第3話 マークとポテチと限界具現
聖堂院リュミエールへの入学まで、あと一週間。私はベッドの上に寝転がったまま、天井を見上げていた。
「はぁ……魔法が使えないまま初登院とか、不安しかない……」
十歳。この世界では、貴族の子どもが聖堂院へ入る年齢である。
聖堂院リュミエールは、法国の貴族や教会関係者の子どもたちが通う学び舎だ。十歳になる年に入学し、初等部二年、中等部二年、高等部二年を過ごす。順調なら、十六歳前後で卒業するらしい。
つまり、ここから六年間。魔法、信仰、武術、礼儀、そして一般教養。その全部を叩き込まれるわけである。
前世なら小学四年生くらいの年齢から、魔法と神様と貴族マナー漬け。元現代日本のオタク女子高生からすると、だいぶ濃いコースだ。
しかも問題は、勉強量ではない。
私は、魔法が使えない。
それなのに、魔法を学ぶ学校へ行く。
これ、入学前から詰んでない?
そんな私の隣では、弟のマークが床に座り込み、ポテチをもさもさ食べていた。九歳になっても相変わらず元気で、相変わらず食べる。
少し前まで、携帯ゲーム機を握りしめて「ぶよぶよ、六連鎖キター!」と騒いでいたくせに、今は完全にポテチへ意識を切り替えている。
食欲が強い。
私が出した現代のお菓子と炭酸を味わいすぎたせいで、弟のほっぺとお腹は順調に育ってしまった。ぶよぶよを消す前に、自分のお腹のぶよぶよをなんとかした方がいい気もする。
……いや、原因は私か。
罪悪感が湧いてきた。
「姉ちゃん、今日あと何回出せるの? オレ、炭酸シュワシュワ飲みたい!」
「残り二回。シャンプーとリンスも出したいから、今日はもう無駄遣いできないよ!」
「ケチー。じゃあ昨日出した小型四駆のおもちゃで勝負しよーぜ!」
私は子ども部屋をぐるりと見渡した。
床にはブロック玩具。小型四駆のコース。よく分からないモンスター風フィギュア。携帯ゲーム機。読みかけの漫画。ポテチの袋。ついでに、マークが雑に脱ぎ捨てた上着。
異世界の貴族屋敷なのに、部屋の一角だけ急に現代日本の男子児童部屋みたいになっている。
「まず片づけてから言って!」
「えー」
「えー、じゃない!」
この四年間で分かったことがある。弟という生き物は、片づけより遊びを優先する。そして目の前におもちゃやお菓子があると、理性はあっさり負ける。
⸻
この世界は、わりと理不尽だ。
奴隷、貧民、農民、平民、貴族、王族。生まれた瞬間に、だいたいの立ち位置が決まる。努力で覆せる部分はたしかにある。でも、最初に配られる手札の格差がえぐい。
血筋。
才能。
信仰。
そして、その全部に深く食い込んでいるのが魔法だった。どんな魔法を受け継いだか。それだけで、将来の立場まで変わることがある。
そんな世界の中で、私だけが持っている“例外”がある。
……そう。
私はわざとゆっくり身を起こし、前髪をかき上げた。ここは大事な決め顔ポイントである。演出は大切だ。力の説明には、雰囲気が要る。
私、クロノ・ソーカには、誰にも正体を明かせない“異質な力”があったのだ!
「姉ちゃん、どうしたの? 頭痛いの?」
「うるさい! 今いいとこなんだから!」
せっかくキマりかけてたのに。
⸻
その力を、私は限界具現と呼んでいる。もちろん、私が勝手に名づけた。
前世にあった物を、この世界へ現す。つまり“現界”。でも、使える回数にも、出せる物にも限界がある。だから“限界”。
現界と限界。我ながらナイスなネーミングだと思う。名前だけなら、かなり強そうだ。
限界具現とは、前世に実在していた品を、私の記憶からこの世界へ物質として再現する能力である。ここだけ聞くと、めちゃくちゃ強い。異世界で現代アイテムを出せる。それだけで、だいぶインチキ臭い。
だが。
便利そうな能力には、決まって嫌な縛りがつく。強い力ほど、気軽には使わせてもらえない。ロマンには、面倒な条件がセットでついてくる。
私はそのへんを、少年漫画で学んだ。
そして四年間。私とマークは、お菓子を出し、おもちゃを出し、変なものを出し、たまに失敗しながら、この能力の仕様を少しずつ調べてきた。
第一の制約、使用回数。
「今日、二回なんでしょ?」
「残りがね。朝起きた時はもっとあったけど、あんたのポテチとかで消えたわ」
限界具現を使える回数は、八時間以上続けて眠り、目を覚ました時にランダムで決まる。しかも目を覚ました瞬間、なぜか頭の中に使える回数がすっと浮かんでくる。
ゲームなら親切設計。自分の脳内でやられると、ちょっと怖い。
多い時もあれば、少ない時もある。今日はまだマシな方だ。
使える回数を再抽選したければ、もう一度、八時間以上続けて眠る必要がある。つまり、夜更かし厳禁。オタクに厳しすぎる仕様である。
前世だったら深夜アニメ一気見と引き換えに、翌日の能力を失うところだった。
運営は人の心がない。
「じゃあ今から寝たら増える?」
「八時間眠れば再抽選。増えるかどうかは運次第」
「寝よ!」
「賭けに出るな! 夜まで起きてこられなくなるわ!」
第二の制約、前世に実在していた物だけ。
限界具現の対象になるのは、あくまで前世に実在していた物だけだ。実物を見たり、触れたり、使ったりした物はもちろん、写真や映像、雑誌などで知った物でもいい。ただし、形や用途、使い方まで、自分の中で「これ」と具体的に思い描ける必要がある。
以前、私は考えた。
白いツノつき巨大ロボ。アニメオタクとして何度も見た。名前も知っている。武器も知っている。必殺技だって言える。
ワンチャン、いけるのでは?
結果。
出てきたのは、未組み立てのプラモデルだった。
いや、確かに前世に実在したのはそっちだけど!
しかも箱入り。
組み立てないと完成しないところまで、変な方向に現実へ忠実だった。
「姉ちゃん、あれまだ作らないの?」
「部品多いんだよ……」
夢の巨大ロボは、今も棚の上で箱のまま眠っている。
第三の制約、知識が曖昧だと失敗する。
写真で見た。名前も知っている。でも、細かい形や使い方までは覚えていない。
そんな物を無理やり出そうとすると、似ているけど何か違う物が出てきたり、使い物にならなかったりする。
つまり、知ったかぶり厳禁。能力相手にまで「それ、本当に知ってます?」と試される人生である。
第四の制約、連続使用すると不安定になる。
連続で使ったり、一度に複数の物を出そうとしたりすると、能力は露骨に不安定になる。焦れば焦るほど、思い描いた形がぶれる。こっちがパニックになると、能力まで一緒にパニックを起こすらしい。
変なところで仲がいい。
連帯感はいらない。
第五の制約、消すのにも一回使う。
「姉ちゃん、この袋消してよ」
マークが食べ終えたポテチの袋を持ち上げた。
「嫌」
「なんで?」
「消すのにも一回使うから」
「あっ、そうだった」
そう。
一度出した物を消すにも、限界具現を一回使う。
いや、そこはサービスでよくない?
出すのに一回。
消すのにも一回。
片づけにまでリソースを要求してくる。
この能力、性格が悪い。
「だからゴミ箱に捨てて」
「はーい」
以上が、四年間で分かった限界具現の基本仕様である。
便利そうに見えて、ちゃんと不便。強そうに見えて、雑に使うと事故る。
夢はある。でも、運用が面倒。
異世界無双の切り札というより、説明書の分厚い家電に近い。
そして、そんな細かい仕様をここまで調べられたのは、目の前の弟のおかげだった。
マークは、私の共犯者である。前世の記憶も、この力の正体も知っている、今のところ唯一の相手。そして、実験で出た物を嬉々として消費してくれる便利係。
炭酸。
ポテチ。
たまにおもちゃ。
要求頻度が高い。食への執着も強い。食いしん坊キャラとしての完成度が、九歳にしてすでに高すぎる。
君は本当に異世界で生まれた貴族の子どもか?
⸻
もちろん、四年間もこそこそ実験していれば、家族に現代アイテムの存在まで隠し通せるわけがない。
「クロノ。外で“光る箱”や“動くオモチャ”を使わないようにね。街中が大騒ぎになるから」
父さんはそう言って、にこにこ笑った。
……そこまで把握してるのに、あえて深く聞いてこないの優しすぎない?
「はい……」
母さんは母さんで、私が出したマーク用のおもちゃを見つけるたび、にこやかな顔で逃げ道を塞いでくる。
「クロノ。これは何かしら?」
「えっと……教材です」
「へえ。教材。これは何で動いているのかしら?」
「で、でん……思いやりです」
「お、思いやり?」
「うん。たぶん」
「危険はないのね?」
「……はい」
「何か話したいことや、隠していることがあれば、すぐに言いなさい」
笑顔なのに、こめかみのあたりがぴくりと動いている。それでも、母さんは最後の一線を越えてこない。
何か、この家だけのルールでもあるのだろうか。
最近の母さんが見せる笑顔は、ほとんど尋問である。
そしてこの屋敷には、もう一人、やたら察しのいい人がいた。
使用人のイザベラだ。
イザベラは、いつも落ち着いた顔で家事をしてくれる。黒いメイド服を着て、背筋はまっすぐ。動きには妙なほど無駄がない。
使用人なのに、なぜか気配が武人っぽい。しかも、気づけばいつの間にか背後にいる。
……使用人って、こんなに気配消せるものなの?
深く考えるのはやめよう。
考え始めると怖いからだ。
「クロノ様。床に転がっていたこの四輪の小さな馬車は、サラサ様に見つからないよう片づけておきました」
「ありがとう」
「こちらの袋菓子は、油がマーク様のお洋服に染みておりましたので、着替えさせておきました。サラサ様に知られれば叱られます。お気をつけください」
「すみません」
「それと、こちらの光る板は、夜に窓際で使うと外から見えます」
「き、気をつけるね」
イザベラは何も聞かない。何も聞かないまま、的確に危険だけ潰してくる。
たぶん母さんとは、ある程度情報を共有している。それでも余計な揉め事にならないよう、先回りしてくれているのは分かった。
ある意味、一番怖い。
父さんと母さんは、気づいていても深く踏み込まない。
イザベラは、見つけても黙って片づける。
マークは、だいたい食べる。
……この屋敷、全体的に優しすぎない?
いや、ありがたいけど。
ありがたいけど、たぶん普通ではない。
⸻
「姉ちゃん、頭痛いの治った? マイソラ一緒にやる?」
「……今、そういう気分じゃない」
「じゃあ炭酸シュワシュワ!」
「ダメ!」
「えー。じゃあギコジャガは?」
「私、あんた専用の補給物資担当じゃないんだけど?」
私がそう言うと、マークは青いぬいぐるみを抱えたまま、不満そうに頬をふくらませた。
九歳になったのに、そういうところは五歳の頃とあまり変わらない。でも、そんなマークが、たまに核心を突くことを言う。
「姉ちゃんさ、聖堂院で魔法出せないなら、道具でごまかせばいいじゃん」
「……ごまかす?」
私は思わず体を起こした。
「だって姉ちゃん、火は出せないけど、火が出る道具なら出せるでしょ?」
「まあ……出せるものもあるけど」
「じゃあ、それ魔法っぽく見せればいいじゃん」
私は少し黙った。
あまりにも雑な発想だった。雑で、子どもっぽくて、危なっかしい。でも同時に、今の私にとっては、ものすごく現実的な逃げ道でもあった。
「たとえば?」
私が聞くと、マークは待ってましたとばかりに指を折り始めた。
「火魔法は、この前、花火をした時に母さんに怒られた火が出る小さいやつ!」
「ライターね」
「水魔法は、この前、母さんにぶつけて怒られた水が入ったふくらむやつ!」
「水風船かな」
「風魔法は、この前、母さんに驚かれたくるくる回って風が出るやつ!」
「小型扇風機」
「土魔法は……ど、土嚢袋!」
「雑! でも多分、出せなくはない!」
土だけ急にそのままだった。
でも、発想自体は悪くない。いや、悪くないどころか、思った以上に使えるかもしれない。
現代の道具を、魔法に見せかける。
かなり危ない橋ではある。でも、何もできないまま聖堂院へ行くよりはましだった。
「なるほど、マーク……あんた、意外と賢いわね」
「えへへ」
「口元にポテチの青海苔ついてるけど」
「えっ」
マークが慌てて袖で口元をぬぐう。
やばい。
袖までべったべただ。
あとでイザベラに言って、着替えを出してもらおう。
私はベッドから降り、床に転がっていたメモ帳を拾った。前世の物ではなく、この世界の紙だ。少し厚くて書きにくいけれど、作戦会議には十分である。
「マーク、手伝って」
「なにを?」
「聖堂院デビュー対策会議」
「おお!」
マークの目が輝いた。
私はペンを握りしめる。
火魔法。
水魔法。
風魔法。
土魔法。
この世界で当たり前とされるもの。
私が、どうしても使えないもの。
それを、前世の知識と、この面倒くさい能力でごまかす。
無茶かもしれない。でも、魔法が使えないと知られれば、父さんと母さんにも心配をかける。何もしないまま入学するより、今できることを試した方がいい。
「いい? マーク。これは遊びじゃないからね」
「うん!」
「私の人生がかかってる」
「うん!」
「場合によっては、ソーカ家の評判もかかってる」
「うん!」
「失敗するとポテチのおかわりはない」
「ええっ!?」
そこだけ一番反応が大きかった。
頼りになるのか、ならないのか。四年経った今でも、そこだけはよく分からない。それでもマークは、最初にこの力を見た日から、ずっと私の隣にいた。
こうして私たちは、こそこそと作戦会議を始めた。
魔法が使えないなら、それっぽく見せればいい。
ただ、この場しのぎの策が、やがて聖堂院中を巻き込む大きな勘違いを生むことになるとは、まだ思ってもいなかった。
聖堂院入学まで、あと一週間。
魔法ゼロ令嬢のごまかし作戦は、こうして始まった。
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