
しかし、時が流れるに従って、栗林家の本来の役割が受け継がれることはなくなってしまった。
わしはずっと魂をこの世に留めて子孫がきちんと役割を果たしているのか見守っておった。お前の祖父までは役目をまっとうしておった。じゃが、いつの間にかあの子を見失ってしまったのじゃ。お前の父親には“自覚”つまり役目に対する意識が覚醒しておらんから、そうなると考えられるのはただ一つ。何らかの原因でお前に憑いたとしか考えられん。
ところが、お前は大きくなると結界の外へ出て行った。あの子は結界の外で長く生きてはおられん。取り返しがつかんことになる前にお前を呼び戻さにゃならんかったんじゃ。お前がこのお嬢ちゃんと知り合ったのは神様の思し召しじゃ。後は二人であの子を守ってやってくれ。
じいちゃんにそっくりな幽霊はそれだけ言うと、奈央の顔をじっと見つめて意味ありげな笑みを浮かべた。
じいちゃんにそっくりな幽霊は僕のご先祖様だった。僕がここに来なければならなかった理由も分かった。けれど、幽霊を守るって…。僕にそんなこと出来る訳がないよ。
「どうすればいい…」
僕が聞いたとき、ご先祖様の幽霊は見えなくなっていた。
「あれっ?」
僕は奈央の顔を見た。奈央は両手を広げて“お手上げ”といった表情をしていた。
「居なくなっちゃったわ。伝えたいことを伝えたから成仏したみたい」
「成仏?って…。そ、そんな、無責任な!」
「大丈夫だよ。そのために私が居るんだから」
「えっ?奈央が?これって、うちの家系の問題だろう?奈央には関係ないじゃないか」
僕は奈央の顔を見つめた。奈央は一瞬、悲しげな表情を浮かべてどこか遠くを見つめている。そして、暫くすると僕の方に向き直り微笑した。
「裕のご先祖様の幽霊と接しているうちに私の中の何かが目を覚ましたみたい。と、言うか、私の中にあの人が入って来てるみたい。でも、詳しいことは今は言えない…。まだデートの読み込み中といったところだし」
「読み込み中って…。何のことだかさっぱりわからないよ。まさか、あの人って、今のご先祖様?」
「たぶん、娘さんの方…。でも、まだ何とも言えないわ。今、皆の記憶が私の中に溶け込んで来ているみたいだから」
奈央はそう言うと立ち上がった。奈央に何かがおきているのは明らかだった。
「お腹が空いたわ。何か美味しいものが食べたい」
考えても仕方がない。今の僕には奈央を信じることしかできない。
「よし!うどんの美味い店があるんだ」
「本当?私、うどん大好き!」
にっこり笑う奈央の笑顔。この笑顔が見られるのなら、他に何も要らない。僕は心からそう思った。




