第8話 七つの属性と、女神さまへのお願い
自己紹介で完全に燃え尽きたあと、初めての授業が始まった。
聖典の授業である。
要するに、この世界の神話と、教会の教えを学ぶ時間らしい。前の世界でいうなら、古典と道徳と歴史をまとめて煮込んだような授業だ。
父さんが司祭なので、神話の大筋は小さい頃から何度も聞かされている。ただ、聖典に沿って細かな部分まで学ぶのは、これが初めてだった。
担当は、年配の司祭さま。その穏やかな声で語られる内容を、私なりにざっくりまとめるとこうなる。ちなみに、ここから先は司祭さまのありがたい長話である。
ゲームなら、こういうところは飛ばせる。私はだいたい飛ばしていた。でもこれは授業なので、残念ながら私にスキップ機能はない。
はじめ、世界にはまだ形がなかったという。空も、大地も、海も、命もない。ただ、どこまでも静かな混沌だけが広がっていた。そこへ、創造を司る暁の女神クロノアが、最初の灯をともした。灯は光となり、光は世界に輪郭を与えた。光を浴びたものは、やがて草木となり、獣となり、鳥となり、魚となり、人となったらしい。光に照らされた人々の世界は、暁界と呼ばれるようになった。そして、光が生まれた時、同時に影も生まれた。その影の奥で目覚めたもの。それが、宵の神ノクティア。クロノアが始まりを司る神なら、ノクティアは終わりと静寂を司る神なのだという。暁と宵。光と影。始まりと終わり。二柱は本来、世界を巡らせるための対だった。やがて影の奥には、宵界と呼ばれるもう一つの世界が形づくられ、そこに魔族と呼ばれる命が生まれた。けれど、人々が光を尊び、影を恐れるようになるにつれて、二つの世界と二柱の神の均衡は少しずつ崩れていった。そしてノクティアもまた、巡りの果てに訪れる終わりではなく、すべてを永遠の静寂へ沈めることを望むようになった。宵の神ノクティアは影神として魔族に崇められ、太古の昔、魔族の中から破壊を司る魔王が現れた。魔王は宵界と暁界をつなぐ《ゲート》と呼ばれる門を越えて、暁界へ攻め入った。魔族は宵界では肉体を持つ。しかし、暁界では本来の姿を保つことができず、人や獣の心と身体に入り込むことでしか留まれないという。こうして、暁界は混沌と化した。だが、それを迎え撃ったのが、光に導かれた人々の中から現れた“創生の王”と呼ばれる聖王だった。それ以来、聖王の子孫と魔王の眷属による戦いは、幾度となく繰り返されているという。
うん。
初回授業で出す情報量じゃないと思う。
ちなみに、この国では神の名の一部を子どもに授けることも珍しくないらしく、私の名前もクロノアにあやかったものだと父さんから聞いている。
だからといって、今のところ女神さまっぽい恩恵は何もない。
名前負けである。
この世界では大事な内容だろう。大事な内容なんだけど、静かな朝。穏やかな声。あたたかい日差し。授業初日の緊張が少し抜けたあとの、長い話。
寝る条件、そろいすぎでは?
いや、寝てはいない。寝てはいないんだけど、意識は何回か遠くへ行きかけた。たぶん三回くらい、魂だけ先に昼休みへ向かっていた。
教壇の上では、司祭さまが神話と教義について語り続けている。声がやさしい。やさしすぎる。
もはや睡眠魔法である。
そんな中、司祭さまがふと、少しだけ声を低くした。
「神の理に属さぬ力、由来の分からぬ力を、軽々しく扱ってはなりません。その力は、本人に悪意がなくとも、やがて周囲を巻き込みます。もし見知らぬ力に触れたなら、隠さず、必ず司祭か家の者に相談するように」
私は思わず、背筋を伸ばした。
……え。
それ、私に刺さるやつ?
限界具現。
前世の道具を、この世界に出せる力。
私の中では一応、前世の知識をもとにした具現化能力ということで説明はついている。でも、この世界の人に「前世の知識で道具を出せます」と言って、納得してもらえるかはかなり怪しい。
というか、教会から見たら完全に“由来の分からぬ力”では?
急に眠気が吹き飛んだ。
こういうところだけ、授業ってちゃんと刺してくる。
周りを見れば、みんな妙に真面目だ。背筋を伸ばして聞いている子。静かにメモを取っている子。目を閉じているけれど、ぎりぎり祈っているように見える子。
……なるほど、その手があったか。
私はそっと両手を組み、祈るように目を伏せた。これなら、周りからは敬虔な令嬢に見えるはず。
完璧。
そう思った瞬間、眠気が三倍になった。
だめだこれ。祈りじゃない。入眠儀式だ。
私はこっそり太ももをつねった。
前の席のミーナなんて、わりと元気に聞いている。えらい。その集中力、ちょっと分けてほしい。
一方で、斜め前のアルガスは、話が重くなるたびに露骨に不機嫌になっていた。わかる。でもそれ、司祭さまもびびるやつだぞ。
リリスは当然のように微動だにしない。あの子たぶん、授業中に一回も姿勢を崩さないタイプだ。
なんなの。育ちの完成形なの?
そんな感じで、なんとか聖典の授業は終わった。
よく寝なかったな、私。ほんと誰か褒めて。
……ていうか、これテストとかあるの? あったらやばいんだけど。
自分を褒めたいような、今後の試験に怯えたいような、微妙な気分のまま次の授業に入る。
次は、魔法属性の座学だった。
きた。
さっきよりは断然興味ある。
使えないけど。
四つの基本属性の名前や、大まかな特徴なら魔法入門書で読んだことがある。
四年間も魔法を出そうとして、入門書を何度も読み返してきたのだ。さすがに何も知らないわけではない。
ただし、本気で調べたのは紅蓮だけ。
なぜ紅蓮だけかって?
母さんが紅蓮魔法を得意としていて、イザベラからも「クロノ様も、きっと紅蓮の才をお持ちでしょう」と言われていたからだ。
自分も紅蓮魔法を使える。
そう信じていた時期が、私にもありました。
他の属性については、名前と特徴をざっくり覚えている程度である。
ディディエ司祭が黒板の前に立ち、白いチョークを持った。
「皆さんご存じの通り、魔法には基本属性が四種類あります」
黒板に、さらさらと文字が並ぶ。
紅蓮。
蒼氷。
翠嵐。
剛岩。
うわ、字面がもう強い。名前がかっこいい。中二心にやさしい。
「火は紅蓮。水は蒼氷。風は翠嵐。土は剛岩。それぞれ得意とする分野が異なり、相性や運用法も変わります。順番に覚えていきましょう」
こういうの好きなんだよなあ。
たとえ自分が使えなくても、設定を知るのは楽しい。オタクってそういう生き物である。
ディディエ司祭は、それぞれの属性の得意分野と苦手分野について説明していった。
紅蓮は、攻撃と突破に優れるが、細かな制御や長期戦は苦手。
蒼氷は、制御と拘束に優れるが、瞬間的な火力や突破力はやや弱い。
翠嵐は、速度と補助に優れるが、重い防御や一撃の決定力には欠ける。
剛岩は、防御と持久に優れるが、機動力や素早い展開は苦手。
私なりにざっくり訳すと、紅蓮はアタッカー。蒼氷は敵を止めるデバッファー。翠嵐は味方を助けるバッファー。剛岩はタンク。
うんうん。役割分担がわかりやすい。ゲーム脳に優しい分類、助かる。
ただし、得意不得意はあくまで傾向らしい。同じ紅蓮でも、防御寄りの魔法を得意とする人はいる。逆に、翠嵐でも風の刃を飛ばして、普通にアタッカーみたいな戦い方をする人もいるそうだ。
なるほど。テンプレ職業だけじゃなく、ビルド差もあるわけね。
それはそれで、めちゃくちゃかっこいい。
私が内心で勝手にテンションを上げていると、ディディエ司祭がくるっと振り返った。
「さて、この世界には、あと三つの特別な属性も存在します。分かる人はいますか?」
その瞬間、前の方からびしっと手が上がった。当然のようにリリスである。
「雷鳴、聖光、暗影ですわ!」
声がよく通る。自信もある。
答え終えると、リリスはわざわざこちらを振り返り、ちょっと得意げな顔を見せてきた。
……なんで私を見るの。
ディディエ司祭は満足そうにうなずいた。
「その通りです。この三つは、四つの基本属性とは少し異なる性質を持っています」
そう前置きして、黒板へ三つの属性を書き加える。
「雷鳴は、勇者の証とされる力。聖光は、女神クロノアの祝福を受けた者に与えられる力。そして暗影は、影神ノクティアに通じるとされる力です」
ディディエ司祭は、最後に書いた文字をチョークで軽く叩いた。
「暗影には、影を操る術や、人の心へ干渉する術などがあります。また、影を門として魔物を呼び出す召喚術も、基本的には暗影に分類されます」
召喚魔法。
影の中から、魔物を呼び出す。
いかにも闇属性という感じで、響きだけならめちゃくちゃかっこいい。
「ただし、暗影は古くから危険視されてきた属性でもあります。使用者自身が影響を受ける術も多いため、教会では特に慎重な扱いを求めています」
なるほど。だから危険な属性扱いなのか。
……でも、召喚ねえ。
私も物を出してはいるけど、影から魔物を呼んでるわけじゃないし、さすがに別物だよね。
うん。
全然違う。
たぶん。
雷鳴。勇者の証。
聖光。女神クロノアの祝福。
そして暗影。影神ノクティアに通じる、危険な力。
どう考えても、物語の重要キャラ枠である。
いいなあ……!
私も転生するなら、そっちがよかった。
いや、転生はしたんだけど。した結果がこれなんだけど。
脳内で勝手に映像が流れ始める。
雷鳴属性を持つ私。天からバチコーンと雷が落ち、強敵を一撃で沈める。
「なんという雷の力……!」
「これぞ選ばれし者……!」
続いて聖光まで覚醒。傷ついた仲間に手をかざせば、光がふわっと広がって一発全快。ついでに悪しきものまで浄化。
うわー、いいなー。強いし、目立つし、なによりちゃんと魔法っぽい。
……私の今の現実、ライターと水風船なんだが?
暗影なら、今度は闇落ちルートだ。
足元の影がぐにゃりと歪み、そこから巨大な魔物がぬるっと姿を現す。その横で、目元に影を落として意味深に笑う私。
「この力……使うしかないのね」
とか言いながら、魔物を従えて敵を翻弄する。
いや、それはそれでちょっと楽しそうだな?
この世界だと完全に警戒される側っぽいけど。
……妄想だけなら誰にも負けないんだけど。
現実は、魔法ゼロ。
唯一の取り柄は、使いづらい限界具現だけ。
どうしてこうなった。
せめて女神さま、今からでも魔法ください。後付け覚醒とかない? 課金したいレベルでお願いなんだけど……!
私は無意識に、机の上で手を組んでいた。かなり真剣に祈っていたと思う。もちろん、手のひらから火も光も出てこない。
女神さま、聞こえてます?
すると前の席から、くすっと笑い声がした。
「クロノちゃん、魔法の授業なのにお祈りしてるの? ほんと面白いね!」
ミーナだった。
「えっ」
私は反射で手をほどいた。しまった。つい内心で女神召喚コールしていた。
「ち、違う違う! ちょっと考えごとしてただけ!」
「ふふ、そっか」
ミーナは笑ったまま前を向いた。
助かった。深追いしないタイプだ。こういうところ、本当に陽キャとして優秀。
危うく“授業中に神頼みする変な子”として、新たな設定が追加されるところだった。
そんな私をよそに、ディディエ司祭は授業を続ける。
「この中では、聖光は比較的目にする機会のある属性ですね。魔法を使える者の、およそ三十人に一人ほどが適性を持つと言われています」
へえ。思ってたよりいる。
もっとこう、“百年に一人の選ばれし聖女!”みたいな属性かと思ってた。
「それから、属性は必ず一人につき一つとは限りません。数は多くありませんが、二つの属性に適性を持つ者もいます」
二属性持ち。
出た、複属性。
そういうの、めちゃくちゃ強キャラ感ある。前世のゲームだったら、絶対レア枠だ。
私なんて七属性どころかゼロ属性なんだけど。
格差がひどい。
ディディエ司祭は教室を見回し、あるところで視線を止めた。
「ちょうど、このクラスにも聖光の適性を持つ方が一人いますね。シャーロットさん」
「ひゃ、はいっ!?」
突然名前を呼ばれ、シャーロットがびくっと肩を跳ねさせた。一斉に教室中の視線が集まり、どこからともなく小さなどよめきが起こった。
昨日の検定では、自分のことで頭がいっぱいで、リリス以外の結果まで見る余裕はなかった。だから、シャーロットが聖光持ちだなんて、今初めて知った。
さっきの自己紹介では、声が小さすぎてアルガスに怒鳴られていた子である。そのシャーロットが、このクラスで唯一の聖光持ち。
本人はというと、聖光よりも注目を集めたことの方が大事件らしい。顔を真っ赤にして、両手を胸の前でぎゅっと握っている。
「え、えっと……その……少しだけ、使えます……」
声ちっさ。
でも、すごいじゃん。人は見かけによらない。
「立派な素質ですよ。焦る必要はありません。これから少しずつ学んでいきましょう」
「は、はい……!」
ディディエ司祭に微笑まれ、シャーロットはぺこぺこと何度も頭を下げてから座った。その耳まで真っ赤になっている。
なんかちょっとかわいいな。
その時、ふと昨日聞いた言葉が頭をよぎった。
灯火の聖女。
聖女って、もしかして聖光と何か関係があるのかな。母さんは紅蓮魔法が得意だと聞いている。でも、聖光そのものは魔法使い三十人に一人くらい。珍しくはあるけど、それだけで“聖女”なんて呼ばれるものだろうか。
……じゃあ母さん、いったい何したの?
本人は教えてくれなかったし、気にはなる。
その後の授業でも、みんなの反応はそれぞれだった。
アルガスは、「雷鳴は勇者の証とされる力」という説明のあたりで、あからさまに不機嫌になっていた。そういう“特別枠”が嫌いなのだろう。わかりやすい。
エルヴィンは、淡々と何かを書いていた。
え、なに書いてるの。属性別の将来年収予想とかじゃないよね?
シャーロットは、さっきまでの注目から逃げるように小さくなっていた。
聖光は使えるのに、人前に出るのは苦手。
うん。ちょっと親近感。
同じ授業を受けているのに、反応がみんな違う。そういうところは、少し面白かった。
⸻
授業のあとは、校舎案内だった。
魔導館、訓練場、礼拝堂。
図書室、中庭、グラウンド。
それから、立ち入り禁止の棟。
立ち入り禁止って言われると気になるよね。フラグの香りしかしないんだけど。
ディディエ司祭は「勝手に入らないように」と何度も念押ししていた。
うん。
絶対あとで誰か入るやつだこれ。
魔導館は、思っていたより広かった。壁や床には青い石が使われていて、いかにも魔法学校の実習室という雰囲気がある。
うわ、これはテンション上がる。
ただし、それは魔法が使える人間の話である。
ここで明日、実習をやるらしい。
明日。
魔法実習。
うわー……いよいよ来たか。
座学はいい。まだいい。聞くだけならなんとかなる。
でも実習は駄目だ。
隠しきれる自信がない。ていうか、そもそも隠す前提なのがおかしいんだけど。
案内の途中、ミーナはずっと楽しそうだった。
「あっち何かな?」
「中庭きれー!」
いちいち反応が明るい。えらい。学園生活を正しく楽しんでる。
でも、私の心はもう、半分どころかほとんど明日に持っていかれていた。
明日どうしよう。
魔法実習。
この四文字が、頭の中をぐるぐる回っている。
ちなみに、昨夜の作戦会議は、途中からマークとゲームで盛り上がってしまい、そのまま終了した。
つまり、まともな対策はまだ何もない。
どうやら明日の実習では、魔法の源になる魔力を感じ取り、それを動かす練習をするらしい。
みんなは「なるほど、基礎ですね」みたいな雰囲気だった。
いや待って。
まず私の魔力、どこ?
チュートリアル開始前に、必要アイテム未所持なんだけど。
今日も帰ったら、マークにチート隠蔽会議へ付き合ってもらうしかない。
女神クロノアは、この世界に最初の灯をともしたらしい。それなら、ほんの少しくらい私にも分けてくれていいと思う。
でも今の私にあるのは、使いづらい限界具現と、明日の魔法実習という名の公開処刑だけだった。




