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この村、全員ラスボス経験者でした。 〜もう二度と世界を救いたくない元最強たちのスローライフ〜  作者: にる


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誰かの手

朝。


目が覚めたとき、

手のひらに感覚が残っていた。


何かを握っていたような感覚。


硬くて、

重くて、

冷たいもの。


でも、

目を開けると何もない。


布団の上に、

自分の手があるだけだった。


指を開く。


閉じる。


痛みはない。


傷もない。


それなのに、

手の内側だけが少し重い。


ユウトはしばらく、

その手を見ていた。


見ているうちに、

重さは薄れていく。


薄れていくことに、

少しだけほっとする。


ほっとしたあとで、

また少しだけ嫌になる。


消えてほしいのか。

残ってほしいのか。


どちらも分からなかった。


起き上がる。


窓を開ける。


朝の空気が入る。


冷たい。


胸が広がる。


昨日より、

少しだけ深く吸えた気がした。


気がしただけ。


それでも、

少しだけ足が床に沈む。


外へ出る。


宿の階段を降りる。


床板が鳴る。


一回。


今日は、

二回目を待たなかった。


下では、

アーシャが皿を並べていた。


皿の数はいつも通り。


たぶん。


数えない。


「おはよう」


「おはようございます」


アーシャはユウトの手を見る。


ほんの一瞬。


本当に一瞬だけ。


それから笑う。


「今日は、手伝う?」


「いいんですか」


「お皿くらいなら」


軽い声。


でも、

少しだけ探るような目。


ユウトは頷いて、

皿を手に取る。


陶器の縁が、

指に当たる。


その瞬間、

手のひらに別の重さが戻った。


硬い柄。


冷たい感触。


滑らないように握る指。


ユウトは皿を落としかける。


「……っ」


アーシャがすぐに手を伸ばす。


皿は落ちない。


二人の手が、

皿の縁で少しだけ触れた。


アーシャの指が冷たい。


「大丈夫?」


「……はい」


嘘ではない。


皿は割れていない。


手も怪我していない。


大丈夫、という言葉は間違っていない。


それなのに、

言ったあとで胸が少し詰まる。


アーシャは皿を受け取り、

何も聞かなかった。


聞かないことに慣れている。


ユウトも、

聞かれないことに慣れ始めている。


食事は静かだった。


味噌汁の湯気が上がる。


湯気は細い。


まっすぐ上がって、

途中で少しだけ揺れる。


箸を持つ。


手の内側が、

まだ少しだけ重い。


箸ではない。


皿でもない。


何か別のものを、

身体が覚えている。


食事を終えるころには、

その重さはまた薄れていた。


畑へ向かう。


道は昨日より少し広い気がした。


広くなったのではない。


歩き方を、

身体が覚えたのだと思う。


そう思うと、

少しだけ嫌だった。


畑では、

ガイルが入口より少し奥にいた。


昨日より奥。


本当に少しだけ。


「今日は、そこまで」


ガイルが言う。


指した場所は、

昨日より二歩分だけ奥だった。


ユウトは畑に入る。


一歩。


土が柔らかい。


二歩。


足裏が沈む。


三歩目で、

身体が少しだけ止まりかける。


「膝」


ガイルの声。


「固い」


ユウトは息を吐く。


膝を抜く。


足裏が土を掴む。


土の重さは、

手の中の重さと違う。


こちらは、

今ここにある重さだった。


「今日は、水を運べ」


「はい」


桶を持つ。


木の持ち手。


掌に当たる。


その感触に、

また別のものが混ざる。


柄。


紐。


冷たい金属。


短い光。


ユウトは足を止める。


水が少し揺れる。


「どうした」


ガイルが聞く。


「……何か、握ってた気がして」


言ってから、

しまったと思った。


言葉にすると、

それは現実に近づく。


ガイルの目が少しだけ細くなる。


「桶だ」


短い。


「今はな」


今は。


その言葉だけが残った。


ガイルはそれ以上言わない。


ユウトも聞かない。


水を運ぶ。


一度目。


二度目。


三度目。


数えそうになって、

やめる。


やめると、

少しだけ息が楽になる。


楽になることを、

今日は責めなかった。


鍛冶場へ向かう。


入口の板は昨日と同じ。


中から音がする。


木を置く音。


鉄ではない。


でも、

熱の匂いが少しだけある。


「ドラムさん」


呼ぶ。


「何だ」


今日は返事が早い。


「……手が、変なんです」


中の音が止まる。


「痛むのか」


「痛いわけじゃないです」


「痺れか」


「それも、違います」


言葉を探す。


手を開く。


閉じる。


「何かを、握ってたみたいで」


沈黙。


火の音だけが小さく鳴る。


「……今日は、入るな」


ドラムが言う。


「昨日も言いました」


「今日もだ」


「関係あります?」


「ある」


短い。


でも今日は、

少しだけ声が揺れていた。


ユウトは板の隙間を見る。


中には入らない。


ただ、

指先を見つめる。


握る。


開く。


「触るな」


ドラムの声。


何に触るなと言ったのかは、

やはり分からなかった。


でも、

今日は少しだけ分かりそうで、

分かりたくなかった。


広場。


村人たちは、

昨日より少しだけずれていた。


歩く速さが合わない。


声をかける間がずれる。


井戸の順番が、

一度だけ途切れる。


それでも、

村は止まらない。


ずれたまま、

進んでいる。


ユウトは広場の端に立つ。


いつもの場所ではない。


昨日と同じ、

少しだけ違う場所。


空気は整わない。


整わないまま、

胸が少しざわつく。


でも、

そのざわつきに少し慣れ始めている。


慣れることは怖い。


けれど、

整いすぎることよりは、

少しだけ息がしやすかった。


ルーンが通りの向こうにいる。


今日は、

「穏やかだ」とは言わなかった。


それだけで、

かえって不安になる。


ユウトは声をかけようとする。


「村長」


ルーンが振り向く。


微笑む。


「どうしたんだい」


「……今日は、穏やかじゃないんですか」


ルーンの笑みが、

ほんの少し止まる。


「まだ、朝だよ」


答えになっていない。


でも、

いつもの答えでもなかった。


ユウトはそれ以上聞かなかった。


聞かないまま、

胸の中に置く。


午後。


川へ向かう。


飛び石の前で止まる。


昨日は渡れた。


今日は、

渡れるかどうか分からない。


一歩。


石の上に乗る。


水音が近い。


二歩。


手のひらが重くなる。


三歩目の前で、

視界の端が白く揺れた。


一瞬だけ、

水面が別のものに見えた。


水ではない。


光。


揺れる光。


誰かが叫んでいるような気がする。


言葉ではない。


でも、

自分の名前を呼ばれた気がした。


ユウトは足を止める。


水音が戻る。


ただの川。


ただの石。


ただの午後。


向こう岸まで、

あと二歩。


戻る方が近い。


進む方が近い。


どちらも同じくらいだった。


ユウトは息を吸う。


腹に落とす。


ガイルに教わった通りに。


そして、

進んだ。


四歩目。


五歩目。


渡りきる。


足が震えていた。


でも、

戻らなかった。


渡っただけ。


それだけ。


けれど、

手のひらの重さは、

少しだけ薄れていた。


夕方。


宿へ戻る。


アーシャが洗濯物を畳んでいる。


白い布。


畳む手つきが丁寧すぎる。


丁寧すぎて、

何かを隠しているように見える。


「おかえり」


「ただいま」


アーシャはユウトの足元を見る。


濡れていない。


泥もない。


それから、

少しだけ安心した顔をした。


「川、行った?」


「行きました」


「渡った?」


聞かれた。


ユウトは少し驚く。


「……はい」


アーシャは布を畳む手を止める。


「そっか」


それだけ。


怒らない。


止めない。


ただ、

布をもう一度畳み直す。


同じ布を、

同じ形に。


「……だめでしたか」


ユウトが聞く。


アーシャは首を振る。


「だめじゃないよ」


いつもの言葉。


でも今日は、

少しだけ遅かった。


「ただ、怖かっただけ」


その言葉は小さい。


小さすぎて、

聞こえなかったことにできるくらいだった。


ユウトは聞こえた。


聞こえたまま、

何も言えなかった。


夜。


部屋。


窓の外は暗い。


声は遠い。


昨日より、

少し遠い。


けれど、

手のひらの重さはまだ残っている。


ユウトは布団に入る前に、

自分の手を見る。


開く。


閉じる。


何も握っていない。


でも、

何かを握っていた気がする。


それが誰の手だったのか。


自分のものだったのか。


誰かの記憶だったのか。


分からない。


分からないまま、

手を布団の上に置く。


耳の奥で、

声が重なる。


「……前も」


「……違う」


「……まだ」


短い。


遠い。


今日は、

聞こえないふりはしなかった。


聞こうともしなかった。


ただ、

そこにあるものとして、

少しだけ置いた。


手のひらは重い。


呼吸は浅い。


眠気は来る。


ユウトは目を閉じる。


何かを握っていた感覚が、

消えないまま残っている。


それでも、


眠れた。

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