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鉄の記憶  作者: 八雲 海


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第十三話 黙って、手を動かす

翌日、陽は来た。

 その翌日も来た。

 鉄也は何も聞かなかった。

 来たら、いつもの椅子がある。いつもの場所がある。それだけだった。

――

 葬儀そうぎは三日後だった。

 陽はその日だけ来なかった。

 鉄也は一人で工場を開けた。

 宮本と二人で、最終調整の続きをした。

 いつもより静かな一日だった。

 陽がいないと、工場がこんなに静かだったと、鉄也は初めて気づいた。

――

 葬儀の翌日、陽は来た。

 黒い服のままだった。

 鉄也は見なかったふりをした。

「着替えてこい。汚れる」

「構いません」

 陽はいつもの椅子に座った。

 しばらくして、立ち上がった。

「ここに来ると、エンジンの音がします」

 それだけだった。

 鉄也は何も言わなかった。

 それ以上聞かなかった。

――

 それからの日々は、言葉が少なかった。

 鉄也が作業する。

 宮本が補助する。

 陽が手伝える場所を手伝う。

 三人とも、余計なことを言わなかった。

 言わなくても、わかることがあった。

 悲しいとか、つらいとか、そういう言葉はいらなかった。

 手を動かしていれば、それでよかった。

――

 アイドリングの最終調整をした日。

 鉄也がエンジンを掛けると、いつものL型の音が工場にひびいた。

 陽は工具を並べる作業をしていた。

 音が聞こえた瞬間、手が止まった。

 止まったまま、しばらく動かなかった。

 鉄也は見ていたが、何も言わなかった。

 宮本も見ていたが、何も言わなかった。

 やがて陽の手が、また動き始めた。

 工具を、一本ずつ丁寧に並べた。

――

 足回りの最終確認をした日。

 鉄也がリフトを下ろすと、Zが四本のタイヤで地面に立った。

 宮本がいつくばって、最後にもう一度ボルトの締まりを確認した。

「全部問題ないです」

「ああ」

 陽がそばに来た。

 Zのボンネットに、そっと手を当てた。

 最初にボディに触れた日と同じ手つきだった。

 今度は少し長く、触れていた。

 鉄也は工具を片付けながら、それを見ていた。

 陽がボンネットから手を離したとき、鉄也は言った。

「明日、内装の最終確認をする」

「わかりました」

「手伝えるか」

「はい」

 それだけだった。

――

 内装の確認をした日。

 田所が張り替えたシートに、陽が初めて座った。

 助手席だった。

 ドアを開けて、ゆっくり腰を下ろした。シートベルトは締めなかった。ただ、座った。

 窓から工場の中が見えた。

 工具棚。リフト。蛍光灯けいこうとう。宮本の背中。鉄也の背中。

 いつも外から見ていた景色が、車の中から見えた。

 陽はしばらく、その景色を見ていた。

 それから前を向いた。

 フロントガラスの向こうに、工場のシャッターがある。

 その先に、道がある。

 陽は何も言わなかった。

 ただ、前を向いていた。

――

 その夜。

 宮本が帰った後、鉄也は一人で工場に残った。

 煙草たばこに火をつけて、Zの前に座った。

 完成が近かった。

 残る作業は、細かい確認だけだ。灯火類とうかるいの点灯確認。ホーンの動作確認。ワイパーの動作確認。

 一日あれば終わる。

 だが鉄也は、すぐに終わらせようとは思わなかった。

 あせる理由が、なくなっていた。

 父親はった。

 間に合わなかった。

 それでも陽は来る。それでも手を動かす。何のためかは言わない。言う必要がないのかもしれない。

 鉄也は煙草の煙を吐いた。

 四十年前、師匠が言った。

 ――機械は嘘をつかない。人間がちゃんと向き合えば、必ず応える。

 この車は応えた。

 全部の職人の仕事に、応えた。

 では自分は何に向き合っているのか。

 鉄也は長い間、Zを見ていた。

 やがて煙草を消した。

 立ち上がって、ボンネットに手を当てた。

「もう少しだ」

 いつもの言葉だった。

 だが今日は少し、意味が違った気がした。

 完成まで、という意味ではなかった。

 陽に向けた言葉だったかもしれない。

 誰もいない工場で、鉄也は一人そう思った。


(第十三話・了)


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