表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄の記憶  作者: 八雲 海


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/15

第十四話 完成

灯火類とうかるいの確認から始めた。

 ヘッドライト。車幅灯しゃふくとう。テールランプ。ブレーキランプ。ウインカー。バックランプ。

 一つひとつ、宮本が外に回って確認する。鉄也が車内からスイッチを操作する。

「ヘッドライト、左右問題なし」

「ウインカー、前後問題なし」

「ブレーキランプ、問題なし」

 宮本の声が、工場の外から届く。

 陽は工場の隅で、工具を並べていた。

 全部の灯火が点いた。

 半世紀ぶりに、このZのランプが光った。

――

 ホーンを鳴らした。

 短く、一度だけ。

 低い音だった。

 今の車のホーンより、少し太い音だった。

 宮本が戻ってきた。

「問題なしです」

「ワイパーをやる」

 スイッチを入れると、ワイパーが動いた。

 古いゴムを新しく交換していた。左右、同じリズムで動く。

「問題なし」

――

 最後にもう一度、エンジンを掛けた。

 ドドドドドド――

 L型の音が工場に響いた。

 暖機が終わると、アイドリングが安定した。

 鉄也はしばらくその音を聞いていた。

 耳をますと、左右のキャブレターが同じ呼吸をしているのがわかった。東田が削り出したジェットが、燃料を正確に送っている。桐島が指示した足回りが、地面を正確につかんでいる。

 全員の仕事が、この音の中にある。

 鉄也はエンジンを止めた。

――

 静寂せいじゃくが戻った。

 宮本が工具を片付けた。

 陽が立ち上がった。

 三人とも、Zを見ていた。

 赤いボディ。光を取り戻したバンパー。張り替えられたシート。真っ直ぐ立つ四本のタイヤ。

 錆だらけで運び込まれてきた車が、今は完全な姿で工場に立っていた。

 宮本が静かに言った。

「終わりましたね」

 鉄也は答えなかった。

 しばらく黙っていた。

 それから、一度だけうなずいた。

「ああ」

――

 陽がZに近づいた。

 ボディに手を当てた。

 フロントフェンダーから、ゆっくりとドアに向かって手をすべらせた。

 川内が調合した赤が、指先の下を流れた。

 ドアハンドルに触れた。

 永瀬が光を戻したハンドルだ。

 冷たかった。

 金属の冷たさが、てのひらに伝わった。

 陽はそのまま、ドアを開けた。

 運転席に乗り込んだ。

 ステアリングを握った。

 細いステアリングだった。

 革の感触が手に伝わる。

 フロントガラスの向こうに、工場のシャッターがある。

 その先に、道がある。

 陽はしばらく、そこから動かなかった。

――

 やがて陽が運転席から降りてきた。

 鉄也の前に立った。

「ありがとうございました」

 深く頭を下げた。

 しばらく頭を上げなかった。

 鉄也は答えなかった。

 陽が顔を上げたとき、鉄也と目が合った。

「料金を教えてください」

 陽が言った。

 鉄也は少し間を置いた。

 工具棚を見た。

 Zを見た。

 それから陽を見た。

「線香替わりだ」

 それだけ言った。

――

 陽は動かなかった。

 鉄也の顔を見ていた。

 何か言おうとした。

 言葉を探した。

 見つからなかった。

 見つかるはずがなかった。

 陽はもう一度、深く頭を下げた。

 今度はもっと長かった。

 肩が、わずかに震えていた。

――

 宮本が工具箱を片付けながら、何も言わなかった。

 聞こえていたはずだった。

 それでも何も言わなかった。

 この工場には、言葉にしないことがある。

 三十年、宮本はそれを知っていた。

――

 陽が顔を上げた。

 目が赤かった。

 それでも真っ直ぐ、鉄也を見た。

「一つだけ、お願いがあります」

「何だ」

「最初に走るとき、助手席に乗ってもらえますか」

 鉄也は少し驚いた。

「俺がか」

「はい。一人で走り出す自信が、まだないので」

 鉄也はZを見た。

 赤いボディが、工場の蛍光灯けいこうとうの下で静かに光っていた。

「わかった」

 短く答えた。

「いつにする」

「明日の朝、お父さんのおこつを持って来ます」

 鉄也は頷いた。

「早めに来い。人が少ない時間に走る」

「はい」

 陽はもう一度Zを見た。

「お父さん、喜ぶと思います」

 独り言のように言った。

 鉄也は答えなかった。

 だが心の中で思った。

 きっとそうだ、と。

――

 その夜。

 工場に一人残った鉄也は、煙草たばこに火をつけた。

 赤いZの前に座った。

 完成した車が、静かに立っている。

 東田。松永。永瀬。川内。桐島。田所。荒木。

 七人の職人が、この一台に仕事を入れた。

 東田以外の六人は、金を受け取らなかった。

 みんな同じことを知っていた。

 この車が、何を背負っているか。

 鉄也は煙草の煙を吐いた。

 明日、このZが走り出す。

 父親はいない。

 それでも走る。

 走るべき理由が、この車にはある。

 鉄也はボンネットに手を当てた。

 いつもより長く、触れていた。

 まだ少し温かかった。

 昼間に掛けたエンジンの熱が、まだ鉄の中に残っていた。

「明日、走るぞ」

 誰もいない工場で、鉄也は言った。

 Zは何も答えなかった。

 ただ、そこに立っていた。

 それで十分だった。


(第十四話・了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ