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捨てられた伯爵令嬢が旅に出るまで  作者: 礼三


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伯爵令嬢の過去① 侍女カイサ

 スカイは紛れもなくソーン伯爵家の娘である。それは父アムスンド、母メルタも認めていた。

 メルタが嫁いでから数年の月日が流れ、諦めていたときに授かった大切な子どもだ。


「見た?お嬢様のお顔」


 心地のよい風が一陣吹き、シーツが翻った。若い娘たちがお喋りをしながらも忙しく手を動かし、次々と洗濯物を干していた。


「見たわ…。ご主人様、奥様ともに整ったお顔立ちをしているのに、ちっとも似ていないのよね」


 眉根をひそめながら、一人のメイドがスカイの容姿について言及する。


「乳母に聞いた話では夜泣きがひどいんですってよ」


 スカイは真夜中にぐずった。

 ときには怒ったように顔を赤くし、引きつったような息継ぎを繰り返し、けたたましく一晩中泣き通した。

 気味の悪い泣き声だと、乳母は周囲に愚痴っていた。


「大きな声では言えないけど、侍女頭なんて…」


 シーツを丁寧に伸ばしていたメイドが小声で囁いた。


「チェンジリングじゃないかって」


「しっ、流石にそれは…。不敬だわ」


 一人が人差し指を唇に当てて口を閉じるように促した。

 ソーン伯爵夫妻が心から望んだお子をチェンジリングだと蔑むなどあってはならない。伯爵夫妻の気持ちを考えれば、赤子をそのような言葉で貶めてはいけない。


「そ、そんなつもりはないわ。ただ、侍女頭がっ」


「侍女頭とあろう方が、そんな迷信に惑わされるなんて」


 窘めたのはカイサ。メイドたちの手伝いに来ていた中堅の侍女である。

 男爵家の娘であるカイサは無理に洗濯を手伝う必要はないが、まだ年若いメイドたちがてんてこ舞いで働いている姿を見て、時折手を貸していた。


「ごめんなさい。気をつけるわ」


「そうね。その方がいいわ。この屋敷で長く勤めたいなら不謹慎なことは言わないことね…」

 

 メイドたち三人はコクコクと無言で頷いた。その様子を見てカイサは告げた。


「さぁ、早くこの洗濯物やっつけちゃいましょう!私、クッキーを焼いてきたのよ。後でみんなで食べましょうね」


 カイサは満面の笑みで彼女たちを励まし、メイドたちは弾むような笑顔で再び手を動かし始めた。



 その日…。

 カイサは主人(あるじ)の執務室へ呼ばれた。


「ウケッケッ」


 恭しく(こうべ)を垂れていたカイサだったが、しゃくり上げるような引き笑いが耳に届く。


「ウケッ」

 

 一瞬、ドキッとするような特徴のある笑い方だが、可愛らしい声だったので、どうやら赤子が近くにいるのだとカイサは推測した。

 この屋敷にいる子供は一人だ。


「顔を上げなさい」


 侍女頭に促されて、カイサは正面を向いた。

 予想通り、ソーン伯爵夫人メルタの胸に小さな命が抱かれている。

 愛おしそうに我が子を見守るその姿は聖母のように美しい。隣では夫のアムスンドが寄り添っていた。


「緊張しなくて良いのよ。楽にして」


 メルタは優しく笑みを湛える。

 カイサにとって、それは無理難題だった。


「恐れ入ります、奥様。本日はどのようなご用件で私をお呼びになったのでしょうか?」


 緊張を悟られないよう、カイサは努めて平静に尋ねたが、背中には汗が滲み出ていた。 

 メルタの実家は、ソーン伯爵家よりも歴史が古いアンカスター辺境伯家だ。もちろん、伯爵家よりも格上で、男爵家のカイサよりもずっと高貴な存在で雲の上の人である。


「マルヤがね。貴女をスカイの専属侍女として推薦してくれたのよ。貴女さえ良ければ、スカイの侍女になってくれない?」


 母親へ身を委ねている赤子とカイサの視線が交わった。

 癖があり、オリーブ色のまだ生え揃っていない短い髪。日が沈む直前の、群青色の空のような瞳は少し吊り上がっている。

 見目麗しい両親には似ていないが、じっとカイサを見据えている赤子の無邪気な表情は有り余るほど愛らしい。


(どこが、チェンジリングなんだか!)


 カイサは侍女頭のマルヤを一瞥した。何の意図があってスカイの侍女へ推薦したのであろう。


「恐れながら、奥様。私は貴族と言いましても、しがない男爵家の出でございます。お嬢様のお立場を考えますと、私には荷が重すぎます」


 たかが男爵令嬢が、スカイの身の上に何かあったときしっかり守れるのか、不安を感じ、カイサは思わず断ってしまった。


「カイサ!なんて事を!私の顔に泥を塗る気ですか?奥様、申し訳ございません。何卒お許しくださいませ」


 マルヤはカイサを睨みつけたが、カイサは背筋を伸ばして怯まなかった。


「いいのよ。ねぇ、旦那様…。私、カイサが気に入りましたわ」


「そうだな。先ほどの発言はスカイを思ってのことだろう」


 魔獣討伐で辺境を離れられなかった父の代わりに、兄に伴われ、メルタは王都の社交界へ進出した。その夜会でアムスンドがメルタを一目見て心を鷲掴みにされたという逸話がある。

 夫妻の視線は互いを尊重し慈しみに満ちている。その話が事実であったことは彼らを見れば一目瞭然だ。

 カイサは二人の様子に心が解けていく。


「私、伺いましたわ。貴女、弟さんが病を患ってらっしゃるのでしょう」


「ぜひ、援助させてくれ」


 確かにカイサには病気の幼い弟がいる。マルヤがカイサの身の上をメルタへ話したのだろう。

 五年前、父は馬車に轢かれてこの世を去った。名ばかりの男爵家であるため、残された財産は持ち家ぐらいだ。病気の弟は母が世話をしており、カイサは大黒柱として伯爵邸へ住み込みで働いていた。


「旦那様、奥様のご厚意でお給金をはずんでくださるそうよ」


 マルヤはカイサの耳元で囁く。実のところ、マルヤに他意はなく、純粋にカイサの仕事ぶりを見て推薦しただけであった。

 カイサは少し戸惑ったものの、最終的に承諾した。


「私でよろしければ、誠心誠意、お嬢様へお仕えいたします」


「ウケケケッ」


 スカイのふっくらした頬へエクボが浮かんだ。それはまるで、カイサの言葉に喜んでいるように思えた。

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