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「侯爵夫人を5年演じた私が離縁を決めたら、今さら愛していると言わないでください」  作者: マサキ


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第四十九話 二人の時間【ソフィア視点】

第四十九話 二人の時間【ソフィア視点】


 その日の夕方、二人で食卓についた。


 五年間、同じ食卓に座っていた。なのに今日は、全く違う食卓だった。向かいに座るセイルの顔が、同じ人間とは思えないほど、違って見えた。いや、変わったのはセイルだけではない。ソフィア自身も、違う。


 同じ場所で、違う二人が、向かい合っている。


 その事実が、少し不思議で、少し可笑しかった。


「何かおかしいか」


 セイルが言った。ソフィアが小さく笑っていたことに、気づいていたらしかった。


「いいえ。ただ……五年間、同じ食卓だったのに、こんなに違うと思って」


「俺も思っていた」


「同じことを?」


「同じことを」


 二人で少し、黙った。それから、また小さく笑った。


 二人が同時に笑うのは、あの町の庭での一度だけではなくなっていた。



 食事の間、他愛のない話をした。


 王都の近況。陛下の様子。屋敷の使用人のこと。エミリアの町のこと。薬草店で覚えた薬草のこと。話題は尽きなかった。五年間、二人の間になかった類の話が、今日は自然に出てきた。


 セイルは相変わらず口数が少なかった。だが、聞くことは丁寧だった。ソフィアが何かを言うと、そこから次の問いが来た。興味を持って聞いている、ということが伝わってきた。


「薬草店の仕事、続けるつもりか」


「こちらに戻るなら、エミリアの店には通えないけれど……薬草のことは、もう少し勉強したいと思っています」


「王都にも、薬草を扱う店はある」


「知っています。前から気になっていたけれど、行く機会がなくて」


「行けばいい」


 さらりと言った。それだけだったが、ソフィアには十分だった。行っていい、という言葉ではなく、行けばいい、という言葉。その違いが、今のセイルだと思った。



 食後、庭に出た。


 夜の薔薇庭園は、昼とは違う顔をしていた。月明かりの中で、花の色が溶けて、白っぽく見えた。香りだけが、昼と同じだった。


 並んで立った。


「昼間、言いたいことが言えましたか」


 セイルが聞いた。


「ええ。ちゃんと言えた」


「よかった」


「あなたは、ちゃんと受け取ってくれた」


「受け取った。軽くするつもりはない」


 ソフィアは頷いた。


 軽くするつもりはない、という言葉が、今のセイルらしかった。謝罪の言葉より、この言葉の方が、ずっと重かった。五年間のことを、なかったことにしない。ちゃんと抱えていく、という意味だから。


「一つ、聞いていいですか」


「どうぞ」


「あなたは今、どんな気持ちですか」


 セイルは少し間を置いた。


「……怖い」


「何が」


「また、間違えることが」


 ソフィアは少し驚いた。そういう言葉が、こんなにすぐ出てくるようになったことに。


「私もです」


「ソフィアも?」


「また、飲み込んでしまうことが怖い。怖くて言えなくなることが怖い。でも……怖がっていることを、今こうしてあなたに言えているから、少し大丈夫な気がします」


 セイルは黙っていた。


 それから、静かに言った。


「言ってくれ。飲み込みそうになったら」


「言います。あなたも、扉を閉めそうになったら、言ってください」


「言う」


 約束が、一つ増えた。


 昼間の約束に、今夜また一つ。こうして少しずつ積み重ねていくものが、これからの二人の間にあるものだと、ソフィアは思った。



 夜風が吹いた。


 薔薇の香りが、濃くなった気がした。ソフィアは少し目を閉じた。


 この香りを、最初の春から好きだった。毎朝水をやりながら、一人で嗅いでいた。今夜は、隣に誰かがいる。


「この庭を作ってよかった」


 ソフィアが言った。独り言のような声だった。


「ああ」


 セイルが答えた。


「俺も、そう思っている」


 短かった。でも、その言葉の重さは十分だった。


 二人で、しばらく夜の庭を見ていた。


 月明かりの中で、薔薇が白く光っていた。赤も桃色も、夜の色に溶けて、今夜は全部同じ色に見えた。


——同じ色に見えても、それぞれの薔薇は、それぞれのままだ。


 そう思いながら、ソフィアは庭を見ていた。


 隣で、セイルも庭を見ていた。


 二人の間に、静かな時間が流れていた。埋めなくていい沈黙だった。急がなくていい時間だった。


 この静けさが、五年前にもあればよかった。


 でも、今ここにある。


 それで、十分だった。



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