第二十八話 新しい季節【ソフィア視点】
第二十八話 新しい季節【ソフィア視点】
セイルが町に来て、三日が経った。
その間、彼は毎朝決まった時刻に訪ねてきた。早すぎず、遅すぎず、朝の鐘から少し経った頃に。扉を叩く音も、毎回同じ三回だった。そういうところが、いかにもセイルらしいとソフィアは思った。
話す場所は、いつも食卓だった。エミリアとマリアは席を外した。お茶が二つ、置かれた。それだけの、簡素な時間だった。
セイルは約束を守っていた。言い訳をしなかった。言葉を飾らなかった。ときに長い沈黙があった。言葉を探している沈黙だと、ソフィアには分かった。その沈黙を、急かさなかった。
三日間で、多くのことを話した。
最初の夜のこと。距離を作った理由。レイナに流れた経緯。名前を呼ばなかった理由。セイルはそのどれも、短く、しかし誠実に話した。ときに言葉が足りなかった。ときに説明が上手くなかった。それでも、嘘をつかなかった。
ソフィアも、話した。
飲み込んできたものを、少しずつ。泣かないと誓った夜のことを。完璧な侯爵夫人を演じ続けた理由を。薔薇庭園を作ったときのことを。セイルは黙って聞いた。途中で口を挟まなかった。ただ、聞いた。
五年間、こういう時間が一度もなかったことを、ソフィアは改めて思った。
四日目の朝、セイルは来なかった。
約束していたわけではない。毎朝来ることを決めていたわけでも。それでも、いつもの時刻を過ぎて扉が鳴らないと、ソフィアは少しだけ気になった。
気になった、という事実に気づいて、少し戸惑った。
——いつから、そうなったのか。
来なければ来ないで構わないと、数日前まで思っていた。それが今日は、来ないことを少し気にしている。自分の中で何かが動いている。その動きを、どう受け取ればいいか、まだ分からなかった。
昼前に、薬草店で仕分けをしていると、エミリアが言った。
「今日は来なかったね」
「ええ」
「気になった?」
ソフィアは手を動かしたまま、少し間を置いた。
「……少し」
「正直だ」
「あなたに嘘をついても仕方がないから」
エミリアが笑った。この台詞は、もう何度か言った気がする。でも本当のことだった。
「ソフィアはさ」エミリアが棚に薬草を並べながら言った。「セイル様のこと、まだ好きなの?」
直球だった。エミリアらしかった。
ソフィアは手を止めた。
好き、という言葉を、自分に当てはめたことが今までほとんどなかった。政略結婚で嫁いだ相手に、そういう感情を持つことを、最初から諦めていた。諦めていたのか、それとも芽生える前に飲み込んでいたのか、今となっては分からない。
「……分からない」
「分からないか」
「好きかどうかより、あの人のことをまだ何も知らなかったと気づいた。この三日間で。五年間一緒にいたのに、今週初めて話したことの方が多い気がして」
エミリアは少し黙った。それから、静かに言った。
「それって、これから知りたいと思ってる、ってことじゃないの」
ソフィアは答えなかった。
答えなかったことが、答えかもしれないとは思った。
午後になって、セイルが来た。
いつもより遅い時刻だった。ソフィアが薬草店から戻って、少し経った頃だった。扉を三回叩く音がして、マリアが出ると、セイルが立っていた。
手に、何かを持っていた。
小さな束だった。野の花だった。薔薇でも、豪奢な花でもない。道端に咲くような、白と黄色の小さな花を束ねたものだった。
ソフィアは居間からその様子を見ていた。
セイルは少し躊躇してから、マリアに向けてではなく、その先のソフィアに向けて、差し出した。
「今日は遅くなった。町の外れまで歩いていたら、咲いていたから」
説明が不器用だった。言い訳のようでもあった。それでも、その手の花束は、ひどく真剣な顔で差し出されていた。
ソフィアは少しの間、その花を見た。
王都の屋敷では、一度も贈られなかったもの。白薔薇はレイナへ贈られた。でも今、この不器用な野の花束は——ソフィアへ差し出されていた。
胸の中で、何かが静かに揺れた。
ソフィアは立ち上がって、花束を受け取った。
「……ありがとうございます」
セイルは短く頷いた。照れているのか、それとも別の何かなのか、その顔を読むことは今のソフィアにはまだできなかった。
でも、読もうとしていることには、気づいていた。
花を花瓶に挿しながら、ソフィアは思った。
新しい季節が、少しずつ来ている。
春というのは、こういうものかもしれない。一度に変わるのではなく、気づかないうちに、少しずつ。昨日より今日、今日より明日、ほんの少しずつ温かくなっていく。
花瓶の野の花が、窓の光を受けて白く光った。




