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この村、全員ラスボス経験者でした。 〜もう二度と世界を救いたくない元最強たちのスローライフ〜  作者: にる


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51/54

戻りきらない朝

朝。


村は、

いつも通りに目を覚ました。


鶏が鳴く。


井戸がきしむ。


誰かが戸を開ける。


鍬の音が、

遠くで一度だけ鳴る。


順番は、

昨日と同じだった。


たぶん。


ユウトは宿の窓を開けた。


朝の空気が入る。


冷たい。


胸が少しだけ広がる。


いつもの朝。


そう思おうとした。


思おうとしたことに、

少しだけ引っかかった。


いつもの朝なら、

思う必要はない。


外へ出る。


廊下の床板が鳴る。


一回。


少し遅れて、

もう一回。


昨日は一回だった。


その前は、

二回だった気がする。


数えかけて、

やめる。


やめたあとで、

音だけが耳の奥に残った。


階段を降りると、

アーシャが台所にいた。


鍋の前。


湯気。


皿。


いつもの位置。


「おはよう」


「おはようございます」


声は同じ。


でも、

アーシャの手元にある皿が、

一枚だけ違った。


昨日使った皿ではない。


その前に見た気がする皿。


縁が少し欠けている。


古い。


古いのに、

今朝ここに戻っている。


ユウトはそれを見る。


見たまま、

何も言わない。


「どうしたの」


アーシャが聞く。


早い。


気づかれる前に、

隠そうとしたみたいな声。


「……皿」


言いかけて、

止まる。


皿がどうしたのか、

言えない。


増えたのか。

戻ったのか。

最初からあったのか。


分からない。


「何でもないです」


そう言うと、

アーシャは笑った。


「そっか」


笑顔は少しだけ遅れた。


朝食は、

昨日より少なかった。


少ない。


でも、

ちょうどいい。


昨日は多かった。


一昨日は、

どうだったか。


考えようとして、

やめる。


やめると、

身体は楽になる。


楽になることに、

もう驚かなくなっている。


ユウトは味噌汁を飲む。


湯気の匂い。


出汁の匂い。


その奥に、

少しだけ焦げた匂いが混ざっている気がした。


鍋を見る。


焦げていない。


アーシャの顔を見る。


笑っている。


「焦げてないよ」


言われる前に、

そう言われた気がした。


でも、

アーシャは何も言っていない。


ユウトは椀を置く。


音が小さい。


小さすぎる。


「今日は、畑?」


アーシャが聞く。


「はい」


「一人で?」


少しだけ間があった。


昨日なら、

すぐ聞かれた。


今日は、

少し遅い。


その遅さが、

逆に胸に残る。


「一人で行きます」


言った。


アーシャは頷く。


近づかない。


手も伸ばさない。


「……気をつけて」


それだけ。


それだけなのに、

昨日より近く感じた。


宿を出る。


朝の道。


木箱。


布。


籠。


どれもある。


でも、

位置が少しだけ違う。


昨日まで避けていた幅が、

今日は少し空いている。


通りやすい。


通りやすいことが、

不自然だった。


身体は、

昨日の狭さを覚えている。


だから、

広くなった場所で少しだけ遅れる。


足が余る。


どこに置けばいいのか、

一瞬分からなくなる。


畑へ着くと、

ガイルは入口にいた。


昨日と同じ。


同じように見える。


でも、

鍬の置き方が違う。


昨日は柄を立てていた。


今日は寝かせている。


ほんの少し。


それだけ。


でも、

その違いが目につく。


「遅い」


「いつも通りです」


「そうだな」


いつものやり取り。


でも、

ガイルの返事が少しだけ柔らかい。


柔らかいというより、

戻しきれていない。


「今日は、どこに立ちますか」


ユウトが聞く。


ガイルは畑を見た。


昨日沈んだ場所。


その近く。


今朝は、

そこが平らになっている。


平らすぎる。


昨日までの沈みが、

なかったみたいに。


「……そこは」


ユウトが言う。


ガイルは鍬を持たない。


「見る」


「直ったんですか」


「直ったように見える」


ように。


その言い方が、

胸に残る。


ユウトは近づく。


土は平ら。


足を乗せる。


沈まない。


昨日の柔らかさはない。


硬い。


硬すぎる。


「……固まってます」


「ああ」


「いいことですか」


ガイルは少し黙る。


「分からん」


また、

その答え。


でも今日は、

少しだけ安心した。


分からないと言われる方が、

まだ近い気がした。


ユウトはその場に立つ。


土は沈まない。


沈まないから、

倒れない。


倒れないのに、

足裏が落ち着かない。


土が支えているのではなく、

拒んでいるみたいだった。


「重心」


ガイルが言う。


「下げすぎるな」


ユウトは息を吐く。


腰を落としすぎない。


上げすぎない。


昨日の場所に、

昨日とは違う身体で立つ。


少しだけ、

難しい。


それでも、

立てた。


昼前。


鍛冶場の前を通る。


ドラムは外にいた。


木箱が並んでいる。


昨日と同じ木箱。


でも、

紐の結び目が違う。


昨日より、

少し固い。


「昨日、緩めてませんでした?」


ユウトが聞く。


ドラムは手を止める。


「緩めた」


「今日は?」


「締めた」


「どうして」


沈黙。


ドラムは結び目を見る。


「緩すぎた」


短い。


「固すぎると、壊れるって」


「緩すぎても、壊れる」


それは昨日も聞いた。


でも、

今日は少し違って聞こえた。


昨日の答えが、

今日には通じない。


今日の答えも、

明日には分からない。


ドラムは紐をもう一度ほどく。


少しだけ緩める。


結び直す。


「これくらいか」


誰に聞いたわけでもない声。


ユウトは木箱を見る。


揺れる。


でも、

崩れない。


たぶん。


「……難しいですね」


「ああ」


ドラムは認める。


短く。


でも、

確かに。


「手伝いますか」


ユウトが言う。


ドラムはすぐには答えない。


「持つだけなら」


「はい」


ユウトは木箱の端を持つ。


軽い。


軽いのに、

中で何かが動く。


動くたびに、

指に小さな振動が伝わる。


握りすぎると、

止まる。


緩めすぎると、

滑る。


ちょうどいい力が必要だった。


ちょうどいい。


それが、

最近ずっと難しい。


昼。


宿へ戻る途中、

広場を通る。


村人たちがいる。


話し声がある。


昨日より少し多い。


でも、

会話の間に同じ沈黙が挟まる。


一人が笑う。


少し遅れて、

別の人が笑う。


笑い声が揃わない。


前なら気になったかもしれない。


今は、

揃わないことに少しだけほっとする。


広場の中央には、

やはり誰も立っていない。


空いた場所。


誰も立たない場所。


ユウトはその近くを歩く。


昨日より少しだけ近く。


足が止まる。


戻らない。


その場で、

一度だけ息を吸う。


空気は整わない。


整わないまま、

肺に入る。


苦しい。


でも、

立てる。


ルーンは村長宅の前にいた。


今日は、

何かを書いている。


紙ではない。


木の板でもない。


手元を見ようとすると、

ルーンはそれを裏返した。


隠した。


隠したことを、

隠さなかった。


「今日は、戻ったように見えます」


ユウトが言う。


ルーンは微笑む。


「見えるね」


「戻ってないんですか」


「戻るものと、戻らないものがある」


穏やかな声。


でも、

少しだけ疲れている。


「どっちですか」


「今日は、まだ分からない」


まだ。


また、

その言葉。


ユウトは頷く。


聞けば答えが出るわけではない。


それが少しずつ分かってきた。


午後。


川へ向かう。


飛び石の前。


水は普通に流れている。


昨日と同じ。


たぶん。


ユウトは一歩踏み出す。


石に乗る。


二歩目。


三歩目。


渡る。


今日は、

途中で止まらなかった。


渡りきる。


振り返る。


飛び石は、

ただの石だった。


ただの石に見える。


でも、

昨日ここで止まりかけたことは、

消えていない。


戻ったように見えても、

自分の中には残っている。


それだけは分かった。


森の方を見る。


道は見えない。


昨日は、

ある気がした。


今日は見えない。


見えないから、

ないとは言えない。


ユウトは少しだけ立つ。


少しだけ待つ。


声はしない。


風だけが動く。


夕方。


宿に戻る。


アーシャが食堂で皿を拭いている。


朝の欠けた皿だった。


同じ皿。


「それ」


声が出る。


アーシャの手が止まる。


「朝も、ありましたよね」


「うん」


「昨日は?」


アーシャは皿を見る。


「……あったよ」


少し遅い。


「たぶん」


付け足した。


たぶん。


その言葉に、

少しだけ救われる。


アーシャも、

分からないことを分からないまま持っている。


そう思えた。


「割れてるのに、使うんですね」


「使えるから」


アーシャは皿の欠けを指で撫でる。


「危ないですか」


「少しね」


「捨てないんですか」


アーシャは少しだけ笑う。


「少し危ないくらいなら、気をつければ使えるよ」


それは皿の話だった。


たぶん。


ユウトは頷く。


皿は棚に戻された。


欠けたまま。


夜。


部屋。


窓の外は暗い。


声は遠い。


今日は、

いつもより遠い。


でも、

完全には消えない。


「……前も」


「……戻」


「……違う」


途中で切れる。


戻る。


その言葉だけが、

少し長く残る。


ユウトは布団の上で、

手を開いた。


昨日の手の重さは薄い。


足裏の土の重さも薄い。


でも、

なくなったわけではない。


薄くなったものが、

身体の中に少しずつ残っている。


戻ったように見える朝。


戻ったように見える畑。


戻ったように見える皿。


戻ったように見える自分。


どれも、

少しずつ戻りきっていない。


ユウトは目を閉じる。


戻れないことが、

怖いと思った。


でも、

全部戻ってしまうことの方が、

今日は少しだけ怖かった。


そのまま、


少し遅れて眠れた。

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