第6話 灯火の聖女と打ち上げ花火
⸻聖堂院リュミエール・試験場の外
試験場を出た瞬間、私はもうだめだった。
いや、正確には泣いていない。泣いてはいないんだけど、心は完全に「やらかしました。地獄の入り口はこちらです」みたいな状態である。
だってそうでしょ。
目立たないようにする。平凡にやり過ごす。なんなら「ちょっと水が跳ねましたね」くらいで済ませる。そのはずだったのに……。
結果は、水晶粉砕。
紅蓮魔法の逸材認定。
令嬢ライバル爆誕。
どん。どん。どん。
……フルコンボだどん。
いや、ふざけている場合じゃない。でも、ふざけないと心が折れそうだった。目立たないはずが、連鎖事故で一番目立ってしまった。
私は試験場の外で待っていた母さんを見つけると、そのままとことこ近づいた。歩き方がもう、怒られる直前の犬だったと思う。
母さんはそんな私を見た瞬間、すっと眉をひそめた。
「クロノ? どうしたの」
「……ごめん、母さん」
私はもごもごと目をそらした。
「目立たないようにしようと思ったんだけど……試験でね、なんか……その……紅蓮魔法のすごい才能があるって、大騒ぎされちゃった……」
数秒、沈黙。怒られる。
「だから控えめにしなさいって言ったでしょう」と言われる。むしろ、それで済んだら優しい方だ。
そう身構えた次の瞬間、母さんの目がきらっと輝いた。え、なにその反応。ちょっと怖いんだけど。
「どういうこと?」
母さんは両手で私の肩をつかんだ。
「うわっ」
圧が強い。距離が近い。美人が至近距離で目を輝かせると、迫力がすごい。
「えっと……ごまかそうとはしたんだけど、水晶が熱くなって割れて……それで司教さんが、紅蓮魔法だって……」
「水晶が熱で割れたの?」
「……うん」
そこだけ切り取れば、嘘ではない。ものすごく大事な部分を省略しているだけで。
母さんはしばらく私を見つめたあと、ほっと息を吐いた。
「そう……」
あ、これ、完全に勘違いしてる。あれ、九割九分ライターなんだけど。
母さんはすぐに表情を引き締めた。
「怪我はないの?」
「うん。大丈夫」
「そう。水晶の件は、あとで私から聖堂院に確認しておくわ」
「……お願いします」
よかった。弁償だったらどうしようと思っていたけど、その辺は母さんに任せよう。いや、壊した本人が安心していいのかは分からないけど。
「ただ、ごまかそうとはしたのね?」
「はい……」
一瞬だけ、母さんの目が細くなった。
「試験をごまかそうとしたことは、褒められないわ」
「……はい」
そこはちゃんと怒るんだ。けれど、そのあと母さんは少しだけ肩の力を抜いた。
「……あなたが、普通ではない力を持っていることは分かっていたわ」
「……やっぱり、気づいてたんだ」
思わず、そんな声が出た。試験前の言い方で、なんとなく察してはいた。でも、こうしてはっきり言われると、やっぱり心臓に悪い。
「ええ。光る板、小さな四輪の馬車、透明なのに割れない瓶。あれだけ見て、気づかない親はいないでしょう?」
「そこはそうなんだけど!」
そりゃそうだ。むしろ、今までバレていないと思っていた私の方がどうかしていた。でも、母さんはそれ以上踏み込んでこなかった。
「ただ、あなたが隠したがっていることも分かっていたの。だから、お父さんと相談して、無理に聞き出すのはやめようって決めたわ」
「……聞かないでくれてたの?」
「ええ。あなたが自分から話したくなる時が来るなら、その時でいいと思ったの」
「母さん……」
ちょっとだけ、胸の奥があたたかくなった。ていうか、あれだ。父さんの「外で使わないようにね」ってやつ、完全に察した上での忠告だったんだな。
優しすぎない?
母さんはそこで一度言葉を切り、目元をほんの少しやわらげた。
「でもね、水晶がそれだけの熱を持ったのなら、少し安心したわ」
「安心?」
「ええ。あなたの力が特別すぎるからこそ、普通の子たちと同じようにやっていけなかったらどうしようって……少し心配してたの」
うわ、だめだ。その顔はずるい。完全に誤解なんだけど、今さら訂正できる空気じゃない。私は変に泳ぎそうになる目をなんとかごまかして、できるだけ元気な声を出した。
「期待に応えられるかは分かんないけど……聖堂院生活、マジで頑張るわ!」
「ええ。それでいいのよ」
母さんが満足そうにうなずく。そこで私は、ずっと気になっていたことを口にした。
「てか母さん」
「なに?」
「“灯火の聖女”ってなに?」
ぴたり、と母さんの動きが止まった。
ん?これ、触れちゃいけないやつだった?
一瞬だけ空気が変わった気がした。でも母さんは、すぐにいつもの表情へ戻った。
「ああ」
そして、あっさり言った。
「もうやめたわ。お父さんと結婚した時にね」
「やめたの!?」
「そんなに驚くこと?」
「いや、聖女ってそんな“店じまい”みたいな感じでやめられるものなの!?」
「柄じゃないもの」
「柄じゃないで済むんだ……」
いや、済まないでしょ普通。聖女ってもっとこう、国宝とか、神殿所属の伝説ポジみたいなやつじゃないの? 転職みたいに言わないでほしい。
母さんは少し肩をすくめた。
「そのうち、もう少し大きくなったら話してあげるわ」
「……今は教えてくれないんだ」
「ええ。あなたにも、まだ話せないことがあるでしょう?」
心臓が、どきりと跳ねた。
限界具現。
前世の道具を、この世界に出せる力。それを本当に説明するなら、避けて通れないことがある。私が、この世界に生まれる前の記憶を持っていることだ。
父さんと母さんが優しいことは分かっている。私の変な力を知っても、問い詰めずに待っていてくれたことも分かった。
それでも、前世の記憶があるなんて言ったら、二人は私をどう見るんだろう。今まで通り、娘として見てくれるのか。それとも、知らない誰かが混ざった子みたいに見えてしまうのか。そう考えると、喉の奥がきゅっと縮んだ。
「……ある」
私は少し迷ってから、小さくうなずいた。
「でも、まだ……ちゃんと話せる気がしない」
母さんは怒らなかった。急かしもしなかった。ただ、静かに私を見ていた。
「そう」
やがて母さんは、小さくうなずいた。
「なら、今はそれでいいわ。でも、いつかは話しなさい。家族だからこそ、隠し続けてはいけないこともあるの」
「……うん」
母さんはそれ以上聞かなかった。代わりに、いつものように私の手を取った。
「帰りましょう、クロノ」
「うん」
その手を握り返して、私は母さんと一緒に歩き出した。
⸻
帰り道、頭から離れなかったのは“灯火の聖女”という言葉だった。
家では礼儀作法クエストを鬼難易度で開催してくる母さん。でも外では、その名前だけで人をざわつかせる。私は、母さんのことをどれくらい知っているんだろう。そんなことを考えながら屋敷へ戻り、自分の部屋に入った。
今日一日で、考えることが多すぎる。
私はベッドに倒れ込み、深く息を吐いた。
……もう無理。
いったん脳を休ませたい。
そう思った、数分後。
扉が勢いよく開いた。
「姉ちゃん! どうだった!?」
来た。我が家の空気清浄機ならぬ、空気破壊担当。弟のマークである。
「聞いてよもう、最悪だった……いや、最悪だけじゃなかったけど、とにかく大変だった……」
私はベッドの上で半分溶けたまま、今日あったことをマークに話した。
水晶を割って、紅蓮の天才扱いされて、おまけに縦ロール令嬢からライバル認定までされた。
そこまで聞いたマークは、炭酸のペットボトルを抱えたまま妙に真面目な顔でうなずいた。
「つまり、姉ちゃんがやらかして、天才扱いされて、敵が増えたってこと?」
「言い方!」
だいたい合ってるのが腹立つ。
……真面目に聞いているように見えたけど、実際には途中から炭酸を飲んでいた。しかも、この前出してあげた二リットルペットボトルを直飲みである。
コップ使えよ。
お前それ、一人でいく気か?
「でね、最後には“絶対に負けませんわ!”とか言われてさぁ……」
「ふーん」
「ふーんじゃないんだけど!? こっちは魔法の才能バケモンなお嬢様ライバルとか怖くてたまんないんだけど!?」
マークはごくごくと炭酸を飲み、ようやく一息ついた。それから珍しく、ちょっと真面目な顔になる。
「でもさ」
「ん?」
「オレも魔法使えるけど、その才能バケモンお嬢様より、絶対姉ちゃんの方がすごいよ」
「……え」
思わず固まった。
マークはポテチの欠片を指につけたまま、妙にまっすぐな目で言う。
「そのリリスってやつを、逆にギャフンと言わせてやればいいじゃん。姉ちゃんの限界具現なら、負けるわけない!」
うわ。
なにこれ。マーク、たまにはいいこと言うじゃん。普段ポテチとシュワシュワと小型四駆のことしか考えてないと思ってたのに。
ちょっと感動した。
でも、その感動は長く続かなかった。
「んでさ」
マークはにっこり笑った。
「ポテチ切れたんだけど、次はコンソメ味食べたい!」
なんやねんお前。一瞬で台無しである。私を励ましたかったんじゃなくて、普通に新しいポテチが欲しかっただけじゃん。
ちょっとイラッとした。
いや、かなりイラッとした。
でも、まあ。
励まされたのも事実ではある。
私はため息をつきながら、手のひらを上に向けた。意識を集中する。頭の中に、見慣れた黄色い袋を思い浮かべる。
コンソメ味。
あの、食べ始めると止まらない危険物。
ぽんっ、と小さな音がして、袋が現れた。
「うわあっ! コンソメだ!」
「はいはい、ありがたく思え」
「ありがとう姉ちゃん! これからも一緒に頑張ろう!」
「安いな、お前の忠誠心」
マークはさっそく袋を開け、むしゃむしゃ食べ始めた。その横で、炭酸をぐびり。完全に糖分と塩分の申し子である。
そんな姿を見ていたら、さっきまでの半べそ気分が、少しだけどうでもよくなってきた。いや、どうでもよくはない。ないけど、家に帰るとちょっと現実感が薄れるんだよな。
すると、コンソメ味でごきげんになったマークが、またしてもぴかーんと顔を上げた。
「あっ、そうだ!」
嫌な予感しかしない。
「紅蓮魔法っぽく見せるならさ、花火セットを出して、ロケット花火とか打ち上げ花火をバンバン使えばいいじゃん。“うわ、なにあれ!?”って空気になるし、超派手だし、絶対ウケるって!」
「……花火か」
私はちょっと考え込んだ。
それ、入学前にも一度出た案なんだよな。そして庭で試して、巡回騎士まで呼び寄せた結果、母さんに死ぬほど怒られた。
だから却下した。
目立たないために。
ただ、今あらためて考えると。
……普通にアリでは?
もう「目立たない作戦」は初日に死んだ。だったら逆に、それっぽく見せる方へ振り切るのも手かもしれない。
一回で花火セットを出してしまえば、中に入っているロケット花火や打ち上げ花火はそのまま使える。
隠密には向かない。向かないどころか、“目立ってください”と言っているようなものだ。
でも、評価を盛るにはちょうどいいかもしれない。
演出は正義。
派手さは正義。
魔法って、たぶんそういうところある。
私はじっとマークを見た。
「……マーク」
「なに?」
「お前、もしかして天才?」
「知ってる!」
「調子に乗るな」
でも、ちょっとだけ本気でそう思った。
こいつ、普段はポテチと炭酸と小型四駆で頭の八割が埋まっているくせに、たまに変な角度から正解を出してくるんだよな。
腹立つけど。
私はベッドにごろんと転がり、天井を見上げた。
聖堂院の初日で、もう心はかなり削られた。でも、思っていたより、やれることはまだあるのかもしれない。
魔法は使えない。
でも、見せ方なら工夫できる。
工夫とハッタリと、あとちょっとの運で、たぶんまだ戦える。
……いや、待て。
私はむくりと起き上がった。
「よく考えたら花火、昼間だと目立たなくね?」
マークが固まった。
「……あ」
私はベッドの上で拳を握った。
「さぁ、作戦会議続行! 考え直すわよ!」




