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限界具現 〜魔法ゼロ令嬢は現代アイテムを魔法と言い張りたい〜  作者: ちぇ!
祭具の聖女

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第57話 家族の秘密


 目を開けると、知らない天井があった。


 白く塗られた木の板。その隙間から、細い朝の光が差し込んでいる。ぼんやり眺めながら、私はしばらく考えた。


 ここ、どこだ?


 聖堂院でも治療院でもない。もちろん、うちの屋敷でもなかった。


「……クロノ様?」


 すぐそばで声がした。顔を向けると、椅子から立ち上がった年配の女性と目が合った。


 灰色がかった髪をきっちりと後ろでまとめ、背筋を伸ばした女性。屋敷で何度も顔を合わせているけど、こうして間近で顔を見るのは久しぶりだった。


「エルマ……?」

「はい」


 返事をした途端、いつもきっちり結ばれている口元が震えた。


「よかった……本当に……」


 エルマも、こんな顔をするんだ。


 普段はほとんど執務室にいて、家計簿や帳簿、屋敷の書類なんかと睨めっこしている。


 私が聖堂院に通うまでは、マークと一緒に勉強を見てもらっていた。今でもマークは、時々エルマに教わっている。


 歴史でも魔法でも、この世界の常識でも。何を聞いても大抵のことは答えてくれるから、昔の私は、エルマは何でも知っている人なんじゃないかと思っていた。


 そんなエルマが今は、何を言えばいいのか分からないみたいに私を見ていた。


「エルマ……」


 何か声をかけようとした、その時だった。


「姉ちゃん!」

「うぐっ!」


 視界の端から飛び込んできたマークが、そのまま勢いよく抱きついてきた。


「痛っ! ちょ、マーク! 病み上がり! 病み上がりだから! っていうか、マークはもう大丈夫なの!?」


 そうだ。私より先に、マークは《暗蝕》にやられていた。慌てて肩を掴み、首や腕を確かめる。あの時まとわりついていた黒い痕は、どこにも見当たらない。


「あ、ごめん! オレはもう全然へっちゃらさ!」


 マークはそう言って、元気だと見せつけるように両腕を上げた。


「ほんとに?」

「ほんとほんと!」


 その言葉を聞いて、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。でも、マークもいつもより疲れた顔をしている気がした。目の下にはくまが残っているし、たぶんずっと心配してくれていたんだろう。


 ……どのくらい寝てたんだろうか?


 身体を起こす。少しだるい。そこで、地下での出来事が次々と頭に蘇ってきた。

 巨大な門。父さんと母さん。枢機卿とセレナ。エルヴィンの結界。額に浮かんだ、あの印。照明塔。


 そして……。


「門は!?」


 思わず身を乗り出した。


「ちゃんと閉じた!? 父さんと母さんは!? エルヴィン!? ジェイド師範たちは!?」


「落ち着いて、姉ちゃん!」

「皆様ご無事です」


 エルマがすぐに答えた。


「旦那様も奥様も、ディディエ司祭も、フォスティエ商会のご子息も、傭兵の方々も。怪我を負った方はおられますが、命に別状はございません」


「……よかったぁ」


 張り詰めていたものが、一気に抜けた。


「ここは?」

「ベルジュという村です。セレスティアから北へ、馬車で半日ほどのところにございます」

「村?」


 窓の外から、大勢の人の声が聞こえている。


 立ち上がって覗いてみると、教会の周りには何台もの荷車が止まり、道を行き交う人の姿が見えた。荷物を抱えた人。子どもの手を引く人。地面に座り込んでいる人。


 ただの小さな村とは思えないほど、人が多い。


 子どもの泣き声、誰かを呼ぶ声。

 遠くでは、金槌を打つような音まで響いていた。


「クロノ様がお眠りになってから、三日が経っております」

「三日!?」

「はい」


 マークがベッド脇へ腰掛けた。


「姉ちゃんが門を閉じたあとも、もう外に出ちゃってた魔族がたくさんいたんだって」


 胸がざわつく。


「……どれくらい?」


 私が聞くと、エルマが答えた。


「正確な数はまだ分かっておりません。ただ、二千体を超える魔族が地上へ出たと見られております」

「二千……」


 思っていたより、ずっと多い。


「低位の魔族だけではありません。上級魔族や、魔将と呼ばれる個体も確認されております。現在も東護騎士団や司祭、冒険者、傭兵の方々が各地で討伐に当たっております」


「ジェイド師範たちも?」

「はい。まだセレスティア周辺に残っておられます」

「じゃあ、セレスティアは……」


 エルマは、すぐには答えなかった。


「……多くの被害が出ました。住民の方々も、周辺の村や町へ避難しております」


 濁しているけど、それで十分わかった。セレスティアは、もう前と同じじゃない。魔導祭の騒ぎはあったけど、つい三日前まで普通に人が暮らしていた。


 私が聖堂院へ通っていた街。


 イザベラとミーナとの帰り道も、

 母さんとマークと買い食いした店も、

 魔導祭であれだけ人が集まっていた広場も、

 今はどうなっているんだろう。


「この村にも?」

「はい。ベルジュにも多くの方が避難してこられています」


 だから、この騒がしさか。


「教会の礼拝堂や宿屋だけでは収まりきらず、村の家々や納屋まで使わせていただいております。それでも寝る場所が足りず……中には、ご自分の家を避難してきた方へ譲り、村の外れへ移られた方々もおります」


「……村の人が、自分の家を?」


「はい。食料も、水も、薬も……日に日に厳しくなっております」


 窓の外をもう一度見る。私は三日間寝ていただけだ。でも、その間にここでは、こんなことになっていた。


「……ここって、誰の部屋?」


 今さら気づいた。小さいけど、ベッドも机もある。避難民が寝る場所にも困っているなら、私たちが使っているこの部屋だって貴重なはずだ。


「この教会を預かっておられる、マルコ・ベル司祭の居室です」

「えっ」


 思わず部屋を見回した。


「司祭さん、自分の部屋貸してくれたの?」

「はい。奥様と旦那様は何度も遠慮されたそうですが、マルコ司祭がぜひにと」


「うわぁ……」


 急にベッドがものすごく申し訳ない物に見えてきた。


 あとでちゃんとお礼言わないと。


「……父さんたちは?」


「旦那様は、村の自警団や警備を担う方々と、周辺の守りについて話をしておられます。奥様はイザベラと共に、礼拝堂で避難してこられた貴族の方々のお話を聞いておられます」

「母さんが?」

「はい。かなり不満が出ていたそうですので」


 母さん、起きて早々そんなことしてるのか。


「ガストンは?」

「村の外れで、天幕の設営や荷運びを手伝っております」

「ガストンらしいね……」


 あのお爺ちゃん、絶対黙々と木材とか運んでるわ。

 

 そこでエルマが、膝の上で重ねていた手に力を込めた。


「私には、何もできませんでした」

「ん?」

「皆様が危険な目に遭っていることにも気づかず……長くソーカ家に仕えていながら」

「いやいやいや」


 私は思わず手を振った。


「それは無理でしょ。私だって、地下にあんな門があるなんて知らなかったんだから」

「ですが……」

「エルマが屋敷から全部察知できたら、もう人間じゃないって」

「……クロノ様」

「父さんたちも無事だったんだから、それでいいよ」


 エルマはしばらく俯いていた。やがて一度だけ深く息を吸い、いつものように背筋を伸ばす。


「……ありがとうございます」


 するとマークが、何かを思い出したように顔を上げた。


「あ。そうだ」

「なに?」

「父さんと母さんが、姉ちゃんが起きたら話したいことがあるって」

「……話?」

「うん」


 なんだろう。嫌な予感しかしない。ていうか、避難してきた人たちどころか、この村の人たちまで寝る場所に困っているのに、私たちだけ司祭さんの部屋まで借りてていいのだろうか。


 これも母さんやソーカ家が有名だからなのかな。


 そんなことを考えながら、私はマークやエルマと他愛もない話をして、その場で待った。


⸻


 その日の夕方。


 マルコ司祭から借りている部屋へ、ソーカ家の面々が集まった。


 父さん、母さん、私、マーク。


 そして珍しく、イザベラ、ガストン、エルマも一緒だ。さすがに七人も集まると狭い。


 小さなテーブルを囲み、肩を寄せるように座っている。テーブルの上には、薄い野菜のスープと、小さく切り分けられたパン。


 食料事情がよろしくないのは、見ただけで分かった。マークが自分のパンをじっと見つめている。


 ……いいたい事はわかるが、その顔やめなさい。


「クロノ、本当に身体は大丈夫なの?」


 母さんが、もう何度目か分からない質問をしてくる。


「大丈夫だって。むしろ母さんたちの方が大丈夫なの?」

「私は平気よ」

「父さんは?」

「何も問題ない」


 父さんはいつもの調子で答えた。でも、その顔にはまだ疲れが残っている。


「いやいや。父さん、思いっきり魔族に乗っ取られてたじゃん」

「……それを言われると返す言葉がないな」

「本当に怖かったんだからね!」

「すまなかった」


 するとマークが横から口を挟んだ。


「父さんが謝ることじゃないでしょ」


 言われてから、それもそうだと思った。怒ってるのか、心配してるのか、自分でも分からない。


 目の前にいるのは、いつもの父さんだ。


 ややふくよかで、穏やかで、剣なんか振り回しそうにもない。なのに地下で見た父さんは、まるで別人だった。あの強さも、魔族に乗っ取られたせいだったんだろうか。


 そんなことを考えていると、父さんが手にしていたパンを置いた。


「クロノ。マーク」


 空気が変わった。


「二人に、話しておかなければならないことがある」


 母さんも何も言わない。私はマークと顔を見合わせた。しばらくして、父さんが口を開いた。


「……私には、兄が四人いた」


 それは知っている。父さんが五男坊だったことは、前に聞いたことがある。でもそういえば、その兄弟の話を聞いたことは一度もなかった。


「昔のソーカ家は、今よりずっと大きな家だった」

「名門だったんだよね」


 マークが口を挟む。


「知っていたのか?」

「だいたい」


 マーク、なんだかんだ情報通だからな。

 いつも私だけ何も知らん。


「ソーカ家は、代々魔族を探し出すことに長けていた。魔族の気配を察し、潜伏している者を見つけ出し、討つ。異端審問官を多く輩出してきた家系だ。私も神殿騎士団に所属しながら、異端審問官として働いていた」

「父さんが……異端審問官?」

「ああ」


 前に神殿騎士だったとは聞いた。でも、そこまでガチガチの対魔族専門職だったとは聞いてない。


「特にソーカ家は、魔族の気配を見つける能力を買われていた。大神殿と法王を守る役目も担っていたんだ」


 父さんはそこで一度言葉を切った。


「だからこそ、私たちは油断した」


 父さんの表情から、いつもの穏やかさが消える。


「黄竜は、古い記録にも魔王の右腕として記されている、《魔人》と呼ばれる存在だ」


 黄竜。


 その名前を口にした時だけ、父さんの声には別の響きが混じっていた。


「中でも、気配を隠すことにかけては群を抜いていた。誰も気づけなかった。ソーカ家の誰一人として」


「黄竜は、私の父に入り込んだ」

「……え」


 一瞬、意味が分からなかった。父さんのお父さん。


 つまり。


「お爺ちゃんに……?」

「ああ」


 父さんは頷いた。


「父の身体を奪った黄竜は、兄たちの身体も配下の魔族に奪わせた。そうしてソーカ家を内側から崩し、家族も、親戚も……次々と殺していった」


 膝の上に置かれた父さんの拳が、白くなるほど握られていた。


「私だけが、生き残った」


「……待って」


 背中が冷たくなる。


「それって……今回の父さんと、同じ……?」

「ああ」


 父さんは私を見なかった。


「私は、父と同じことをされかけた」


 母さんが、黙ってその拳の上へ手を重ねる。


「もしクロノが止めてくれなければ……私は父と同じように、自分の家族をこの手で……」

「父さん」


 それ以上は聞きたくなかった。


「それは父さんじゃないよ」


 ようやく父さんが私を見る。


「それに、起きなかったことでしょ」


 しばらくして、握られていた拳から力が抜けた。


「……そうだな」


 それだけ答えて、父さんは息を吐いた。


「クロノのおかげだ」


 たぶん、この怖さが父さんの中からすぐに消えることはない。


「黄竜の目的は、魔王の復活だった」


 話はまだ終わっていなかった。


「そのまま配下と魔獣を引き連れ、大神殿の地下へ向かった。封印されている魔王を解放するために」

「魔王って……本当に封印されてるんだ」

「ええ。されているわ」


 今度は母さんが答えた。


「西の聖都アストラル。その大神殿の地下深くに」


 父さんは頷く。


「黄竜の企みは、法王と神殿騎士団、それからサラサ、そして生き残った私によって阻止した」

「倒せなかったの?」

「逃げられた」


 短い返事だった。


「黄竜も深手を負っていた。だが、仕留めきれなかった。奴は各地で騒動を起こしながら、東へ逃げた」

「それで父さんも……」

「ああ」

「黄竜を追って、セレスティアまで来たんだ」

「そうだ」


 父さんの目の奥に、鋭い光が宿った。


「私は、あいつを討つために東へ来た」


 復讐か……。


 父さんはその言葉を使わなかったけど、私にはそう聞こえた。そんな物騒なものを、あの優しい父さんがずっと胸の奥に抱えていた。


 私は、何も知らなかった。


「……それからは、私の話ね」


 今度は母さんが、静かに口を開いた。


「入学式の時に言ってたこと?」

「そう」

「うち、秘密多すぎない?」

「クロノに言われたくないわね」

「ぐっ」


 何も言い返せない。


「私の父は、ユリウス・ヨハネ・クレメンスよ」

「……はい?」

「法国を治める法王。今も西の大神殿にいるわ」


 数秒、頭の中で意味を組み立てる。


 法王、この国の王様。つまり、その娘。


 ……え?


 そういえば、父さんが乗っ取られてた時にも、そんなこと言ってた気がする。

 いや、あの時はそれどころじゃなかったけど!


「……母さんって、この国の王様の娘なの!?」

「そうよ」

「そうよ、じゃないよ!」


 思わずテーブルを叩きそうになった。


「え、待って! じゃあ私、法王の孫!?」

「そうね」

「マークも!?」

「オレも今そこに驚いてる」


 マークもちゃんとは知らなかったらしい。


「だから私、聖堂院であんな注目されてたんだ……」

「オレは、母さんがすごい人なのは知ってたけど……法王の娘までは知らなかった」


 なんなんだ、この家。父さんは対魔族専門の名門貴族。母さんは法王の娘。私、急に自分の家系図を見るのが怖くなってきた。


「私は法王の娘として、幼い頃から魔王の封印を守るための教育を受けてきたの」


 母さんは、昔をたどるようにゆっくり言葉を続けた。


「聖光と紅蓮を学んで、結界を張って、魔王の封印を強めたり、街や人々を守ったり。そうしているうちに、《灯火の聖女》と呼ばれるようになったわ」


「いや、『そうしてるうちに』で済ませる内容じゃないでしょ」

「母さんだからね」


 マークが妙に納得している。


「黄竜が逃げたあと、グラン……お父さんは一人で東へ向かおうとした」


 母さんが、隣の父さんへ顔を向ける。


「止めたのよ。何度も」

「……あの頃は、聞く耳を持っていなかったな」

「本当よ。何を言っても聞かないんだから」


 父さんは何も言い返さず、黙ってスープを口にした。母さんがため息をつく。


「お父様も当然反対したわ。黄竜を追うだけでも危険なのに、私まで大神殿を離れるなんて許されるはずがないもの」

「そりゃそうだよ」

「でも」


 母さんは少しだけ間を置いた。


「神殿騎士団長のレオンが、私に言ったの」


 レオン。知らない名前だ。


「『後悔するくらいなら、追いなさい。法王猊下のことは私に任せて。グラン殿を一人で行かせてはいけません』って」


「あの言葉がなかったら、最後の一歩は踏み出せなかったかもしれないわね」

「で?」

「追いかけたわ」

「爺ちゃんの許可は?」

「もらってないわよ」

「……つまり?」

「家出ね」

「法王の娘が家出したぁ!?」


 思わず声が裏返った。


「そういう言い方をすると、少し聞こえが悪いわね」

「他にどう言えば聞こえ良くなるの!?」


 隣でマークが肩を震わせている。さっきまで張りつめていた父さんの口元も、ほんの少し緩んだ。


「だって、放っておけなかったのよ」


 母さんが父さんを見る。


「この人、本当に黄竜を討つことしか考えてなかったから」

「否定はできない」

「一人にしたら、復讐だけして、そのまま死ぬつもりなんじゃないかって思った」


 母さんはそこで、ふっと父さんを見る。


「だから追ったの。黄竜を倒すためでもあったけど……それ以上に、この人を一人にしたくなかった」


 父さんが気まずそうにスープへ視線を落とした。


 なんだ。ラブラブじゃないか。急に父さんと母さんの馴れ初めを聞かされてる気分になってきた。


「それで二人で東へ?」

「ああ。正確には、二人だけではない」


 父さんは、ガストンたちへ目を向けた。


「ソーカ家からは、先代の頃から護衛と武術指南を務めていたガストンと、魔法や教育を任されていたエルマ。神殿騎士団からは、サラサの護衛騎士だったイザベラとヴァンが同行してくれた」


「……え、みんな最初から一緒だったの?」

「ああ。黄竜を追いながら、六人で各地を渡った。そして最後に辿り着いたのが、セレスティアだった」

「そこで、あなたが生まれたのよ」


 母さんが私を見る。


「私?」

「ええ」

「オレは?」

「それからマークも」

「ついでみたいじゃん」

「あなたも大事に決まってるでしょう」

「ふーん」


 マークがすねたようにパンを一口かじった。今食べるんかい。てか、さっきから父さんとマークだけ普通に食べてるんだけど。二人とも、身体だけじゃなく神経まで図太いらしい。


 父さんが続ける。


「二人には、普通に育ってほしかった」

「普通?」

「ああ。私たちは、生まれた時から役目が決まっていた」


 父さんはソーカ家の息子として、魔族を見つけ、討つために。母さんは法王の娘として、国と魔王の封印を守るために。


 何をするべきか、どう生きるべきか。

 二人とも、それを自分で選ぶより先に決められていたんだ。


「だから、クロノとマークには同じものを背負わせたくなかった」


 母さんが続ける。


「法王の孫だからとか、ソーカ家の子だからとか。そんな理由で、あなたたちまで生き方を決められる必要はないと思ったの」


「何が好きなのか。何をしたいのか。それを自分で見つけて、自分で選んでほしかった」


 父さんがそう言って、少しだけ笑った。


「だから黙っていた」


 私は、二人の顔を見た。


 その時になって、今まで当たり前だと思っていたことが、少しずつ違って見えてきた。


 魔法が使えなくても、父さんも母さんも私を責めなかった。何か変なことを始めても、呆れたり怒ったりはしたけど、頭ごなしにやめろとは言わなかった。


 マークが好きなことに夢中になっていても、好きにさせていた。私たちに「こうなりなさい」と言ったことなんて、一度もない。


 あれは全部、ただ甘やかしていたわけじゃなかったんだ。


「……そっか」


 ようやく分かった気がした。


 父さんと母さんは、自分たちが選べなかったものを、私たちには選ばせてくれていたんだ。


「じゃあ」


 マークが手を上げた。


「オレも言っておいた方がいいよね」


 なんだ、お前もあるんか。体重が限界を超えたか?


「何?」

「オレ、人の色が見えるんだ」

「……色?」

「魔法の色」


 さらっと言った。


「父さんは緑。母さんは赤と白。オレは赤と白と黄色」

「ちょっと待って」

「姉ちゃんは何もない」

「そんなチートあったの!?」

「うん」

「いつから!?」

「結構前から」

「結構前!? アバウトすぎ!」


 私が魔力ゼロを隠すために、どれだけ苦労したと思ってるんだ。


「じゃあ、私は前世のことまでマークに話してたのに、それ隠してたの!?」

「うん」

「言えよ!」

「姉ちゃんも父さんと母さんには言わなかったじゃん」

「ぐぬぬ……!」


 正論をぶつけるんじゃない。


「それだけじゃないんだ」


 マークが少し真面目な顔になった。


「たまに、人の色の奥が黒く濁って見えることがある」


 父さんの表情が変わった。


「アルフォンス猊下を見た時も、黒く見えていたのか?」

「うん。真っ黒だった」


 父さんがしばらく黙り込む。


「……お前が思っている以上に、特別な力なのかもしれないな」

「そうなの?」


 マークはきょとんとしていたが、そこで何かを思い出したように「あ」と声を上げた。


「そういえば、枢機卿の隣にいた女の人も前に見たことあるよ」

「……え?」


 母さんがマークを見る。


「いつ?」

「結構前。街で母さんのこと見てた。遠かったけど、あの人の黒いのだけはすごくはっきり見えた」

「それ、なんで今まで言わなかったの!?」

「言うタイミングがなくて……」

「タイミングとかじゃないでしょ!」

「ごめん、姉ちゃん」

「今度私に隠し事したら、マジでポテチ出さないからね!」

「それはやめて!」


 マークの顔色が変わった。いや、今回はマジで怒った。母さんは額を押さえ、父さんは何とも言えない顔をしている。


「それから」


 母さんがマークを見る。


「あなたの黄色のことだけど」

「これ?」


 マークが自分の手を見つめる。


「おそらく、雷鳴よ」

「雷鳴……」

「魔王と戦うために現れるとされる、特別な力」


 父さんが続ける。


「伝承では、雷鳴を宿す者は魔王と戦うために現れる。その者を、勇者と呼ぶ」


「…………」


 数秒の沈黙。


「マーク、勇者なの!?」

「オレに聞かれても分かんないよ!」

「両親が英雄で、弟が勇者だった件!」

「姉ちゃんうるさい!」


 うち、おかしくない? 

 

 父さんは魔族狩りの騎士で、

 母さんは法王の娘で聖女、

 んでもって弟はオタクの勇者。


 ……なんなんだ、この家。

 まあ、私も人のこと言えないんだけど。


「クロノ」


 父さんが私を見る。


「お前についても、話を聞いている」


 ぎくっ。


「誰から?」

「ディディエ司祭からは以前から報告を受けていた。事件のあとにはエルヴィン君、それから現場にいた傭兵たちからもな」


 逃げ道が塞がれた。


「……何を?」

「地下で、お前の額に奇妙な紋章が現れたそうだな」

「…………」

「二つの輪が連なったような印」


 ∞。


「あれは古い聖典では、創造神クロノアに結びつけられる紋章として記されている。太古の昔、《聖王》に現れた印ともな」


 そんな大層なものだったの!?


「それに、お前が魔力を使わず、見たこともない道具を生み出していたことも知っている」


 父さんは責めるでもなく、ただ事実を確認するように言った。


「……まあ、ここまでやったら、さすがに隠しきれないよね」


 ここまで来たら、もう逃げる理由もなかった。


「私も」


 声が少し震えた。


「私も、話してないことがある」


 マークがこちらを見る。父さんと母さん。

 イザベラも、ガストンも、エルマも。


 心臓が妙にうるさい。今まで何度も考えた。

 もし話したら、どうなるんだろうって。


「私……この世界に生まれる前の記憶がある」


 誰も口を挟まない。


「別の世界で、一度生きてた。そこで死んで、それから気づいたら、こっちで赤ちゃんになってた」


 母さんの目がわずかに見開かれた。


「私が今まで出してた物も、全部その世界にあった物なの。食べ物も、道具も、遊ぶ物も……私が前の世界で見たり、使ったりしたことがある物」


 少しだけ息を吸う。


「《限界具現〈ゲンカイ・マテリアライズ〉》は、私が前の世界で知ってた物を、この世界に出す力なんだ」


 マークが頷いた。


「バレてたけどね」

「そ、そうなの!? ……って、マーク、今は私のターン!」

「はい!」


 なんで私の人生最大級の告白で、お前だけ平常運転なんだ。でも、そのおかげで少しだけ息ができた。


「……怖かったんだ」


 私は続ける。


「変な目で見られるのも怖かったけど。それより……」


 父さんと母さんを見る。


「気持ち悪いって思われるのが怖かった」


 母さんの指先が、ぴくりと動いた。


「本当のクロノはどこに行ったんだって。私が誰かの身体を奪ったみたいに思われたらどうしようって」


 喉の奥が詰まる。


「私のこと……娘じゃないって思われるのが、一番怖かった」


 誰も、すぐには答えなかった。その沈黙が、やけに長く感じる。言わなきゃよかったかな。


「クロノ」


 椅子が鳴った。

 母さんが立ち上がり、そのまま私を抱きしめた。


「あなたはクロノでしょう?」

「……母さん」

「十年間育ててきた娘を、そんな話一つで娘じゃないなんて思えるわけないでしょう」


 抱きしめる腕に、少しだけ力がこもる。


「前の世界で誰だったとしても、この世界で泣いたり、笑ったり、マークと喧嘩したりしてきたのはあなたよ」


「私も同じだ」


 父さんが言う。

 いつの間にか、こちらへ手を伸ばしていた。

 大きな手が、私の頭に乗る。


「お前がどこから来たとしても、私たちの娘であることは変わらない」

「……本当に?」

「ああ」


 その一言で、胸の奥にずっと引っかかっていたものがほどけた。


 転生してから十年。ずっと怖かった。

 でも今、初めてもう隠さなくていいんだと思えた。


「姉ちゃん、泣いてる」

「うるさい」

「鼻も赤い」

「ポテ……」

「ごめんなさい!」


 すると母さんが、私を抱いたまま付け足した。


「それに、変な物も山ほど出してきたものね」

「今それ言う!? マーク、援護!」

「……さっき私のターンって言ってたじゃん」


 部屋に笑い声が広がった。イザベラは何も言わなかった。ただ、いつもより強く唇を結んでいる。エルマはハンカチを口元へ当て、ガストンはいつもの顔のままだった。ただ、私と目が合うと、ほんの一度だけ頷いた。


「クロノ。マーク」


 父さんが改めて私たちを見る。


「今日の話を聞けば、自分たちには何か大きな役目があると思うかもしれない」


 勇者、創造神クロノアの紋章。

 確かに、字面だけならだいぶ重い。


「だが、それに従う必要はない」


 母さんも頷く。


「マークが本当に勇者だとしても、クロノがどれだけ特別な力を持っていたとしても」


 そして、はっきりと言った。


「あなたたちの人生は、あなたたちのものよ」


 その言葉が、すっと胸に落ちてきた。


「ていうかさ」


 マークがふっと笑った。


「父さんと母さんの願い、ちゃんと叶ってるよ」


 二人が首を傾げる。


「だって姉ちゃん、めちゃくちゃ好き勝手に育ってきたもん」


 父さんが吹き出した。


「それは……否定できないな」

「ちょっと父さん!」

「クロノ、そこは自覚しなさい」

「母さんまで!」


 でも、私も笑った。

 たしかに、好き勝手に育った。

 好きなことをして、好きなものに夢中になって。


 変な物を呼び出して、友達を作って。

 誰かに決められたからじゃない。

 全部、私が選んできた。


「……じゃあ、これからもそうする」


 自分の胸に手を当てる。


「勇者とか、印とか、宿命とか。そんなの知らない」


 マークを見る。


「マークだってそう。勇者だからって、やりたくないことする必要ないでしょ」

「うん」

「私も、自分がやりたいことしかやらない」


 窓の外から、子どもの泣き声が聞こえた。

 荷車が軋み、人の声が重なる。

 家を失って逃げてきた人たち。

 そして、その人たちを受け入れるために、自分の家まで明け渡した村の人たち。


 食べるものも、眠る場所も。

 明日どうなるかも分からない人たちが、この小さな村にあふれている。


 誰かに言われたからじゃない。

 何か特別な役目があるからでもない。

 変な印が出たからでもない。


「で」


 私は窓辺まで歩き、外を見る。


「今、私がやりたいのは、この村で困ってる人たちを助けること」


 その瞬間、額が熱を持った。


「クロノ!」


 母さんが声を上げる。みんなが驚いたように、一斉に私を見た。視界の端で、淡い光が揺れている。額へ手を当てなくても分かった。


 《∞》。


 でも、今度は苦しくない。意識もはっきりしている。そして、頭の片隅にずっとあった感覚が消えていた。


 一日に何回、あと何回、消すのにも一回、眠れば回復。そんな数字が、どこにもない。


 ただ一つだけ、はっきりと分かる。


 《限界具現〈ゲンカイ・マテリアライズ〉》。


 残り回数、∞。


「……やっぱり」


 思わず笑った。回数の制限は、なくなっていた。


「ね! マーク!」


 弟を見ると、マークも勢いよく立ち上がった。

 その瞬間、髪がふわりと逆立つ。


「うん!」

「私とマークに任せて!」

「任せて!」


 父さんと母さんは、しばらく何も言わなかった。


「……いい子に育ったわね」

「ああ」


 父さんは、それだけ答えた。

 なんだこれ。めちゃくちゃ感動的な空気になってる。こういうの、ちょっと恥ずかしいんだけど。


「よし!」


 私は勢いよく振り返った。


「さあ、参謀マーク!」

「はい!」

「とりあえず、この村の問題点を解決するよ! 何からいこうか!」


 マークは腕を組み、本気で考え始めた。


 そして。


 ぐぅぅぅぅ。


 マークの腹が盛大に鳴った。

 今の食事じゃ、足りなかったらしい。


「……まずは、食料からかな!」


 私はじっと弟を見る。


「それ、村のためだよね?」

「もちろん!」


 即答。


 ……怪しい。


 でもまあ、食料が足りないのは本当だ。


 だったら、まずはそこから始めよう。


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