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この村、全員ラスボス経験者でした。 〜もう二度と世界を救いたくない元最強たちのスローライフ〜  作者: にる


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欠けたままの一日

朝。


目が覚めたとき、

昨日の終わりが少し欠けていた。


眠ったことは覚えている。


布団に横になったことも、

目を閉じたことも覚えている。


普通でいたいと思ったことも、

覚えている。


けれど、

そのあとがない。


眠りに落ちる瞬間が、

切り取られている。


いつもなら、

気にしなかった。


眠ったのだから、

それでいい。


そう思えたはずだった。


でも今日は、

そこに小さな穴がある気がした。


ユウトは天井を見る。


木目。


一本。


二本。


数えかけて、

やめる。


やめたあとで、

自分がどこまで数えたのか分からなくなる。


一本だったか。

二本だったか。


そもそも、

数え始めていたのか。


分からない。


分からないことが、

朝の中に小さく残る。


起き上がる。


床に足を下ろす。


冷たい。


ちゃんと冷たい。


その冷たさだけは、

欠けていなかった。


階段を降りる。


食堂には、

アーシャがいた。


皿を並べている。


欠けた皿もある。


欠けていない皿もある。


昨日、

真ん中に置いた皿。


今日は、

棚の中にあった。


「おはよう」


「おはようございます」


いつもの声。


いつもの返事。


アーシャは少しだけユウトを見る。


「眠れた?」


聞かれた。


ユウトは頷きかけて、

止まる。


「眠れました」


嘘ではない。


「でも、少しだけ覚えてないです」


アーシャの手が止まった。


皿の縁に指が触れたまま、

動かない。


「夢?」


「たぶん」


夢ではない。


そう思った。


でも、

夢ではないと言えるほど、

形もない。


「眠る前が、少し欠けてます」


言った。


アーシャは笑わなかった。


すぐに「夢だよ」とも言わなかった。


その沈黙が、

昨日までより少しだけ近かった。


「そっか」


静かに言う。


「怖い?」


ユウトは考える。


怖い。


たぶん。


でも、

それだけではない。


「気持ち悪いです」


正直に言った。


アーシャは少しだけ眉を下げる。


「そうだね」


同意だった。


ごまかしではなく。


「気持ち悪いよね」


その言葉で、

少しだけ息がしやすくなった。


朝食は、

普通だった。


普通に近かった。


味も、

量も、

温度も。


でも、

ユウトは食べながら、

何度も昨日の終わりを探していた。


布団に入る。


目を閉じる。


普通でいたいと思う。


その次。


そこがない。


思い出そうとすると、

頭の奥が白くなる。


白い。


昨日の午後の光に似ている。


水面に見えた、

違う広場の白さ。


ユウトは箸を止める。


「無理に思い出さなくていいよ」


アーシャが言う。


早くない。


少し待ってからの言葉だった。


「忘れていい、とは言わないんですね」


ユウトが言う。


アーシャは椀を持ったまま止まる。


「うん」


短い。


「忘れていいって言うのは、少し違う気がした」


その声は、

少しだけ掠れていた。


畑へ向かう。


道は朝の形をしている。


木箱。


布。


籠。


白い布が一枚、

昨日とは違う場所に干されている。


風に揺れている。


揺れるたびに、

布の端が少しだけ欠けて見える。


破れているわけではない。


影のせい。


たぶん。


畑では、

ガイルが畝の間に立っていた。


「遅い」


「いつも通りです」


「そうだな」


同じやり取り。


今日は、

それに少し安心する。


「眠る前が、少し欠けてました」


ユウトは言った。


ガイルはすぐに反応しなかった。


鍬を持つ手が、

少しだけ止まる。


「どれくらいだ」


「分かりません」


「分からないくらいか」


「はい」


ガイルは土を見る。


「なら、まだ歩ける」


「欠けてても?」


「ああ」


短い。


「欠けた分を探しながら歩くと、足を取られる」


ユウトは畝の間を見る。


昨日歩いた場所。


足跡は少し残っている。


でも、

ところどころ消えている。


風か。

誰かが踏んだのか。

土が戻ったのか。


分からない。


「今日は、その足跡を見ろ」


ガイルが言う。


「追うんじゃない。見るだけだ」


ユウトは頷く。


畝の間を歩く。


足跡を見る。


残っているもの。


消えているもの。


半分だけ残ったもの。


自分が歩いた跡なのに、

全部は残っていない。


それが当然なのかもしれない。


歩いたものすべてが、

土に残るわけではない。


そう思うと、

少しだけ楽になる。


でも、

完全に楽にはならない。


消えた足跡の場所に立つと、

足裏が少し不安になる。


ここを歩いたはず。


でも、

証拠がない。


証拠がなくても、

歩いたことは消えないのか。


それとも、

残っていないなら、

歩いていないのと同じなのか。


考えすぎると、

足が止まる。


「止まるな」


ガイルの声。


「考えながら歩け」


ユウトは息を吐く。


歩く。


考える。


また歩く。


欠けたままでも、

足は出る。


昼前。


鍛冶場。


ドラムは棚を直していた。


昨日と同じ棚。


少し歪んだまま、

揺れないように置かれている。


今日は、

その横に小さな箱があった。


蓋がない。


「蓋、なくしたんですか」


ユウトが聞く。


ドラムは箱を見る。


「最初からない」


「本当に?」


言ってから、

少しだけ驚いた。


いつもなら、

そこまで聞かなかった。


ドラムは怒らない。


ただ、

少しだけ黙る。


「……分からん」


その答えが返ってきた。


「分からないんですか」


「ああ」


ドラムは箱の縁を指でなぞる。


「蓋があった形はしてる」


箱の上部には、

確かに小さな溝がある。


何かがはまっていたような跡。


でも、

今はない。


「作りますか」


ユウトが聞く。


「作れる」


「じゃあ」


「同じものにはならない」


ドラムは短く言う。


「同じものじゃなくても、閉まればいい時もある」


ユウトは箱を見る。


蓋がない箱。


中は空。


空だから、

何も守れていない。


でも、

空だから、

何も失っていないようにも見える。


「……閉めた方がいいんですかね」


「分からん」


ドラムは言う。


「開いているから見えるものもある」


その言葉が、

胸に残った。


欠けているから、

見えるもの。


なくなったから、

気づく形。


そういうものもあるのかもしれない。


午後。


広場では、

村人たちが普段通りに動いていた。


ただ、

井戸の順番が一度だけ抜けた。


いつもなら水を汲むはずの人が、

そのまま通り過ぎる。


次の人が少し戸惑う。


でも、

誰も何も言わない。


すぐに別の人が入る。


順番は戻る。


戻った。


けれど、

抜けた場所だけが、

ユウトの目に残った。


一人分の間。


一人分の空気。


そこに誰かがいたような、

いなかったような隙間。


ユウトは広場の中央に近づく。


昨日より、

少しだけ。


空気は整わない。


整わないことには慣れてきた。


でも今日は、

整わないだけではなく、

ところどころ欠けているように感じた。


笑い声の途中。


足音の間。


井戸の影。


誰かの視線。


全部が、

少しずつ足りない。


ルーンは広場の端にいた。


手には、

昨日隠したものはない。


何も持っていない。


それがかえって気になる。


「欠けてる気がします」


ユウトは言った。


ルーンは微笑む。


「何が?」


「一日が」


言ってから、

自分でも大げさだと思った。


でも、

ルーンは笑わなかった。


「そう感じるんだね」


「感じるだけです」


「感じることは、残るよ」


「残ってないから、欠けてるんじゃないですか」


少しだけ、

声が強くなった。


自分でも驚く。


ルーンは責めなかった。


「残り方が、見えないだけかもしれない」


「見えなかったら、ないのと同じじゃないですか」


「同じにした方が楽なことはある」


ルーンは静かに言う。


「でも、同じではない」


ユウトは黙る。


昨日の自分なら、

そこで話を終わらせたかもしれない。


でも今日は、

もう一つだけ聞いた。


「欠けたものは、戻りますか」


ルーンは少しだけ空を見る。


白い光ではない。


普通の午後の空。


「戻るものもある」


「戻らないものも?」


「ある」


短い答え。


でも、

今日はそれで終わらなかった。


ルーンはユウトを見る。


「戻らないものを、全部埋めようとすると、別のものが欠ける」


その言葉は、

少しだけ重かった。


午後の終わり。


川へ向かう。


飛び石を渡る。


一歩。


二歩。


三歩。


水面を見る。


今日は、

違う景色は映らない。


自分の顔だけ。


その顔の一部が、

水の揺れで欠けて見える。


片目。


口元。


輪郭。


揺れるたびに、

戻る。


欠ける。


また戻る。


ユウトはしばらく見ていた。


欠けても、

水面の中の自分は消えない。


ただ、

形がはっきりしなくなるだけ。


「……それだけか」


小さく呟く。


それだけ。


でも、

それだけが怖いこともある。


夕方。


宿へ戻る。


アーシャが食堂で待っていた。


今日は、

待っていたことを隠していなかった。


椅子に座り、

手元の布を畳んでいる。


「おかえり」


「ただいま」


「どうだった?」


何が、と聞かなかった。


ユウトも、

何のことか分からないまま答えた。


「欠けてても、歩けました」


アーシャは少しだけ目を伏せる。


「そっか」


「でも、気持ち悪いです」


「うん」


「消えたわけじゃない気がします」


「うん」


アーシャは同じ返事をする。


でも、

聞き流してはいない。


「ごはん、食べられそう?」


「はい」


「無理しなくていいよ」


「食べます」


ユウトが言うと、

アーシャは少しだけ笑った。


「じゃあ、普通より少し少なめ」


「普通より?」


「今日はそういう日」


その言い方が、

少しだけ楽だった。


夜。


部屋。


昨日の終わりは、

まだ欠けている。


思い出そうとしても、

白くなる。


でも、

朝ほど気持ち悪くはない。


足跡は全部残らない。


箱に蓋がない日もある。


広場の順番が抜けることもある。


水面の顔は揺れれば欠ける。


欠けたものを、

すぐに埋めなくてもいい。


そう思えた。


完全には納得していない。


でも、

少しだけ置けた。


耳の奥で声がする。


「……前も」


「……違う」


「……欠け」


「……戻」


短い。


切れる。


今日の声は、

最初から欠けていた。


ユウトは目を閉じる。


眠る前のことを、

全部覚えていられるわけではない。


それでも、

今日はできるだけ、

今の手触りを残そうと思った。


布団の重さ。


床の冷たさ。


窓の外の暗さ。


遠い声。


自分の呼吸。


一つずつ。


数えない。


ただ、

置く。


欠けたままでも、

一日は一日だった。


そう思ったところまでは、

覚えていた。


そのあと少しだけ欠けて、


眠れた。

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