スカイと白い薔薇
あれはスカイが少しずつ部屋から出られるようになり、屋敷の庭まで散策ができるようになった十三歳の年だった。
「これ、綺麗だろう?フィオナ嬢のために摘んでもらったんだ」
大輪の白い薔薇を胸に抱いていたラグナルは、姉スカイの代役として迎え入れていたフィオナへ花束を手渡す。
「あっ、ありがとうございます」
スカイとラグナルの婚約は、ラグナルの祖母、王太后の意向で結ばれたものだ。
その昔、王太后がまだ一人の令嬢であった頃、彼女はアンカスター辺境伯へ恋心を募らせていた。だが、有力貴族の娘であった王太后は、王家へ嫁ぐことが決まっていた。
そこで、燻り続けたその想いを、孫の婚姻で昇華させようと考えたのだ。
だが、婚約者として決まったスカイはソーン伯爵家の自室へ引きこもってしまった。
ラグナルは一度も会うことのなかった婚約者よりも、愛らしくて可憐な婚約者の妹を気に入っている。
いつしか、フィオナに婚約者をすげ替えてしまえばいいと思うほどに…。
「とても、綺麗な…ボレロでしょうか?良い香りの薔薇ですわね」
フィオナは戸惑いながらも、手渡された薔薇に目を細める。
何層も重なりあった花弁、中心が柔らかく膨らみ、淡い桃色が健気さを際立たせた。甘い香りが鼻をくすぐる。
「返して!それを返して!私の花よ!」
ソーン伯爵邸の玄関ホールで、ラグナルはフィオナと談笑を楽しんでいると、一人の少女が醜悪な形相で乗り込んできた。
身なりはそれなりに整っていたが、小太りでみっともない印象の少女だった。
「どこの使用人の子供だ!失礼だぞ!あぁ、あの庭師の孫か!覚えてろよ!あの庭師はクビだ!主人に進言してやる!」
「おっ、お姉様…」
目の前にいる不格好な少女が姉だというフィオナの発言にラグナルは耳を疑った。
「何!このみすぼらしいのが、フィオナ嬢の姉だと?冗談じゃない!これが!オレの婚約者だというのか!」
最近、ようやく活動的になった姉が大事に育てていた花だということに気づいて、花束を持っていたフィオナの手に力が入る。
「い、痛っ!」
フィオナの可愛らしく白い指先に棘が刺さった。
「フィオナ嬢!大丈夫か?」
「私は…大丈夫です。けど、お姉様が…」
フィオナはスカイに駆け寄ろうとすると、ラグナルは身体で遮りフィオナの手首を掴む。
「何が大丈夫なものか!すぐに治療せねば!この薔薇のせいで!フィオナ嬢の美しい指先が!こんなもの!すぐに返してやる!」
ラグナルはフィオナから薔薇を奪い取り、大理石の床へ薔薇を投げつけた。無惨に白い花びらが飛び散る。
「私の…薔薇…」
スカイは膝から崩れ落ちて、さめざめと泣いた。スカイの啜り泣きがラグナルには不快だった。
「お姉様!」
「あんな奴のことなど気に留めなくても良い!優しいのだな!フィオナ嬢は…」
ラグナルはフィオナを抱き上げた。十一歳になったばかりのフィオナは羽のように軽い。
「離してください」
フィオナがラグナルの胸を拳で叩く。ラグナルはフィオナが恥じらっているのだと優しく微笑んだ。
「往生際が悪いぞ!さぁ、怪我を見てもらおう!」
ラグナルはスカイに背を向けて階段を上がっていく。
「私が…大切に育ててきたのに…」
スカイの涙は止めどなく流れた。
ある日の月夜、部屋の窓から芳しい香りが風に運ばれ、スカイは庭へと導かれた。
蜂蜜のようなとろける甘い香りは庭の一角を占領していた薔薇だった。
うっとりとスカイが匂いを嗅いでいると背後から大きな影が覆う。
スカイが驚いて振り返ると、熊のような年老いた男が立ち尽くしていた。
「スカイ…お嬢様かな?」
その男は巡回していた庭師だった。
一部の使用人がチェンジリングと騒いでいるスカイの存在を、庭師は知っていたが、実際に見たのは初めてだった。
怯えた目で見上げている少女を、庭師はチェンジリングなどと到底思えなかった。
「ふむ…。お嬢様、一緒に花を育ててみないか?」
それからスカイは庭師と一緒に土をいじるようになった。令嬢らしくないスカイのその行動に、使用人たちは嘲笑っていたが、庭師だけは優しく接してくれた。
「これはスカイお嬢様の花で勝手に切るなどと…」
スカイの薔薇を所望するラグナルに、身分の低い庭師は逆らえなかった。
ラグナルはその後、アムスンドへフィオナの怪我は庭師の失態だと訴えたが、実際はラグナルが急かしたため、庭師は棘を取り残してしまった。
その夜、あの事件以降、アムスンドの前に姿を現さなかった娘がフィオナに伴われ執務室を訪れた。
スカイはオドオドとフィオナの影に隠れながらも、自分の花をもし勝手に持っていく輩がいたら棘を残すようにと庭師へ命令したのだと告白した。
フィオナはそれは事実ではないと知っていたが、スカイが勇気を出してついた嘘を否定することはしなかった。
庭師は解雇を免れた。
スカイは花を愛でるのをやめた。
そして、その元凶が…。
その元凶だったラグナルが、現在、スカイの目の前で泡を吹いていた。




