第2話 魔法ゼロ令嬢、炭酸を具現する
気づけば、転生から六年が経っていた。
……早くない?
体感としては、オープニングが終わった瞬間に幼少期ダイジェストが始まり、気づいたら操作キャラが六歳になっていたくらいの速さである。赤ちゃん時代、ほぼスキップ。
いや、正確には色々あった。
寝返りで感動されたり、立っただけで屋敷中が祭りみたいになったり、よだれで前掛けを何枚も犠牲にしたり。
人間、歩くだけで褒められる時代がある。
あれはあれで、なかなか悪くなかった。
でも今の私は、もう赤ちゃんではない。
六歳である。
名前は、クロノ・ソーカ。
名家ソーカ家の長女。つまり、貴族令嬢だ。
前世の私が聞いたら、たぶん三秒くらい固まる。
貴族令嬢に転生?
流行りの悪役令嬢もの?
縦ロールで「おーほっほっほ」とか言うやつ?
残念ながら、私の髪は縦ロールではない。
あと、今のところ悪役令嬢っぽい予定もない。
たぶん。
⸻
この六年で、家族のこともだいぶ分かってきた。
父の名前は、グラン・ソーカ。
名家ソーカ家の五男坊で、今は教会の司祭として働いている。ふくよかで、優しくて、だいたい何かを食べながら笑っている。使用人いわく、若い頃は相当な美男子だったらしい。
……そこは気になる。
昔の肖像画とかないの?
母は、サラサ・ソーカ。
紅蓮魔法が得意な、めちゃくちゃ美人のキャリア貴族ママである。優しいし、声も柔らかい。ただし、礼儀作法になると鬼。
「クロノ、背筋」
「はい、母さん」
「返事はよろしいわ。でも、目つきがいけないわね」
笑顔で詰めてくるタイプのボスキャラだった。六歳児相手とは思えない難易度である。
スキップ機能がほしい。
切実にほしい。
そして弟のマーク・ソーカ。
五歳。ぽっちゃり。元気。とにかく元気。
毎日、私のあとをくっついてくる。
「姉ちゃん、あそぼ!」
「今は詠唱文の音読中」
「じゃあ終わったらあそぼ!」
「終わったら寝たい。喉も頭も疲れた」
「じゃあ寝るまであそぼ!」
HP無限か?
しかも母は、マークには少し甘い。
「マークはまだ小さいから、ちゃんと見てあげなさい」
いや、私もまだ六歳ですけど?
まあ、マーク本人は悪いやつじゃない。
前世で一人っ子だった私にとって、こんなふうに懐いてくる弟は新鮮だ。
うるさいけど、可愛い。
めちゃくちゃ可愛い。
「姉ちゃん、はやくしてー」
うざ……いや、元気。
すごく元気。
⸻
この世界についても、少しずつ分かってきた。
私が暮らしているのは、イシュ=バルト法国。信仰と教会の国で、魔法は“神の祝福”として扱われている。朝には鐘が鳴り、食事の前には祈りがある。街のあちこちには聖句が刻まれ、教会関係者の立場もかなり強い。毎朝鐘で起こされる生活は、元現代女子高生にはなかなかハードである。
私が住む栄都セレスティアは、法国の東にある大きな街だ。
その中心にあるのが、聖堂院リュミエール。
白い尖塔に、大きな鐘楼。
光を受けてきらきらするステンドグラス。
中庭では、聖堂院に通う子どもたちが祈るように杖を構え、淡い魔法の光を浮かべている姿を見たことがある。
完全に重要施設である。
そして、十歳になる年には私もそこへ通うことになる。法国では、貴族の子どもは聖堂院で魔法と信仰、一般教養を学ぶらしい。つまり、数年後には魔法学園デビューである。
魔法の授業。
同年代の友達。
制服に、図書室に、食堂。
昼休みに一緒にごはんを食べる相手。
うん。
想像するだけなら、楽しそうだ。
でも同時に、ちょっと怖い。クラス分けで初手ぼっちルートとかやめてほしい。前世では、そっち方面の実績がわりと濃いんだから。
そして何より、今の私にはもっと深刻な問題があった。
聖堂院は、貴族の子どもが魔法を学ぶ場所だ。入学する者は、当然のように何かしらの魔法を扱えるものとして見られる。
なのに。
私はまだ、魔法を一度も使えていない。
⸻
この国の貴族にとって、魔法の才はただの特技ではない。どんな魔法を使えるかで将来の立場まで変わるし、時には家そのものの評価にも関わる。
母さんは紅蓮魔法が得意らしく、そのせいか、周りの使用人たちも娘の私が当然のように魔法を使えるものだと思っていた。
「クロノ様も、きっと紅蓮の才をお持ちでしょう」
「サラサ様の娘ですものね」
「聖堂院でのご成長が楽しみです」
期待が重い。想いが重い。こっちはまだ、火の粉ひとつ出せてないんだが?
もちろん、何もしていないわけじゃない。
魔法入門書も読んだ。詠唱文も覚えた。こっそり何度も試した。
結果。
何も出ない。
魔法の国。貴族令嬢。数年後には聖堂院。
そして、魔法が使えない私。
……詰みでは?
とはいえ、まだ六歳だ。大人たちは「これからですよ」と笑ってくれる。優しい。ありがたい。でも、その優しさが逆に怖い。これ、あとで全部まとめて刺さるやつじゃない?
未来の地雷が、順調に埋まっていく音がする。
カチッ。
カチッ。
カチッ。
いや、やめて。
六歳児に地雷原を歩かせないで。
⸻
そんなある日のことだった。
私は自分の部屋で、ひとり手のひらを見つめていた。
扉を閉め、カーテンを半分だけ引く。机の上には、詠唱文を書き写した紙と、開きっぱなしの魔法入門書。準備だけなら、魔法使いっぽい。
問題は、何も起きないことだ。
何度試しても魔法は出ない。
でも、もしかすると、心のどこかで「本当に出るわけない」と思っているのがいけないのかもしれない。
魔法というのは、たぶん勢いも大事だ。
そう考えた私は、今回は厨二病っぽく詠唱を変えてみることにした。
大仰に右手を突き出し、カッコつけて叫ぶ。
「紅蓮よ、我が腕に宿れ!」
出ない。
ならば次だ。
目を閉じる。呼吸を整える。
身体の中心に、力が巡っているイメージを作る。
念だ。
たぶん、こういうのは念。
私は脳筋型か?
いや、技巧派か?
待てよ。もしや主人公補正つきの特殊枠かもしれない。
ぐぬぬぬ……。
こめかみがぴくぴくする。
ここまで雰囲気だけは完璧なのに、やっぱり何も起きない。
となると、もしや私の魔法は日本式なのでは?
そう思って、今度はそれっぽく指を組んでみた。忍者がやるやつだ。前世で無駄に真似していた記憶を頼りに、シュバババッと手を動かす。
こうか?
いや、違う気がする。
たぶんこっちだ。いや待て、もう一本指が足りない?
もちろん、何も起きない。
火も出ない。
風も起きない。
光も走らない。
いつの間にか、腕を振り回していただけなのに息が切れていた。
これ、前世のフィットネスクラブにいたお母さんたちがやったら、たぶん二の腕に効く。
……暴れすぎた。
疲れた。
炭酸飲みたい。
その時、頭に浮かんだのは、前世で何度も飲んだ黒い炭酸飲料だった。
しゅわしゅわして、甘くて、飲むとちょっと元気になるやつ。
いや、今それが出たら嬉しいけども。
火を出したいんだよ、こっちは。
そう思った瞬間。
ぽんっ。
間の抜けた音がした。
私の手の中に、赤いラベルが巻かれた、黒い液体入りのペットボトルが現れていた。
「……出た」
魔法じゃない。
でも、出た。
え?
どういうこと?
水の魔法?
いや違う。ペットボトルごと出てる。プラスチックまで込みで来てる。
私は固まったまま、手の中のそれを見つめた。
しかも冷たい。
見覚えがある。
間違いなく、前世の世界にあったものだ。
いやいやいや。
火は出ないのに、炭酸は出るの?
もしや私は、魔法使いじゃなくて具現化系か召喚系のタイプなのか?
魔法適性なし。
炭酸飲料適性あり。
……そんな適性、聞いたことないんだけど。
喉も渇いていたし、私はそっとキャップをひねった。
ぷしゅっ。
あ、この音。
懐かしすぎる。
一口飲むと、しゅわっとした刺激が舌に広がった。
うまっ。
転生して六年。
異世界で飲む、久しぶりの炭酸飲料。
これはやばい。
ちょっと泣きそう。
その時だった。
「姉ちゃん、それなに?」
背後から、聞き慣れた声がした。
コーラがブシャァッと鼻と口から出た。
最悪である。慌てて口元をぬぐいながら、私はゆっくり振り返った。
部屋の扉の隙間から、弟のマークが目をきらきらさせてこちらを見ている。
……いつからいた?
あ、やばいかも。
このシュワシュワする黒い飲み物と、見たこともない透明な入れ物を説明するには、たぶん前世から順に話さなきゃいけない。
説明コストが重すぎる。
私の謎能力、初手で弟にバレた。
え、なんてごまかす?
そんな私の焦りなど知らず、マークは満面の笑みで言った。
「それ、飲めるやつ?」
……そこ?
「飲んでもいいけど、絶対誰にも言っちゃ駄目だよ?」
父さんと母さんに知られるのは、やっぱり怖かった。自分の娘が、見たこともない黒い飲み物を突然出した。しかも、その娘には前世の記憶があって、自分たちの知らない世界を知っている。
そんな話になったら、どう思われるか分からない。本当なら、この力は誰にも知られない方がいい。でも、ばっちり見られた。
しかも相手は五歳児だ。
下手にごまかしたところで、「姉ちゃんが黒いシュワシュワ出して美味しかった!」と母さんに報告される未来しか見えない。
……なら、先に味方にしてしまおう。
マークはうるさいし、元気すぎるし、今も目の前で夢中になってコーラをゴクゴク飲んでいる。たぶん脳内は、黒いシュワシュワでいっぱいだ。
それでも妙に勘がいいし、何より私によく懐いている。今この場で、私の秘密を見てしまった最初の目撃者でもあった。
だったらもう、巻き込むしかない。
私には味方が欲しかった。できれば、実験にも付き合ってくれて、変なものが出ても一緒に「なんだこれ」と言ってくれる共犯者兼参謀が。
「げふっ。姉ちゃん、おかわり!」
……参謀かどうかは怪しい。
でも、共犯者にはなりそうだ。
そして、ひとつ問題が残った。
飲み終えたペットボトルが、消えない。
机の上には、この世界に存在しないはずの透明な容器が、何食わぬ顔で転がっている。
……とりあえず、隠すしかないか。
これが、私とマークの最初の秘密。
そして、私の能力をめぐる秘密の実験生活は、ここから始まったのである。




