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いきなり妻と言われても、困ります。

 履き慣れた5㎝ヒールのパンプスを脱ぎ、由香は部屋の電気をつける。


「さて、今日は何を作ろうか……っ!?」

「ユカ!!」


 荷物を足元に置いた由香は無防備なまま、何者かに抱き締められた。


「きっ………んんーっ!」


 悲鳴をあげようと口を開くと、それは簡単に封じ込められた。由香の口元を抑えるように胸元に押し付けられる。鼻につく匂いが、遠い記憶をくすぐるような気がして、頭がくらくらとした。


 なにこれ、怖い!


 友人の結婚という幸せな気分に浸っていたのに、この落差はなんだろう。

 自分が何をしたのか。

 由香は目に涙を浮かべて、暴れた。しかし、その抵抗すら容易く押さえつけられる。

 しばらく抱きしめたことに満足したのか、体が離れる。不埒ものはどんな奴だと睨み付けると、相手は蕩けるような笑みで由香を見つめていた。東洋人混じりの年上、しかも容姿は整っている。たとえるなら、金持ちの御曹司と言ったような物腰だ。

 独り暮らしの女性を狙うのだから、どんな醜男で陰気でみっともない容姿かと思えば。


「ああ……ユカだ」


 頬を染め、涙を浮かべて抱き締められると、動揺が隠せない。

 しかも、掠れた声で『会いたかった』と囁かれれば、頬が染まる。

 知らない人が、そんなに由香を求めるのは何故だろう。

 だが、先ほどの香りが、記憶の奥底で朧気な情景を呼ぼうとして、思考が定まらないでいた。


「……久しいな、ウメヅさん」


 呼ばれ顔を上げれば、さっきまで写真で見た友人の夫が、これまた豪奢な服で苦笑を浮かべていた。


「えっと……瑞穂の旦那さんですよね?」

「……ああそうか、記憶を封じていたからな。 少し触れてよいか?」


 瑞穂の夫が、由香の額に軽く触れる。その瞬間パチッと音がした。


「………あら、エル君久しぶり! ああ、そっか。 瑞穂の旦那はエル君だったのねぇ………どうかした?」


 一気に記憶が蘇った由香を見て、瑞穂の夫ことエリックが眉を潜める。

 エリック・ノースリーブ。決して袖のない服ではない。由香の友人である白井瑞穂の夫であり、年下の白人系イケメンだ。だが彼は容姿だけではなく、どんな言語にも精通し、話して読むことが出来る。ただ、書くことは出来ないという謎の特技を持っている。それでいて、会話の引き出しも豊富で、天は人に二物も三物も与えた結果、を体現している。

 そんなエリックを見た由香は、社内の女性たちともども夢中になっていた。ただ、当のエリックは初めから瑞穂に夢中だったのだが。


「アーク殿、ウメヅさんは複雑な術式で記憶を封じられています」

「なんだって!?」


 未だに由香を離さない男性、アークが驚く。記憶が封じられているとはどういう事だろうか。エリックが触れたとたん、エリックの事や瑞穂にしたことを思い出したのは確かだ。


 あ、無性に瑞穂に謝りたいわ。


 今や友人になった瑞穂に、陰険なこともやっていたためだ。出来れば直接謝りたいのだが、会わせてくれるか分からない。


「ウメヅさんは、思い出したいか?」

「そりゃあ、忘れているのがあれば気味悪いわね。 それより、瑞穂と話がしたいのだけど」

「そうか……でも、ここでは魔力量が少なくて私でも無理だ。 一緒に国まで来てもらいたい」


 国まで、という言葉に、由香はハッとした。ノースリーフなど知らない。


「ちょっとエル君! ノースリーフだなんて瑞穂に嘘の国を教えてない!? 聞いたことがないんだけど!」


 責めよろうにも、由香を羽交い締めにしているアークが邪魔だ。だが、由香は悔しい事にこの力強い腕で抱き締められると、何故か安心した。それは、封じられている記憶に関係するのだろうか。


「あの、ちょっと離れていただけません?」

「嫌だ、もう離さない」


 間近で見た瞳の奥の仄暗さに、由香は少し震えた。


 何故、こんな目で見られないといけないの…?


「あの、エル君? 私とこのアーク殿って人、何か関係してるの?」

「ユカ!!」


 由香がエリックに問いかけると、アークが悲痛な声を上げた。


「忘れたのか? 私はそなたの夫だ。 まさか可愛い息子も忘れたのではないだろうな!?」

「夫!? 息子!?」


 忘れたもなにも、由香にとっては寝耳に水だ。今の今まで、素敵な男性に巡り会えず貞節を守ってきたのだ。それなのに、夫や息子がいるなど信じられない。


「息子は、今年10歳になる」

「な……っ!?」


 10歳って、今私26だから16!?遡れば15!?いや、誕生日が来たら27だから16でいいのかしら!?


 由香は、突きつけられた言葉に目を見開く。そして、ふるふると首を振った。


「いや、あり得ないし…」

「よく見れば、顔つきが良く似ているぞ?」


 エルがスマホを取り出した。見覚えのある、瑞穂のスマホだった。

 手に取り、画像を見ると。


「カップル撮りばかりじゃない!!」


 次から次へとツーショットが現れるので、辟易して由香はスマホを返した。

 むぅ、と唸ってエルが操作し、また由香に渡す。

 そして見た画像に固まった。

 髪や肌質は、目の前のアークに似ているが、顔はどことなく由香に似ていなくもない。

 否、かなり似ていた。


「名前はユスティンだ」

「あ、あり得ない…」


 記憶がないのに、既婚者で子持ちだなんて。


 衝撃的な話に由香は体をふらつかせるが、アークに抱き締められているので微動だも出来ない。それに気が付くと、由香は無性に腹立たしく思えた。

 今まで普通に暮らしていたのに。初めては結婚する旦那様と、とまで乙女な思考は持ち合わせていないが、何も経験していないのに子持ち旦那持ちだなんて由香には想像できなかった。


 そもそも、何故10年もの間音沙汰なしで、今さらノコノコと現れたのだろう。


 由香は、考えれば考えるほど、頭が冷えていく自分を感じた。


「とりあえず、国に戻って」

「いや………」

「ユカ?」


 アークが、心配そうに顔を覗きこんでくる。


「嫌っ! 私は未婚で、彼氏も旦那もいないの! 貴方なんて知らないっ!」

「ユカ…っ」

「記憶なんて思い出したくないっ! 帰って! 二人とも帰ってぇ!!」


 相手が動揺した隙に、由香は腕から逃げ出し部屋の隅にかけ離れる。

 何か武器になるものはないかと辺りを見渡し、出しっぱなしだった掃除機を抱えた。


「近寄ったら、これで殴るわよ!」

「ユカ……何故」

「っ!」


 由香は、逆上していたわけではない。アークが悲痛な声を上げ、苦しげに見つめてくるのを目の当たりにして、動揺してしまうくらいに冷静だ。それが、由香を意固地にさせる。 

 まるで、拒否するこちらが悪者みたいではないか。


「……アーク殿は10年前、正妃を突然失われてからずっと探しておられたそうだ」

「失ったって……?」

「ある日、寝室から忽然と消えていたそうだ」

「『正妃様は、故郷を懐かしむあまり自決をなされようとした。 ゆえに泣く泣く還した』と、神官が言っていた。 それはすぐ嘘だと判ったし、ユカが王妃だと都合の悪い貴族が企てたことも判った。 それらは処罰したのだが、ユカがいた世界が判らず……」


 そこまで言うと、発作を起きたようにアークは苦しみだした。

 すると、エリックは何かを呟く。アークは、苦しみから逃れたのか、しかめ面を緩めた。


「……だ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。 私は、ユカがいないと死んでしまう」


 なにこれ重い。


 由香は、ドン引きした。数分前、目があった瞬間に向けられた笑顔が嘘のようだ。しかし、それほどに苦しんだのかもしれない。探し回ったのかもしれない。


「……何故、後妻を…っ」

「誰もユカの代わりにはなれない」


 向けられる、強い視線に心臓がざわめく。トクトクと自分の鼓動を感じて、身体中が火照る。どうしてだろう。

 掃除機を置いて、由香はふらりとアークに向かって動いた。それに気付いたのか、アークが嬉しそうに微笑み両腕を伸ばす。


「ちょっと待った」


 パチッとエリックが指を鳴らすと、由香はハッとする。


「アーク殿、魔法はダメです」

「魔法など使っていない」

「無意識ですが、使っておられた」

「………ねぇ、いつになったら出ていくの? 私、いい加減疲れたんだけど」


 今度は魔法などとフィクションの世界に晒されて、由香は半分投げやりな気持ちになっていた。

 いい加減帰って欲しい。そして2度と来ないで欲しい。

 そう思うが口にしないのは、由香がアークに罪悪感を抱いてしまっていたからだが、由香は気付いていない。

 そして、再び向けられる悲しげな表情に、眉を寄せる。


「ねぇ貴方、迷惑料ついでに私をちやほやして帰りなさいよ。 いい気分になったら許してあげなくもないわ」


 正直、さっきのような笑顔で優しくされるのは悪くないと由香は思った。向こうも、嫁を思えるのだからウインウインだろう。そうしたら、満足して帰ってくれるかもしれない。そうも思った。

 すると、恐る恐るアークが由香に近づく。


「触れてもいいか?」

「抱き締めるまでね」


 傍にエリックがいるから大丈夫と思うが、一応釘をさす。すると、アークは優しく由香の手を包んだ。


「………やっと見つけた。 ずっと探していた。 そなた以外妻にするなど考えた事がなかった」


 チクリ、と胸が痛む。こんなにも思われていたのに、何故離ればなれになったのだろう。

 アークは由香の手を離すと、存在を確かめるように、頭に、頬に、首筋に、触れていく。


「愛してる」

「愛しい」

「好きだ」

「傍にいてくれ」


 言葉を重ねるごとに、声音に甘さが倍増していて、由香は後悔した。

 チラ、とアークに視線を送ると、とたんに蕩けるような笑みを返してくるから、もう顔も見れなくなった。いったい、今はどんな顔をしながら離ればなれになった嫁を思っているのだろう。

 それが本当に自分なら、思い出した方がいいのだろうか。

 散々身体中に触れられ、ぎゅ、と抱き締められる。吐息が首筋にかかり、ぞくりとした。


「………このままずっと、抱き締めていたい」

「も、もういいわ!」


 由香の思っていたちやほやと、桁が違っていた。ホストみたいに優しくしてくれると思いきや、全てが直球で恥ずかしくなる。

 それだけに、由香がアークの嫁だという証拠が全くない状態でそういう事をさせるのは、酷だと思った。

 もし違っていたら、絶望は深くなるだろう。それほどまで自分は鬼畜ではない。


「ほら、まだ私がそのユカさんと決まった訳じゃないし」

「『ウメヅユカ』それが私の妻の名前だ」


 アークにフルネームで呼ばれ、由香の体が震えた。まるで心ごと縛られたような感覚だ。


「私の名前はアルフォード・カイエス・イーストリーフ。 愛しい人よ、どうか今一度私の妻に…」

「アーク殿!?」


 アルフォードがどうしたらアークという別称になるのか。

 それ以上に、異様なほど驚くエリックに、由香は眉を寄せた。


「……我々の国では、本名は両親と配偶者にしか伝えない。 それ以外は別名で過ごす。 私の別名はアークレイ・イストフォンという」


 笑みを浮かべたままアークが由香に説明する。

 由香は納得して、頷きかけた。


「え?ていうか、そんな大切な名前私に教えて構わないの!?」


 名前を知ったからどうこう出来るわけではないが、由香は問いかける。


「ユカは妻だからな」

「だから、それは」

「私には判る。 そなたはユカだ。 私の愛しい妻…」


 そう言って、アークの顔が近づいてくる。由香はとっさに口許を手のひらで隠した。


「…………」

「これ以上は禁止です」


 だから悲しげな顔は止めてくれないかなぁ!?


 いい大人が、先ほどから見せる顔に、由香はいたたまれなくなる。


「とにかく、私は明日も仕事なので、今日は……あぁもう!」


 話している間にも、アークは由香の口許を覆う手に、何度も唇を寄せている。

 わざとらしく音を立てられれば、苛立つのも仕方ないでしょう?


「鬱陶しい!」

「ユカ…」

「エル君、いい加減この人連れて帰って!」

「困ったな……外交的なこともあるし。 ウメヅさん、この方、隣国の王様なんだよ」


 王様?


 由香が目を点にして見ると、アークは口許を緩めて笑う。


「この色ボケ男がぁあ!?」


 情けなく由香を見つめるアークは、お世辞にも一国の主には見えない。良くて世間知らずの貴族様だろう。


「治世の賢君。 傾きかけた国を在位4年で立て直した稀代の名君……なんだけど、私も自信が無くなってきた」


 エルが視線を反らす。それほどの変貌ぶりなのだろう。

 でもそれなら、尚更貴族の誰かから后を貰った方がよいのでは、と由香は思う。


「より安定させるためなら……」


 口に出そうとして、辞めておこうと止める。

 何となく、言えば大変な事になる気がしたのだ。主に、身体的な意味で。


「……とにかく、明後日の夜だったら、話を聞いてあげるわ。 今日はもう疲れたの」

「疲れたなら、もう眠ろうか」


 にっこりと笑って、アークが由香の背中と腿裏に手をかけて持ち上げる。


「ちょっと! 疲れたから帰って欲しいんだけど!」


 先ほどから何回同じ事を繰り返しているのだろう。

 帰れと言っても、アークは耳を貸さない。


「大丈夫、なにもしないから」

「したら殴るよ!」

「ウメヅさん」


 呼ばれ、由香は視線だけエリックに向ける。声には出さず、口だけを動かしている。いわゆる読唇術というものだ。

 それを読み取り、由香は頷いた。


「判ったわ、じゃあベッドまで連れていってよ」


 とにかく離してもらわなければ話にならない。苦渋の決断をして言うと、アークは頬を赤らめて、笑う。

 先ほどまでの情けない表情から一転して、色めいた笑みに、由香は心底後悔した。


 エル君、裏切ったらマジで瑞穂に告げ口するからね!


 由香とて大人だ。こんな視線を向けられて無事で済むとは思えない。

 もしエリックがいなければ、きっと空白の10年とやらをぶつけられるのだろう。

 由香からしたら初対面の相手だ。本当なら泣いて怖がって交番に逃げていてもおかしくない。

 それをしないのは、ギリギリの矜持と、エリックの存在だ。

 瑞穂が選んだ相手なら、きっと大丈夫。そう由香は確信していた。


 アークが、ベッドに由香を下ろす。瞬間、エリックが由香に叫んだ。


「転がれ!」

「はい!!」


 逃げて、ではなく転がる、は正しい指示だと思った。由香は命じられるまま転がりアークと距離を取る。すると、二人は一瞬で姿を消した。


「……た、助かった……」


 静かになった部屋で、由香は一人ごちる。

 身の危険から解放されたが、由香の記憶にはすっかりあの情けない一国の主の姿が刻み込まれてしまった。

 今は助かったが、明後日と指定してしまったからには、なんとかしなくてはならない。


「まず防犯ブザーと暴漢用の撃退グッズを買うべきかしら」


 そう呟いて、由香はふと現実に戻る。


「ところで、あの二人消えたように見えたんだけど……」


 まるで瞬間移動したように、痕跡すら残していない。そもそも部屋の鍵は閉まっていたのだから、普通に侵入は出来ないはずだ。

 だが、由香は頭を押さえるだけに止めた。


「か……考えたら負けな気がするわ」


 そして、一人でいたら危険だと判断して、明後日の夜は合コンでも企画しようかと、由香は通信アプリを開いた。


初めは、抱きしめてホールドではなく、抱きしめて濃厚キスシーンな旦那の攻撃だったんですが、さすがにしょっぱなからそれは読者もびっくりだと思って、自重しました。


由香の友人、エリックと瑞穂は、シリーズ一作目の「王子様、拾いました(笑)」の主人公とお相手です。

由香はもともと瑞穂のライバルキャラでした。


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