第42話 ガストンとソーカ家の倉庫
ガストンの案内で、私たちは中庭の倉庫へ入った。
石造りの倉庫は、外から見るよりずっと奥行きがある。入口近くの棚には、庭仕事の道具や、古い鉢、使わなくなった木箱、季節ごとの布飾りなんかが並んでいた。
ここまでは普通だ。普通の倉庫である。
問題は、その奥だった。
「……変わってないな」
私は思わず足を止めた。
昔、マークとかくれんぼをした時に迷い込んだ、あの場所だ。記憶の中では、ただ古い武具が並んでいるだけだった。でも、実際に立ってみると、見え方がまるで違う。
奥の壁際には、剣、槍、盾、鎖帷子、古びた胸当てが整然と並んでいる。
盾の一枚には、真ん中あたりに大きくへこんだ跡があった。胸当てには、焦げたような黒い筋が斜めに走っている。錆にしては色が濃すぎた。
その隣には、折れた騎士剣が一本、静かに置かれていた。刃は半ばから失われているのに、残った部分だけは丁寧に磨かれている。
これは、練習でできるような傷ではない。実戦で受けた傷だ。どれも、役目を終えた道具には見えなかった。もう一度、誰かの手に戻るのを待っているように見えた。
「この物騒な武具たち、誰が使ってたの?」
「……昔のソーカ家のものでございます」
ガストンは答えた。
その声はいつも通り穏やかだったけれど、ほんの少しだけ低かった。
「西で使われなくなったものを、私がこちらへ運び、預かっております」
「ガストンが?」
「はい。捨てるには、少々惜しいものばかりでしたので」
少々。その言葉と、棚に並ぶ武具たちの傷は、どうにも釣り合わない気がした。
惜しい、というより。捨てる事が出来なかった、というような。
ほかの武具とは少し離れた場所に、一本の古い長斧が立てかけられていた。古い道具のはずなのに、刃は今にも使えそうなほどよく磨かれている。
ガストンは、その長斧の横を通る時だけ、一度も目を向けなかった。まるで、見なくてもそこにあると分かっているみたいだった。
これ、もしかして……。
「姉ちゃん、こっち。ガストンが言ってたの、たぶんこれだよね?」
マークの声で、私は我に返った。
いつの間にか、マークは奥の棚から一本の杖を持って戻ってきていた。慣れた様子である。
こいつ、今でもここを遊び場として使ってるな?
杖の長さは私の背より少し短いくらい。先端の金具は欠け、木の表面にも細かな傷が入っている。でも、持ち手側には赤い宝石がはめ込まれていて、その周りには古びた銀の装飾が巻かれていた。
そして中ほどには、ソーカ家の紋章を刻んだ小さな金具が添えられていた。よく見ると、反対側にも同じ意匠の金具がある。
いい。
すごくいい。
いかにも、由緒正しい家の古い魔導具という雰囲気がある。武具の列とは違って、これには血なまぐささがない。ただの古い、少し悲しい道具に見えた。
「これ外せるかな?」
「うーん。僕には難しそう。壊していいならできるかもしれないけど、綺麗に外すのは無理かな」
私は、これ以上ここに傷ついた道具を増やしてはいけない気がした。
「壊すのはちょっと罪悪感がある」
「今さら?」
「ある時はあるの」
マークは杖を見てから、ガストンを見上げた。
「ガストン。この紋章と宝石、外せる?」
ガストンはすぐには答えなかった。
古い儀礼杖と、私の抱えている布包みを順番に見る。穏やかな顔のまま、けれど目だけが少し細くなった。
「装飾を移すこと自体は構いません」
「本当?」
「はい。先程はあえて伺わぬと申しましたが……やはり、用途をお聞きしてもよろしいですかな」
来た。
そうだよね。
聞くよね。
「えーと……この杖に、それをつけたいのよ」
「杖でございますか」
ガストンの視線が、私の抱えている布包みに落ちる。声は穏やかだった。でも、絶対にごまかされていない。
「一度、その布に包まれている杖を見せていただいてもよろしいですかな」
「えー」
「見せていただけぬものに、装飾を移せるかどうかの判断はできませんぞ」
「そりゃそうか」
逃げ道がなかった。
私は観念して、布を開いた。中から現れた木製銃床の狙撃銃を、ガストンがじっと見つめる。
無言で見るのやめて。その沈黙、エルヴィンの時にも見たやつ……。
この世界の人が、私の道具を理解できない時の沈黙だ。
「……これは」
「はい」
「杖ではなさそうですが」
「ですよね」
即答してしまった。
マークが横で小さく肩を震わせている。笑うな。共犯者なら最後まで真顔でいて。
ガストンは、長い筒から木部、持ち手のあたりまで目を動かした。触れはしない。ただ見るだけ。それなのに、なぜか全部を測られている気がする。
「どのように使うものか、見せていただいても?」
「ここでは無理……危ないものだから……」
「承知しております。中庭の端に、石壁がございます。そちらならば、多少の衝撃にも耐えましょう」
「たぶん、多少の衝撃ではないんだけど……」
「イザベラが言っていたお嬢様の道具、私も見てみたくなりました」
やっぱり、使用人同士で連絡網はできているらしい。ガストンはにこりともしていないのに、少しだけ楽しそうに見える。
「見せていただけるのでしたら、この儀礼杖の装飾と宝石を、そちらへ移せるよう仕立てましょう」
「本当に?」
「はい。杖に飾りを移すのは、庭木に支えを添えるのと似たようなものでございます」
庭木と狙撃銃を同じ棚に並べるのは、たぶんガストンくらいである。
でも、ガストンがそう言うなら、今日だけは任せてみよう。
「ガストン、僕も手伝っていい?」
マークの目が輝いた。
「もちろんでございます、坊ちゃん。細かなものを扱うなら、若い目と指先は助かります」
「やった」
「ただし、刃物と金具は私が扱います」
「分かってる」
マークは素直に頷いた。この二人、もう職人同士みたいな空気になっている。
「じゃあ、早速やってみようか、姉ちゃん」
マークはそう言ってから、ガストンの方を見た。
「僕も実は、その杖の効果を見るのは初めてなんだ」
「杖って言ってくれるんだ」
「今だけね」
本当に要領のいい弟である。
私たちは倉庫を出て、中庭の端へ向かった。
中庭の端には、古い訓練場の名残のような場所があった。石壁の前に、人の形に組まれた木の訓練人形がいくつか並んでいる。木の胴には細かな切り傷やへこみが残り、誰かが武器の練習に使っていた跡に見えた。
背後の石壁は、外へ被害が及ばないようにするためのものだろう。
ガストンは周囲を見回し、それから空の太陽の位置を確かめた。
「人の気配はございません。奥様も旦那様も、今は居間でございます。イザベラは正門側におります」
「なんでそこまで分かるの」
「使用人同士で、本日の持ち場と予定は共有しておりますので」
「ええ……堅苦しくない?」
「庭を預かる者は、人の流れも見ておかねばなりませんので」
庭師って、そんな屋敷の監視網みたいな役職だったっけ。
「的はそうですね」
マークがあたりを見回し、積まれていた薪を一本手に取った。
「これでいいか」
「あ、ちょうどいいかも」
「危ないから、私の後ろ。ガストンの隣で見てて」
「了解」
マークは薪を石壁の前に置いた。ガストンは周囲にあった小石や枝を片付け、マークと並んで少し後ろへ下がった。
「いくよー」
「では、お願いいたします」
私は布からソーカ二式、ではなく、まだ何の装飾もない木製の長いそれを取り出した。
構える。
ソーカ家の古い魔導具になる予定の杖。
私は息を整えた。
詠唱の練習もしとくか。
そうだな……。昔見た戦争映画で、神への祈りを呟きながら撃つ兵士がいた。あれを真似てみよう。
文言を呟きながら集中する。
「暁の女神よ。我が身に光を。迷いなき一射で、標的を射抜かせたまえ」
撃つ。
乾いた音が、中庭に響いた。
薪が、ぱん、と弾けるように割れた。破片が石壁に当たり、白い欠けを作る。
沈黙。
マークが目を丸くした。
「……すご」
ガストンは、割れた薪と石壁を見ていた。それから、私の手元を見る。
次に、私の顔を見る。
「なるほど」
「なるほど?」
「たしかに、これはイザベラが言っていた祭具でございますな」
「さ、祭具?」
変な声が出た。
いま、聞き捨てならない単語が出た。
「いえ、失礼いたしました。魔導具でございます」
「今、絶対祭具って言ったよね。イザベラがいってたの?」
「私は庭師として、庭のこと以外は存じません」
「絶対知ってる人の言い方!」
マークが横で口元を押さえている。笑うな。いや、笑っていいけど、今は助けて。
「イザベラや母さんが、何か言っていたの?」
「お嬢様」
「はい」
「この屋敷には、知らぬふりをすることで守られているものもございます」
私の胃がきゅっとした。
ガストンは薪の残骸を拾い上げ、割れ方を確かめた。
「お嬢様。これは剛岩魔法ということにしようとしているのですよね?」
「そう! 分かる!?」
「確かに、そのような魔法もございます。ですが、音も、構えも、形も、普通の魔法とは違います」
「ですよね」
「何より、速さが異常です。発動を見てから避ける、という段階がございません」
「え」
「撃たれたと気づいた時には、すでに砕けております。あれほど速い魔法は、少なくとも私は存じません」
「……ですよね」
「ただ、ソーカ家の紋章と儀礼杖の宝石を移し、持ち手側を飾り、木部に祈文を刻めば、古い家伝の魔導具として見せることはできるかと」
「できるんだ」
「ソーカ家の家伝魔導具という体裁であれば、あるいは」
「偽装前提なの隠さなくなったね」
「意匠の調整でございます」
便利だな、意匠。
今日だけで、この言葉への信頼度がかなり上がっている。
「それと、お嬢様」
「はい」
「本番では、今より力を落としてくださいませ」
「え」
無理だわ。
力なんか落とせない。
「魔導祭で何をなさるのか、詳しくは存じませぬが……人に向けるものではございませんよな」
「ないないない。絶対ない」
「それならば、なおさら力を落とすべきでございます。当てるだけでよいのでしたら、砕く必要はございません」
「ごもっともです」
完全に正論だった。
薪が割れている時点で、たぶん競技用としては出力が強すぎる。満点を狙う前に、標板を破壊したら、競技ではなく事件である。
「威力、落とせる?」
マークがこちらを見る。
「無理だわ。どうしよう」
「……後で少し考えてみよう」
「はい」
弟に任せきりの姉である。
「では、仕立てましょう」
ガストンは静かに言うと、倉庫から工具箱を持ってきた。古い木箱だった。中には、細い金具、小刀、糸鋸のような道具、布、油、金属の輪、それから用途の分からない小さな道具が整然と並んでいる。
庭師の箱というより、武具職人の箱だった。
その最後に、ガストンは腰に携えていた小斧を手に取った。
「え、斧で?」
「ご安心を。割るわけではございません」
「その安心、言われないと出てこないやつ」
ガストンは古い儀礼杖を作業台代わりの木箱に置いた。小斧の刃先を、宝石を留めている金具の隙間にそっと差し込み、ほんのわずかに傾ける。てこの原理で、古い金具がきしりと小さく浮いた。
斧って、そんな繊細な使い方をする道具だったっけ。
マークは横からじっと覗き込んでいた。
「坊ちゃん。杖の先、ここを押さえていただけますかな」
「うん」
「力を入れすぎず、動かぬ程度に」
「こう?」
「お上手です」
マークの顔が明るくなる。
いいな。楽しそう。
私も混ざりたい。
でも、今の私は余計なことをすると何かを折りそうなので、少し離れて見守ることにした。
ガストンの手つきは静かだった。
そこへ細い道具を差し入れ、さらに少しずつ緩めていく。力ずくではない。どこを動かせば外れるか、どこを動かしてはいけないか、全部分かっているような動きだった。
やがて、赤い宝石を抱いた金具が、ことり、と外れる。
「おお……」
マークが声を漏らした。
私も同じ顔をしていたと思う。
「すごい。ガストン、職人じゃん」
「庭師でございます」
「もう今日はそれで押し通すんだね」
「はい」
ガストンは外した宝石を布の上に置き、次にソーカ家の紋章が刻まれた小さな金具を外し始めた。
一つ、二つ。
古い杖から、家の記憶みたいなものが少しずつ剥がれていく。
少しだけ、胸がちくりとした。
でも、それを別の形に移すのだ。捨てるわけじゃない。
ソーカ家の新しい杖として、生まれ変わらせるのだ。
「お嬢様」
「はい」
「家の紋を借りるなら、家の名を汚さぬように」
ガストンは、手元から目を離さずに言った。
声は穏やかだった。
でも、背筋が勝手に伸びた。
「……はい」
庭師に言われたはずなのに、なぜかソーカ家の古い記憶そのものに釘を刺されたような気がした。
ガストンは、外した宝石と紋章を、今度は木製の長いそれに合わせていく。
持ち手側には赤い宝石。木部の左右にはソーカ家の紋章。
古い金具はそのままでは合わなかったけれど、ガストンは小さな金属の輪や革紐、薄い留め具を使って、少しずつ形を合わせていく。マークが押さえ、ガストンが留める。ガストンが確認し、マークが位置を調整する。
接着剤は出番がなかった。
なんか、中世の技術に負けた気がする。
「坊ちゃん、その革紐をこちらへ」
「これ?」
「はい。強く締めすぎず、しかし緩まぬように」
「難しいね」
「ええ。難しいから面白いのでございます」
マークの目が、また輝いた。
だめだ。この弟、完全に職人の沼にも足を突っ込んでいる。
最後にガストンは、細い刃先で木部に短い祈文を刻んだ。
暁の光、迷いなき一射、標的を射抜く。
そんな意味の、短い言葉だ。
私がさっき口にした詠唱を、いつの間にか拾っていたらしい。
「これで、よろしいでしょう」
ガストンが一歩下がった。
私とマークも、息を止めるようにそれを見た。
木製の長い筒。
持ち手側に光る赤い宝石。
左右に添えられたソーカ家の紋章。
木部に刻まれた祈文。
赤い宝石は、まるで魔力を込めるための核のように、持ち手の上で小さく光っていた。
さっきまでどう見ても前世の狙撃銃だったものが、今はどこか古い魔導具めいた雰囲気をまとっている。
「おおっ……できた」
マークが小さく声を上げた。
私も思わず頷いた。
ソーカ二式狙撃銃。
いや。
ソーカの杖だ。
私は完成したそれをそっと見つめた。
重みは変わっていない。
形も、根本的には変わっていない。でも、赤い宝石と紋章がついただけで、不思議なくらい別のものに見えた。
これならいける。
たぶん。
いや、かなりいける気がする。
「ありがとう、ガストン」
「いえ。私は庭師として、少しばかり枝ぶりを整えただけでございます」
「それ、枝ぶりかなぁ」
「枝ぶりでございます」
ガストンは穏やかに頷いた。
マークは完成したソーカの杖をきらきらした目で見つめている。
「姉ちゃん、これならかなり魔導具っぽいよ」
「だよね」
「でも、本番では力を落とす方法考えないと」
「そこは忘れてくれてもいいよ?」
「姉ちゃん、それ、後で泣くやつだよ」
共犯者が厳しい。でも、頼もしい。
私はソーカの杖を抱え直した。
……威力は、たぶん落とせない。
無理なものは無理なのだ。
でも、たとえ目立っても、負けず、誰も傷つけなければきっと大丈夫。
たぶん。
ソーカの杖に刻まれた祈文の通りに。
暁の光。
迷いなき一射。
標的を射抜く。
もう、ここまで来たら腹をくくるしかない。
不安も迷いも、標的も。
まとめて全部、撃ち抜いてやる。
あれだけ不安だった魔導祭も、マークとガストンのおかげで、不思議と少しだけ楽しみになっていた。




