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限界具現 〜魔法ゼロ令嬢が現代アイテムを呼び出したら、祭具の聖女にも災具の魔女にもされました〜  作者: ちぇ!
秘密と絆の学院生活

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言い訳と報告書


 騎士団の足音が、通りの向こうから近づいてくる。がしゃがしゃという鎧の音。誰かが人を下がらせる声。野次馬たちのざわめき。屋上から見下ろすと、商会前の人だかりが少しずつ割れていくのが見えた。


 来た。やっと来た。


 助かった。そう思った瞬間、胃のあたりがきゅっと縮む。騎士団が来たということは、当然、説明を求められるということでもある。そして私には、説明できないことが多すぎた。


 私は低い手すりから身を離し、隣のエルヴィンへ体を向けた。喉の奥が妙に乾いている。屋上にいた私たちを誰も見ていない保証なんて、どこにもない。


「……よし。私たちは何も見てないふりをしよう」


「それは少し厳しいのでは?」


 返答が早い。しかも正しい。


 野次馬の中に、私たちが屋上で何かしていたところを見た人がいるかもしれない。考えれば考えるほど、足元がすうっと冷える。


「じゃあ……堂々としていよう。こういう時は、堂々としていれば、わりと何とかなる……はず」


「クロノさんの顔色が、もう何とかならなそうです」


「正論パンチやめて……!」


 味方なのに切れ味が鋭い。いや、エルヴィンが悪いわけじゃない。私の状況が悪すぎるだけだ。事実は時々、拳より痛い。


 階段の方から、人の動く気配が近づいてくる。エルヴィンはそこで言葉を切り、迷うように指先を握った。


「……僕たちの商会のせいで、クロノさんに迷惑がかかったら、どうすれば」


 さっきまで私を正論で刺していた少年の声に、年相応の不安がにじむ。


 無理もない。自分の商会が襲われ、父親が脅され、傭兵たちが暴れた。その上、エルヴィンからすれば、私がよく分からない道具まで使ったのだ。普通に考えて、情緒が無事な方がおかしい。


 私がしっかりしなくては。


「大丈夫」


 できるだけ落ち着いた声を出す。半分くらいは、自分に言い聞かせるためだった。


「行動した時点で、もう腹はくくってた。……だから、まず下に行こう。逃げたら余計に怪しいし」


「……はい」


 私たちはお互いに呼吸を整えてから、エルヴィンと一緒に階段を下りた。頭の中では、ひとつの言葉だけがぐるぐるしていた。


 私は無垢な一年生。


 ……いや、無理だなこれ。


 自己暗示、失敗である。



 商会前に戻ると、そこはもう完全に事件現場だった。倒れている傭兵たち。砕けた石畳。白く残った氷の跡。空にうっすら漂う煙。焦った様子で行き来する店員さんたち。そして、その中心に、涼しい表情で立つイザベラ。


 周囲の被害状況が「激戦でした」と全力で主張しているのに、本人だけは少し片付けを済ませたくらいの雰囲気で立っている。


 いや、あなたが一番おかしいんだよ。


 若い騎士が、倒れている傭兵たちの数を確かめるように周囲を見回す。それから、信じきれないという様子でイザベラに向き直った。


「つまり……この人数を、あなたが?」


「はい。制圧いたしました」


「お一人で?」


「はい」


「……本当に?」


「はい」


 分かる。聞き返したくなる気持ちは分かる。でも返事は変わらないんだよ、そのメイド。


 騎士は言葉を失ったまま、もう一度現場を確認する。腕を押さえている者。足を絡め取られた者。武器を弾き飛ばされた者。気絶している者。対するイザベラは、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。スカートの裾も乱れていないし、息も上がっていない。


 騎士団の人が、使用人という言葉の意味を見失いかけていた。


 そこへ、負傷者を調べていた騎士たちから次々と声が上がる。


「骨は折れているが、命に別状はない」


「武器だけ正確に弾かれている」


「急所を外しているな」


「足首や手首に、細い赤い線のような傷がいくつも残っている」


 報告を聞いた若い騎士の眉が、ぴくりと動いた。


「……これを、戦闘中に?」


「はい。不要な殺傷は避けました」


 不要な殺傷は避けました。


 言い方がプロ。


 使用人の会話じゃない。命のやり取りを、掃除の手順みたいに言わないで。


 その時、年配の騎士が傭兵の足首に残った細い痕を覗き込み、低く呟いた。


「この拘束痕……鋼糸か」


 イザベラは答えない。年配の騎士はしばらくその痕を見てから、ゆっくりと顔を上げた。


「イザベラ。まさか、神殿騎士団にいた……百器のイザベラか」


 その名が出た瞬間、騎士団側の空気が少し変わった。単なる使用人を見る目ではない。かつて戦場にいた強者を見る目だ。


 イザベラは肯定も否定もしなかった。ただ、静かに立っている。それが、否定よりもずっと強かった。


 私は改めて思った。


 この人、絶対にただの使用人じゃない。


 いや、前から薄々そうは思っていた。けれど、騎士団に名を知られるほどの人が、どうして今はソーカ家の使用人として私のそばにいるのだろう。何か理由があるのか。誰かとの約束か。それとも、守るべきものがあるのか。


 隣にいるイザベラは、いつもと同じように静かだった。だから余計に、分からない。


 そんなイザベラの少し横で、マルクスさんも騎士団に事情を聞かれていた。いつも通り腰は低い。ただ、焦りと感謝が混ざっているせいで、敬語の方向性が少し迷子になっていた。


「いえいえ、私などは何も。誠にありがたいことに、女神のお導きのように居合わせてくださった、使用人様であらせられるイザベラ様が制圧してくださりまして……」


「女神のお導きの使用人様?」


「あ、いえ、ソーカ家の使用人の方でございます」


 敬語というより、感謝が暴走している。命の恩人なのは分かる。でも落ち着いてマルクスさん。騎士団の人が、どこからどこまでを報告書に書けばいいのか分からなくなっている。


「では、ソーカ家の方がこちらに?」


 その問いに、私の肩が勝手に跳ねた。


 来た。来てしまった。


 マルクスさんは一瞬だけこちらを気にした。私を守ろうとしたのだろう。少し声を上ずらせながら答える。


「そ、そうですが、私の息子と部屋で遊んでおりまして……」


「では、先ほど空に上がった紅蓮魔法のような光は?」


 マルクスさんの口元が、ぴたりと止まった。


「あれは、その……非常時の……」


「非常時の?」


「大変ありがたい光でございます」


 概念で説明するな。


 けれど、笑っている余裕はなかった。当然、騎士は納得しない。


「その光は、どなたが放ったのですか?」


 そこへ、イザベラが静かに口を開いた。


「商会側です」


「商会側?」


「はい」


「扱った者は?」


「……商会側です」


 イザベラ。


 嘘が下手。


 いや、下手というより、嘘を細かく組み立てる気がない。戦闘ではあれほど精密なのに、言い訳になると急に力技になるらしい。初めて見る弱点が、よりによって今ここで発見されてしまった。


 マルクスさんが慌てて乗っかる。


「そうです! 商会側です! 当商会としても、大変有効な……ええ、光でして!」


 若い騎士の目つきが、わずかに鋭くなる。


「フォスティエ商会には、あのような紅蓮魔法を扱える者が?」


「……ええと」


 マルクスさんが詰まった。


「何か答えにくい事情がおありですか」


 ほんの一瞬、空気が止まった。


 まずい。私が名乗り出たとして、このまま「では、その合図を実際に見せてください」とか言われる流れでは?


 フレアガンなしに信号弾の再現なんてできない。説明しようとすればするほど、どこかで破綻する。


 最悪、異端者認定である。


 重くなった沈黙を、エルヴィンの声が破った。


「扱った者については、後ほど父より正式に報告いたします。あれは危険を知らせるために当商会が試作した道具で、攻撃用ではありません。詳細は機密につき、この場では控えさせてください」


 おお。


 急に商人。


 言い方がうまい。今すぐ答えない。けれど、答える意思は見せる。ついでに目的もはっきりさせる。機密って言うと、それっぽく聞こえる。


 便利だな、機密。


 私も今後、全部それで押し通したい。それは機密です。それも機密です。限界具現ゲンカイ・マテリアライズも機密です。


 うん。


 たぶん怒られる。


 騎士は空に残る煙と商会前の惨状を見比べ、少し考え込んだ。


「なるほど……商会が管理する試作品、ですか。あの光が目印となり、我々も早く到着できました。有効な手段ではありますね」


 お、有耶無耶にできそうだ。良かった。


 そう思った矢先、倒れていた傭兵の一人が、悔しそうに声を張り上げた。


「俺は見てたぞ! 屋上にいたそこのガキ二人だ!」


 私の心臓が止まりかけた。


 やめろ。


 今いい感じに流れかけてたでしょ。


「細い杖みたいなので、セイルの魔法を邪魔しやがった! あの光も、どうせこいつらの仕業だ!」


 やばい。


 こいつ、思ったより見ている。倒れていたせいで、逆に屋上が視界に入っていたのか? さては死んだふりでやり過ごしながら、こっちを観察していたな。最悪な生存戦略である。


 傭兵はさらに何か言おうとした。


「あのガキどもがいなきゃ、今頃は――」


 その言葉は、途中で途切れた。


 イザベラが傭兵へ冷たい眼差しを向けていた。刃を向けたわけでも、鋼糸を動かしたわけでもない。ただ、それだけ。けれど傭兵は、喉を詰まらせたように黙った。


 メイドアイ、強すぎる。


 でも騎士は当然、そこを聞き逃さなかった。


「屋上の子供とは?」


 今度こそ、逃げ場がなくなった。


 まずい。異端者ルート解放のお知らせである。


 変な光を打ち上げる子供。謎の杖で魔法を邪魔する子供。変な物を出す子供。私はまだ一年生なの。チュートリアル中なの。異端審問とか、そういう高難度コンテンツは早すぎる。


 エルヴィンの手が、ほんの少し震えていた。


 それでも彼は、逃げなかった。


「……すみません。屋上にいたのは僕です。怖くて、屋上から危険を知らせる道具を使いました。彼女は、僕に付き添ってくれただけです。詳しいことは、後ほど商会から正式に報告いたします」


 エルヴィンが庇ってくれた。いや、ただ庇っただけじゃない。怖かった子供が、危険を知らせるために道具を使った。そういう形にしたのだ。その上で、詳しい説明は商会から出す、と逃げ道も用意している。


 子供の失敗に見せながら、責任の置き場所だけは、きちんと商会へ寄せていた。


 もしかしてこの子、話術の天才では?


 騎士が眉を上げる。


「正式に報告書を提出する、ということでよろしいですね」


エルヴィンが答えようとした、その時だった。


 マルクスさんが、小さく咳払いをした。


 上ずった声を整えるように息を吐き、低く落ちていた肩をわずかに上げる。商会の主として、父として、ここで息子にだけ背負わせるわけにはいかなかった。


「はい。私が責任を持って提出いたします」


 さっきまで敬語の方向性を見失っていた人とは思えないほど、その声は落ち着いていた。


「現場が混乱しております。まずは従業員と周囲の安全確認、被害状況の整理を行わせてください。その上で、騎士団へ正確な報告書を提出いたします。今ここで曖昧な証言を重ねるより、その方が確実かと存じます」


 すごい。今、マルクスさんがちゃんと大人だった。腰は低い。でも、言葉の芯は折れていない。


 エルヴィンは驚いたように父を見上げる。それから、ほっとしたように口を閉じた。


 騎士はしばらく黙っていた。たぶん、こちらが何かを隠している違和感は覚えているのだろう。けれど、倒れている傭兵たち。怯えている店員さんたち。野次馬。壊れた石畳。まだ落ち着かない現場。


 そして、私とエルヴィン。


 ソーカ家の令嬢と、フォスティエ商会の子息。野次馬の前で子供を問い詰めるより、商会責任者から文書を出させ、後日改めて聴取する方が筋が通る。たぶん、騎士もそう判断したのだろう。


「分かりました。フォスティエ商会は、商会組合にも籍を置く正式な商会ですね」


「はい」


「虚偽の報告があった場合、騎士団と商会組合の双方で責任を問うことになります。それを承知で?」


 マルクスさんは、背筋を正した。


「承知しております」


 今度の声には、先ほどまでの怯えがほとんど残っていなかった。


 騎士は頷く。


「では、後日改めて聴取します。まずは動揺している者たちを落ち着かせ、現場を鎮めることを優先しましょう」


 助かった。


 いや、後日に延期しただけかもしれない。これが俗に言う執行猶予ってやつ?


 私はエルヴィンの横顔を盗み見た。まだ緊張は残っている。でも、逃げてはいなかった。ちゃんと、商人の息子として立ってい。



 騎士団の一次対応が終わると、私たちは商会の中へ戻ることになった。応接室に入ると、さっきまで用意されていたお茶はすっかり冷めていた。焼き菓子もそのままだ。もったいない。

いや、今は焼き菓子の心配をしている場合ではない。


 誰からともなく、長い息が漏れた。張り詰めていた空気が、ようやく少しだけゆるむ。


 マルクスさんは疲れ切った様子で椅子に腰を下ろした。肩は落ち、指先にもまだ緊張が残っている。けれど、その目だけはさっきまでと違っていた。 商会を守るために、次に何をするべきかを考えている目だ。商人の目だ。


「今回の件は、騎士団だけでなく、商会組合にも正式に訴えます」


 マルクスさんは、ひとつずつ確かめるように言った。


「四紋札の遊びの権利も、契約書として整え直します。二度と、力で奪われぬように。こちらも商人として戦わねばなりません」


 物腰はどこまでも丁寧だ。でも、弱い人ではない。マルクスさんは剣でも魔法でも戦えないだろう。けれど、それだけが強さじゃない。帳簿と契約と信用で戦える人なのだと思った。


 商人、強い。


 前世でもそうだった。拳より書類が強い場面なんて、いくらでもあった。


 マルクスさんは私たちに向き直り、深く頭を下げた。


「クロノ様。怖い思いをさせてしまい、誠に申し訳ございません。そして、イザベラ殿も、本当にありがとうございました」


 さっきまで「使用人様」で迷子になっていた敬称が、ようやく「イザベラ殿」に落ち着いていた。少し冷静になったらしい。よかった。使用人様のままだったら、今後の会話がちょっと大変だった。


「父上」


 エルヴィンが椅子から身を乗り出す。


「僕も手伝います。従業員の証言と、今日の時系列をまとめます」


「エルヴィン……」


 マルクスさんは、頼もしくなった息子の言葉を噛みしめるように、静かに目元をゆるめた。


「母上の血筋のおかげで、僕には一応、魔法の適性があります。でも、それだけで聖堂院に届いたわけではありません。父上が商会の信用と財を使って、僕に道を作ってくださった。そのことを、本当に感謝しています」


 エルヴィンは父親の前で、姿勢を崩さなかった。


「だから僕は魔法を学んでいました。いつか、父上と商会を守れるように。ですが、今日分かりました。商人としての戦い方は、まだ父上から学ばなければなりません」


 その声には、さっき騎士団に向かって話した時と同じ芯があった。けれど、父親に向ける言葉は少しだけ柔らかい。敬意と感謝が、静かににじんでいた。


 若旦那。ちゃんと若旦那になってる。


 私は少しだけ胸が温かくなった。剣や魔法で戦うだけが強さじゃない。商人には商人の戦い方がある。たぶん、エルヴィンは今日、自分の立つ場所を見つけたのだ。


 少し落ち着いたあと、エルヴィンが私の方へ向き直った。


「クロノさん。今日は、本当にありがとうございました」


「いや、私もだいぶ余計なことしたけど」


「余計なことなんて、何ひとつありません。助かりました」


 真っ直ぐ言われると、少し照れる。いや、実際にはかなりやらかしている。でも、エルヴィンはそれを責めなかった。


「僕は、剣も魔法も得意ではありません」


 いや、あんた、剣も魔法もそれなりに使えるじゃん。私、魔法の方は一切使えないんですけど。今それ言う? 心の古傷えぐる?


 そんな私の内心など知るはずもなく、エルヴィンは続けた。


「ですが、商人としてなら、いつかクロノさんの力になれると思います」


「……なんでもいいけどさ」


 私は少しだけ目を逸らした。


「いつかじゃないよ。もう、十分力になってくれてる」


 本当にそう思った。


 ミーナちゃんは、私が見落としそうなものに気づいてくれる。エルヴィンは、私が知らないこの世界の仕組みを形にしてくれる。


 同じ班に、そんな二人がいる。


 それだけで、かなり心強かった。


 エルヴィンは穏やかに微笑む。


「クロノさん。もし、あなたの知っている遊びや道具の中に、僕と父上でも扱えるものがあれば、また教えていただけませんか」


「え、まだ何か紹介する前提なの?」


「無理にとは言いません。ただ、今回の件で分かりました。珍しいものには価値があります。そして、価値があるものは狙われます」


 エルヴィンの声は穏やかだった。けれど、そこには商人の芯があった。


「だからこそ、きちんと守れる形で世に出すべきなのだと思います。父上と僕なら、きっとそれを商いにしてみせます」


「今回、だいぶ大変な目に遭ったわけだけど……エルヴィン、前向きすぎない?」


「商人ですので」


「反論しづらい!」


 でも、エルヴィンは少し楽しそうだった。その様子を見て、私も少しだけ笑った。


 剣を構えて隣に立つだけが、肩を並べて戦うということじゃない。


 エルヴィンは、私の無茶を、ただの奇跡や異端ではなく、商いとして、契約として、誰かの暮らしにつなげてくれるかもしれない。私の力が私ひとりでは抱えきれなくなった時、エルヴィンはきっと、商人として道を作ってくれる。


 それが、今日分かった。



 帰り道。イザベラはいつも通り、私の少し横を歩いていた。夕方の空はもう暗くなり始めている。街の灯りがぽつぽつと増え、昼間とは違う匂いが通りに混じっていた。


 私は横目でイザベラの様子をうかがう。


 イザベラは前を向いたまま歩いている。


 母さんに黙っててくれるよね? という気持ちを込めて、にこっと笑いながら少し歩幅を合わせてみる。


 イザベラの歩調は乱れない。


 もう泣くよ? という気持ちで、今度は分かりやすく涙目で手を合わせてみる。


「クロノ様」


「はい」


 声で分かる。擦り寄りは効きそうにない。


「本日の件は、サラサ様へご報告いたします」


「やっぱり!?」


 分かっていた。分かっていたけど、言われるとやっぱり怖い。


「その、できれば、やんわりと」


「承知いたしました。可能な限り正確かつ簡潔に」


「やんわりどこいった?」


 イザベラは少しだけ考えるように間を置いた。


「クロノ様の行動により、商会前の被害は抑えられました。ですが、非常に危険な行動であったことも事実です」


 そこで、イザベラの声音がわずかに硬くなる。


「それに、あの男の言葉も看過できません」


「あの男?」


「蒼氷魔法を使っていた傭兵です」


 ああ。セイルが言った、あの言葉だ。


『となると……最近、裏で値がついたという聖女の子供か?』


 足元の石畳を見ていたはずなのに、急に、屋上の冷たい風を思い出した。


 あの時は、考えないようにしていた。聞き間違いだと思いたかった。襲撃の最中で、相手も混乱していて、たまたま口にしただけかもしれない。そういうことにして、頭の隅へ押し込んでいた。


 でも、違う。


 マルクスさんは青ざめていた。イザベラも、わずかに反応していた。


 聞き間違いではなかったのだ。


 裏で値がついた。


 その言葉が、じわじわと胸の奥に沈んでいく。値段がつくのは商品だ。権利だ。珍しい物だ。欲しがる誰かがいて、売ろうとする誰かがいるものだ。そこに、私の名前が乗っている。

聖女の子供。私が望んだわけでもない呼び名が、知らないところで勝手に意味を持って、値段までつけられている。


 気持ち悪い。


 怖い、より先に、そう思った。


「クロノ様」


 イザベラの声で、私は我に返った。


「クロノ様は、やはり、何者かの標的になっている可能性がございます。少なくとも、今後はそう判断して動くべきです」


「……それは」


 冗談で返しかけた言葉が、喉の奥で止まった。


 今度は、軽口にできなかった。


「ですので、この件は必ずサラサ様にお伝えいたします」


「……はい」


 反論できなかった。



 家に帰ると、母さんは応接室で私とイザベラの報告を聞いた。途中で口を挟むことはなく、最後まで静かに耳を傾けていた。その静けさが、大声で怒られるよりずっと怖い。静かな母さんは、上級魔法より圧がある。


 イザベラは約束通り、正確に報告した。私が人を傷つけなかったこと。被害を抑えるために動いたこと。そして、危険な場所で勝手に動いたこと。


 全部。


 逃げ道がない。


 母さんはしばらく黙っていた。それから、静かに私の名前を呼ぶ。


「クロノ」


「はい」


「人を助けようとしたことは、責めません」


 私は、ほんの少しだけ息を吐きかけた。


「でも、自分が危険な場所にいることを忘れてはいけません。あなたが無事だったからよかった、では済まないのです」


 吐きかけた息が、喉の奥で止まった。


「……はい」


「あなたが誰かを守りたいと思ったように、私たちもあなたを守りたいと思っています。それだけは、忘れないで」


 怒鳴られていない。責め立てられてもいない。なのに、胸の奥がぎゅっと痛くなった。


「ごめんなさい」


 それは、わりと本気の声になった。


 母さんは私を見つめたまま、小さく息を吐いた。


「……困ったところばかり、似てしまうのね」


「え、なに?」


「昔の私も、叱られると分かっていて、それでも行かずにはいられなかったことがあるの」


「母さんが?」


「ええ。大切な人を、ひとりで行かせたくなかった」


 母さんの目が、ほんの少しだけ遠くなる。私の知らない、ずっと昔のどこかを思い出しているようだった。


「でもね、クロノ。だからこそ分かるの。誰かを守りたい気持ちは、時々、自分を危険に近づける」


「……はい」


 何を思い出しているのか、私は聞けなかった。母さんは小さく微笑んで、それ以上は何も言わなかった。


 少しの沈黙のあと、母さんは話を切り替えた。


「フォスティエ商会から受け取った金貨は、しばらく私が預かります」


「はい」


 まあ、そうなるよね。私の金貨、滞在時間短かったな。でも別に欲しかった訳じゃない。


 最後に、母さんはイザベラへ向き直った。


「イザベラ。これからも、この子のそばを離れないでください」


「承知いたしました」


 即答だった。

 つまり私はこれからも、イザベラの完全監視つきで外出することになるらしい。


 自由とは。



 こうして、フォスティエ商会襲撃事件は、ひとまず終わった。


 傭兵は傭兵として戦った。商人は商人として、金と誇りを守ろうとした。元騎士の使用人は、剣を握らなくても騎士みたいに立っていたし、聖女だった母は、母として私を守ろうとしている。


 みんな、自分の立つ場所を知っている。


 じゃあ、私の立つ場所は、どこなんだろう。


 魔法を使えないくせに、前世の物だけは具現化できる転生者。目立たないようにしているはずなのに、気づけばいつも騒動の中心に立たされるソーカ家の令嬢。そして、裏の世界で値がついたらしい、聖女の子供。


 役割なんて欲しくない。勝手に何かを背負わされるのも、ごめんだ。それでも、私だけが何も知らないまま、何も選ばないままでいるわけにはいかないのかもしれない。


 私もそろそろ、自分の立つ場所を探さないといけない。


 

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