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第3話 新しい呼び方と、待っていた人

この物語を手に取っていただき、ありがとうございます。


『君に届くまで、何度でも』は、耳の聞こえない白澤由紀と、幼い頃から筆談を続けてきた霧島政を中心に描く、学園日常ラブコメです。


言葉は、声だけで伝えるものではありません。文字や表情、視線、そして誰かのために立ち止まる時間にも、気持ちは込められると思います。


私立桐星学園で始まる四人の高校生活と、幼なじみだった由紀と政の関係が少しずつ変わっていく様子を、温かく見守っていただけたらうれしいです。


キャラ名

白澤由紀(しろさわゆき)

霧島政(きりしませい)

北上華怜(ほくじょうかれん)

長篠蓮(ながしのれん)

宮野紗季(みやのさき)



 高校生活三日目の朝。


 白澤由紀が待ち合わせ場所へ着くと、霧島政は昨日と同じ電柱のそばに立っていた。


 ただし、昨日とは違い、今日は腕時計を何度も確認している。


 由紀を見つけた政は、すぐに筆談ノートを開いた。


『一分遅い』


 由紀も自分の腕時計を見る。


 待ち合わせ時間を、まだ十秒ほど過ぎただけだった。


『一分も遅れてない』


『俺の体感では一分』


『知らない』


『由紀が来ないから置いていかれたのかと思った』


『昨日、待つって書いたでしょ』


『一分だけ』


『まだ一分たってない』


 由紀がそう書くと、政は満足そうに笑った。


 どうやら、由紀が本当に待ち合わせ場所へ来るのか心配していたらしい。


 政は筆談ノートを閉じ、由紀の隣へ並ぶ。


 二人が学校へ向かって歩き始めると、政は由紀の鞄を何度も見た。


 視線に気づいた由紀は、ノートへ書く。


『何?』


『昨日の本』


 由紀は鞄を身体の反対側へ移動させた。


『本がどうしたの?』


『結局、何を借りたのか気になる』


『政には関係ない』


『そこまで隠されると余計に気になる』


『普通の小説』


『表紙だけ見せて』


『嫌』


『題名だけ』


『もっと嫌』


 昨日、宮野紗季にすすめられて借りた本。


 幼なじみ同士の恋愛を描いた小説だ。


 政に題名を知られたところで、何かが起きるわけではない。


 それでも、なぜか見せたくなかった。


 政は由紀の顔をのぞき込む。


『怪しい』


『前を見て歩いて』


『由紀が見せてくれたら見る』


『転んでも助けない』


 由紀がノートを閉じると、政は不満そうな顔をしながらも、ようやく前を向いた。


 学校へ着くと、一年二組の教室では、すでに何人かの生徒が集まって話していた。


 由紀が席へ向かう途中、宮野紗季がこちらに気づいた。


 紗季は由紀から見える位置まで来ると、スマートフォンへ文字を打つ。


『おはよう、白澤さん。本、読めた?』


 由紀も自分のスマートフォンを取り出した。


『まだ少しだけ』


『どうだった?』


『主人公が鈍すぎる』


『そこがいいんだよ』


『幼なじみの男の子も、言えばいいのに』


『簡単に言えないから恋愛小説になるの』


 紗季は楽しそうに笑った。


 昨日初めて話したばかりなのに、本の話をしていると会話が続く。


 相手の返事を待つ時間も、紗季は気にしていないようだった。


 由紀が少し安心していると、前の席に座った政が身体ごと振り返った。


『何の話?』


『本』


『昨日の?』


『そう』


『宮野さんは題名知ってる?』


 由紀は政をにらむ。


 紗季は二人のやり取りを見比べ、何かに気づいたように口元を緩めた。


 スマートフォンへ文字を打ち、由紀だけに見えるように画面を向ける。


『霧島くんには秘密なの?』


『見せる必要がないだけ』


『それを秘密って言うんじゃない?』


『違う』


 由紀が否定すると、紗季はさらに楽しそうに笑った。


 最近、由紀の周りにはこういう反応をする人が増えている気がする。


 政は何も分からないまま、由紀と紗季の顔を交互に見ていた。


「何?」


 政の口がそう動く。


 由紀と紗季は、同時に首を横に振った。


 一時間目のホームルームでは、クラスの係を決めることになった。


 もも先生が黒板へ、係の名前を一つずつ書いていく。


 学級委員。


 保健委員。


 体育委員。


 図書委員。


 美化委員。


 それぞれ男女一人ずつ選ぶらしい。


 由紀が黒板を見ていると、隣の華怜が小さな紙を机の間へ置いた。


『何かやる?』


『まだ分からない』


『図書委員は? 本好きでしょ』


 由紀も少し考えていた。


 図書室には昨日行ったばかりだが、静かで落ち着く場所だった。仕事の内容も、本の貸し出しや整理が中心だろう。


 けれど、委員になれば、知らない生徒と関わる機会も増える。


『華怜は?』


『私は学級委員をやろうかな』


『大変そう』


『もも先生を手伝うくらいなら楽しそう』


 華怜らしい答えだった。


 前の席では、政と蓮が何かを話している。


 蓮が政の肩を叩き、黒板の体育委員を指さした。


 政も大きくうなずいている。


 運動が得意な二人には合っていた。


 やがてもも先生が、学級委員を希望する生徒に手を挙げるよう促した。


 華怜が迷わず手を挙げる。


 男子では別の生徒が立候補し、学級委員はすぐに決まった。


 体育委員では、政ともう一人の女子生徒が選ばれた。蓮も立候補しようとしたらしいが、男子は一人だけだと説明され、残念そうにしている。


 そして、図書委員の番になった。


 由紀は机の下で手を握った。


 自分から手を挙げることは、昔から得意ではない。


 教室中の視線が集まる気がする。


 できるかどうかを聞かれるかもしれない。


 ほかの人の方がよいと言われるかもしれない。


 それでも、由紀は昨日、紗季と図書室へ行った。


 新しいクラスメイトと話すこともできた。


 政に言った通り、自分でできることは自分でやってみたい。


 由紀は静かに手を挙げた。


 少し離れた席で、紗季も同時に手を挙げていた。


 二人とも立候補したことに気づき、顔を見合わせる。


 図書委員は男女一人ずつ必要だったため、女子の立候補者が二人になってしまった。


 由紀は手を下ろそうとした。


 紗季の方が、人と話す仕事には向いているだろう。


 そう思った瞬間、紗季がもも先生に何かを伝えた。


 由紀には内容が聞こえない。


 華怜が紙へ書き、見せてくれる。


『紗季が、「図書委員が一人だけなら、白澤さんにお願いします。私は図書係みたいな手伝いがあったらやります」だって』


 由紀は驚いて紗季を見た。


 紗季は笑顔で親指を立てている。


 もも先生は由紀の方へ来ると、メモを見せた。


『図書委員をお願いしても大丈夫ですか? 必要な配慮があれば、一緒に考えましょう』


 由紀はペンを受け取る。


『やります』


 そう書くと、もも先生は笑顔でうなずいた。


 男子の図書委員には、おとなしい雰囲気の生徒が立候補した。


 由紀が席へ戻ると、政がノートを差し出してきた。


『図書委員やるんだな』


『うん』


『大丈夫?』


 昨日と同じ言葉だった。


 由紀は政を見る。


 政はすぐに慌てて、その下へ書き足した。


『できるかって意味じゃなくて、忙しくないかって意味』


 由紀は少しだけ笑った。


『たぶん大丈夫』


『困ったら五秒で行く』


『図書室では静かにして』


『声出さなければいい?』


『政が来ると、声を出さなくても騒がしい』


『ひどい』


 政は不満そうに口を尖らせた。


 その様子を見ていた華怜が、由紀の机へ紙を置く。


『昨日のこと、ちゃんと覚えてたみたいだね』


 由紀はうなずいた。


 政は、考える前に動くことが多い。


 けれど、自分が間違えたと思えば、次から直そうとする。


 それが政のよいところなのだと、由紀は昔から知っていた。


 昼休みになると、四人はいつものように机を囲んだ。


 今日は紗季も由紀のそばまで来て、スマートフォンを見せる。


『白澤さん、今日も図書室に行かない?』


 由紀は返事を書こうとしたが、その前に華怜が紗季へ笑顔を向けた。


「一緒に食べようよ」


 華怜の口の動きを読み取った由紀は、紗季へ画面を見せる。


『華怜が、一緒にお昼食べようって』


 紗季は少し驚いたあと、嬉しそうにうなずいた。


 机を一つ増やし、五人で昼食を囲む。


 紗季は最初こそ緊張していたが、華怜が積極的に話しかけ、蓮が冗談を言い、すぐに笑うようになった。


 会話が速くなるたび、政か華怜が内容を文字にして由紀へ見せる。


 途中からは、紗季も自分のスマートフォンへ簡単にまとめるようになった。


 由紀は五人の会話を見ながら、少し不思議な気持ちになった。


 これまで、人数が増えれば増えるほど、自分は輪の外へ押し出されていった。


 けれど今は、誰かが由紀へ言葉を届けてくれる。


 由紀も自分から文章を見せれば、会話の中に入っていける。


 紗季がスマートフォンへ文字を打った。


『ところで、いつまで白澤さんって呼べばいい?』


 由紀は首をかしげる。


『どういうこと?』


『華怜ちゃんは由紀って呼んでるでしょ。私も由紀ちゃんって呼んでいい?』


 由紀は画面を見つめた。


 名前で呼ばれること自体は珍しくない。


 けれど、新しく知り合った人にそう言われると、思った以上に照れくさかった。


『別にいいけど』


『本当? じゃあ由紀ちゃん』


 紗季はすぐに文字を打ち直した。


 由紀も返事を書く。


『私も紗季でいい?』


『もちろん』


 二人が名前の呼び方を変えた瞬間、華怜が嬉しそうに笑った。


 蓮も大きくうなずいている。


 政だけが、なぜか少し複雑そうな顔をしていた。


 由紀は気になり、ノートを差し出す。


『どうしたの?』


『何でもない』


『顔に出てる』


『由紀がそれ言う?』


『私より分かりやすい』


 政は少し迷ってから書いた。


『宮野さんと仲良くなるの早いなと思って』


『駄目?』


『駄目じゃない』


『じゃあ何?』


『本当に何でもない』


 政はそれ以上書こうとしなかった。


 向かい側の蓮は、そんな政を見て、何かを察した顔をしている。


 蓮がこっそり華怜へスマートフォンを見せる。


『政、由紀を取られたみたいな顔してる』


 華怜はすぐに返す。


『本人は絶対に認めないだろうけどね』


 二人の画面は、由紀と政からは見えなかった。


 放課後、由紀は図書委員の説明を受けるため、図書室へ向かった。


 紗季も「一緒に行く」と言い、隣を歩いている。


 政たちは先に帰ると思っていた。


 図書室では、担当の教師から本の貸し出し方法や当番について説明を受けた。


 耳の聞こえない由紀のために、説明内容は紙にもまとめられている。


 男子の図書委員とも、必要な連絡は共有ノートを使うことになった。


 すべてが終わる頃には、窓の外が少し赤く染まっていた。


 由紀と紗季が昇降口へ向かうと、靴箱の近くに人影があった。


 壁にもたれ、スマートフォンを見ている。


 霧島政だった。


 由紀に気づくと、何事もなかったように顔を上げる。


『まだ帰ってなかったの?』


 由紀がノートへ書く。


『たまたま』


『何が?』


『たまたま今まで学校にいただけ』


『体育委員の説明は、とっくに終わったでしょ』


『蓮と話してた』


 由紀が周囲を見る。


 蓮の姿はない。


『蓮は?』


『先に帰った』


『じゃあ、どうして政はいるの?』


 政は返事に困ったように視線を泳がせた。


 隣にいた紗季が、由紀のスマートフォンへ文字を打つ。


『待っててくれたんじゃない?』


 由紀が政を見ると、政は紗季の言葉を読めていないため、不思議そうに首をかしげた。


『私を待ってた?』


 由紀がノートへ書く。


 政は少し迷ったあと、返事を書いた。


『暗くなったら危ないから』


『まだ明るい』


『これから暗くなる』


『家まで近い』


『近くても危ない』


『昨日、勝手に困ってることにしないでって言った』


 政の手が止まる。


 由紀は続けて書いた。


『でも、今日は待っててくれてありがとう』


 政は文字を見つめたあと、照れたように頬をかいた。


『別に』


『たまたま?』


『たまたま』


『じゃあ、一緒に帰らなくてもいい?』


『それは駄目』


 即答だった。


 由紀は思わず笑った。


 紗季はそんな二人を見て、すべてを理解したような表情を浮かべている。


 校門の前で紗季と別れ、由紀と政は二人で帰ることになった。


 政は由紀の鞄を指さす。


『本、見せて』


『まだ言ってるの?』


『帰りを待ったお礼』


『たまたまいたんでしょ』


『やっぱり待ってた』


『認めた』


 政はしまったという顔をした。


 由紀は鞄を抱え直し、少しだけ歩く速度を上げる。


 政が慌てて隣へ並ぶ。


『せめて題名だけ』


『読み終わったら考える』


『本当?』


『考えるだけ』


『じゃあ明日までに読んで』


『急かさないで』


 二人の間に、いつもの筆談ノートが行き来する。


 紗季に名前で呼ばれたこと。


 図書委員になったこと。


 五人で昼食を食べたこと。


 今日一日だけでも、由紀の世界には新しいものが増えていた。


 それでも、放課後に政が待っていたことが、なぜか一番心に残っている。


 政はきっと、由紀が一人で帰ることを心配しただけだ。


 幼なじみとして、昔から気にかけてくれているだけ。


 そう分かっているのに、少しだけ嬉しかった。


 由紀は筆談ノートを受け取り、小さく書いた。


『明日も待ち合わせする?』


 政はすぐに返事を書く。


『する』


『時間ちょうどに来て』


『由紀より先に着く』


『また十分前?』


『今日は十五分前』


『早すぎる』


『待つのは嫌いじゃないから』


 由紀は、その言葉をしばらく見つめた。


 政は昔から、由紀の返事を待ってくれる。


 文字を書く時間も、言葉を選ぶ時間も、輪の中へ入る勇気が出るまでの時間も。


 急かさず、勝手に離れていくこともなく。


 由紀は新しい言葉を、ノートへ書き加えた。


『私も、政を待つのは嫌いじゃない』


 政が目を見開く。


 由紀は政が返事を書く前にノートを閉じ、先へ歩き出した。


 背後から政が追いかけてくる。


 その足音は由紀には聞こえない。


 けれど、隣に並んだ政の笑顔を見れば、それで十分だった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

紗季ちゃんも仲良しの輪に入って五人組になりましたね!

由紀と政の関係がめっちゃ尊いですね!やっぱり本を頑なに見せないのはやっぱりなんかあるのかな?


由紀と政は、幼い頃から筆談を続けてきた大切な幼なじみです。二人にとっては当たり前だった関係も、高校生活の中で少しずつ変化していきます。


まだ自分たちの気持ちに気づいていない二人ですが、華怜と蓮にはすでに何かが見えているようです。これから増えていく四人の日常と、筆談ノートに書かれる新しい言葉を、引き続き楽しんでいただけたらうれしいです。


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