この世界、設定盛りすぎなんだが?
気づけば、転生から六年が経っていた。
……早くない?
体感としては、オープニングが終わった瞬間に幼少期ダイジェストが始まって、気づいたら操作キャラが六歳になっていたくらいの速さである。
赤ちゃん時代、ほぼスキップ。
いや、正確には色々あった。寝返りで感動されたり、立っただけで屋敷中が祭りみたいになったり、よだれで前掛けを何枚も犠牲にしたり。人間、歩くだけで褒められる時代がある。あれはあれで、なかなか悪くなかった。でも今の私は、もう赤ちゃんではない。
六歳である。
名前は、クロノ・ソーカ。名家ソーカ家の長女だ。
つまり、貴族令嬢。
前世の私が聞いたら、たぶん三秒くらい固まる。貴族令嬢に転生? 流行りの悪役令嬢もの? 縦ロールで「おーほっほっほ」とか言うやつ? 残念ながら、私の髪は縦ロールではない。あと、今のところ悪役令嬢っぽい予定もない。
たぶん。
⸻
この六年で、家族のこともだいぶ分かってきた。
父の名前は、グラン・ソーカ。名家ソーカ家の五男坊で、今は教会の司祭として働いている。ふくよかで、優しくて、だいたい何かを食べながら笑っている。使用人いわく、若い頃はかなりの美男子だったらしい。
……そこは普通に気になる。
昔の肖像画とかないの? 設定資料集、どこ?
母は、サラサ・ソーカ。紅蓮魔法が得意な、めちゃくちゃ美人のキャリア貴族ママである。優しい。美人。声も柔らかい。
ただし、礼儀作法になると鬼。
「クロノ、背筋」
「はい、母さん」
「返事はよろしいわ。でも、目つきがいけないわね」
笑顔で詰めてくるタイプのボスキャラだった。
母親による礼儀作法チュートリアル。チュートリアルのくせに難易度が高い。スキップ機能がほしい。切実にほしい。
そして弟のマーク・ソーカ。五歳。ぽっちゃり。元気。とにかく元気。毎日、私のあとをくっついてくる。
「姉ちゃん、あそぼ!」
「今は詠唱文の音読中」
「じゃあ終わったらあそぼ!」
「終わったら寝たい。喉も頭も疲れた」
「じゃあ寝るまであそぼ!」
HP無限か?
しかも母は、マークには少し甘い。
「マークはまだ小さいから、ちゃんと見てあげなさい」
いや、私もまだ六歳ですけど?
六歳児に背筋と礼儀と微笑みを要求してくるのに、年子の弟には甘いの何? この扱いの差、運営に問い合わせたい。
まあ、マーク本人は悪いやつじゃない。前世で一人っ子だった私にとって、こんなふうに懐いてくる弟は普通に新鮮だ。うるさいけど、可愛い。めちゃくちゃ可愛い。
「姉ちゃん、はやくしてー」
うざ……いや、元気。
すごく元気。
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そして、この世界のことも少しずつ分かってきた。
私が暮らしているのは、イシュ=バルト法国。信仰と教会の国で、魔法は“神の祝福”として扱われている。朝には鐘が鳴る。食事の前には祈りがある。街のあちこちには聖句が刻まれていて、教会関係者はかなり偉い。前世基準で言えば、だいぶ濃い。毎朝鐘で起こされる生活、現代女子高生にはなかなかハードである。
私が住む栄都セレスティアは、法国の東にある大きな街だ。そして、その街の中心にあるのが、聖堂院リュミエール。白い尖塔。大きな鐘楼。光を受けてきらきらするステンドグラス。中庭では、聖堂院に通う子どもたちが祈るように杖を構え、淡い魔法の光を浮かべている姿を見たことがある。
完全に重要施設である。RPGなら、絶対ここでチュートリアルが終わる。そして、たぶん後半で燃える。
……いや、燃えたら駄目だ。
ここはゲームの背景じゃない。十歳になる年に、私が通うことになる場所である。
法国では、貴族の子どもは聖堂院で魔法と信仰、一般教養を学ぶらしい。つまり、私も数年後には魔法学園デビューである。
異世界の学校、聖堂院リュミエール。
響きだけなら、ちょっとワクワクする。魔法の授業。同年代の友達。制服。図書室。食堂。昼休みに一緒にごはんを食べる相手。
うん。
妄想が勝手に走り出す。イベントの気配しかしない。でも同時に、普通に怖い。クラス分けで初手ぼっちルートとかやめてほしい。前世では、そっち方面の実績がわりと濃いんだから。
そして何より、今の私は深刻な問題に直面していた。聖堂院は、貴族の子どもが魔法を学ぶ場所だ。入学する者は、当然のように何かしらの魔法を扱えるものとして見られる。
なのに。
私はまだ、魔法を一度も使えていない。
⸻
魔法。
この世界で、それは才能であり、義務であり、将来そのものだ。
特に貴族の子どもにとっては、家の価値にも関わる。母さんは紅蓮魔法が得意らしく、そのせいか、周りの使用人たちも娘の私が当然のように魔法を使えるものだと思っていた。
「クロノ様も、きっと紅蓮の才をお持ちでしょう」
「サラサ様の娘ですものね」
「聖堂院でのご成長が楽しみです」
やめて。期待値を勝手に上げないで。こっちはまだ、火の粉ひとつ出せてないんだが?
試したことはある。こっそり部屋で、手のひらを突き出してみた。
「火よ……出ろ」
出ない。
「紅蓮よ……燃えろ」
出ない。
「ファイア」
出ない。
「いでよ! イフリートおおおお!!」
もちろん出ない。いや、最後のは出たら出たで問題だけど。とにかく、何も出ない。煙すら出ない。残るのは、ひとりで手のひらを突き出していた気まずさだけである。
魔法の国。
貴族令嬢。
数年後には聖堂院。
そして、魔法が使えない私。
……詰みでは?
かなり詰み寄りでは?
とはいえ、まだ六歳だ。大人たちは「これからですよ」と笑ってくれる。優しい。ありがたい。でも、その優しさが逆に怖い。これ、あとで期待外れだった時にまとめて刺さるやつじゃない?
未来の地雷が、順調に埋まっていく音がする。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
いや、やめて。六歳児に地雷原を歩かせないで。
⸻
そんなある日のことだった。
いつも通り、私は自分の部屋で、ひとり手のひらを見つめていた。扉は閉めた。カーテンも半分だけ引いた。机の上には、詠唱文を書き写した紙と、開きっぱなしの魔法入門書。準備だけなら、かなり魔法使いっぽい。
問題は、何も起きないことだ。
何度試しても、魔法は出ない。恥ずかしがって、どこかで「本当に出るわけない」と思っているのがいけないのかもしれない。魔法というのは、たぶん勢いも大事だ。そう思って、ちょっと厨二っぽく叫んでみた。
「紅蓮よ、我が腕に宿れ!」
出ない。
ならば次だ。こういう時は、もっと内側に意識を向けるべきかもしれない。目を閉じる。呼吸を整える。身体の中心に、力が巡っているイメージを作る。
念だ。たぶん、こういうのは念。
私は脳筋型か? いや、技巧派か? 待てよ、もしや主人公補正つきの特殊枠かもしれない。
ぐぬぬぬ……。
こめかみがぴくぴくする。頭の上には、怒りマークが八個くらい浮いている気がした。ここまで雰囲気だけは完璧だったのに、やっぱり何も出ない。
となると、もしや私の魔法は日本式なのでは?
そう思って、今度はそれっぽく指を組んでみる。忍者がやるやつだ。シュバババッと素早く手を動かす。気分は完全に忍術使いである。
こうか? いや、違う気がする。たぶんこっちだ。いや待て、もう一本指が足りない?
前世で無駄に真似していた記憶を頼りに、私は印を組み替え続けた。もちろん、何も起きない。火も出ない。風も起きない。光も走らない。
何も出ない。
いつの間にか、腕を振り回していただけなのに息が切れていた。これ、前世のフィットネスクラブにいたお母さんたちがやったら、たぶん二の腕に効く。
……暴れすぎた。
疲れた。
炭酸飲みたい。
その時、頭に浮かんだのは、前世で何度も飲んだ黒い炭酸飲料だった。しゅわしゅわして、甘くて、飲むとちょっと元気になるやつ。いや、今それが出たら嬉しいけども。火を出したいんだよ、こっちは。
そう思った瞬間。
ぽんっ。
間の抜けた音がした。
私の手の中に、赤いラベルが巻かれた、黒い液体入りのペットボトルが現れていた。
「……出た」
魔法じゃない。
でも、出た。
え?
どういうこと?
水の魔法? いや違う。ペットボトルごと出てる。プラスチックまで込みで来てる。私は固まったまま、手の中のそれを見つめた。しかも冷たい。見覚えがある。間違いなく、前世の世界にあったものだ。
いやいやいや。火は出ないのに、炭酸は出るの?
もしや私は、魔法使いじゃなくて具現化系か召喚系のタイプなのか? この世界の才能判定、どうなってるの? 魔法適性なし。炭酸飲料適性あり。そんな項目、聞いたことないんだけど。
……喉も渇いていたし、私はそっとキャップをひねった。
ぷしゅっ。
あ、この音。懐かしすぎる。
一口飲むと、しゅわっとした刺激が舌に広がった。
うまっ。
転生後、異世界で飲む久しぶりの炭酸飲料。これはやばい。普通に泣きそう。
その時だった。
「姉ちゃん、それなに?」
背後から、聞き慣れた声がした。
コーラがブシャァッと鼻と口から出た。
最悪である。慌てて口元をぬぐいながら、私はゆっくり振り返った。部屋の扉の隙間から、弟のマークが目をきらきらさせてこちらを見ていた。
あ、やばいかも。
このシュワシュワする黒い飲み物と、割れない謎の入れ物を説明するには、たぶん前世から順に話さなきゃいけない。説明コストが重すぎる。私のチート、初手で弟にバレた。え、なんてごまかす?
そしてマークは、満面の笑みで言った。
「それ、飲めるやつ?」
……そこ?
「飲んでもいいけど、絶対誰にも言っちゃ駄目だよ?」
父さんと母さんに知られるのは、やっぱり怖かった。自分の娘が、見たこともない黒い飲み物を突然出した。しかも、前世の記憶を持った転生者かもしれない。そんな話になったら、普通に気味が悪いと思われても仕方ない。
だから本当は、誰にも知られてはいけないのだろう。
でも、もう一人で抱え込むには重すぎた。前世のことも、この力のことも、全部を信じてもらえるかは分からない。それでも、五歳のマークには、少しずつ話すしかないのかもしれない。
マークはうるさいし、元気すぎるし、目の前で今も夢中でコーラをゴクゴク飲んでいる。たぶん脳内は、黒いシュワシュワでいっぱいだ。それでも、妙に勘がいい。五歳児にしては明らかに頭も良かったし、私によく懐いている。
そして何より――。
今この場で、私の秘密を見てしまった最初の目撃者だった。
だったらもう、巻き込むしかない。
私には味方が欲しかった。できれば、実験にも付き合ってくれて、変なものが出ても一緒に「なんだこれ」と言ってくれる共犯者兼参謀が。
「げふっ。姉ちゃん、おかわり!」
……参謀かどうかは怪しい。
でも、共犯者にはなった。
これが、私とマークの最初の秘密になり、私の能力をめぐる秘密の実験生活は、ここから始まったのである。




