伯爵令嬢の過去③ 姉の責任
門番は少年からスカイを託され、彼女を大事に抱えて子供部屋へ運んだ。
スカイがいなくなり、狼狽していたメルタは安堵から涙を流した。
事情を聞くために、メルタは門番に少年を呼んでくるよう伝えたが、少年はすでに去っていた。
「スカイお嬢様は、フィオナお嬢様を人攫いから庇われて怪我をしたようで…」
門番が少年から聞いた言葉を要約してメルタへ報告すると、グンナーは真っ赤な顔をして訴えた。
「何をおっしゃっているのですか!私がお嬢様方を探し当てたときには、人攫いなどおりませんでした。確かに少年が近くにいたのは記憶しておりますが…」
「ううっ…ちゃうの。にゃんにゃん…。ひっ…こ、こっわいひと…わぁー!お、おねえたま!おねえたま!…だいじょうぶ!ふっ、ひっく…」
幼いフィオナへ尋ねるも、フィオナが泣きながらたどたどしく発する言葉の意図を掴めず、メルタは途方に暮れた。
事件を知らされて、宮廷から急ぎ戻ってきたアムスンドは、すぐにこの度の関係者を聴取し、護衛騎士のグンナーを懲戒免職にした。
グンナーが連れ帰ったのはフィオナ一人だったからだ。
「どうしてです?フィオナお嬢様を優先するのは当たり前でしょう?門番の話から考えても、もし、人攫いがいたとして、保護する対象はフィオナお嬢様ではないですか!それに、スカイお嬢様は、私の後を付いて来ていたはずです」
罷免されたグンナーはそう必死に弁明したが、嘘をついているのは明白だった。スカイは腹部を損傷し、子供が自力で歩けるような状態ではなかったのだ。
近くに居合わせた少年に仲間の護衛騎士を連れてきてもらうよう頼むのが、理に適っている。貴族の子供をその場に残して立ち去るなどあってはならないことだ。
「なぜ!なぜ!オレがっ!」
グンナーは最後まで抗議したが、アムスンドは聞く耳を持たなかった。
ぐったりとして意識のなかったスカイは、それから二日間、寝たまま起きることはなかった。
真夜中、息苦しさにスカイが目を覚ますと、腕にフィオナがしがみついている。姉の様子が心配で付き添っているうちに、フィオナは眠ってしまったようだ。
「スカイ!良かった!意識が戻ったのね」
スカイの傍らでメルタが声を上げた。彼女もまた看病のために、ずっと娘に寄り添っていた。
「本当に驚いたのですよ。なぜ、突然、フィオナの手を引いて走り出したりしたの?」
スカイの体調のことを考慮したメルタはミルク粥を用意した。食べ終えたスカイの口周りをナプキンで拭いながら、優しく問いかけた。
「えっ?」
スカイを叱ったつもりのないメルタだったが、娘の顔から血の気が引いていく。
スカイは唖然としたまま、隣から離れようとしないフィオナへ視線を向けた。フィオナは大好きな姉に見つめられて笑う。
「ちゃうのに…。にゃんにゃんなの」
扉の前で待機していたカイサは怯えた面持ちで肩を震わせて口を開いた。
「お、奥様…。実は…」
「猫を追いかけて、スカイお嬢様がフィオナお嬢様の手を取り、いきなり駆け出したのでしょう?驚いたわよね。あっという間に雑踏の中へ消えていったのですから…」
カイサの横に並んで立っていた侍女頭のマルヤがカイサの発言を遮るように言葉を重ねた。
マルヤは予めカイサからこの事態に陥った理由を聞いていたのだ。
マルヤの鋭い眼光がカイサに刺さる。
にゃんにゃんと懸命に両親へ伝えようとするフィオナの様子に、マルヤはフィオナが猫を追いかけ、スカイはフィオナへついて行ったのだと気づいていた。
カイサは事実を伯爵夫妻へ告白するつもりだったが、マルヤに止められていた。
カイサには病気の弟がいる。最近開発された薬で治せると、担当医から告げられたが、カイサの給金で賄えるものでは到底なかった。
自身の失態でソーン伯爵家を解雇されれば、再就職は難しい。カイサの実家は路頭に迷うことにもなる。
それでなくても、恋人のグンナーが騎士の任を解かれたことは、カイサにとっても衝撃的な出来事であった。
「あ、あの…はい……さようでございます」
「違う…」
スカイは否定するが、マルヤは強く主張する。
「スカイお嬢様は日頃、侍女たちを困らせておいででした。今回の件は度を越しております。そのためにフィオナお嬢様が攫われそうになったのですから」
メルタがソーン伯爵家へ嫁いで来たとき、女主人としての立ち居振る舞いを丁寧に指導したのはマルヤだ。その間、育まれた絆があり、メルタはマルヤを深く信頼していた。
「そうなの?」
何気なく呟いたメルタの言葉に、スカイはカッとして手を振り上げた。咄嗟に握ったスプーンがフィオナの額に当たり、フィオナは大声で泣き出す。
「ええぇーーーーん!おねえたまがぶったぁ!」
マルヤは直ちにフィオナへ駆け寄り、両手で覆うように抱き上げる。
「なんて事を!スカイお嬢様は自分のしでかした事を反省されていないのですか?」
スカイはマルヤを睨むと、癇癪を起こして手当たり次第、掴めるものを投げつけた。
驚いているメルタを促し、マルヤは彼女を自分の背に隠す。
「お嬢様!おやめください!」
マルヤの叱責にますますスカイの怒りは膨れ上がった。
「うるさい!」
カイサは目の前の光景を、ただ呆然と眺めていた。
スカイは侍女頭に嫌われているのを子どもながらに察していたようで、そのためか、いつも大人の顔色を窺っており、これまで面倒を起こしたことは一度もない。
(お嬢様は何も悪くないのに…)
頭では理解していたカイサだが、スカイに対して罪悪感を覚えながらも、この件でグンナーが屋敷から去り、その憤りをどこへ向けていいのか分からなかった。
「スカイお嬢様!いい加減にしてくださいませ!」
カイサは思わず大声で諌める。
刹那、スカイの眼差しに底知れぬ絶望が浮かんだ。子供らしくないその表情にカイサは胸が締めつけられ、スカイの傍へ向かおうと一歩前へ進み出した。
「カイサなんて、大嫌いっ!来るなっ!」
スカイの放ったスープ皿が床で粉々に飛び散り、破片がカイサの頬を掠めた。
カイサの頬を一筋の赤い血が流れる。
スカイはカイサを傷つける気持ちは少しもなかった。
「わぁぁぁぁぁ!」
混乱したスカイはブランケットを頭から被りうずくまる。
「ここにいては危険です。ひとまず、お嬢様が落ち着くまで部屋を出ましょう」
マルヤの誘導で皆、部屋から退出する。
一人残されたスカイはただ泣き続けるしかなかった。
そして、人を信じられなくなったスカイはその日から部屋を出られなくなった。
この事件の責任をとり、結局、カイサはソーン伯爵家を辞めたのだが、娘の行動で妙齢の女性の顔に傷を負わせた呵責から両親は多額の退職金を払い、次の職場も紹介した。
カイサはそれを弟の治療へ充て、弟の病は完治したのだった。




