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スマイルテイクアウト  作者: 佐伯俊哉


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第13話:窮鼠の牙

ご覧いただきありがとうございます!

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 「……システムエラー、だと?」


 事務所の静寂を、高橋の怒声が切り裂いた。

 端末のモニターには、『ヘルプ』キーを押した瞬間に吐き出された、奔流のようなコードが明滅している。複雑な文字列はフリーズしたままで、高橋は青ざめた顔で額に脂汗を滲ませながら、キーボードを乱打していた。事務所内の空調が効いているにもかかわらず、彼だけが異常な熱を帯び、荒い息を吐き出している。そのモニターの光に照らされた彼の横顔は、絶対的な支配権を誇っていた男のそれではなく、底の見えない暗渠に足を取られた矮小な影に過ぎなかった。


 「おい成瀬、貴様……何をした。何を打ち込んだ!」


 高橋がデスクを叩き、私を射抜くように睨みつける。その目には、制御不能な事態に対する露骨な焦りと、私に向けられた殺意が宿っていた。


 私はポケットの中で、銀のペンを強く握りしめた。母の遺したこの銀の冷たさが、今の私には何よりも頼もしい武器だった。掌の中で感じる硬質な感触が、高橋の放つ不快な熱を弾き返すための錨になる。このペンは、かつて父が母に贈り、お母さんが命がけで守り抜いた歴史そのものだ。その重みが、私の震えを止めていた。


 「何もしていません。ただ、システムが重かったのでヘルプキーを押しただけです。ログを確認しようとしましたが、動かなくなってしまって」


 私は努めて冷静に言葉を継いだ。

 「指導という名目で端末の操作を強要され、その結果がこのエラーなら、問題は私ではなく管理体制にあるのでは?」


 「ログだと? ふざけるな……。このセンターのシステムは完璧だ。俺の管理に落ち度があるわけがない。貴様、裏で誰かにそそのかされたな? 佐伯か!」


 「佐伯係長は関係ありません。……もう失礼してよろしいでしょうか。午前の作業の遅れを取り戻さなければなりません。作業効率の低下は、課長にとって本意ではないはずです」


 高橋の顔が屈辱で歪んだ。彼は椅子を乱暴に蹴り飛ばすと、私の逃げ道を塞ぐように一気に間合いを詰めてきた。パーテーションの角、視界を遮る狭い空間。彼が動くたびに、床が微かに震えるような錯覚を覚える。


 「……いい気になるなよ、小娘」


 耳元まで顔を寄せられ、安っぽい整髪料と煙草の混ざった悪臭が呼吸を遮る。


 「今回は運良くシステムが飛んだようだが、逃げ切れると思うな。明日から、お前の担当エリアを『廃棄物集積所の裏』に変えてやる。あそこは唯一、監視カメラの死角になるよう調整しておいた『特別指導』の場所だ。誰もいない暗闇で、たっぷり可愛がってやる」


 支配欲と卑劣な欲望が漏れる脅迫。しかし不思議と、恐怖よりも先に、私の奥底で何かが凍りつくような冷たさを感じた。恐怖を通り越した先に、私は「抵抗」という火種を見つけていた。佐伯係長が仕掛けたデジタルな罠が、私に戦うための時間をくれたのだ。


 私は一礼し、重い鉄の扉を開けて彼という毒から一歩だけ遠ざかった。


 ***************************************


 2Fの事務所フロアから階段を降り、再び1Fの現場へ戻ると、作業の熱気が肌にまとわりついた。最新鋭の空調システムも、果てしなく流れるコンベアと、膨大な電子機器が放つ排熱の前では無力に近い。無機質な機械の駆動音と、荷物が擦れる音。それらが支配する空間は、まるで巨大な胃袋の中のようだ。人間はその中で消化されるのを待つだけの、名もなき細胞に過ぎないように思えた。


 「あんた、大丈夫だった? あいつ、呼び出した後、休憩室で若い子を怒鳴りつけてたわよ。本当に最低な男。……あんたも気をつけなさいよ。狙った獲物にはとことんしつこいから」


 隣のレーンの佐藤さんが、監視の目を盗んで小声で話しかけてきた。彼女の言葉は、この「ORIONの檻」の中で唯一人間らしい体温を持っていた。

 「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 私は端末を装着し、作業を再開する。

 高橋の脅迫は、私の中にあった恐怖を冷たい覚悟へと変えていた。これ以上、この理不尽な世界に私を染めさせるわけにはいかない。母が守ってくれたこの命を、あんな卑劣な男に汚させるわけにはいかない。


 ***************************************


 17時。業務終了の合図が鳴り、センターが退勤の喧騒に包まれる。

 私は再び2Fへと向かい、事務所の扉をノックした。

 そこはシステム保守課のブースと隣接しており、中では佐伯係長がデスクに向かい、端末の膨大なログを確認しているのが見えた。彼がキーボードを叩く規則的な音だけが、事務所の殺伐とした空気を中和しているようだった。


 「佐伯係長……お忙しいところすみません。今日、端末でトラブルがありまして……」


 彼はペンを置き、ゆっくりとこちらを向いた。その瞳は、すべてを見通しているかのように静かだった。


 「成瀬さんか。ああ、さっき高橋課長から聞いたよ。システムエラーで揉めたそうだな」


 「……はい。ですが、それ以上に……。高橋課長から、少し納得のいかない配置替えを命じられました。監視カメラの死角になる場所へ、1人で来いと……。私、どうしたらいいでしょうか」


 彼は私の目をじっと見つめた。その穏やかで、しかし奥底に確固たる意志を宿した瞳に、張り詰めていた心がわずかに緩む。彼はわずかに視線を動かし、モニターの端で点滅する特定のログを一瞥した。


 「……分かった。成瀬さん、その件は私に預けてくれないか。君に不当な負担はかけさせない」


 その言葉を聞いた瞬間、私は深く頭を下げて事務所を出た。

 建物の外へ出ると、夜の空気が火照った肌に心地よい。湾岸の夜景が遠くで無機質に輝いていた。ポケットの中で銀のペンを握りしめ、私はセンターを後にした。明日の「死角」での対峙。恐怖がないわけではない。けれど、私にはもう、帰るべき場所と守るべき絆がある。その確信が、夜道を歩く足取りを昨日よりも確かなものにしていた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

次回も18:20に更新予定です。


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