表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「侯爵夫人を5年演じた私が離縁を決めたら、今さら愛していると言わないでください」  作者: マサキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/50

第二十八話 新しい季節【ソフィア視点】

第二十八話 新しい季節【ソフィア視点】


 セイルが町に来て、三日が経った。


 その間、彼は毎朝決まった時刻に訪ねてきた。早すぎず、遅すぎず、朝の鐘から少し経った頃に。扉を叩く音も、毎回同じ三回だった。そういうところが、いかにもセイルらしいとソフィアは思った。


 話す場所は、いつも食卓だった。エミリアとマリアは席を外した。お茶が二つ、置かれた。それだけの、簡素な時間だった。


 セイルは約束を守っていた。言い訳をしなかった。言葉を飾らなかった。ときに長い沈黙があった。言葉を探している沈黙だと、ソフィアには分かった。その沈黙を、急かさなかった。


 三日間で、多くのことを話した。


 最初の夜のこと。距離を作った理由。レイナに流れた経緯。名前を呼ばなかった理由。セイルはそのどれも、短く、しかし誠実に話した。ときに言葉が足りなかった。ときに説明が上手くなかった。それでも、嘘をつかなかった。


 ソフィアも、話した。


 飲み込んできたものを、少しずつ。泣かないと誓った夜のことを。完璧な侯爵夫人を演じ続けた理由を。薔薇庭園を作ったときのことを。セイルは黙って聞いた。途中で口を挟まなかった。ただ、聞いた。


 五年間、こういう時間が一度もなかったことを、ソフィアは改めて思った。



 四日目の朝、セイルは来なかった。


 約束していたわけではない。毎朝来ることを決めていたわけでも。それでも、いつもの時刻を過ぎて扉が鳴らないと、ソフィアは少しだけ気になった。


 気になった、という事実に気づいて、少し戸惑った。


——いつから、そうなったのか。


 来なければ来ないで構わないと、数日前まで思っていた。それが今日は、来ないことを少し気にしている。自分の中で何かが動いている。その動きを、どう受け取ればいいか、まだ分からなかった。


 昼前に、薬草店で仕分けをしていると、エミリアが言った。


「今日は来なかったね」


「ええ」


「気になった?」


 ソフィアは手を動かしたまま、少し間を置いた。


「……少し」


「正直だ」


「あなたに嘘をついても仕方がないから」


 エミリアが笑った。この台詞は、もう何度か言った気がする。でも本当のことだった。


「ソフィアはさ」エミリアが棚に薬草を並べながら言った。「セイル様のこと、まだ好きなの?」


 直球だった。エミリアらしかった。


 ソフィアは手を止めた。


 好き、という言葉を、自分に当てはめたことが今までほとんどなかった。政略結婚で嫁いだ相手に、そういう感情を持つことを、最初から諦めていた。諦めていたのか、それとも芽生える前に飲み込んでいたのか、今となっては分からない。


「……分からない」


「分からないか」


「好きかどうかより、あの人のことをまだ何も知らなかったと気づいた。この三日間で。五年間一緒にいたのに、今週初めて話したことの方が多い気がして」


 エミリアは少し黙った。それから、静かに言った。


「それって、これから知りたいと思ってる、ってことじゃないの」


 ソフィアは答えなかった。


 答えなかったことが、答えかもしれないとは思った。



 午後になって、セイルが来た。


 いつもより遅い時刻だった。ソフィアが薬草店から戻って、少し経った頃だった。扉を三回叩く音がして、マリアが出ると、セイルが立っていた。


 手に、何かを持っていた。


 小さな束だった。野の花だった。薔薇でも、豪奢な花でもない。道端に咲くような、白と黄色の小さな花を束ねたものだった。


 ソフィアは居間からその様子を見ていた。


 セイルは少し躊躇してから、マリアに向けてではなく、その先のソフィアに向けて、差し出した。


「今日は遅くなった。町の外れまで歩いていたら、咲いていたから」


 説明が不器用だった。言い訳のようでもあった。それでも、その手の花束は、ひどく真剣な顔で差し出されていた。


 ソフィアは少しの間、その花を見た。


 王都の屋敷では、一度も贈られなかったもの。白薔薇はレイナへ贈られた。でも今、この不器用な野の花束は——ソフィアへ差し出されていた。


 胸の中で、何かが静かに揺れた。


 ソフィアは立ち上がって、花束を受け取った。


「……ありがとうございます」


 セイルは短く頷いた。照れているのか、それとも別の何かなのか、その顔を読むことは今のソフィアにはまだできなかった。


 でも、読もうとしていることには、気づいていた。


 花を花瓶に挿しながら、ソフィアは思った。


 新しい季節が、少しずつ来ている。


 春というのは、こういうものかもしれない。一度に変わるのではなく、気づかないうちに、少しずつ。昨日より今日、今日より明日、ほんの少しずつ温かくなっていく。


 花瓶の野の花が、窓の光を受けて白く光った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ