第4話 魔法ゼロ令嬢、聖堂院に入学する
⸻聖堂院リュミエール・入学式の日
聖堂院リュミエールの大講堂には、初等部一年の新入生たちが集められていた。
高い天井には女神をかたどった装飾があり、壁一面のステンドグラスから淡い光が差し込んでいる。磨かれた床には聖紋がうっすら映り、正面の壇上には白い聖布がかけられていた。いかにも神聖な学び舎の入学式、という雰囲気である。
しかし、十歳前後の子どもが百二十人も集まれば、話は別だ。
……とにかく、うるさい。
新入生は四つのクラスに分かれるらしく、栄都セレスティア周辺の貴族や教会関係者の子どもたちに、他国からの留学生や有力家の子どもも混ざっている。
さっきまで引率役の司祭たちに、
「背筋を伸ばしましょう」
「足元をそろえてください」
「式の間は静かに」
「聖堂院生として恥ずかしくない態度を心がけましょう」
と、なかなか厳しめの注意を山ほど受けたはずなのに、もうあちこちで集中力が切れ始めていた。保護者の中にも、小声で話し始めている人がいる。
隣の子とこそこそ話す子。椅子をぎこぎこ鳴らす子。大あくびを噛み殺しきれていない子。床の模様に吸い寄せられたように、じっと下を見つめている子。
いやもう、貴族の子どもたちってもっと上品なんじゃないの?
もちろん、きっちり座っている子もいる。背筋を伸ばし、手を膝に置き、まっすぐ前だけを見ている。おそらく、家でかなり厳しく育てられてきたのだろう。
制服も靴も髪も、見た目だけはみんなきっちりしている。でも中身は、だいぶバラバラだった。
十歳児、思ったより十歳児である。
見かねた母さんのこめかみが、ぴくりと動く。
あ、完全に“よその子でも説教モード”の前兆である。
私はひっそり冷や汗をかいた。
「クロノ」
「はい」
「あなたは大丈夫ね?」
ここは貴族令嬢らしく、上品に答えるべき場面である。私は背筋を伸ばし、口元に手を添え、できるだけ優雅に微笑んだ。
「オホホ、もちろんですのよ、お母様」
母さんの笑顔が、すっと深くなった。
あ、まずい。
答えを間違えたらしい。
「クロノ」
「はい」
「無理はしなくていいのよ」
「はひ、母さん」
上品令嬢モード、三秒で終了。
こわい。
今の私は、背筋ぴん。膝も閉じている。視線も前。口も閉じている。外側だけなら完璧である。
中身が「もう帰りたい」と「魔法どうしよう」でぐちゃぐちゃなこと以外は、完璧だった。
⸻
やがて式は、この日の列席者の中で最も位の高い人物――東方一帯を任されている枢機卿の挨拶から始まった。
枢機卿。
この国に五人だけいる、法王の次に偉い聖職者である。
正直どれくらい偉いのか、私にはよく分かっていない。前世でいうなら、校長先生どころか、教育委員会のさらに上の人が来た、みたいな感じだろうか。
とにかく、偉い。
ものすごく偉い。
……はずなのだが。
誰もちゃんと聞いちゃいない。
いや、正確には聞こうとはしている。でも、枢機卿さまの声が、かなりふがふがしているのだ。
神への感謝とか、聖堂院生としての心構えとか、魔法とは祝福であるとか、ものすごくありがたいことを言っている。
たぶん。
ふがふがしたありがたい話は、綿あめみたいにふわふわと消えていく。前の方に座っている子なんて、もう半分寝ている。後ろでは親同士が小声で世間話をしていた。
そんな中、枢機卿の視線が、ほんの一瞬だけこちらを向いた。ふがふがした声とは違って、その眼差しだけが妙に鋭く見える。
え、こわ。
思わず、私は何度かまばたきした。もう一度見ると、枢機卿は穏やかな顔で話を続けている。
……いや、気のせいか。
偉い人の話が眠すぎて、こっちの脳が勝手に不穏な演出を足したのかもしれない。
そう思って横を見ると、母さんは口元を手で隠し、こっそりあくびしていた。
……あ、母さんもこういうところあるんだ。
ちょっと安心した。
そんな、ふわっふわに緩みきった空気を一気に引き締めたのが、高等部二年の生徒代表、エリシア・エクス・ヴェルデンだった。
⸻
彼女が壇上に立った瞬間、風が吹いた気がした。
実際に風が流れたわけではない。けれど、ざわついていた大講堂の空気は、確かに変わった。さっきまで椅子を鳴らしていた子も、隣と話していた子も、床の模様に吸われていた子も、なぜかぴたりと動きを止める。
エリシア先輩は壇上の中央まで進むと、静かに一礼した。
「新入生の皆様、本日はご入学おめでとうございます。私は生徒代表を務めております、エリシア・エクス・ヴェルデンです」
澄んだ声が、大講堂の奥までまっすぐ届いた。
「これから始まる聖堂院での生活は、楽しいことばかりではありません。学び、悩み、時には思うようにいかない日もあるでしょう。けれど、どうか恐れないでください。皆様は今日から、共に学ぶ仲間なのです」
落ち着いた声なのに堅苦しくない。聞いているうちに、「これからの生活、ちょっと楽しそうかも」と思えてくる。
すごい。
同じ人類とは思えない。
向こうは高等部二年だから年齢差はある。あるけど、それにしても完成度が違いすぎる。こっちは今日、魔法をごまかせるかどうかで頭がいっぱいなのに。
あの人、たぶん朝起きた瞬間からちゃんとしてそう。寝癖とかつかなそう。寝ぼけて枕に顔を埋めながら「あと五分……」とか絶対言わなそう。
これが、選ばれし者のオーラか。
私とは人としての初期設定が違う。
「……すごい」
思わずつぶやくと、隣で母さんが小さく息をついた。
「噂には聞いていたけれど、想像以上ね……」
「知ってる人なの?」
「有名人よ。法国の北に隣接する王国、その海洋都市を治めるヴェルデン侯爵家の令嬢。留学生でありながら、生徒代表に選ばれているの」
へえ、と私は小さくうなずいた。すごい家の、すごい娘ってことらしい。
それより、海洋都市という響きがちょっと気になった。
船。市場。珍しい食べ物。異国の品。
絶対にぎやかで楽しそうだ。
いつか行ってみたい。
そう思いながら、私はもう一度壇上を見上げた。エリシア先輩は最後まで一度も声を乱さなかった。
やばい。
あれが完成された貴族令嬢。
やっぱり本物は、縦ロールで「おーほっほっほ」なんて笑わないらしい。
現実の貴族令嬢、普通に強い。
⸻
式が終わると、大講堂の空気は一気にゆるんだ。
親たちは立ち上がり、子どもたちはまたざわざわし始める。制服を少し着崩し、退屈そうに足を投げ出している子。親の服の袖をつかんで離さない、泣きそうな子。
そんな中、すでに何人もの子と笑い合っている子もいた。
私の前世の苦手なもの。
通称、陽キャである。
すごい。
友達はほしい。ものすごくほしい。
だが、その初速はやめろ。
こっちはまだ心の準備ができていない。
そんな周囲を見ていると、母さんが私の肩にそっと手を置いた。
「さあ、行きなさい」
「う、うん」
いよいよだ。
入学式のあとは、初等部一年の魔法確認がある。話に聞いている限りでは、的に向かって魔法を使い、担当の司祭に属性や扱い方を見てもらうだけらしい。
普通に魔法が使える子なら、大したことはない。でも私にとっては、処刑台に近い。
だって、魔法が使えない。
本当に使えないのだ。
出るのは、前世の道具だけ。
「クロノ」
母さんが、私を見下ろした。
いつもの厳しい顔だ。でも今は、ほんの少しだけ声がやわらかい。
「あなたの力は、少し特殊だから」
心臓が、どきりと跳ねた。
やっぱり、気づいている。
私がどうやってあの道具を出しているのか、どこまで分かっているのかは知らない。でも少なくとも、私が“普通ではない”ことは、とっくに見抜かれている。
「目立ちすぎないようにしなさい。少し火が出るとか、その程度でいいわ」
少し火が出る。
その“少し”が出ないから困ってるんですけどね、母さん。
そう言いたい。
でも言えるわけがない。
「終わるまで、試験場の外で待っているから」
「……うん」
私は一瞬だけ、母さんの顔を見た。
相変わらず厳しそうで、隙がない。でも、突き放すような目ではなかった。
見ている。
ちゃんと見ている。
そういう目だった。
「頑張る」
できるだけ元気よく返すと、母さんは小さくうなずいた。
⸻
母さんと別れ、私は試験場へ向かって歩き出した。
この一週間、マークとこそこそ練ってきた作戦が、頭の中をぐるぐる回っている。
火魔法っぽく見せるならライター。
水魔法なら水風船。
風魔法なら小型扇風機。
土魔法は……土のう袋。
いや、土のう袋って何?
今さらだけど、やっぱり発想が雑すぎない?
幸い、今日の残り回数には余裕がある。魔法確認を一度ごまかすだけなら、問題ない。
ちなみに、ここに落ち着くまでに、マークからはロケット花火、催涙スプレー、ピストル、火炎放射器、果ては戦車まで案として出ていた。危険度が高い。雑さも高い。あと、最後のやつは魔法確認用ではなく戦争用である。
結局、最初の案が一番まともだった。そして、どの案も本物の魔法ではない。でも的に当てるだけなら、なんとかなる。
……たぶん。
私はぎゅっと拳を握る。
たとえ本物の魔法が使えなくても。
たとえ中身がハッタリでも。
今日だけは、ちゃんと“それっぽく”見せてみせる。
私は大きく息を吸い、試験場の扉に手をかけた。




