第五十一話 社交界の噂【ソフィア視点】
第五十一話 社交界の噂【ソフィア視点】
王都に戻って一週間が経った頃、社交界から招待状が届き始めた。
ソフィアが王都に戻ったことは、すぐに広まったらしかった。王都は広いようで狭い。侯爵夫人が戻ったという話は、一日もしないうちに社交界に流れた。
招待状は三通来た。茶会に、夜会に、昼食会。どれも、面識のある貴族家からだった。
ソフィアは三通を並べて、少し考えた。
以前なら、全て出席していた。侯爵夫人として、欠席することは原則なかった。断ることは、角を立てることだと思っていた。
今は違う。
「どうするつもりだ」
セイルが聞いた。書斎から出てきて、食卓に並んだ招待状を見ていた。
「一つだけ、出席しようと思います」
「一つ?」
「茶会だけ。あとの二つは断ります」
セイルは少し目を細めた。驚いているのか、別の何かなのか、今のソフィアには少し分かってきていた。これは、驚きだった。
「角が立つかもしれない」
「立つかもしれません。でも、全部出席することが、今の私には必要ではない。茶会のお相手は、五年間本当によくしてくださった方だから、そちらだけ伺います」
セイルはしばらく黙った。それから、短く言った。
「そうしろ」
命令ではなかった。同意だった。
茶会は、翌々日だった。
相手は、グレイス伯爵夫人だった。五十代の、品のある女性だった。ソフィアが嫁いできた頃から、何かと気にかけてくれていた。社交界では珍しく、裏表のない人だった。
屋敷に伺うと、グレイス夫人は両手でソフィアの手を取った。
「戻ってきてくれてよかった。心配していたのよ」
「ご心配をおかけしました」
「心配するのは当然でしょう。あなたが王都を出たと聞いたとき、どれほど——」
グレイス夫人は少し目を潤ませた。それから、ソフィアをまじまじと見た。
「でも……いい顔をしているわ。前より、ずっと」
「そうですか」
「前のあなたは、完璧すぎた。綺麗だったけれど、どこか遠かった。今日のあなたは、ここにいる感じがする」
ソフィアは、その言葉を静かに受け取った。
ここにいる感じ。
仮面がなければ、人にはそう見えるのだと分かった。
お茶を飲みながら、グレイス夫人が言った。
「社交界では、色々な噂が出ているわ。知っておいた方がいいかと思って」
「聞かせてください」
「ヴァルト侯爵夫人が離縁して王都を出た、という話はすぐに広まった。その後、侯爵が後を追ったという話も。そして今、戻ってきたということも」
「どんな風に言われていますか」
グレイス夫人は少し間を置いた。
「二種類ある。侯爵が追いかけて連れ戻した、という見方と……夫人が自分の意志で戻った、という見方と」
「後者が本当です」
「私はそう思っていた。あなたの顔を見れば分かる」
グレイス夫人が、少し声を低くした。
「あなたがどう過ごしてきたか、詳しくは聞かない。でも、一つだけ言わせてほしい」
「はい」
「よく戻ってきた。自分の足で」
ソフィアは、その言葉に少し目が熱くなった。泣くまいと思った。でも、この人の前では少し泣いてもいい気がした。
目の端が、少し滲んだ。
「ありがとうございます」
グレイス夫人は何も言わなかった。ただ、ソフィアの手をもう一度、静かに握った。
帰り道、馬車の中でソフィアは窓の外を見ていた。
王都の石畳が、午後の光を受けていた。行き交う人々。馬車の音。以前は当たり前だった景色が、今日は少し新しく見えた。
社交界の噂は、これからも続くだろう。色々なことを言う人が出てくるかもしれない。連れ戻されたと思う人もいるだろう。
——でも、私は知っている。
自分の足で戻ったことを。自分の言葉で答えを出したことを。
それは、誰にも変えられない事実だった。
噂は噂のまま流れていく。ソフィアはその中に立って、揺れない。
仮面なしで、王都に立つ。それが、これからのソフィアだった。
馬車が屋敷の門に近づいた。
門のそばに、薔薇の香りが漂っていた。
庭の薔薇が、まだ咲いていた。




