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この村、全員ラスボス経験者でした。 〜もう二度と世界を救いたくない元最強たちのスローライフ〜  作者: にる


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近すぎる手

朝。


宿屋の朝は、

いつもより少し早かった。


鍋の音がする。


布を畳む音がする。


床を拭く音がする。


どれも、

いつもの音だった。


けれど、

音の数が少しだけ多い。


一つの作業を、

何度も繰り返しているような音。


ユウトは階段の途中で立ち止まった。


下から、

アーシャの声が聞こえる。


「……大丈夫」


小さい声。


誰かに言う声ではなかった。


自分に言っている声だった。


ユウトは少しだけ待つ。


待ったことを、

すぐに隠すように階段を降りた。


「おはようございます」


アーシャが振り返る。


笑顔。


いつもの笑顔。


でも、

作るのが少しだけ早い。


「おはよー。今日は早いね」


「いつも通りです」


「そうだっけ」


軽い声。


アーシャは皿を置く。


ユウトの前に。


昨日より少し近い。


「たくさん食べて」


「いつもより多くないですか」


「若い子は食べるの」


いつもの言い方。


でも、

皿の置き方が少し強い。


命令ではない。


お願いでもない。


どちらにも見える。


ユウトは箸を取る。


味噌汁。


焼いた魚。


野菜。


量は多い。


多いのに、

アーシャはまだ台所を見ている。


「足りなかったら言ってね」


「たぶん足ります」


「たぶんじゃなくて、ちゃんと」


ちゃんと。


その言葉が、

少しだけ重い。


ユウトは頷く。


頷くと、

アーシャの肩がほんの少し下りた。


安心したように。


安心しすぎたように。


食事をする。


食べる。


飲み込む。


喉を通る。


少し苦しい。


でも、

食べられる。


食べられるなら、

問題にはならない。


「……ゆっくりでいいから」


アーシャが言う。


「はい」


「でも、残さないで」


矛盾している。


けれど、

アーシャ自身もそれに気づいていないようだった。


ユウトは皿を見る。


残せない。


残したら、

何かが崩れる気がした。


そう思ったことに、

少しだけ息が浅くなる。


朝食のあと、

ユウトは外へ出ようとした。


宿の入口に向かう。


靴を履く。


紐を結ぶ。


扉に手をかける。


「どこ行くの?」


声が早い。


振り向くと、

アーシャが台所からこちらを見ていた。


手には布巾。


布巾を握る指が、

少し白い。


「畑です」


「一人で?」


「はい」


普通の返事。


普通のこと。


昨日までなら、

それで終わったはずだった。


アーシャは笑う。


「じゃあ、私も途中まで」


「大丈夫です」


すぐに言った。


自分でも、

少し早かったと思う。


アーシャの笑顔が、

ほんの少しだけ止まる。


「大丈夫って言う人ほど、大丈夫じゃないんだよ」


「でも、本当に大丈夫です」


「分かってる」


分かっている声ではなかった。


「でも、途中まで」


ユウトは扉の取っ手を握ったまま、

しばらく動けなかった。


断る理由がない。


断らない理由もない。


理由がないと、

流れは決まる。


「……分かりました」


そう言うと、

アーシャは安心した顔をした。


その安心が、

ユウトの胸に少しだけ刺さった。


外。


朝の道を二人で歩く。


少しだけ近い。


近すぎるほどではない。


でも、

一人で歩く時とは違う。


ユウトが一歩遅れると、

アーシャも遅れる。


ユウトが足を止めると、

アーシャも止まる。


合わせている。


合わせてくれている。


それは優しさのはずだった。


でも、

歩き方が自分のものではなくなる気がした。


「寒くない?」


「大丈夫です」


「足元、気をつけて」


「はい」


「昨日、川行ったんでしょ」


「……はい」


「濡れてない?」


「濡れてません」


「本当に?」


「本当に」


短い会話が続く。


会話というより、

確認。


確認されるたびに、

自分の身体が少しずつ誰かのものになる気がした。


畑の手前で、

ガイルがこちらを見る。


アーシャを見て、

ユウトを見る。


何も言わない。


何も言わないことが、

余計に分かりやすかった。


「ここまでで大丈夫です」


ユウトが言う。


アーシャは頷く。


でも、

すぐには離れない。


「無理しないで」


「はい」


「何かあったら呼んで」


「はい」


「一人でどうにかしようとしないで」


「……はい」


三つ目の返事だけ、

少し遅れた。


アーシャはそれに気づいた。


気づいて、

気づかないふりをした。


「じゃあ、またあとで」


笑う。


ユウトも頷く。


アーシャが戻っていく。


背中は明るい。


でも、

時々こちらを振り返る。


そのたびに、

ユウトは立ったままになる。


見られている間は、

動き方を間違えられない気がした。


ガイルが言う。


「近いな」


短い。


「……アーシャさんが?」


「ああ」


ユウトは畑を見る。


「心配してくれてるんだと思います」


「そうだな」


ガイルは否定しない。


「心配は、近くなる」


鍬を持つ。


土を返す。


「近すぎると、足が死ぬ」


ユウトは返事をしなかった。


畑では、

昨日の沈む場所がまだ残っていた。


大きくはない。


ただ、

そこだけ少し暗い。


ガイルは近づかない。


ユウトも近づかない。


避ける。


避けるのは正しい。


正しいのに、

避けるたびにそこだけが目立つ。


「今日は何をしますか」


「端を見る」


「直さないんですか」


「見る」


ガイルは短く言う。


「直す前に見る」


その言葉は、

どこか昨日までと違っていた。


壊してから直すのではなく、

見る。


それだけ。


ユウトは少しだけ息を吐く。


鍬を持たず、

土を見る。


見るだけの時間は、

思っていたより疲れた。


昼。


宿に戻ると、

アーシャが入口で待っていた。


待っていた、

と分かる姿勢だった。


たまたまではない。


「おかえり」


「ただいま」


「怪我してない?」


「してません」


「手、見せて」


自然に言われて、

ユウトは手を出しかける。


途中で止まった。


アーシャも気づく。


空気が少しだけ止まる。


「……ごめん」


先に謝ったのはアーシャだった。


「違うの。確認したかっただけ」


「分かってます」


「分かってる、って言わせてるよね」


アーシャは笑おうとして、

失敗した。


ユウトは手を開く。


自分から。


「怪我してません」


アーシャはその手を見る。


触れない。


触れたいのを、

我慢しているのが分かった。


「……うん」


それだけ。


宿の中へ入る。


昼食は、

また少し多かった。


ユウトは何も言わずに食べた。


食べながら、

アーシャの指先を見る。


震えている。


小さく。


箸を持つ時ではなく、

何も持っていない時に。


「……アーシャさん」


「ん?」


「怖いんですか」


言ってから、

自分でも驚いた。


アーシャは、

すぐには笑わなかった。


笑うまでに、

少し時間がかかった。


「怖いよ」


軽く言った。


軽くしようとした声。


でも、

軽くならなかった。


「何がですか」


聞いた。


アーシャは鍋を見る。


湯気が細く上がっている。


「いろいろ」


それだけ。


それ以上は言わない。


でも、

その「いろいろ」の中に、

自分が入っていることは分かった。


ユウトは箸を置く。


「俺、そんなに危なそうですか」


アーシャの目が揺れる。


「危なそうとかじゃない」


「じゃあ」


「いなくなりそう」


声が小さい。


小さすぎて、

聞こえなかったことにできるくらい。


でも、

聞こえた。


アーシャはすぐに笑う。


「なんてね」


笑う。


今度は少しだけ上手く笑えた。


でも、

ユウトはもう聞いていた。


いなくなりそう。


その言葉だけが、

胸の奥に残る。


午後。


ユウトは鍛冶場へ向かった。


ドラムは外で、

木箱の紐を緩めていた。


昨日より、

少し緩い。


「緩めたんですか」


「ああ」


「壊れませんか」


「壊れたら直す」


短い。


その言葉が、

今日は少しだけ優しく聞こえた。


「アーシャさんが、怖いって言ってました」


言ってしまってから、

口を閉じる。


ドラムは手を止める。


「そうか」


「……みんな、怖いんですか」


ドラムは答えない。


紐を結ぶ。


緩く。


外せるように。


「怖くないやつは、近づきすぎる」


「近づくと?」


「壊す」


短い。


ドラムはユウトを見ない。


「離れすぎても、壊れる」


そう付け足した。


ユウトは何も言えなかった。


近すぎても、

離れすぎても、

壊れる。


ちょうどいい距離が、

どこにも見つからない。


夕方。


広場では、

村人たちが少しだけ集まっていた。


話し声はある。


けれど、

ユウトが近づくと一度止まる。


すぐ再開する。


止まったことを、

なかったことにするように。


ユウトは気づかないふりをした。


気づかないふりが、

少し上手くなっている。


上手くなっていることが、

嫌だった。


ルーンが広場の端にいる。


「今日は、よく歩いたね」


見ていたのか、

そう思う。


でも聞かない。


「少しだけです」


「少しだけが、増えていく」


ルーンは穏やかに言う。


その声に、

いつもの逃げ道のような柔らかさはなかった。


「増えると、だめですか」


ユウトが聞く。


ルーンは微笑む。


「だめとは言わない」


「じゃあ」


「良いとも言わない」


答えはない。


でも、

答えがないことに少し慣れてきた。


慣れたくはなかった。


夜。


宿。


アーシャは灯りを消す前に、

廊下を何度も確認していた。


窓。


扉。


階段。


ユウトの部屋の前。


足音で分かる。


近づいて、

止まる。


離れる。


また近づく。


ユウトは布団の中で目を開けていた。


眠くはある。


でも、

眠らない。


足音が部屋の前で止まる。


長い。


ノックはない。


声もない。


ただ、

そこにいる。


ユウトは起き上がろうとする。


でも、

動かない。


何を言えばいいのか分からない。


「……寝てる?」


小さな声。


アーシャだった。


ユウトは答えなかった。


答えれば、

何かが始まる気がした。


少しして、

アーシャの足音が離れる。


階段を降りる。


遠ざかる。


ユウトは目を閉じる。


胸の奥が、

少し痛い。


守られている。


たぶん。


でも、

その手が近すぎる。


近すぎる手から逃げたいのか、

離れてほしくないのか。


どちらも分からない。


耳の奥で、

声が遠く重なる。


「……前も」


「……違う」


「……守れなかった」


最後の言葉だけが、

少しだけ長く残った。


ユウトは目を開ける。


暗い。


部屋は静かだ。


外も静かだ。


それでも、

廊下に誰かの気配が残っている気がした。


近すぎる手。


届かない声。


その両方を感じながら、


少し遅れて眠れた。

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