第六話 届かぬ燭台の灯り
第六話 届かぬ燭台の灯り
一週間の期限まで、あと四日あった。
夜が深まるにつれて、屋敷は静かになる。使用人たちが引き上げ、廊下の燭台だけが淡い光を灯している。ソフィアは寝室の窓際に椅子を引き寄せ、外の闇をぼんやりと眺めていた。
眠れない夜が、また来ていた。
以前はこういう夜に、セイルの部屋に灯りがついているかどうか、確認しに行くことがあった。扉の前まで行って、ノックをしようとして、できなくて戻る。そんなことを、嫁いだ最初の二年は繰り返していた。今はもう、しない。する意味がないとわかったから。
庭に面した窓の向こうは、真っ暗だった。
月のない夜で、薔薇庭園の輪郭すら見えない。昼間あれほど鮮やかだった花たちが、今は闇の中に溶けている。それがなぜか、今夜のソフィアには自分のことのように思えた。
人に見えているときだけ、咲いているように見える。
燭台の灯りが、窓ガラスにソフィアの顔を映していた。白銀の髪、青い瞳、整った顔立ち。侯爵夫人として申し分ない外見だと、社交界ではよく言われた。しかしその顔が、今夜は酷く他人のように見えた。
五年間、この顔で微笑み続けた。
ふと、廊下に足音が聞こえた。
深夜のこの時間に歩く人間は、この屋敷には一人しかいない。足音はソフィアの寝室の前を通り過ぎ、廊下の奥へと遠ざかっていった。書斎に向かったのだろう。
セイルも、眠れないのかもしれなかった。
眠れない夜だからこそ、普段は考えないことを考えてしまう。そう思いながら、ソフィアは暗い窓の外に目を向けた。セイルのことを、ここ数年は「振り向いてくれない人」としてしか見ていなかった気がした。一人の人間としてではなく、自分の痛みの原因として。
それは公平ではなかったかもしれない。
しかしだからといって、離縁の決意が揺らぐわけではなかった。人間として理解しようとすることと、妻として限界を迎えることは、別の話だ。
ソフィアは窓から目を離し、燭台の炎を見つめた。
小さく揺れる炎が、風もないのに左右に揺れている。今にも消えそうで、しかし消えない。その様子をしばらく眺めながら、ソフィアは五年前のことを思い出していた。
嫁いで最初の夜のことだ。
緊張しながら寝室で待っていたソフィアの元へ、セイルは来なかった。使用人を通じて「今夜は公務が長引いた。先に休んでくれ」という伝言だけが届いた。その言葉の意味を、当時のソフィアはまだ理解していなかった。ただ、寂しいと思った。
翌朝、朝食の席でセイルは普通に現れた。
「昨夜は遅くなった。疲れただろう」
そう言って、ソフィアの顔を一度だけ見た。それだけだった。気遣いなのか、罪悪感からなのか、当時のソフィアには読み取れなかった。ただその視線には、どこか後ろめたさに似た色があった気がした。今になって思えば、あの頃からセイルはすでに、この結婚に対して何かを抱えていたのかもしれない。
あの朝からずっと、ソフィアはセイルの視線を読もうとし続けた。
五年間、ずっと。
燭台の炎が、また揺れた。
廊下の向こうで、書斎の扉が閉まる音がした。セイルが中に入ったのだろう。扉一枚と、長い廊下を挟んで、今夜も二人は別々の場所にいる。
この屋敷での最後の夜々が、静かに過ぎていく。
ソフィアは立ち上がり、燭台の炎をそっと吹き消した。
暗くなった部屋の中で、目を閉じる。眠れなくても、横になることはできる。残り四日、ただ静かに過ごすだけでいい。
ベッドに横たわりながら、ソフィアはふと思った。
あの燭台の灯りは、今夜も書斎の窓に映っているのだろうか。セイルの目に、この部屋の灯りは届いていただろうか。
届いていたとしても、もう遅い。
そう思いながら、ソフィアは静かに目を閉じた。夜の静寂が、屋敷全体を包んでいた。




