気づかない元婚約者
「オレはただソーン伯爵家の侍女頭の口車に乗せられて、修道院行きの馬車へ元婚約者を連れ込むだけの役割だったんだ。しかも、元婚約者は勝手に馬車へ乗り込んだ。実際、この件に加担はしていない。なのに、マルヤの奴、何を伯爵に吹き込んだんだか!」
ラグナルの握った拳がワナワナと震えている。彼はスカイが聞いてもいないのに、これまでの経緯をペラペラと喋った。
「そうなの?」
スカイは他人事のように聞いていた。準備した小鉢の中へ綺麗に洗ったコンフリーの根を投げ入れるとすりこぎで潰していく。
手際よく動くスカイの手元に気を取られつつも、ラグナルは話を続けた。
ラグナルは足を挫き、この小屋で唯一のベッドに横たわっていた。
彼が夕方までぐっすり眠り込んでいたため、外はもう夕闇が広がっていた。
このまま放り出すこともできず、スカイは今夜、ダグが使っていたハンモックで眠らなければならない。
「今回の騒動はお祖母様のお耳にも届いたようで、面目を保つためにも元婚約者の捜索隊に加われ、との手紙が届いたからさ。オレは全く悪くないのに、仕方なく同行してきたわけだ」
ラグナルは祖母である王太后の命に逆らえなかった。
実際、彼は捜索隊と合流したものの、何の役にも立たず、そのうち、スカイを探すふりをして一日中休憩をするようになった。
ラグナルは王太后から贈られた獣除けの魔道具ペンダントのおかげで、何もしなくても、イノシシは彼の目前で弾き飛ばされるはずだった。
それにもかかわらず、ラグナルは慌てふためき気を失い、挙げ句の果てに、木の根に足を引っ掛けて捻挫した。
「結局、オレを唆したマルヤはソーン伯爵の領地を追放されて、その足でクラウズーラ修道院へ向かったそうだ」
「ふーーーん」
スカイは興味もないので適当に相槌を打つ。粘り気が出てきた灰白い汁を確認して、小瓶から少量の酒を注いだ。
「ワレン男爵姉弟の方は、自ら爵位を返上して家を出たらしいんだ」
一度、ラグナルが言葉を切ると、二人の間に沈黙が流れて、コンフリーをすり潰す音だけが室内に響く。
「なんて…言ったか…。そう、グンナーだ。元婚約者を誘拐したあいつはどうやら、元婚約者に相当恨みを抱いていたらしい」
静寂に耐えられず、ラグナルは再び口を開いたが、スカイは関心がないようだ。
「あの男は騎士から冒険者に落ちぶれて、将来を誓い合ったワレン男爵家の長女に振られて、自暴自棄になっていたようだな」
ラグナルはスカイを一瞥する。スカイは清潔な布地の上へすり潰したものを伸ばしていた。
「何があったか知らないが…。藪でっ…ツゥっ!」
突然、スカイが患部に触れたため、ラグナルは痛みに眉を歪めた。スカイは気に留めることもなく、ラグナルの足首へ薬剤を包んだ布地を当てた。丁寧に包帯を巻いていく。
土の湿ったような匂いが漂い、ラグナルは包帯から滲み出た薬剤に手を伸ばした。
「止めといた方がいいよ。指先に汁が付くかもしれないし」
「何故だ?」
小鉢を片付けに立ち上がったスカイが告げる。
「その指を口元へ持っていったら、良くないから」
「ど、毒なのか!」
ラグナルは狼狽えて、スカイを見上げた。
「口にしたらね。湿布薬としては効き目抜群だから気にしなくていい」
「こ、これを外せ!今すぐに!」
手に付いてはいけないのだから、ラグナルは包帯に触れられない。焦るラグナルを横目にスカイは冷ややかに笑った。
「あのね?これ、善意なの?分かる?」
「嫌だ!死にたくない!」
「はぁ…」
目尻に涙を溜めるラグナルを滑稽に思いながら、スカイは小鉢に残っていた塗り薬を自身の腕に撫で付ける。
「これで満足?自分の腕に毒だと知っていて塗りたくるバカはいないでしょ?」
スカイの冷淡な眼差しに弱々しくラグナルは答えた。
「すまない…。君は助けてくれたのに」
スカイは黙った。これ以上は付き合いきれないと部屋を出ていく。
気絶していたラグナルを保護しただけでなく、スカイはスープをよそい、怪我の治療までしてくれた。一晩の宿も提供してくれたのだ。
厚顔無恥なラグナルも、先ほどの態度は見苦しかったと反省した。
「あのオリーブの髪色、群青の眼差しは…。いやいや、そんなことはない。少し似ているだけだ。あれから二ヶ月も過ぎた。獣に喰われたグンナーの遺体も見つかったんだ。スカイはもうこの世にいるはずがない」
ラグナルの記憶にあるスカイは、いつも周囲を警戒して挙動不審だった。あのような堂々とした態度の彼女が、スカイであるはずがない。そう思い、ラグナルは首を振った。
ラグナルは間近でスカイと接していても、彼女が自分の元婚約者だと気づくことはなかった。




