初登院と自己紹介、オチ狙いは計画的に
⸻ 聖堂院リュミエール・登院初日
新しい朝がきた。希望の朝だ。
私はかなり早めに家を出た。
いや、正確には“かなり早めに出された”が近い。
母さんが朝から妙にやる気満々で、髪よし、襟よし、姿勢よし、返事よし、みたいな感じで最終チェックをしてきたせいで、結果的に予定よりだいぶ早くなったのだ。
でも文句は言えない。
初日から遅刻だけは絶対イヤだ。あの“教室の扉を開けた瞬間に全員こっちを見るやつ”を想像しただけで、胃がきゅっとなる。
転生して貴族令嬢になっても、こういうところは前世のコミュ障スペックをしっかり引き継いでいるらしい。ほんと、いらない継承である。
聖堂院リュミエールの校舎は、朝の光を受けてやたら神々しかった。白い石造りの廊下に、高い天井。足音がやたら響く。歩いているだけで「今からちゃんとした世界に入ります」感が強い。
雰囲気が立派すぎる。
私みたいな中身オタクが紛れ込んでいい場所なのか、ここ。
しかも、登院してくる子たちがまた、妙にちゃんとしていた。ぴしっと制服を着こなしている子。使用人っぽい人に見送られている子。いかにも名家の子です、という空気で歩いている子。朝からもう“貴族の子どもたちの社交界ミニ版”みたいな雰囲気である。
つよい。全体的につよい。
私だけキャラメイク失敗してない?
いや、外見だけなら、たぶん大丈夫なはずだ。母さんに鍛えられたおかげで、髪も制服も姿勢も、見た目だけはちゃんと令嬢っぽく整っている。
そんなことを思いながら教室に入ると、教壇横の掲示板に席順表が貼り出されていた。
私は自分の名前を探す。
あった。
しかも、窓際の一番後ろ。
うわ、王道の“主人公席”じゃん……!
一瞬、ちょっとテンションが上がった。いやだって、窓際後ろって、なんかいいじゃん。漫画でもアニメでも、だいたい“何かが起きる席”である。前世ではこういう席に座った記憶なんてほとんどないし、ちょっとだけ特別感がある。
現実でもあるんだな、こういうの。
席に鞄を置いて、ついでに教室を軽く見回した。教室は思っていたより広い。窓から朝の光が入ってきていて、白っぽい机がやたらきれいに見える。まだ全員そろっていないからか、空気もそこまで騒がしくない。
よし。今のうちに確認しておこう。
私は席順表にもう一度近づき、リリスの名前を探した。
あった。前の方だ。
よし、距離ある!
助かった。昨日のあの“おーほっほっほ系ライバル宣言”の余韻がまだ残っているので、初日から隣の席とかだったらどうしようかと思っていたのだ。さすがに朝から、
「ごきげんよう、ライバル」
とか言われたら、心が耐えられない。そのまま謎の小動物でも繰り出してきそうな勢いである。
今日だけは静かに過ごせそう。ありがてぇ。
そう思って、自分の席に座った瞬間だった。
くるっ、と前の席の子が振り返った。
明るい緑色の髪。にこっとした目。笑顔がもう、初手から人に話しかける前提でできている。
「クロノちゃん! 昨日の試験、めっちゃすごかったね! 私ミーナっていうの! よろしくねっ!」
陽キャの波動……!
まぶしい。朝日に照らされているせいもあるけど、たぶんそれだけじゃない。この子、絶対クラスの中心にいるタイプだ。話しかけることに一切ためらいがない。
でも、正直ちょっと助かった。自分から話しかけるのは難易度が高すぎる。向こうから来てくれるのはありがたい。
ありがたいんだけど――声がでかい。
でかいって。目立つって。
「あ、うん。ミーナちゃん、よろしく。あれはたまたま運が良かっただけだし……期待しないでね」
なんとか笑って返す。
するとミーナちゃんは、きらきらした顔のまま身を乗り出してきた。
「えー、でも本当に憧れる! わたし魔法苦手で、運動しかできないし……クロノちゃんすごいよ!」
陽の者の“憧れる!”、破壊力高すぎん?
ていうか、運動できるならそれはそれで十分強い。前世の経験則で言うと、リアルでモテるのはだいたいそういう子だ。
「あ、いや、ほんと大したことないって」
「そんなことないよー! 水晶割るとか、伝説じゃん!」
やめて。
そのワードを朝から出さないで。まだメンタルの傷、ふさがってないんだけど。
私は曖昧に笑いながら、なんとかやり過ごそうとした。その時、前の方から、びしびしと刺さるような視線を感じた。
見なくてもわかる。
あれはリリスだ。
見ない。私は見ない。目を合わせたら何かが始まる。
私はそっと視線を机に落とした。私は透明人間。空気。壁。教室の一部。でも、そういう時に限って意識してしまうんだよな。人の視線ってなんでこんなにわかるんだろう。
こわい。
そんな私の現実逃避を断ち切るように、教壇側の扉が開いた。
入ってきたのは、この聖堂院でいう先生ポジ――つまり、司祭だ。
私は反射で背筋を伸ばす。
前に立ったのは、わりと普通の司祭だった。年齢はよくわからない。若くはないけれど、すごく年配という感じでもない。とにかく見た目は普通。
「えー、皆さんおはようございます。わたくし、このクラスを担当します――」
そこで司祭は、やたら流れるような長い名前を名乗り始めた。
「ディディエ・ド・ベルナール=ヴァルトール=ランティエ=シャルル・ド――」
特徴あった。名前が長い。絶対一回で覚えられないやつ。
司祭は一息ついてから、ふっと笑った。
「……まあ、長いので“ディディエ”でいいです」
自分の長い名前をさらっと笑いに変えられるタイプらしい。こういう人、嫌いじゃない。
教室に少しだけ笑いが広がった。よかった。私だけじゃなかった。みんなもちょっと思ったんだな。
ディディエ司祭はそのまま、聖堂院の授業方針や生活の決まりについて話し始めた。朝の祈り。授業の流れ。礼拝堂の使い方。上級生への礼儀。
それから、この聖堂院には法国だけでなく、帝国や王国の貴族の留学生も集まること。だからこそ、国ごとの文化や礼儀の違いには特に気をつけるように、という話だった。
大事なのはわかる。
わかるけど、情報量が多い。
前世の学校の始業式でもこういう説明はあったけど、だいたい後でまた聞く羽目になるやつだ。
隣の方を見ると、ミーナちゃんは元気に聞いていた。すごい。偉い。前の方のリリスなんか、もう“授業参観の模範解答”みたいな姿勢で座っている。背筋ぴーん。微動だにしない。
強い。やっぱ強い。
私はというと、途中から「ここ試験に出ますか?」みたいな気持ちになりながら必死に聞いていた。
そして、ひと通り説明が終わったところで、ディディエ司祭が手をぱんっと鳴らした。
「――というわけで、学校の説明はこれくらいにして」
嫌な予感。
「それでは、一人ずつ自己紹介をしてもらいましょう」
来たーーーー!!
ついに来た。
学園もの定番イベント、自己紹介タイムである。
友達をいっぱい作りたい。それは本音だ。でも同時に、昨日の私はちょっと目立ちすぎた。ここでさらに変な印象を積み増すのは危険な気がする。
どうする? 明るく行く? いや無理。無理寄りの無理。でも暗すぎても感じ悪いよね?
しかも、自己紹介は前の席から順番らしい。私は一番後ろ。つまり、トリである。前の人たちの自己紹介を聞いているあいだ、ずっと自分の番を待つことになる。
地味にこれが一番つらい。
プレッシャーが熟成されていくタイプのやつだ。
私は小さく拳を握った。噛みませんように。変なことを言いませんように。滑りませんように。あと、できればリリスに目をつけられませんように。
転生前のコミュ障スペック、こういう時だけ妙に元気になるのやめてくれ。
⸻
自己紹介、絶対成功させてやる。
そう思っていたのだが。
こういう時に限って、妙に気になる子たちが次々と出てきて、こっちの集中はどんどん削られていく。
クラスガチャ、だいぶ濃いぞこれ。
まず立ち上がったのは、小柄でおとなしそうな女の子だった。肩くらいでそろえられた髪。制服はちゃんとしているのに、本人だけが落ち着いていない。立っているだけで「すみません今ここにいて大丈夫ですか」みたいな空気が出ている。
……しゃべり出さない。
あ、これ完全に緊張で詰まってるやつだ。
ディディエ司祭がやさしく促した。
「シャーロットさん、どうぞ」
「え、えっと……シャーロット・ドロワっていいます……司祭の家で……本が好きです……」
声ちっさ。
でもまあ、気持ちはわかる。初日だし。緊張するし。うんうん。
と思ったんだけど。
あれ? なんかこの子、妙にそわそわしてるな。よく見ると、ちらちらと後ろを気にしている。
次の瞬間、案の定、その後ろの席からぴしゃっと声が飛んだ。
「声がちっせぇんだよ、シャーロット! 聞こえねぇだろ!」
びくっ。シャーロットちゃんは肩を跳ねさせた。
「は、はいっ……!」
うわ、なになに?
ただのクラスメイトへの注意じゃない。距離が近い。遠慮がない。なんかもう、二人の間だけ昔から続いている空気がある。
そして、その声の主が次に立ち上がった。
ガタン、と椅子を鳴らして。
お行儀のいい自己紹介が続いていた空気が、そこで少し変わった。
髪は短め。目つきは鋭め。立っているだけで「気に入らないことがあったら、普通に噛みつくぞ」と言わんばかりの圧がある。
「アルガス・エミューだ」
短い。ぶっきらぼう。でも、妙に通る声だった。
「好きなことは、勝つこと。あと強くなること」
うわ、わかりやすっ。
リリスが“貴族の強キャラ”なら、こっちは“ケンカっ早いガキ大将”って感じだ。方向性は違うのに、どっちも面倒くさそうなのがすごい。
アルガスは腕を組んで、教室をぐるっと見回した。そして最後に、こっちを見た。
嫌な予感。
「昨日、水晶割ったやつ、お前だろ! なあ、クロノ・ソーカ!」
名指し!?
教室の空気が、ほんの少しざわつく。
アルガスはニヤッと笑った。
「面白ぇじゃねえか」
待って。感想、リリスと同じ“面白い”で来るの?この世界の強キャラ、私を見ると面白がる仕様なの?
「オレも紅蓮だ。お前、逃げんなよ」
うわあああ増えたああああ!!
ライバルが増えた。しかもタイプが違うやつ。このクラスの治安どうなってんの……?
そのあとも自己紹介は続いたけれど、正直あまり頭に入ってこなかった。
そして次に立ち上がったのが、言わずと知れた、このクラスのボスになりそうな人物。
リリス・フォン・ゼルファスである。
立ち上がっただけで空気が変わるの、ほんとずるくない? 同じ小等部一年のはずなのに、なんで私より五年くらい社会経験ありそうなの。
「帝国貴族、ゼルファス家のリリスですわ! 好きなことは勝つことですの! 目標はもちろん首席! わたくしに立ち塞がるものは全員まとめて倒しますから、覚悟なさいませ!」
最後に、ばちん、とこっちを見る。
視線が強い。強すぎる。もうガン飛ばしの域なんだが?
さらに、ふんっと鼻まで鳴らされた。
いや、マジでなんで私こんなに目の敵にされてるの?
昨日は昨日で、「友達いけるかも……?」って一瞬思ったんだけどな。あれ何だったの。幻? 私だけが見た優しい幻だったの?
入学初日にボスにロックオンされるイベント、いらないんだけど。
斜め前では、アルガスもふんと鼻を鳴らしていた。
お前も対抗心燃やすな。火属性らしくすぐ熱くなるな。
クラスの何人かは「おお……」みたいな顔をしている。たぶんリリスは、もうこの時点で強キャラとして認識されている。
そして極めつけが、こいつ。
立ち上がった瞬間に、少しだけ空気が変わった。
目が落ち着いている。
緊張しているわけでも、はしゃいでいるわけでもない。教室の空気も、周りの反応も、静かに見ているような目だった。
子ども特有のふわっとした感じがない。
なんだろう。
この子、ちょっと大人っぽい。
「エルヴィン・フォスティエです。好きなことはお金を数えること……将来は父の後を継いで、大商会の主になる予定です」
いや十歳で金勘定!?
なんでそんなに将来設計が完成してるの。すごい。すごいけど、ちょっと怖い。
好きなことが“お金を数えること”って、クセが強すぎる。将来有望すぎるだろ。しかも言い方がやけに落ち着いている。
このクラス、濃い。濃すぎる。味付けが全体的に濃厚すぎる。そんな中、ようやく安心できそうな声がした。
前の席のミーナが、元気よく立ち上がった。
「私、ミーナ・ブランシュ! 好きなことはかけっこ! 友達いっぱいほしいです! よろしくね!」
明るい。短い。わかりやすい。強い。
やっぱ陽キャだなミーナ。
声が元気。笑顔が自然。誰も傷つけず、自分の良さだけをちゃんと出して終わる。こういうのが“正解”なんだよな。たぶん。
オタクの私にはまぶしすぎる。
でも、こういう子がクラスに一人いると空気がやわらかくなるんだよね。たぶん実際、助かってる人はいっぱいいると思う。
……で。
問題はここからだ。
いよいよ、私の番。
やっぱトリか。
トリってことは、何かオチをつけなきゃいけない気がする。
……いや、そんな決まりはない。ないんだけど、前の人たちがちゃんとしていればしているほど、こっちのハードルが勝手に上がっていく。
ここは無難にいくべきだ。
普通に名前を言って、好きなものを言って、よろしくお願いしますで終わる。それが正解。
分かっている。
分かっているのに、こういう時に限って、内なる悪ノリ担当が元気になる。
昨日の時点で、私はもう十分目立っている。だったら逆に、少しくらい笑いを取りにいった方が場が和むんじゃないか。そんな最低の判断が、なぜかその時の私には正解に見えた。
私は立ち上がって、咳払いした。
「えー、皆さまおはようございます!」
よし。出だしはいい。普通。いける。まだ戻れる。
「わたくし、クロノ=ソーカ=シュナイダー=ド=ルシフェル=アルマ=ミストラル=ヴィヴィアン――」
教室が、一瞬フリーズした。
あっ。
言った瞬間にわかった。
これ、やっちゃったやつだ。
もちろん本名じゃない。完全にノリである。さっきディディエ司祭が長い名前をさらっと笑いに変えていたから、同じ感じでいけるんじゃないかと思ったのだ。
思ったんだけど。
あれは、ディディエ司祭だから成立したやつだった。つまり、雑に真似した。そして、雑に失敗した。
起きたのは、笑いじゃなくて沈黙だった。やばい、スベった。しかも初手で。教室の空気が死んだ。
でももう止まれない。止まったら余計寒い。
私は無理やり笑顔を作った。
「……えー、長いので“クロノ”でお願いします! 好きな食べ物は、母さんの作ったハンバーグです!」
そこで終わればよかった。
ほんとに。
なのに私は、追い打ちみたいに笑顔を作り、片目の横でピースを添えた。前世で見たアイドルの決めポーズのつもりだった。
「よろしくね! てへっ」
パチ……。
パチ……。
……無音。
うそでしょ。
そんなに? そんなにダメだった?
でも、教室のみんなの顔を見て、なんとなく察した。
昨日、水晶を砕いたソーカ家の娘。“灯火の聖女”サラサの娘。大人しくて、品のあるすごい令嬢。たぶん、みんなはそういう私を想像していたのだ。その幻想を、私は今、自分の手で粉々にした。
水晶の次に砕いたのは、第一印象だった。
ディディエ司祭が、やや遠い目で言った。
「えー、個性的な方が増えて嬉しいですね……」
司祭、そのフォローの仕方、一番優しいけど一番刺さるやつです。
ミーナだけ「ぷっ」と吹き出しそうになっていた。肩が揺れている。いや、わかるよ。わかるけど今はやめて。こっちは命懸けなんだ。
リリスは真顔でこちらを見たあと、すっぱり言い放った。
「司祭を馬鹿にしているのかしら。本当にひどいお人ですわ」
バッサリ。氷属性らしい切れ味である。痛い。普通に心が痛い。
アルガスはというと、眉をひそめたあと、ふっと鼻で笑った。
「……ハッ。くだらねぇ」
うわ、そっちも刺さる。雑に斬ってくるな。
一方で、シャーロットはなぜか目を輝かせていた。
「す、すごいです……! そんなに長いお名前、覚えられません……!」
いや、そこ感心するとこじゃないからね?
ウケるどころか空気が真空に。この教室、宇宙空間かな。
私は小さく縮こまりながら席に座った。もう二度とウケ狙いはしない。いや、ほんとに。少なくとも今日の私は、もうそういう無茶はしない。たぶん。たぶんね。
でもその直後、前の席のミーナがちらっと振り返って、こっそり親指を立てた。
え、なに。慰めてくれてる?それとも“攻めたね!”って意味?どっちにしても複雑である。
こうして、私の“伝説のスベり自己紹介”は、入学初日にして、早くもクラスの語り草になったのだった。
……これ、本当に友達作るパートで合ってる?




