灯火の聖女と打ち上げ花火
⸻ 聖堂院リュミエール・試験場の外
試験場を出た瞬間、私はもうだめだった。
いや、正確には泣いていない。泣いてはいないんだけど、心は完全に「やらかしました。地獄の入り口はこちらです」みたいな状態である。
だってそうでしょ。
目立たないようにする。平凡にやり過ごす。なんなら「ちょっと水が跳ねましたね」くらいで済ませる。そのはずだったのに……。
結果は――水晶粉砕。紅蓮魔法の逸材認定。令嬢ライバル爆誕。
どん。どん。どん。
……フルコンボだどん。
いや、ふざけている場合じゃない。でも、ふざけないと心が折れそうだった。
目立たないはずが、連鎖事故で一番目立ってしまった。私は試験場の外で待っていた母さんを見つけると、そのままとことこ近づいた。歩き方がもう、怒られる直前の犬だったと思う。
母さんはそんな私を見た瞬間、すっと眉をひそめた。
「クロノ? どうしたの」
「……ごめん、母さん」
私はもごもごと目をそらした。
「目立たないようにしようと思ったんだけど……試験でね、なんか……その……紅蓮魔法のすごい才能があるって、大騒ぎされちゃった……」
数秒、沈黙。
怒られる。
絶対怒られる。「だから控えめにしなさいって言ったでしょう」と言われる。むしろそれで済んだら優しい方だ。
そう身構えた次の瞬間、母さんの目がきらっと輝いた。
え、なにその反応。
ちょっと怖いんだけど。
「本当に?」
「うわっ」
母さんは両手で私の肩をつかんだ。圧が強い。距離が近い。美人が至近距離で目を輝かせると、迫力がすごい。
「本当に紅蓮の反応が出たの? ただごまかしただけじゃなくて?」
「いや、えっと……ごまかしはしたんだけど……」
「したのね」
「はい……」
一瞬だけ、母さんの目が細くなった。
あ、ここは怒るんだ。そこはちゃんと怒るんだ。
でもそのあと、母さんはふっと息を吐いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「……あなたが、普通ではない力を持っていることは分かっていたわ」
「……やっぱり、気づいてたんだ」
思わず、そんな声が出た。試験前の言い方で、なんとなく察してはいた。でも、こうしてはっきり言われると、やっぱり心臓に悪い。
「ええ。光る板、小さな四輪の馬車、弾ける黒い飲み物。あれだけ見て、気づかない親はいないでしょう?」
「そこはそうなんだけど!」
そりゃそうだ。むしろ、今までバレていないと思っていた私の方がどうかしていた。
でも、母さんはそれ以上、踏み込んでこなかった。
「ただ、あなたが隠したがっていることも分かっていたの。だから、お父さんと相談して、無理に聞き出すのはやめようって決めたわ」
「……聞かないでくれてたの?」
「ええ。あなたが自分から話したくなる時が来るなら、その時でいいと思ったの」
「母さん……」
ちょっとだけ、胸の奥があたたかくなった。
ていうか、あれだ。父さんの“外で使わないようにね”ってやつ、完全に察した上での忠告だったんだな。
優しすぎない?
母さんはそこで一度言葉を切って、目元をやわらかくした。
「でもね……今回、本当に紅蓮魔法の反応も出たのなら、少し安心したわ」
「安心?」
「ええ。あなたの力が特別すぎるからこそ、普通の子たちと同じようにやっていけなかったらどうしようって……少し心配してたの」
そう言って、母さんは少しだけ目を潤ませた。
うわ、だめだ。
その表情はずるい。
私は内心、ものすごく複雑だった。いや、もちろん嬉しい。嬉しいんだけど、紅蓮魔法の才能とか、たぶんない。九割九分ライターなんだよな。
言えない。
今ここで、それは言えない。
母さんのあの安心した表情を見たあとで、「ごめん、あれほぼ変な力で出した道具です」なんて、さすがに鬼畜すぎる。
私は変に泳ぎそうになる目をなんとかごまかして、できるだけ元気な声を出した。
「期待に応えられるかは分かんないけど……聖堂院生活、マジで頑張るわ!」
母さんは満足そうにうなずいた。
「ええ、それでいいのよ」
そこで私は、ずっと気になっていたことを口にした。
「てか母さん」
「なに?」
「“灯火の聖女”ってなに?」
ぴたり、と母さんの動きが止まった。
あ、これ触れちゃいけないやつだった?
一瞬だけ空気が変わった気がした。でも母さんは、すぐにいつもの表情へ戻った。
「ああ」
そして、あっさり言った。
「もうやめたわ。お父さんと結婚した時にね」
「やめたの!?」
「そんなに驚くこと?」
「いや、聖女ってそんな“店じまい”みたいな感じでやめられるものなの!?」
「柄じゃないもの」
「柄じゃないで済むんだ……」
いや、済まないでしょ普通。
聖女ってもっとこう、国宝とか、神殿所属の伝説ポジみたいなやつじゃないの? 転職みたいに言わないでほしい。
母さんは少し肩をすくめた。
「そのうち、もう少し大きくなったら話してあげるわ」
「……今は教えてくれないんだ」
「ええ。あなたにも、まだ話せないことがあるでしょう?」
心臓が、どきりと跳ねた。
限界具現。
前世の道具を、この世界に出せる力。
それを本当に説明するなら、避けて通れないことがある。私が、この世界に生まれる前の記憶を持っていることだ。
父さんと母さんが優しいことは分かっている。私の変な力を知っても、問い詰めずに待っていてくれたことも分かった。
それでも、前世の記憶があるなんて言ったら、二人は私をどう見るんだろう。今まで通り、娘として見てくれるのか。それとも、知らない誰かが混ざった子みたいに見えてしまうのか。
そう考えると、喉の奥がきゅっと縮んだ。
「……ある」
私は、少し迷ってから小さくうなずいた。
「でも、まだ……ちゃんと話せる気がしない」
母さんは怒らなかった。急かしもしなかった。ただ、静かに私を見ていた。
「そう」
やがて母さんは、小さくうなずいた。
「なら、今はそれでいいわ。でも、いつかは話しなさい。家族だからこそ、隠し続けてはいけないこともあるの」
「……うん」
母さんは、ぜんぶは教えてくれなかった。
私も、ぜんぶは話せない。
お互いに秘密を抱えたまま、今は同じ方向へ進んでいる。それでも、母さんは私の手を離さなかった。
⸻
屋敷へ帰るまで、私はずっとぼんやりしていた。
灯火の聖女。
母さんの、昔の呼び名。
リリスは、私を見て“灯火の聖女”サラサの娘だと言った。水晶が割れた時、司教も母さんの名前を口にした。
あの時、やたら視線を集めている気がしたのは、リリスの直後だったからだけじゃない。たぶん、ソーカという名前のせいでもあったのだ。
家では礼儀作法クエストを鬼難易度で開催してくる人。でも、聖堂院では名前だけで人をざわつかせる人。
私は、母さんのことをどれくらい知っているんだろう。
⸻
そんなことを考えながら屋敷へ戻り、自分の部屋に入った。
今日一日で、考えることが多すぎる。私はベッドに倒れ込み、深く息を吐いた。
……もう無理。
いったん脳を休ませたい。
そう思った、数分後。
扉が勢いよく開いた。
「姉ちゃん! どうだった!?」
来た。
我が家の空気清浄機ならぬ、空気破壊担当。
弟のマークである。
「聞いてよもう、最悪だった……いや、最悪だけじゃなかったけど、とにかく大変だった……」
私はベッドの上で半分溶けたまま、今日あったことをかいつまんで話した。
水晶検定に変更されていたこと。ライターでごまかそうとしたら水晶が割れたこと。リリスという縦ロール令嬢に、なぜかライバル認定されたこと。
そこまで話したところで、マークは炭酸のペットボトルを抱えたまま、妙に真面目な顔でうなずいた。
「つまり、姉ちゃんがやらかして、天才扱いされて、敵が増えたってこと?」
「言い方!」
だいたい合ってるのが腹立つ。
……真面目に聞いているように見えたけど、実際には途中から炭酸を飲んでいた。しかも、この前出してあげた二リットルペットボトルを直飲みである。
コップ使えよ。
お前それ、一人でいく気か?
「でね、最後には“絶対に負けませんわ!”とか言われてさぁ……」
「ふーん」
「ふーんじゃないんだけど!? こっちは魔法の才能バケモンなお嬢様ライバルとか怖くてたまんないんだけど!?」
マークはごくごくと炭酸を飲み、ようやく一息ついた。それから珍しく、ちょっと真面目な顔になる。
「でもさ」
「ん?」
「僕も魔法使えるけど、その才能バケモンお嬢様より、絶対姉ちゃんの方がすごいよ」
「……え」
思わず固まった。
マークはポテチの欠片を指につけたまま、妙にまっすぐな目で言う。
「そのリリスってやつを、逆にギャフンと言わせてやればいいじゃん。姉ちゃんの限界具現なら、負けるわけない!」
うわ。
なにこれ。
マーク、たまにはいいこと言うじゃん。
普段ポテチとシュワシュワと小型四駆のことしか考えてないと思ってたのに。
ちょっと感動した。
でも、その感動は長く続かなかった。
「んでさ」
マークはにっこり笑った。
「ポテチ切れたんだけど、次はコンソメ味食べたい!」
なんやねんお前。
一瞬で台無しである。
私を励ましたかったんじゃなくて、普通に新しいポテチが欲しかっただけじゃん。
ちょっとイラッとした。いや、かなりイラッとした。
でも、まあ。
励まされたのも事実ではある。
私はため息をつきながら、手のひらを上に向けた。意識を集中する。頭の中に、見慣れた黄色い袋を思い浮かべる。
コンソメ味。
あの、食べ始めると止まらない危険物。
ぽんっ、と小さな音がして、袋が現れた。
「うわあっ! コンソメだ!」
「はいはい、ありがたく思え」
「ありがとう姉ちゃん! これからも一緒に頑張ろう!」
「安いな、お前の忠誠心」
マークはさっそく袋を開け、むしゃむしゃ食べ始めた。その横で、炭酸をぐびり。完全に糖分と塩分の申し子である。
そんな姿を見ていたら、さっきまでの半べそ気分が、少しだけどうでもよくなってきた。
いや、どうでもよくはない。
ないけど、家に帰るとちょっと現実感が薄れるんだよな。
すると、コンソメ味でごきげんになったマークが、またしてもぴかーんと顔を上げた。
「あっ、そうだ!」
嫌な予感しかしない。
「紅蓮魔法っぽく見せるならさ、ロケット花火とか打ち上げ花火をバンバン出せばいいじゃん。“うわ、なにあれ!?”って空気になるし、超派手だし、絶対ウケるって!」
「……花火か」
私はちょっと考え込んだ。
花火。
たしかに派手だ。紅蓮魔法っぽさもある。視覚効果だけなら満点かもしれない。
でも、庭で試して以来、花火は出していない。
あの時はひどかった。
ちょっと試しただけのつもりだったのに、想像以上に派手に上がってしまい、近所の巡回騎士まで駆けつける騒ぎになった。
音を聞いた使用人のイザベラは飛び出してくるわ、母さんには死ぬほど叱られるわ、父さんは「……騎士団にもご近所にも謝りに行こうか」って遠い目をするわで、軽く屋敷内災害だった。
ただ、今あらためて考えると――普通にアリでは?
ロケット花火。打ち上げ花火。
隠密には向かない。向かないどころか“目立ってください”と言っているようなものだ。
でも、評価を盛るにはちょうどいいかもしれない。
演出は正義。派手さは正義。魔法って、たぶんそういうところある。
私はじっとマークを見た。
「……マーク」
「なに?」
「お前、もしかして天才?」
「知ってる!」
「調子に乗るな」
でも、ちょっとだけ本気でそう思った。
こいつ、普段はポテチと炭酸と小型四駆で頭の八割が埋まっているくせに、たまに変な角度から正解を出してくるんだよな。
腹立つけど。
私はベッドにごろんと転がり、天井を見上げた。
聖堂院の初日で、もう心はかなり削られた。でも、思っていたより、やれることはまだあるのかもしれない。
魔法は使えない。
でも、見せ方なら工夫できる。
工夫とハッタリと、あとちょっとの運で、たぶんまだ戦える。
……いや、待て。
私はむくりと起き上がった。
「よく考えたら花火、昼間だと目立たなくね?」
マークが固まった。
「……あ」
私はベッドの上で拳を握った。
「さぁ、作戦会議続行! 考え直すわよ!」




