外伝 道中〈アンカスター辺境伯領地〉2
「誰が裏切り者だってヴィレのおっさん!」
大声と同時にバルコニーの窓が開け放たれる。逆光で誰か不明だったが、人影がスカイの足元まで伸びた。
「ダグ!」
スカイはその声がダグのものだと気づき、名前を呼んだ。
「おそかったじゃねーか?」
ダグはヴィゴに唾を飛ばす勢いで詰め寄った。
「そりゃ、アンタの部下がオレの行く手を遮るからだろうがっ!」
ここに至るまでの道のりで、ダグは何度もヴィゴの部下の騎士たちに行く手を妨害されていた。
ヴィゴへ言いたい事は散々あったが、ダグはすぐに踵を返すと、ヴィルヘルムへ抗議する。ヴィルヘルムの腕の中でスカイが大人しく髪を撫でられていた。
「おいおいおいおい、なに、スカイに手を出してんだ!ヴィレのおっさんにはおっかねぇ奥さんがいるだろう?」
ヴィルヘルムのこめかみがピクリッと痙攣した。思いの外、ダグの言葉に機嫌を損ねているようだ。
「お前は次期領主を少しは敬えっ!」
ヴィゴはダグの前頭部を片手で握りしめ、ヴィルヘルムとの間へ立ち塞がった。ギリギリと手に力を込める。
「痛えぇよ。ヴィゴ、離せよ!それにオレは間違えたことを言ってない!」
「ヴィレがスカイ嬢ちゃんの伯父でもか?」
「えっ?」
ヴィゴの腕を両手で掴んで抵抗していたダグの力が緩んだ。ヴィゴはダグを解放してやる。
「スカイ嬢ちゃんの顔をよく見てみろ!」
「あっ、うん。今日も可愛いよな」
ダグはスカイを常に褒める。ダグにとっては挨拶のようなものだとスカイは思っている。
「馬鹿か?お前は…」
「はっ?可愛いだろうが!」
「誰かに似てると思わないか?」
「んっ?」
ダグが遠慮なくスカイを見つめるので、スカイは身の置きどころがなくなって、目を逸らす。
スカイは以前よりも、ずっとすっきりとした身体つきになった。
ストレスのない生活とほどよい運動で、自然の中で過ごしていくうちに、本来の健康を取り戻したのだ。
体重はそれほど変わらなかったが、しなやかな筋肉が育まれ、身体が引き締まっていった。
それでも、黄味がかった鈍い緑色の髪やただ深いだけの藍色の瞳はみっともないものだとスカイは感じていた。
スカイの気持ちをよそに、ダグの答えをヴィゴが急かす。
「ほらっ!あのお方だ!」
「んっ?あぁーっ!じじい!」
ダグは目を丸くする。
「そう、それだ!スカイ嬢ちゃんはあの方の孫だからさ。ってか、お前っ!大将をじじいなどとっ!」
ヴィゴはダグの頭へ拳骨を見舞う。ダグは殴られた箇所をさすりながら呟いた。
「スカイのことを懐かしんでいたのは、子供の頃、出会ってからだと思ってたけど、なるほど、じじいに似てんな」
「また、じじいなどと!」
ヴィゴはダグの耳たぶを引っ張って諌めた。今まで沈黙していたヴィルヘルムが静かにダグへ怒りをぶつける。
「待て…。じじい云々はいい。僕の美しく慎ましい奥さんをおっかねぇなどとは、訂正しろ!ダグ!」
鞘に手をかけて、ヴィルヘルムはダグを叱責する。優しかった横顔が嘘のように悪鬼へ変化した。ヴィゴが凄んだときの表情よりも恐ろしく感じる。
「はっ?おっかねぇもんはおっかねぇだろ?それよりも、何でオレが裏切り者なんだよ!」
「おい、僕の心が寛大なうちに奥さんへ頭を床に付けて詫びろ!ダグ!」
「ざけんなっ!」
「だから、次期当主を敬えっ!」
ダグ、ヴィゴ、ヴィルヘルムの三つ巴の言い争いは長く続く。
スカイはしばし蚊帳の外に置かれた。皆の話についていけない。
「何を騒いでおるっ!」
豪快に扉を開けた姿勢の良い老爺が、傍らに凛とした女性を連れ立って入ってきた。
この部屋の扉にはオークの木が使われており頑丈なのだが、何故だか、亀裂が入っていた。
「客が来たから早く帰ろうと老体に鞭打って戻ってきたというのにっ!部屋の外からお前たちの声が漏れ聞こえとるわっ!」
「イングリッド!」
「大将!」
「じじい?」
三人の声が重なった。




