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この村、全員ラスボス経験者でした。 〜もう二度と世界を救いたくない元最強たちのスローライフ〜  作者: にる


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普通でいたい

朝。


何も起きていないような顔で、

村は始まった。


井戸の音。


戸を開ける音。


誰かが咳をする音。


鍋の湯気。


床板の軋み。


全部が、

朝の形をしている。


ユウトは階段の途中で立ち止まった。


下から、

アーシャの声が聞こえる。


「熱いから気をつけて」


誰かに言ったのかと思った。


でも、

食堂にはまだ誰もいない。


自分に言ったのかもしれない。


あるいは、

そこにいない誰かに。


ユウトは少しだけ息を吸い、

階段を降りた。


「おはようございます」


アーシャが振り返る。


「おはよう」


笑顔。


昨日より自然に見えた。


自然に見えることが、

少しだけ怖い。


「今日は、普通の朝ごはん」


アーシャが言った。


普通。


その言葉だけが、

妙に大きく聞こえた。


「普通、ですか」


「うん。普通」


アーシャは皿を置く。


欠けていない皿。


量は多すぎない。


少なすぎない。


湯気も、

匂いも、

温度も、

どれも普通だった。


普通に見えるように、

整えられている。


そう思った。


思ってしまった。


ユウトは椅子に座る。


「普通って、難しいですね」


口から出た。


アーシャの手が止まる。


ほんの一瞬。


「そうだね」


軽く返した。


でも、

声は軽くならなかった。


「でも、難しいくらいが普通なのかも」


それは冗談の形をしていた。


ユウトは箸を取る。


味噌汁を飲む。


温かい。


焦げた匂いはしない。


しない。


けれど、

しないことに安心する自分がいる。


安心するために確認している自分がいる。


それはもう、

普通ではない気がした。


「今日は、どこ行くの?」


アーシャが聞く。


「畑と、広場と、川です」


いつもの場所。


「鍛冶場は?」


「行くかもしれません」


「そっか」


アーシャは頷く。


止めない。


ついてこない。


それだけで、

少しだけ歩きやすくなる。


でも、

止められないことに、

ほんの少しだけ不安もある。


ユウトは自分の胸の中を見ようとする。


見えない。


不安なのか。

楽なのか。

寂しいのか。


どれも少しずつあった。


「……普通にしてていいんですかね」


言った。


アーシャはすぐには答えなかった。


鍋の蓋を少しずらす。


湯気が逃げる。


「いいんじゃない」


静かな声。


「普通にできるなら」


「できなかったら?」


アーシャは笑った。


今度は、

少しだけ本当に笑えたように見えた。


「できない日もあるよ」


それだけ。


それだけの言葉が、

少しだけ胸に入った。


外へ出る。


朝の道は、

昨日より少しだけ騒がしかった。


村人たちが話している。


笑っている。


荷物を運んでいる。


祭りでもないのに、

誰かが布を干している。


布の色は白。


昨日見た白とは違う。


たぶん。


白いものが増えると、

村は少しだけ明るく見える。


でも、

光が強くなるほど、

影も濃くなる。


ユウトは道の端を歩いた。


いつもの場所ではなく、

少しだけ真ん中に近い場所。


足が迷う。


でも戻らない。


畑に着くと、

ガイルは土を見ていた。


いつものように。


ただ、

今日は鍬を持っていない。


両手を空けたまま、

畝の前に立っている。


「おはようございます」


「遅い」


「いつも通りです」


「そうだな」


同じやり取り。


少しだけ安心する。


安心してから、

その安心を疑わなかった。


疑わない日があってもいい。


そう思った。


「今日は何をしますか」


「歩く」


「畑を?」


「ああ」


ガイルは畝と畝の間を指す。


細い道。


昨日までは端に立つことが多かった。


今日は、

間を歩く。


ユウトは一歩踏み出す。


土は柔らかい。


右は畝。


左も畝。


まっすぐ歩けばいい。


それだけなのに、

肩に力が入る。


「力むな」


ガイルが言う。


「普通に歩け」


普通。


またその言葉。


ユウトは少しだけ笑う。


「普通が難しい日です」


ガイルは黙る。


それから短く言った。


「難しいなら、遅く歩け」


ユウトは頷く。


遅く歩く。


一歩。


二歩。


土が足裏に沈む。


沈んで、

戻る。


昨日の硬い土ではない。


完全に柔らかいわけでもない。


少しだけ不揃い。


足が毎回、

違う返りを受ける。


そのたびに、

身体を合わせる。


合わせすぎない。


逆らいすぎない。


歩くだけなのに、

考えることが多い。


でも、

考えながら歩ける。


立ち止まらなくてもいい。


「それでいい」


ガイルが言った。


珍しく、

先に認めた。


ユウトは振り返る。


「いいんですか」


「死なない」


褒め言葉ではない。


でも、

それで十分だった。


畑の端まで歩く。


戻る。


また歩く。


同じ道。


でも、

一度目と二度目で土の感触が違う。


自分の足跡があるからだ。


歩いた分だけ、

道が変わる。


変わった道を、

また歩く。


それは当たり前のことだった。


当たり前なのに、

今日は妙に残った。


昼前。


鍛冶場へ向かう。


戸は半分開いている。


中から火の音はしない。


ドラムは外で、

小さな棚を直していた。


「今日は火、使わないんですか」


「使わない」


「どうして」


「今日は火じゃない」


短い答え。


ドラムは棚の脚を調整している。


少し削る。


置く。


揺れる。


また削る。


「傾いてますね」


ユウトが言う。


「傾いてる」


ドラムは否定しない。


「直すんですか」


「直す」


「完全に?」


ドラムの手が止まる。


「完全にすると、合わない」


ユウトは棚を見る。


床が少し歪んでいる。


棚だけを真っ直ぐにすれば、

余計に浮く。


床に合わせると、

棚そのものは少し歪む。


「難しいですね」


「難しい」


ドラムはまた認める。


それから、

棚の脚をほんの少しだけ削った。


置く。


棚はまだ少し傾いている。


でも、

揺れない。


「これでいい」


「少し歪んでます」


「ああ」


「いいんですか」


「使える」


使える。


その言葉は、

昨日の欠けた皿に似ていた。


少し危ないくらいなら、

気をつければ使える。


少し歪んでいても、

使えるなら置いておける。


ユウトは棚を見る。


完全に直っていない。


でも、

壊れてもいない。


「普通って、こういう感じですか」


ドラムはユウトを見た。


少しだけ。


すぐに棚へ目を戻す。


「たぶん」


たぶん。


その答えが、

今日は少し好きだった。


昼。


宿へ戻ると、

アーシャは食堂の真ん中にいた。


皿を並べている。


欠けた皿もある。


欠けていない皿もある。


混ざっている。


「今日は、それ使うんですね」


ユウトが欠けた皿を見る。


「うん」


アーシャは皿を置く。


「使えるから」


昨日と同じ。


でも、

今日は隠すような声ではない。


「危なくないですか」


「危ないよ」


「いいんですか」


「気をつける」


アーシャはそう言って、

皿の欠けた側を自分の方へ向けた。


ユウトはそれを見る。


「俺がそっちでもいいですよ」


アーシャの手が止まる。


「だめ」


早い。


少しだけ強い。


ユウトは黙る。


アーシャも、

言ったあとで気づいたように目を伏せる。


「……ごめん」


「いいです」


「いいって言わせてるね」


昨日と似た言葉。


でも、

今日はアーシャが自分で気づいている。


ユウトは皿を見る。


欠けた部分。


アーシャの方へ向いている。


「じゃあ、真ん中に置きませんか」


自分でも、

なぜそう言ったのか分からなかった。


アーシャが顔を上げる。


「真ん中?」


「どっちかだけが気をつけるんじゃなくて」


言いながら、

少し恥ずかしくなる。


大げさなことを言っている気がした。


皿一枚の話なのに。


でも、

アーシャは笑わなかった。


欠けた皿を、

食卓の端ではなく、

真ん中に置く。


二人の間。


「これで、いい?」


「たぶん」


ユウトが言う。


アーシャは少しだけ笑った。


「たぶん、ね」


昼食は、

静かだった。


でも、

昨日までの静けさとは少し違った。


言わないための静けさではない。


言わなくても、

そこに置いてあるものがある静けさ。


欠けた皿。


多すぎない食事。


届きすぎない手。


それらが、

食卓の上にある。


見えている。


隠れていない。


それだけで、

少し息がしやすかった。


午後。


広場に出る。


村人たちは、

いつものように動いていた。


ただ、

今日は一人の子どもが転んだ。


小さな子だった。


膝をついて、

少し泣きそうな顔をする。


周りの大人が、

一斉に動きかけた。


一斉に。


その動きが揃いすぎて、

ユウトの胸が冷える。


でも、

途中で止まった。


一人が近づく。


他の人は止まる。


少し遅れて、

別の人が布を持ってくる。


揃いすぎない。


ばらばらすぎない。


子どもは泣かなかった。


膝を少し払って、

立ち上がる。


それだけ。


広場はまた動き出す。


ユウトはその光景を見ていた。


普通の出来事。


たぶん。


でも、

普通の中にも、

誰かが少し我慢している。


誰かが少し手を引いている。


誰かが少し待っている。


それで、

普通に見えている。


ルーンが隣に立っていた。


いつの間にか。


「普通だね」


ルーンが言う。


ユウトは少し考える。


「普通に見えます」


「うん」


「でも、普通って、勝手にあるものじゃないんですね」


言ってから、

自分でも驚いた。


ルーンは微笑む。


「そうだね」


今日は、

はぐらかさなかった。


「誰かが、少しずつ合わせてる」


「合わせすぎると、苦しいです」


「そうだね」


「合わせないと、壊れますか」


ルーンはすぐには答えない。


広場を見る。


子どもが走っている。


大人が少し遅れて笑う。


「壊れることもある」


「壊れないことも?」


「ある」


その答えは短い。


でも、

今日はそれでよかった。


夕方。


川へ向かう。


飛び石を渡る。


一歩。


二歩。


三歩。


今日は止まらない。


でも、

急がない。


途中の石で、

一度だけ立ち止まる。


水面を見る。


自分の顔。


少し疲れている。


でも、

昨日見た違う広場は映らない。


映らないことに、

安心する。


安心したまま、

それを責めなかった。


毎日、

何かが見える必要はない。


毎日、

何かに気づく必要もない。


普通に水が流れている日があっていい。


そう思った。


でも、

その普通がずっと続くとは、

もう思えなかった。


向こう岸へ渡る。


石を振り返る。


渡れるようになった。


だからといって、

何も怖くなくなったわけではない。


怖いまま渡れる日がある。


それだけだった。


夜。


宿。


アーシャは部屋の前に来なかった。


足音は廊下の途中で止まった。


少しだけ待つ気配があって、

それから離れた。


近すぎない。


遠すぎない。


たぶん。


ユウトは布団の上に座っていた。


眠気はある。


でも、

すぐには横にならない。


耳の奥で、

声がする。


「……前も」


「……違う」


「……普通」


普通。


その言葉が、

声の中に混ざった気がした。


誰の声か分からない。


自分の声かもしれない。


誰かの声かもしれない。


普通でいたい。


そう思った。


でも、

何も知らなかった頃に戻りたいわけではない。


全部なかったことにしたいわけでもない。


欠けた皿を真ん中に置くみたいに。


少し歪んだ棚を、

使える形で置くみたいに。


沈む土の上を、

遅く歩くみたいに。


分からないものを、

分からないまま、

生活の中に置けたらいい。


そう思った。


思えたことが、

少しだけ怖かった。


でも、

嫌ではなかった。


ユウトは横になる。


目を閉じる。


普通でいたい。


普通に戻りたいのではなく。


普通でいたい。


その違いだけが、

夜の中に残った。


少し遅れて、


眠れた。

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