伯爵夫人の慟哭
※この話には一部、虐待・暴力に関する描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
「申し訳ございません!申し訳ございません!私がスカイお嬢様を…チェンジリングなどと思い込んだために!」
マルヤは半狂乱で叫び出す。
マルヤの言葉にソーン一家は狼狽えた。何をどうすれば可愛い娘をチェンジリングなどとは、戯言も甚だしい。
アムスンドは怒りで血管が千切れそうだ。額に青筋を立てて言い放った。
「娘を!チェンジリングだと!?」
フィオナは父の言葉で我に返り、声を上げた。
「前からお伝えしていたではありませんか!マルヤのことを全面的に信用するのはいかがなものかと!」
フィオナは何度か両親にスカイの状況を訴えていた。だが、ソーン伯爵家でのマルヤの影響は大きく…。
「スカイはご飯の好き嫌いも激しくて、お風呂も好きではないそうなのよ」
「マルヤは根気よくスカイを躾けているだけだ」
両親はマルヤの意見を信じて、フィオナの進言には全く聞く耳を持たなかった。
「マルヤさんはまだそのようなことを!そのような妄言に私の弟を巻き込んだのですか!」
カイサはマルヤがスカイの赤子の頃からチェンジリングだと主張していたのを思い出した。
「私が…。私が…お嬢様……。スカイお嬢様を追い詰めたのでございます」
マルヤの目から滂沱の涙が溢れて、絨毯の上に染みが広がる。マルヤは髪を振り乱しながら、堰を切ったかのように懺悔を始めた。
水風呂に入らせたこと。
刺激のある香辛料をふんだんに使った料理を与えていたこと。
真冬は暖炉に薪をくべることなく、目覚めに氷水を打ちかけ、真夏は窓を閉め切り暖炉へ火を点け、部屋に熱をこもらせたこと。
スカイは六歳のとき、部屋に引きこもった。フィオナが部屋を訪ねてくるまでの六年間…。マルヤはずっと繰り返しスカイへ虐待を行っていた。
それ以降も、デビュタントまでの四年、屋敷の敷地から一歩も外出できなかったスカイに対して、マルヤはフィオナの目をかいくぐり
「チェンジリングであるお前がお嬢様などと、皆を騙してそれでもまだ人間として生きたいか?」
と、言葉の暴力で責め続けた。
マルヤは数々の所業を並べた。メルタはよろめき、意識が再び遠ざかりそうになった。不甲斐ないメルタの様子にヴィゴは厳しい叱責を飛ばした。
「しっかりしろ!それでも由緒あるアンカスター辺境伯の娘か!」
その言葉にメルタは足を踏みこたえ、片手でもう片方の甲を握りしめた。行き場のない虚しさと悔しさで深く爪が食い込み血が滲んだ。
ソーン伯爵夫妻にとって初めての娘、大切なスカイは侍女頭などに侮られ苦しめられてきた。
そのとき、父も母も手を伸ばそうとすらせず、マルヤに欺かれ、スカイを放置してきた。
スカイは孤独に苛まれ、ただ一人で虐待に耐えてきたのだ。
メルタは事実から目を背きたい衝動に駆られて、思わず喉元を掻きむしった。
滑らかな白い肌に赤い筋が鮮明に浮かんだ。
「あああああっ!」
アムスンドが止める間もなく、メルタはマルヤの襟を掴んで引きずり、容赦なく右の頬へ手を振り下ろした。
バチンッ!
それでもメルタの気が休まることはない。次はマルヤの左頬を強く平手打ちした。
バチンッ!
か弱い伯爵夫人であるメルタにどうしてそれだけの力があるのか、マルヤの身体がアンティークの飾り棚に飛ばされる。
マルヤは抵抗しなかった。
「スカイの苦しみを思うと…。こんなもので済まされるものですかっ!」
メルタはシグニへ歩み寄ると腰にかかっている剣帯へ視線を落とす。柄を掴もうとするも、ヴィゴが鞘の上から強く握りしめ、剣はびくとも動かない。
「邪魔をしないでっ!マルヤの両手を切り落とすのよ!」
ヴィゴは無造作に束ねた黒髪を左右に揺らしてため息を漏らす。
「メルタ夫人…。それであんたは満足か?そこのばあさんに責任を押し付けてるけど…。まぁ、そのばあさんが諸悪の根源なのは間違いないな。けどな…。その言葉に唆されたにしろ、親にも問題はあっただろう?そこのばあさんに何と言われても、スカイ嬢ちゃんに会いにいけば良かったんだ。同じ屋敷に住んでいるんだからさ。ほんの少し、会話をすればこんなことにはならなかったんじゃないのか?」
メルタは自分よりも随分と背が高いヴィゴを見上げた。
武骨な男であったが、深い闇のような眼差しには慈しみが垣間見えた。
不意にメルタは周囲を見渡す。
そこにいるはずのないスカイの姿を探した。
「あああぁぁ、スカイ!スカイはどこなの!」
なぜか、メルタの記憶にスカイが生まれたばかりの甘く柔らかな匂いが蘇った。
小さな胸に宿る確かな命、指先に触れたとき、幸せで胸がいっぱいになった。
「くっ……スカ……イ……どこ?」
泣き崩れる母に寄り添うフィオナ、二人を抱きしめるアムスンド。美しい家族の形を取り戻しつつあるように見えたが、そこにはあるべきピースが欠けていた。
鎮まり返った部屋にフィオナの啜り泣きだけが響く。
使用人はどう対処してよいか分からず、ワレン男爵家の姉弟はソーン伯爵一家をただ見守っていた。
顔が赤く腫れ上がっていたマルヤは呆然と天井を仰いでいた。
シグニはマルヤを一瞥し、重い空気を払拭するかのように宣言する。
「わしを見れば、わしの孫と分かるほどスカイは似ているのだろう?なら大丈夫だ」
「義父上は何を根拠にそのようなことを!」
アムスンドは思わず反論したが、シグニは冷静だった。
「それだけ、わしにそっくりなら、そう簡単にくたばったりはせん!拷問にも近い境遇で生き残ったんじゃ!余程、わしの血が濃いんじゃろうて!」
「そうだな。大将の血を甘く見てはな」
「あぁ、大事ない。わしの勘はすこぶる当たる」
【作者より】
申し訳ございません。
続きはただいま執筆中です。
20話ほどで終わるはずですが、キャラたちが暴走中で少し自信がありません。
メルタがマルヤにビンタをくらわす場面は当初予定にありませんでした。執筆途中、メルタの怒りと悲しみが収まらず…。
多分、お盆までには完結します。重ね重ねお待たせすることになりますが、ご理解いただけますと幸いです。




