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鉄の記憶  作者: 八雲 海


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8/15

第八話 組み上がる

足回りの組み付けは、三日かかった。

 一つひとつの部品を桐島の指示通りに取り付けていく。ブッシュの硬度を変えて作り直してもらったものを、慎重しんちょう圧入あつにゅうする。ショックアブソーバーを規定きていのトルクで締める。ブレーキホースを桐島が書き込んだ取り回しで配管はいかんする。

 急がなかった。

 一箇所終わるたびに、宮本と二人で確認した。数値を測り、目視もくしし、手で触れて確かめる。問題があれば外してやり直す。

 陽は工場の隅の椅子に座って、作業を見ていた。

 三日間、ほとんど口を開かなかった。

 だが一度も休まなかった。

――

 四日目の朝。

 足回りの組み付けが終わった。

 リフトを下ろすと、フェアレディZが自分の四本のタイヤで地面に立った。

 当たり前のことのように見えて、鉄也には当たり前に見えなかった。

 錆だらけで積載車せきさいしゃに乗せられてきた車が、今は赤いボディをまとい、四本の足で立っている。

 宮本が小さく言った。

「立ちましたね」

「ああ」

 それだけだった。

 陽は椅子から立ち上がって、Zの前に来た。しゃがんで、タイヤと地面の接地面せっちめんをじっと見た。

「ちゃんと立ってる」

「当たり前だ」

 鉄也が言うと、陽は顔を上げた。

「当たり前じゃないです。先週まで、この車は自分では立てなかった」

 鉄也は答えなかった。

 だが陽の言う通りだと思った。

――

 次は内装ないそうだった。

 シートは表皮ひょうひが割れ、ウレタンが崩れていた。ダッシュボード(計器盤けいきばん)はひび割れ、内張うちばりりはがれている。カーペットは湿気しっきで腐っていた。

 シートの張り替えは、向島むこうじま革細工かわざいく職人に頼んだ。

 名前は田所たどころ八郎はちろう。六十七歳。もともとかばんや財布を作っていたが、二十年前から旧車の内装修復ないそうしゅうふく手掛てがけている。

 田所の工房こうぼうは向島の路地裏にあった。ミシンと革の匂いがする、小さな空間だ。

 鉄也がシートを持ち込むと、田所は表皮を剥がして中のウレタンを確認した。

「ウレタンは作り直す。革は当時に近い質感のものを探す」

「純正に近い色でお願いします」

「黒だな」

「はい」

 田所はシートを裏返して、フレームの状態を確かめた。

「フレームは生きてる。丁寧に扱われてきた車だ」

「三十年以上、どこかの倉庫に眠っていたようです」

「それにしては状態がいい。最後に乗っていた人間が、ちゃんと保管したんだろう」

 陽が聞いていた。

「最後に乗っていたのは、お父さんかもしれません」

 田所が陽を見た。

「お父さんの車か」

「はい。ずっと探していた車を、私が代わりに買いました」

 田所はシートを作業台に置いた。

「お父さんは今」

「病院にいます」

 田所は頷いた。それ以上は聞かなかった。

「一週間でやる」

――

 内装の作業と並行へいこうして、鉄也はエンジンの最終確認を進めた。

 東田精機ひがしだせいきが削り出したキャブレターのジェット類は、精度せいど完璧かんぺきだった。組み付けると、詰まりがなく燃料が通る。ガスケットは素材から切り出したものを使った。

 ヘッドカバーを開けて、カムシャフト(弁開閉軸べんかいへいじく)の状態を確認する。摩耗まもうは想定の範囲内だった。バルブクリアランス(弁隙間べんすきま)を調整し、タイミングチェーン(調時連鎖ちょうじれんさ)の張りを確かめる。

 オイルを入れ替え、冷却水れいきゃくすいを新しくする。

 一つひとつ、丁寧に。

 宮本が横で作業しながら言った。

「エンジン、掛かると思いますか」

「掛ける前に、全部確認する」

「確認した上で、掛かると思いますか」

 鉄也は少し間を置いた。

「掛かる」

 断言だんげんした。

 宮本は頷いて、また作業に戻った。

――

 田所から連絡が来たのは、六日目だった。

 予定より一日早い。

 工房に取りに行くと、シートが作業台の上に置いてあった。

 黒い革。

 縫い目がならされている。表面に光沢こうたくがある。新品のように見えるが、どこか古い品格ひんかくがある。当時の雰囲気を残したまま、新しく生まれ変わっていた。

 陽がシートに触れた。

「綺麗だ」

「革は正直だ」

 田所が言った。

「丁寧に扱えば長持ちする。雑に扱えばすぐ死ぬ。車と同じだ」

 陽は縫い目を指でなぞった。

「お父さんが座る場所です」

 小さな声だった。

 田所は聞こえたはずだが、何も言わなかった。

 代わりに鉄也に向かって言った。

「金はいらん。こういう仕事は久しぶりだった」

「田所さん」

「このかたの内装を修復したのは、二十年ぶりだ。もうないと思っていた」

 田所は工房の奥に戻りながら言った。

「ちゃんと走らせてやれ」

――

 工場に戻り、シートを取り付けた。

 ダッシュボードは鉄也と宮本で補修ほしゅうした。ひび割れた部分を専用の充填剤じゅうてんざいで埋め、表面を整える。内張りは新しい素材で作り直した。カーペットは型を取って切り出し、貼り直した。

 細かい作業が続いた。

 陽も手伝った。最初は雑巾ぞうきんがけだけだったが、いつの間にか内張りの仮留かりどめを手伝うようになり、工具の受け渡しをするようになっていた。

 鉄也は何も言わなかった。

 言う必要がなかった。

――

 内装が完成したのは、作業を始めてから二ヶ月が経った頃だった。

 工場の中で、赤いフェアレディZが完成に近い姿で立っていた。

 外装は塗装が戻った。足回りは新しくなった。内装はシートも張り替えられた。

 残るのはエンジンだけだった。

 東田が削り出したジェット。松永が溶接したボディ。永瀬がメッキを戻した部品。川内が調合した赤。桐島が指示した足回り。田所が縫い直したシート。

 全員の仕事が、この一台に入っていた。

 鉄也はエンジンルームをのぞき込みながら、煙草たばこに火をつけた。

 陽が隣に来た。

「いよいよですね」

「ああ」

「エンジンが掛かったら、走れますか」

「調整が必要だ。すぐには走れない」

「でも、もうすぐですね」

 鉄也は煙草の煙を吐いた。

「ああ。もうすぐだ」

 陽は赤いボディを見た。

 夕陽が工場の窓から差し込んで、ボディを照らしている。

 ラリーレッドが、橙色だいだいいろの光の中で深みを増した。

 陽は小さくつぶやいた。

「待っててください、お父さん」

 鉄也は聞こえなかったふりをした。

 聞こえていた。


(第八話・了)


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