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捨てられた伯爵令嬢が旅に出るまで  作者: 礼三


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辺境伯の血統

「お客様!困ります!まずは旦那様に確認いたしませんとっ!」


 胸へと倒れ込んだメルタをソファへ運んでいたアムスンドの耳へ、豪快に床を叩く靴音と、使用人の制止する言葉が届く。

 フィオナがドアを開け放ったままだったので、声がよく響いた。

 

「よいよい!婿殿とは旧知の仲だ!通らせてもらうぞ!」

 

「ちょっ…今はそれどころではっ!」


 焦った使用人が両手を広げて、現れた大男の行く手を阻んだが、彼はものともせず使用人を押し分けて、室内へずかずかと入っていった。

 

「誰だっ!こんなときに!」


 度重なる来客に苛立ち、アムスンドは大声で一喝しながら、入口を振り向いた。

 

「久しいな!」


 苔むした樹皮のような渋みのある髪は短く、左耳から頬に走る大きな傷跡が痛々しく残るが、紺色の眼差しは力強い。皺の刻まれた目尻を垂れ下げ、人当たりの良い笑顔を振り撒きながら、その男はアムスンドへ短く呼びかけた。

 

「ちっ……義父上!」


 アムスンドは驚きを隠せない。

 アンカスター辺境伯であるシグニと対面するのは実に二十余年ぶりだ。アムスンドがメルタとの婚姻の許しを得るために辺境伯領地を訪れて以来だった。

 伯爵領地から北西の果てにあるアンカスター辺境伯領地へ向かうには、馬車で二週間かかる長旅となる。

 当時、魔獣の襲来、異種族との攻防のため、シグニは前線で戦っており、とてもではないが、領地を離れられなかった。

 故にアムスンドとメルタとの結婚式にも参列できなかった。

 

「お……お祖父様?」


 フィオナは慌ててカーテシーで挨拶をする。もちろん、フィオナは母方の祖父に会うのは初めてだった。

 厳つくも凛々しくもある戦士のシグニではあるが、孫娘の前では顔を崩した好々爺でしかない。

 

「おっ、何だ!この愛らしい娘は!メルタに似て美人ではないか!わしの孫娘か?」

 

「フィ、フィオナでございます。お祖父様、初めてお目にかかります」

 

「こらこら、家族だぞ!そんな堅苦しい挨拶は抜きだ!」


 フィオナの頬へ強靭な胸板を押し当て、抱き締めるも、すぐに腕を掴まれて止められる。


「大将、いい加減にしろ!力加減を間違えると嬢ちゃんが潰れちまう!」


 シグニの従者であるヴィゴが、主人とフィオナを引き離した。

 言葉遣いこそ悪いが、シグニと異なり、ヴィゴはそれなりの常識を持ち合わせている。

 シグニは名乗りもせず、ソーン伯爵家へ無断で乗り込んだが、ヴィゴは突然の訪問を侘びながら家人へ身分を証明した後、この部屋へ通された。時間差があったのはそのためだ。

 

「ん……ふっ……」


 気を失っていたメルタが、周囲の騒々しさにゆっくりと身体を起こす。その気配に気づいたアムスンドは妻を気遣うように手を貸した。

 

「おやおや、メルタはなぜそのようなところで寝ているのだ?」


 メルタは懐かしい声に一瞬微笑み、そして身体を強張らせて、ぎこちなく首を動かす。

 

「おっ、お父様!」


 メルタは両手で口を覆い目を見開く。

 シグニは国境の守護者だ。毎年ある貴族行事、国王への謁見の義務さえ、免除されていた。

 その父が白い歯を見せて満面の笑みを浮かべている。

 

「はははははっ!驚かせてしまったか?わしの孫たちがデビューすると聞きつけたのでな。一週間前だったか?トルステンが手紙を寄越してな。さすがにデビュタントには間に合わなかったか?」


 ガルグイユ公爵の令息トルステンは時折シグニへ手紙を送っていた。

 トルステンには、公爵家を継いだあとも有力貴族である辺境伯との繋がりを強固なものにする目的もあったが、今回は単純に従姉妹であるスカイとフィオナの近況を祖父へ知らせたかったというのもある。

 その手紙を読んだシグニは、すぐさまソーン伯爵家へと強行日程で馬を走らせた。

 隣国の勇者のおかげで、魔獣は一掃され、異種族とは協定が結ばれた。

 目下の脅威が去ったため、ある程度、シグニは自由に行動することが可能となった。

 

「奥様の……お父様……?」


 部屋の隅でマルヤが肩を震わせている。

 

「何だ?そこの女?なぜ怯えているのだ!わしのなりがそれ程に恐ろしいか?」


 シグニは己の姿に、マルヤが気圧されていると感じていた。

 顔にある大きな傷は武人の証であるが、か弱い女性であれば慄くのも無理はない。シグニが真剣な表情を作れば、目元も険しく尖り、恐怖を抱く対象ともなるだろう。

 だが、マルヤの感情は別のものだった。

 

「嘘よ……。スカイお嬢様に……」


 オリーブの髪色、群青色の瞳。

 スカイの輪郭は丸みを帯びていたが、もし彼女の眼差しに強い光が宿れば、目線の先にいる老爺とよく似ている。

 マルヤはようやく自分が呪いにかかっていたことに気づいた。

 スカイはチェンジリングではない。

 確かにソーン伯爵夫妻の容姿と異なっていたが、母方のアンカスターの血脈を受け継いでいる。

 

「スカイ?スカイとはわしのもう一人の孫娘だな?どこにおる?」


 シグニがスカイの居所を尋ねた途端、誰もが視線を逸らして顔を曇らせた。

 

「先ほど門番から話を聞いたが、スカイ嬢ちゃんは行方不明らしい」


 見兼ねたヴィゴが、シグニの肩へ手を置きそう答えた。

 

「なんじゃと!」


 シグニのけたたましい大声が屋敷中へこだました。

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