少しだけ遅れる
朝。
目が覚めたとき、
起きるまでに少しだけ時間がかかった。
眠いわけではない。
身体が、
動くまで待っている感じがする。
起き上がる。
窓を開ける。
外の空気は同じ。
変わらない。
それで安心する。
安心したことに、
少しだけ引っかかった。
変わらないことを、
こんなに確かめている。
そのことに気づいて、
すぐに考えるのをやめた。
外へ出る。
井戸へ向かう。
いつもの道。
足が自然に止まる場所で、
一瞬だけ遅れる。
一拍分。
その分だけ、
後ろに下がる。
流れには合っている。
誰も気にしない。
誰も気にしないことが、
少しだけ寂しい気がした。
寂しい、というほどではない。
ただ、
遅れた自分だけが、
そこに残ったみたいだった。
井戸。
桶が回ってくる。
受け取る。
水を汲む。
隣の人と、
少しだけ動きがずれる。
すぐに揃う。
揃ったことを、
確認しない。
確認しなくても、
合っている。
合ってしまう。
その方が楽だった。
楽だと思った瞬間、
胸の奥が少しだけ冷えた。
宿。
アーシャが言う。
「今日は、遅くてもいいよ」
「遅くても?」
「うん」
理由はない。
席に座る。
少しだけ、
いつもより遠い。
遠いのに、
会話は届く。
届く距離だけが、
残されているみたいだった。
食事はすぐ終わる。
箸を置くタイミングが、
一瞬だけ遅れる。
誰かの動きに、
合わせている気がする。
合わせようとしたわけではない。
でも、
合わせた方が、
場が乱れない。
そう思ってしまった。
畑。
ガイルが手前にいる。
「今日はここまで」
さらに手前。
鍬を持つ。
振るう。
終わる。
終わる前に、
終わっている感じがする。
身体が先に止まる。
「……もういいのか」
言葉に出す前に、
ガイルが言う。
「いい」
短い。
聞く必要がなくなる。
聞く必要がなくなることは、
楽なはずだった。
それなのに、
少しだけ物足りなかった。
何を聞きたかったのかは、
分からない。
鍛冶場。
入口の板が、
また一枚増えている。
通れる。
でも、
身体が少しだけ横を向く。
触れないようにする。
「今日は?」
聞く。
返事はない。
代わりに、
中で何かが動く音がする。
それで済む。
済んでしまう。
ドラムの声を聞かなくても、
今日の流れは変わらない。
それが少しだけ、
嫌だった。
広場。
人の動きが揃っている。
揃いすぎている。
歩く速さ。
立つ位置。
視線の向き。
一瞬だけ、
遅れる。
すぐに合う。
合った瞬間、
空気が整う。
整ったことが分かる。
分かってしまうことが、
少しだけ嫌だった。
午後。
川へ向かう。
飛び石の手前。
足が止まる。
遠回りへ向かう。
途中で、
足が一度だけ止まる。
何かを待っている感じがする。
何も来ない。
それでも、
少しだけ待つ。
待ったあと、
歩く。
待つ理由も、
歩く理由も、
どちらも分からない。
分からないまま、
身体だけが先に決めていく。
森の方を見る。
風が止まる。
その中で、
声がした気がした。
言葉ではない。
意味もない。
ただ、
何かが揺れた。
立ち止まる。
すぐに消える。
考えない。
考えない方が、
楽だと身体が知っている。
でも今日は、
楽な方へ戻る自分が、
少しだけ嫌だった。
夕方。
宿に戻る。
入口の布が増えている。
通る幅は同じ。
その幅に、
身体が自然に収まる。
アーシャが言う。
「今日は、そのままでいいよ」
「そのまま?」
「うん」
説明はない。
説明されないことに、
慣れている。
慣れている自分に、
少しだけ気づく。
夜。
部屋。
窓の外。
暗い。
目を閉じる前に、
さっきの違和感を思い出す。
思い出しかけて、
やめる。
やめた方が楽だと分かる。
胸の上下が、
ゆっくりになる。
少しだけ浅い。
でも、
乱れない。
耳の奥で、
何かが重なった気がした。
聞き取れない。
意味もない。
そのまま、
消える。
呼吸が整う。
身体が落ち着く。
一日が終わる。
少しだけ、
遅れていた気がした。
でも、
誰も困らなかった。
困らなかったことが、
少しだけ残った。
それでも、
そのまま、眠れた。




