第43話 魔導祭、開幕
会場は、聖堂院リュミエールの敷地のさらに奥にある大運動場だった。
運動場、と呼ぶにはあまりにも広い。
中央にはいくつもの競技区画が設けられ、その周囲を石造りの観客席がぐるりと囲んでいる。生徒たちの席だけではない。保護者用の区画、白い法衣の聖職者たちが並ぶ席、貴族や招待客を迎える来賓席まで、きっちり用意されていた。
見上げれば、暁組と宵組の旗が風にはためいている。
観客席を埋める、人、人、人。
聖堂院の行事とは聞いていたけれど、これはもう、栄都セレスティアを挙げた祭りに近い。
もっとも、競技場の中へ入れるのは、生徒の家族や招待客だけらしい。私も入学するまでは、この時期になると街に人や馬車が増え、妙に慌ただしくなるな、くらいにしか思っていなかった。
父さんと母さんは、仕事で少し遅れるらしい。
まあ、遅れてくれた方がありがたい。
余計な心配はかけたくない。
私の出番にだけは、どうか間に合わないでくれ。
「やっぱり宗教国家って、お金あるんだな……」
思わず本音が漏れた。
「これだけの人に聖堂院の力を見せられるなら、費用ではなく投資でしょうね」
隣にいたエルヴィンが、肩を揺らして笑う。
「今日はみんなで頑張ろうね!」
ミーナが拳を高く掲げた。
「当然ですわ! 暁組一年の勝利は、わたくしたちがいただきます!」
リリスは朝から、いつもの二割増しくらい張り切っている。
アルガスも腕を組みながら、待ちきれない様子で笑っていた。
「へっ。早く始まらねえかな。練習じゃ、燃え足りなかったんだ」
「わ、わたしも……できることを精いっぱい頑張ります」
シャーロットも、緊張しながら小さく拳を握っている。
みんな、やる気に満ちている。
もちろん、私にも切り札がある。
私は胸に抱えていた布包みを、ぎゅっと握り直した。
中にあるのは、ガストンとマークが仕立ててくれたソーカの杖だ。
エルヴィンが、その布包みに目を留める。
「それは、まさか……」
「ああ、うん。でも大丈夫。今回はちゃんとソーカ家の杖だから。楽しみにしてて!」
「今回は、ですか」
エルヴィンが何か言いたそうな顔をしたけれど、聞こえなかったことにした。
「クロノちゃん、今日はすごく調子よさそうだね!」
ミーナが、きらきらした目で私を見る。
「ええ。ですがクロノさん、あなたはいつも派手にやりすぎるのですから、くれぐれも気をつけるんですのよ?」
リリスが、ぴしりと指を立てた。
「クロノが派手にやらねえわけねえだろ」
アルガスが笑う。
「任せて! ちゃんと勝利に貢献するし、みんなにも迷惑がかからないようにする!」
私は胸を張った。
魔導祭までの間、何もしていなかったわけではない。
ガストンには薪で標的を作ってもらい、マークには時間を計ってもらった。
構える。
狙う。
撃つ。
ボルトを引き、次の弾を送る。
五発撃ち終えたら、残りの弾を込め直す。
三十秒の中で十枚すべてを狙うのは、簡単ではない。だから、同じ動きを何度も繰り返した。
何本もの薪を、粉々にしながら。
威力を落とす方法だけは、最後まで見つからなかったけど。
まあ、標的以外に当てなければ迷惑ではない。
たぶん。
不安が完全に消えたわけではない。
けれど、隣ではミーナが笑い、リリスとアルガスが早くも言い合いを始め、シャーロットが困ったように二人をなだめている。
エルヴィンは、そんな私たちを見ながら静かに笑っていた。
魔導祭がどうなるかは、まだ分からない。でも、この六人で力を合わせれば、きっと大丈夫だ。
やがて、生徒たちがそれぞれの席へ着き、開会式が始まった。
枢機卿による、誰も聞き取れていないふがふがした挨拶のあと、エリシア先輩とカタリナ先輩が開幕を宣言する。
大鐘の音が、競技場いっぱいに鳴り響いた。
こうして、魔導祭は幕を開けた。
⸻
最初の競技は、中等部二年による《魔相拮抗戦》。
同じ属性を持つ暁組と宵組の生徒たちが、巨大な魔晶板を挟み、五秒間だけ集団魔法をぶつけ合う競技らしい。
紅蓮、翠嵐、剛岩、蒼氷。
属性ごとに一戦ずつ、全部で四回戦。魔法の相性ではなく、純粋な威力と連携で勝敗を決める。
競技場には何重もの結界が張られ、魔法が逸れても、周囲に設置された制御水晶が吸収する仕組みになっている。
つまり、安全らしい。
いや。
そこまでしないと危ない競技を、開幕に持ってくるな。
「始め!」
審判の声と同時に、両陣営から紅蓮の炎が噴き上がった。
巨大な魔晶板を中心に炎が激突し、火柱が天へ伸びる。
「すごーい!」
ミーナが歓声を上げる。
リリスも目を輝かせ、アルガスは今にも競技場へ飛び込みたそうな顔をしていた。
続く翠嵐では暴風が渦を巻き、剛岩では大地が唸り、蒼氷では白い氷華が結界の内側を覆った。
これが魔導祭の開幕を盛り上げる恒例競技らしい。
私の知っている学校行事とは、危険度の桁が違う。
⸻
続いて行われたのは、一年生最初の競技《聖晶灯走》。
シャーロットの出番だ。
出場者は六名ずつの組に分かれ、順番に走る。
シャーロットが出場する組には、暁組と宵組からそれぞれ三名、合計六名の一年生が並んでいた。
腕に抱えた聖晶へ魔力を流し込み、その輝きを保ったまま、決められた距離を走る競技だ。
光の強さで最大五点。各走の順位に応じて、走力も最大五点。速さと魔力制御。その両方が求められる。
「位置について!」
六つの聖晶が、それぞれ淡く輝き始める。
「始め!」
合図と同時に、六人が一斉に駆け出した。
宵組の生徒が、わずかに前へ出る。
シャーロットは、そのすぐ後ろを離れずに追っていた。
走るにつれて、選手たちの抱える聖晶には、明確な差が生まれ始める。
大きく明滅するもの。
少しずつ輝きを失っていくもの。
シャーロットの聖晶だけは、走り始めた時とほとんど変わらない光を保っていた。
「シャーロットちゃん、頑張って!」
ミーナの声が飛ぶ。
「そのままですわ!」
リリスも身を乗り出している。
シャーロットは前を見たまま、懸命に足を動かしていた。途中、呼吸が乱れ、足取りがわずかに重くなる。
それでも、止まらない。
あの日、震えながらも木剣を振り下ろした時と同じように、怖さや苦しさに足を止めることなく、前へ進んでいる。
毎日続けてきた走り込みは、ちゃんとシャーロットを支えていた。
最後の直線。
シャーロットが、もう一度地面を蹴る。
ゴール。
順位は二位。
一位には、ほんのわずかに届かなかった。
それでも、シャーロットの抱える聖晶は、最後までほとんど輝きを失っていなかった。
「光量、五点!」
審判の声が響く。
走力四点。
光量五点。
合計九点。
先に一位でゴールした宵組の生徒は、走力こそ五点だったものの、光量は二点。
合計七点。
「暁組一組、シャーロット・ドロワ! 九点!」
競技場に大きな拍手が響いた。
「やったぁ!」
ミーナが飛び跳ねる。
「素晴らしいですわ!」
リリスも、自分のことのように喜んでいる。
アルガスは腕を組んだまま、満足そうに鼻を鳴らした。
「……頑張ってたもんな」
「シャーロットさんの長所が、きれいに得点へ結びつきましたね」
エルヴィンも嬉しそうに笑っている。
シャーロットは何度も得点板を見つめ、それから照れくさそうに笑った。
速さでは負けた。
でも、あの瞬間、一番輝いて見えたのは、間違いなくシャーロットだった。
その後も、選手たちは六名ずつ順番に走り、それぞれ得点を積み重ねていった。
暁組一組の生徒たちも懸命に食らいついたけれど、《聖晶灯走》を終えた時点では、宵組がまだわずかに上回っていた。
「まだ始まったばかりですわ!」
リリスはそう言って胸を張ったけれど、得点板を見つめる目は真剣だった。
⸻
その後も、競技は次々と進んでいった。
初等部二年の《四相継走》では、四属性の使い手が力を合わせ、炎で灯火をともし、風車を回し、岩の足場を作り、水路を凍らせながら杖をつないでいく。
中等部一年の《結界走破》では、選手たちが結界を張り、横殴りの風や降り注ぐ水球を防ぎながら障害物を越えていった。
途中で結界を割られ、頭から水をかぶった生徒が笑いながら手を振ると、暁組と宵組の区別なく観客席から拍手が起こった。
競技が終わるたび、得点板の数字が増えていく。
暁組が追いつけば、赤地に金線の旗が揺れる。
宵組が突き放せば、黒地に銀線の旗が大きく翻る。
応援の声は途切れることなく、競技場を包む熱気は、朝よりもずっと高まっていた。
そして今、競技場では高等部一年による《魔導塔攻防》が行われている。
中央に築かれた石塔を巡り、守る宵組と攻める暁組が激しく魔法をぶつけ合っていた。
「左側を守れ!」
「上から来るぞ!」
剛岩の壁が立ち上がり、その上を翠嵐に乗った生徒が飛び越える。
石塔の頂上に置かれた魔晶へ手が届きそうになるたび、観客席から地鳴りのような歓声が上がった。
「すごいね! もうちょっと!」
ミーナが立ち上がり、競技場へ向かって拳を振る。
アルガスも身を乗り出し、リリスは暁組の選手へ大声で指示を飛ばしていた。
たぶん、あそこまでは届いていない。
私も夢中で石塔を見ていた、その時だった。
競技場全体に、拡声の魔導具を通した声が響く。
『一年生《魔導標撃》の出場者は、使用する杖、弓、魔導具、投擲具を持ち、東側第三待機口へ集合してください。これより事前点検を行います』
心臓が、どくんと鳴った。
ついに来た。
競技の前に、まずは使用する道具の点検がある。
つまり、私のソーカの杖が、本当に魔導具として通るのか。
最初の勝負は、標板を狙うより前から始まっている。
「クロノさん」
リリスがこちらを振り返った。
「切り札の出番ですわね」
「クロノちゃん、頑張って!」
「標板以外を壊さないようにしてくださいね」
エルヴィンの注意だけ、妙に具体的だった。
「派手に決めてこいよ」
「が、頑張ってください!」
アルガスとシャーロットも、それぞれの言葉で送り出してくれる。
私は立ち上がり、胸に抱えていた布包みを握り直した。
中にあるのは、ガストンとマークが仕立ててくれたソーカの杖。
何度も練習した。
狙いは外さない。
威力については、もう知らない。
私は東側第三待機口へ向かって、一歩を踏み出した。
まずは、この銃を杖だと言い張るところからだ。




