初登院〜自己紹介はコミュ障の試練〜
――聖堂院リュミエール・登院初日
朝。
私はかなり早めに家を出た。
いや、正確には“かなり早めに出された”が近い。
母さんが朝から妙にやる気満々で、髪よし、襟よし、姿勢よし、返事よし、みたいな感じで最終チェックをしてきたせいで、結果的に予定よりだいぶ早くなったのだ。
でも文句は言えない。
(初日から遅刻とかだけは絶対イヤだ……)
あの“教室の扉開けた瞬間に全員こっち見るやつ”を想像しただけで、胃がきゅっとなる。
転生して貴族令嬢になっても、こういうとこは前世のコミュ障スペックをしっかり引き継いでるの、ほんとやめてほしい。
聖堂院リュミエールの校舎は、朝の光を受けてやたら神々しかった。
白い石造りの廊下に、高い天井。
足音がやたら響く。
なんかもう、歩いてるだけで「今からちゃんとした世界に入ります」感が強い。
(雰囲気が立派すぎる……。
私みたいな中身オタクが紛れ込んでていい場所かここ?)
しかも、登校してくる子たちがまた、妙にちゃんとしている。
ぴしっと制服を着こなしてる子。
使用人っぽい人に見送られてる子。
いかにも名家の子ですって顔で歩いてる子。
朝からもう“貴族の子どもたちの社交界ミニ版”みたいな空気である。
(つよい。
全体的につよい。
私だけキャラメイク失敗してない?)
そんなことを思いながら教室に入ると、黒板の横に席順が貼り出されていた。
私は自分の名前を探す。
あった。
しかも、窓際の一番後ろ。
(うわ、王道の“主人公席”じゃん……!)
一瞬、ちょっとテンションが上がった。
いやだって。
窓際後ろって、なんかいいじゃん。
漫画でもアニメでも、だいたい“何かが起きる席”である。
前世ではこういう席に座ったことほぼなかった気がするし、なんかちょっとだけ特別感がある。
(現実でもあるんだな、こういうの……。
ちょっとテンション上がるかも)
席に鞄を置いて、ついでに教室を軽く見回した。
教室は思ってたより広い。
窓から朝の光が入ってきていて、白っぽい机がやたらきれいに見える。
まだ全員そろっていないからか、空気もそこまで騒がしくない。
……よし、今のうちに確認しておこう。
私は黒板の席順表にもう一度近づいて、リリスの名前を探した。
あった。
前の方だ。
(よし、距離ある!)
助かった。
いやほんとに助かった。
昨日のあの“おーほっほっほ系ライバル宣言”の余韻がまだ残ってるから、初日から隣の席とかだったらどうしようかと思ってたのだ。
さすがに朝から
「ごきげんよう、ライバル」
とか言われたら、心が耐えられない。
(今日だけは静かに過ごせそう……ありがてぇ)
そう思って、自分の席に座った瞬間だった。
くるっ、と前の席の子が振り返った。
距離、近っ。
明るい茶色っぽい髪。
にこっとした目。
笑顔がもう、初手から人に話しかける前提でできてる。
「クロノちゃん! 昨日の試験、めっちゃすごかったね! 私ミーナっていうの! よろしくねっ!」
(陽キャの波動……!)
まぶしい。
朝日に照らされてるせいもあるけど、たぶんそれだけじゃない。
この子、絶対クラスの中心にいるタイプだ。
話しかけられることに一切ためらいがない。
でも、正直ちょっと助かった。
自分から話しかけるのは難易度が高すぎる。
向こうから来てくれるのはありがたい。
ありがたいんだけど――
(声がでかい!
でかいって!
目立つって!)
「あ、うん。ミーナちゃんよろしく。あれはたまたま運が良かっただけだし……。期待しないでね」
なんとか笑って返す。
するとミーナちゃんは、きらきらした顔のまま身を乗り出してきた。
「えー、でも本当に憧れる! わたし魔法苦手で、運動しかできないし……クロノちゃんすごいよ!」
(陽の者の“憧れる!”、破壊力高すぎん?)
ていうか、運動できるならそれはそれで十分強い。
前世の経験則で言うと、リアルでモテるのはだいたいそういう子だ。
主人公補正ってやつ、漫画の中だけでいいのに、どうして現実ではこっちに飛んでくるの。
「あ、いや、ほんと大したことないって」
「そんなことないよー! 水晶割るとか、伝説じゃん!」
やめて。
そのワードを朝から出さないで。
まだメンタルの傷、ふさがってないんだけど。
私は曖昧に笑いながら、なんとかやり過ごそうとした。
その時。
前の方から、びしびしと刺さるような視線を感じた。
見なくてもわかる。
あれはリリスだ。
(見ない。
私は見ない。
目を合わせたらなにか始まる)
私はそっと視線を机に落とした。
(私は透明人間……空気……。
今は壁……。
教室の一部……。)
でも、そういう時に限って意識してしまうんだよな。
人の視線ってなんでこんなにわかるんだろう。
こわい。
そんな私の現実逃避を断ち切るように、がらがらっと教壇側の扉が開いた。
先生だ。
私は反射で背筋を伸ばす。
前に立ったのは、特に特徴のない、わりと普通の司教だった。
年齢は……よくわからない。
若くはないけど、すごく年配って感じでもない。
とにかく見た目は普通。
「えー、皆さんおはようございます。わたくし、このクラスを担当します――」
そこで先生は、やたら流れるような長い名前を名乗り始めた。
「ディディエ・ド・ベルナール=ヴァルトール=ランティエ=シャルル・ド――」
(特徴あった!
名前が長い!
絶対一回で覚えられないやつ!)
脳が最初の“ディディエ”を受け取った段階で、もう後ろは全部音の洪水だった。
これ覚えられる人いるの?
貴族の世界、名前まで情報量多すぎない?
先生は一息ついてから、ふっと笑った。
「……まぁ長いので、“ディディエ”でいいです」
(略し方に妙な親しみ……。
こういう人、嫌いじゃない)
教室に少しだけ笑いが広がる。
よかった。私だけじゃなかった。
みんなもちょっと思ったんだな。
ディディエ先生はそのまま、聖堂院の授業方針や生活の決まりについて話し始めた。
朝の祈り。
授業の流れ。
礼拝堂の使い方。
遅刻した場合の扱い。
昼食時の作法。
上級生への礼儀。
聖堂院の伝統。
各棟への立ち入り制限。
そして――
この聖堂院には、法国だけじゃなく帝国や王国の貴族の留学生も集まること。
だからこそ、国ごとの文化や礼儀の違いには特に気をつけるように、という話。
長い。
情報量が多い。
とにかく長い。
(もうちょい短くお願いしたい……)
内容は大事なんだろうけど、情報が多い。
半分くらい右から左に流れていく。
前世の学校の始業式とかでもそうだったけど、こういう“最初にまとめて説明するやつ”って、だいたい後でまた聞く羽目になるんだよな。
(これ、漫画だったら説明用のコマだな……。
いや、現実はスキップできないんだけど)
隣の方を見ると、ミーナちゃんは元気に聞いていた。
すごい。偉い。
前の方のリリスなんか、もう“授業参観の模範解答”みたいな姿勢で座ってる。
背筋ぴーん。微動だにしない。
強い。やっぱ強い。
私はというと、途中から「ここ試験に出ますか?」みたいな気持ちになりながら必死に聞いていた。
そして、ひと通り説明が終わったところで、ディディエ先生が手をぱんっと鳴らした。
「――というわけで、学校の説明はこれくらいにして」
嫌な予感。
「それでは、一人ずつ自己紹介をしてもらいましょう」
(来たーーーー!!)
ついに来た。
学園もの定番イベント。
自己紹介タイムである。
友達いっぱい作りたい。
それは本音だ。
でも同時に、昨日の私はちょっと目立ちすぎた。
ここでさらに変な印象を積み増すのは危険な気がする。
(どうする……?
明るく行く?
いや無理。
無理寄りの無理。
でも暗すぎても感じ悪いよね?)
しかも、席順の都合で私はかなり後ろだ。
つまり、ほぼ最後の方。
前の人たちの自己紹介を聞いているあいだ、ずっと自分の番を待つことになる。
地味にこれが一番つらい。
(プレッシャーが熟成されていくタイプのやつだ……)
私は小さく拳を握った。
噛みませんように。
変なこと言いませんように。
滑りませんように。
あと、できればリリスに目をつけられませんように。
(転生前のコミュ障スペック、こういう時だけ妙に元気になるのやめてくれ……!)
前の席から、最初の子が立ち上がる。
明るく名前を言う。
趣味を言う。
好きな魔法を言う。
拍手。
おお、そういう感じか。
いや、待って。
趣味とか言う流れなの?
聞いてない。
今の私の趣味、“変な物を出す力でどうにか生き延びること”なんだけど。
二人目。三人目。
名前、家柄、得意属性、ひとこと。
みんな思ったよりちゃんとしてる。
なんでそんな普通に喋れるの。
前世の私だったら、この時点で心拍数がすごいことになってる。
……いや、今もなってるか。
私はそっと深呼吸した。
たぶん、この先もずっとこうなんだろう。
うまくやれるか不安で、でもやるしかなくて、ひとつずつ誤魔化しながら前に進む。
とりあえず今は――
自己紹介を乗り切る。
まずはそこからだ。




