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「侯爵夫人を5年演じた私が離縁を決めたら、今さら愛していると言わないでください」  作者: マサキ


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第二十九話 届いた手紙【ソフィア視点】

第二十九話 届いた手紙【ソフィア視点】


 花を飾った翌朝、手紙が届いた。


 差出人を見て、ソフィアは少し息を止めた。アーデル伯爵家。実家からだった。


 この町に来てから、実家には手紙を一通送っていた。王都を出たこと、しばらくエミリアのところにいること、心配しないでほしいこと。それだけを書いた、短い手紙だった。返事が来るとは思っていなかった。来るとしても、もっと先だと思っていた。


 マリアが差し出した封を、ソフィアはゆっくりと開いた。



 書いていたのは、父だった。


 アーデル伯爵の文字は、昔から几帳面だった。一字一字、丁寧に書かれた手紙だった。最初の数行は、ソフィアの無事を確認する言葉だった。それから、こう続いていた。


 お前が離縁を選んだことを、咎めるつもりはない。五年間、よく務めてくれた。だが、父として一つだけ言わせてほしい。お前が幸せかどうかを、父はずっと気にしていた。侯爵家に嫁がせたことが正しかったのか、今も分からずにいる。お前が自分のために歩き出したと知って、ようやく少し、楽になった。


 それだけだった。長くはなかった。だが、ソフィアは何度か読み返した。


——父は、気にしていた。


 知らなかった。いや、知ろうとしなかったのかもしれない。実家を心配させまいと、王都から送る手紙にはいつも当たり障りのないことしか書かなかった。侯爵夫人として順調です、と。そういう手紙を、五年間送り続けた。


 父はそれを読みながら、気にしていた。


 その事実が、静かに胸に落ちた。


「お父様から?」


 エミリアが覗き込んできた。ソフィアは頷いた。


「なんて」


「……幸せかどうか、ずっと気にしていたと」


 エミリアは少し黙った。それから、小さく言った。


「そりゃそうだよ。親だもん」


 当たり前のことのように言った。だがソフィアには、その当たり前が長い間、見えていなかった。



 午前中、ソフィアは返事を書いた。


 薬草店の奥の小さな机を借りて、便箋に向かった。何を書くか、少し考えた。当たり障りのないことを書く癖が、まだどこかにあった。でも今日は、そうしたくなかった。


 ゆっくりと、本当のことを書いた。


 五年間、完璧な侯爵夫人を演じていたこと。飲み込んでいたものがたくさんあったこと。でも今は、この小さな町で、少しずつ自分を取り戻しているということ。エミリアとマリアがそばにいてくれること。薬草店の仕事を手伝っていること。野の花が窓に飾られていること。


 セイルのことは、少しだけ書いた。来ていること、話をしていること、それだけを。判断はまだついていないと、正直に書いた。


 最後に、一行だけ付け加えた。


 父上が気にしてくださっていたと知って、今日は少し泣きそうになりました。今は大丈夫です。


 書き終えて、読み返した。今まで実家に送ってきた手紙とは、全く違う手紙だった。うまい手紙とは言えないかもしれない。でも、本当のことが書いてあった。


 封をして、マリアに頼んだ。


「今日中に出してもらえる?」


「はい」


 マリアは手紙を受け取って、少しだけソフィアの顔を見た。何かを言おうとして、やめた。その代わりに、小さく頷いた。


 それで十分だった。



 昼過ぎ、セイルがいつもの時刻に来た。


 今日の話題は、セイルの方から出た。


「王都に戻らなければならない」


 ソフィアは少し驚いた。顔には出さなかったが、心の中で何かが引っかかった。


「いつ」


「明後日。陛下への報告が、これ以上待てない」


 セイルは真っ直ぐにソフィアを見た。


「また来る。許してもらえるなら」


 ソフィアは少しの間、その言葉を置いておいた。また来る。許すかどうかを問うている。五日前なら、どう答えていただろう。


「……来ることは、止めません」


 セイルの目に、何かが動いた。安堵とも、別の何かとも取れる動きだった。


「ただ」ソフィアは続けた。「答えは、まだ出ていません。来てくれても、何も約束できない」


「分かっている」


「それでも来ますか」


「来る」


 迷いのない答えだった。短く、でも確かだった。


 ソフィアは窓の外を見た。野の花が、今日も窓の光を受けていた。昨日より少し、花が開いている気がした。


——また来る。


 その言葉を、ソフィアはまだ胸の中に置いたまま、答えを出さなかった。


 出さなくていい。今日は出さなくていい。


 ただ、手紙を書いたこと、父の言葉を受け取ったこと、セイルが来てまた来ると言ったこと。今日起きたことを、一つずつ、静かに抱えていくだけでよかった。


 夕方、エミリアが店を閉める音がした。マリアが夕食の支度を始める音がした。この町の、いつも通りの夕暮れだった。


 ソフィアは窓の花に水をやって、椅子に座った。


 父への手紙は、今頃もう町を出ているだろう。


 届くといい、と思った。本当のことを書いた手紙が、ちゃんと届くといい。



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