百器のイザベラ
メイド服とは何か。
私は今、その概念そのものを問い直している。
「……クロノさん」
隣でエルヴィンが、小さく息を呑んだ。その声で、私はようやく現実に戻る。外では、傭兵たちが一斉に武器へ手を伸ばしていた。
いや、傭兵というより、騎士崩れみたいな連中だ。立ち方が荒くない。剣の抜き方にも無駄がない。前回フォスティエ商会を襲った強盗たちも、普通のチンピラじゃなかった。通りすがりの冒険者を返り討ちにするくらいには、ちゃんと戦える連中だった。たぶん、今回の連中も同じだ。
しかも、前より人数が多い。弱くない。弱くない、はずなのに。
イザベラは、微動だにしなかった。
最初に斬りかかった男の剣を、イザベラの細剣が軽く払う。軽く、そう見えた。でも、剣を弾かれた男の体は大きく崩れた。続けて横から回り込もうとした男の足元に、鋼糸が走る。足を取られた男が石畳の上に転がり、別の男が詠唱らしき言葉を口にしようとした瞬間、イザベラの指先から小型の刃が飛んだ。
男の手元で火花が散る。
「うわ」
私は思わず声を漏らした。速いとか、強いとか、そういう雑な話じゃない。相手が動く前に、もう答えを置いている。なにこれ。未来予知? それとも使用人検定一級の範囲? いや、使用人検定で刃物の投げ方は出ないでしょ。……出ないよね?
イザベラは、敵の武器すら自分の手札に変えていた。鋼糸が剣を奪う。奪った剣で槍を逸らす。絡め取った槍の柄で、斧を振り上げた男の膝を払う。宙に浮いた斧は、そのまま石畳へ落とされた。
誰も斬っていない。武器だけを奪い、動きだけを止め、戦意だけを折っていく。綺麗だった。怖いくらいに。
メイド服姿なのに、その戦いぶりは前世でやり込んだRPGに出てくる戦乙女みたいだった。戦場を駆け、武器を奪い、敵を薙ぎ伏せる鬼神のようなメイド。……いや、鬼神のようなメイドって何? 絵面の情報量が多すぎる。
窓の下で、通行人たちがざわめいていた。
「なんだ、あのメイド……」
「ソーカ家のメイドだってよ」
「じゃあ、ただのメイドじゃないだろ……」
やめて。ソーカ家の評判が、また変な方向に強化されている。違うんです。うちは普通の家です。たぶん。いや、最近ちょっと自信ないけど。
そんなことを考えていた時だった。視界の端で、一人だけ妙な動きをしている男が見えた。
その男は、イザベラに向かっていない。むしろ、正面の騒ぎから少しずつ離れている。野次馬の影、止まっている荷車、商会の壁際。そういう場所を使って、するすると横へ抜けていく。
最初は逃げるのかと思った。でも違う。男の視線は、商会の裏手へ向いている。
あ。
これ、見たことある。ゲームで死ぬほど見たやつだ。正面で派手に撃ち合っている時ほど、横から回るやつがいる。裏取り。スニーキング。拠点荒らし。そして、だいたいそういうやつが一番面倒くさい。
「エルヴィン」
「はい」
「あいつ、裏に回る気だよ」
私が指さすと、エルヴィンの目が細くなった。一瞬で顔つきが変わる。
「……裏口ですね」
「やっぱり?」
「はい。あの位置からなら、荷置き場を抜けて裏口へ回れます。従業員を人質に取られるかもしれません」
気づいてよかった。だが、気づいたところでどうしたら? 正直、ちゃんと正面からイザベラにボコられていてほしい。裏取りとかやめて。そういうの、ゲームでも現実でも嫌われるやつだから。
「こちらです。先回りできます」
エルヴィンが言った。
私は窓の外を見た。イザベラが心配だった。あんなに強い。強いけど、普段の優しいイザベラを知っているから、やっぱり心配してしまう。でも、裏口から敵が入れば、従業員さんやマルクスさんが危ない。人質を取られたら、イザベラだって動きにくくなる。
「クロノさん。僕たちが何とかしないと。行きましょう」
「了解」
私はエルヴィンと一緒に会議室を出た。
でも、よくよく考えてみる。
待って。
なんで私とこの商会の若旦那が、商会の裏口で不審者対応しようとしてるの? もしかして私たちが一番、人質になるんじゃない? これ、完全にイベント分岐ミスったやつじゃない?
⸻
道中のエルヴィンは、さすが商会の息子だった。近道なのか、表の廊下ではなく、使用人用らしい細い通路を進み、階段を下り、荷物置き場の横を抜ける。この広い商会内部を知り尽くしている。
木箱。樽。布袋。積まれた商品。隠れる場所は多い。
「……ここがいいでしょう。不意打ちで倒し切ります」
エルヴィンは決意を固めた様子で、裏口近くの木箱の影に身を潜めた。私も隣にしゃがむ。心臓がうるさい。自分の心音で位置バレしそう。
やがて外から、足音が近づいてきた。
軽い。
そして、妙に一定だった。がちゃがちゃと鎧を鳴らすような歩き方じゃない。足音を消している。これ、強い人の足音じゃない?
私は木箱の隙間から、そっと外を見た。
気怠げな男が一人、裏口へ近づいてくる。普通の剣を腰に下げ、片手には盾。派手な武器ではない。でも、剣にも盾にも深い傷があった。相当に使い込まれている。面倒くさそうに歩いているのに、体の軸だけはまったくぶれていなかった。
あ、ダメだ。これ、真正面から戦ったら絶対無理な人だ。
裏口担当のくせに、強そうなんだけど。裏口担当はもっとこう、鍵開け専門とかじゃないの?
男は裏口の手前で、ぴたりと足を止めた。
「……いるな」
低い声だった。
私は息を止めた。バレた。普通にバレた。ステルス失敗である。やっぱり素人二人で裏取り対策とか、難易度が高すぎた。
「出てこい」
男の声が飛ぶ。エルヴィンが、木箱の影から答えた。
「ここから先は、関係者以外立ち入り禁止です」
声は震えていた。けれど、逃げなかった。きっとエルヴィンにも分かったのだ。目の前の男が、自分たちだけでどうにかできる相手ではないことくらい。
私は木箱の隙間から男を覗き見る。男はこちらに二人いることも、とっくに分かっているらしい。そして、口の端を吊り上げた。
「……なんだ。ここのガキか」
ガキ。うん。言い方。もう少し子どもに対する配慮とかないんですかね。いや、ないか。この人、普通に剣と盾を持って裏口から侵入しようとしているし。
男は剣を抜かなかった。抜く必要がないと思っている。それが分かった。相手は商会の子どもと女の子だ。男からすれば、人質候補が自分から出てきたようなものなんだろう。
「ちょうどいい。お前らを押さえりゃ、表の連中も黙るだろ」
「……クロノさん、逃げてください」
エルヴィンは小声で呟くと、木箱の影から飛び出した。震える手を前に出し、それでも詠唱する。
「剛岩よ、礫となれ!」
石片が魔力を帯びて尖り、男の胸元へ飛ぶ。
次の瞬間、男が剣を抜いた。
速い。
石片は、男に届く前に斬り落とされ、床を跳ねた。それでも、エルヴィンは止まらなかった。拳を握り、男の懐へ飛び込む。
「いい度胸だな」
男は笑い、剣を鞘へ戻した。子ども相手に刃物はいらない。そう判断したように見えた。男の手が、エルヴィンへ伸びる。掴まれたら終わりだ。
その瞬間。
私も横から踏み込んだ。手の中には、限界具現で出しておいた小さな黒い道具。前世で見た、防犯用のスタンガンだ。
FPSゲームで似たような装備を見かけて、実際はどうなっているんだろうと思い、気になってググり倒したことがある。まさか異世界で実物を出すことになるとは思わなかった。人生、どこで知識が役に立つか分からない。
出力は最大にしてある。当たれば、気絶するはずだ。失敗は許されない。失敗したら、被害が出る。お願いだから、異世界人にもちゃんと効いて。
男の手が、エルヴィンの襟に届きかける。私はその横から、黒い道具を押し当てようと手を伸ばした。
反応が速かった。
男の腕が、私の手首を弾こうと動く。
「わっ!?」
でも、間に合った。
ばちっ。
青白い火花が弾けた。
「がっ――!?」
男の体が大きく跳ねた。盾を持つ腕がびくりと震え、エルヴィンへ伸ばしかけていた指が、開いたまま固まる。男の目から焦点が消え、膝が折れる。
どさり。
裏口の前に沈黙が落ちる。私とエルヴィンは固まった。
効いた。効いたけど、動きそうで怖くなる。倒れている男を見た。整備された剣、使い込まれた盾、傷跡だらけで鍛えられた体つき、さっきの気配の読み方。この人、ただの裏口担当じゃない。たぶん、相当な場数を踏んでいる。
普通に戦っていたら、絶対に無理だった。
スタンガンの効果を知らないからこそ起きた初見殺し。完全に初見殺しである。ありがとう、現代防犯グッズ。そしてざまぁ、異世界の悪者。
……いや、ざまぁはちょっと口が悪いな。でも今回は許して。普通に怖かったから。
エルヴィンは、倒れた男と私の手元を交互に見ていた。
「……今のは?」
私は少し悩んで、前みたいに女神様のせいにした。
「め、女神様の国の、お守りです」
即答するしかなかった。
エルヴィンは、まだ真剣な顔をしている。
「また雷……」
「え?」
「雷の力を操るのは、勇者の血筋に連なる力だと聞いたことがあります。やっぱりクロノさんは……」
「違う違う違う違う!」
私は全力で首を振った。
「これは勇者とかじゃなくて、防犯! 防犯グッズ! あと女神様の国のやつ!」
エルヴィンは考え込んだ。
「ぼ、防犯グッズ? 女神様の国の、勇者の道具……」
「解釈が悪化してる!」
「……分かりました。今は深く聞きません」
「絶対分かってない顔!」
分かってない。絶対に分かってない。エルヴィンの中で、私の設定がまた変な方向に盛られている。やめて。ただでさえ、なんか神聖化されてるのに、ここで勇者疑惑まで追加されたら設定過積載である。
でも今は、それどころじゃなかった。
「イザベラが心配! 戻るよ!」
「は、はい」
私たちは、男の手足に荷縄をかけ、木箱の陰へ寄せた。正直、この縄でどれだけもつのか分からない。目を覚ます前に戻るしかない。
急いで二階の会議室へ戻った。
⸻
会議室へ戻り、窓から商会前を見下ろした瞬間、私は固まった。
さっきまで襲いかかっていた傭兵たちが、ほとんど石畳の上に転がっていた。腕を押さえてうずくまる者。足を絡め取られて動けない者。武器を弾かれて呆然としている者。完全に気絶している者。
ただ、血はほとんど見えない。命は奪っていないみたいだった。
よかった。よかったんだけど。
倒し方が手際よすぎて逆に怖い。悪漢掃除ってジャンルある?
イザベラは、相変わらず息を乱していなかった。メイド服も、ほとんど乱れていない。こっちは裏口で一人倒しただけで心臓バクバクなのに、あの人、傭兵団を片付けて服のシワすら増えてないんだけど。
性能差がひどい。
「……こ、ここまで凄腕だとは」
エルヴィンが、ぽつりと呟いた。その声は、さっきまでとは違っていた。驚きだけじゃない。恐れも少し混じっている。
私も同じだった。イザベラは味方だ。それは分かっている。分かっているのに、背筋がぞくっとした。強すぎる。人を守る強さなのに、近くで見ると少し怖い。
商会前の空気も変わっていた。さっきまでのざわめきは消えている。通行人たちは、遠巻きにイザベラを見ていた。誰も軽口を叩かない。笑わない。イザベラの前に転がっている傭兵たちを見て、ただ息を呑んでいる。
そして。
まだ終わっていなかった。
商会の前には、さっきの身なりだけは整った男が立っていた。顔は引きつっている。でも、逃げていない。
その背後に、二人の男がいた。
一人は大柄な男。肩に担いでいるのは、槍と斧を無理やり合体させたみたいな武器だった。ハルバード、だったと思う。刃が広い。柄が長い。突ける。斬れる。引っかけられる。あれ、絶対に護身用じゃない。
もう一人は細身な男だった。手には細い槍。大きく振り回すための槍じゃない。間合いを測り、隙を突くための槍。そして、指先に薄い蒼い光が灯っていた。
魔法だ。
空気が冷える。窓越しなのに、温度が少し下がった気がした。
さっきまでの傭兵たちも弱くはなかった。でも、この二人は違う。ゲームでいうなら、雑魚戦が終わったあとに出てくる中ボス。BGMが変わるやつ。
身なりのいい男が、震えた声で言う。
「ア、アニキ……頼みます。あのメイド、ただ者じゃありません」
ハルバードの男が、豪快に笑った。
「はっ! 見りゃ分かる」
細槍の男は、倒れている傭兵たちを見てから、イザベラへ視線を戻した。
「……相手が悪い」
「知ってんのか?」
ハルバードの男が聞く。
細槍の男は、静かに答えた。
「俺が東護騎士団にいた頃の話だが、噂だけはな。西の大神殿を守る神殿騎士団に、“百器のイザベラ”と呼ばれた女騎士がいた」
私は固まった。
百器?
二つ名?
え、うちの使用人、二つ名持ちなの?
「西の大神殿って……」
思わず呟くと、エルヴィンが小さく答えた。
「聖都アストラルの大神殿です。法国でも精鋭の神殿騎士が集められる場所だと聞いています」
聖都アストラル。西にある大神殿。この国の象徴みたいな場所だったはずだ。そこを守る精鋭。その中で、二つ名持ち。
待って。確かうちの父さんも元神殿騎士団だと母さんに聞いた。もしかして、同僚だったの?
細槍の男は続ける。
「平民の出で魔法は扱えないが、剣、槍、斧、弓、鞭、暗器。武器を選ばず、戦場では百の武器を扱う女と呼ばれた」
イザベラは答えない。ただ、静かに立っている。
「灯火の聖女の護衛騎士でもあったはずだ」
灯火の聖女。
母さんが昔、そう呼ばれていたことは知っている。でも、私の中ではそれは、紅蓮魔法が得意で回復魔法が使える優しい母さん、くらいの意味だった。
大神殿。神殿騎士団。灯火の聖女。
今出てきた単語が、私の知っている母さんと結びつかない。私の知ってる“灯火の聖女”と、この人たちが話してる“灯火の聖女”。ジャンル違くない?
さらに、頭の中に父さんの顔が浮かぶ。少しふとっちょで、優しくて、母さんが大好きで、普通の司祭の父さん。父さんは、ソーカ家の五男だ。ソーカ家が名門だということも知っている。でも、どうして名門なのか。何で有名なのか。そんなこと、深く考えたこともなかった。
もしかして私、実家の設定資料を一ページも読まずに本編へ突入してた?
イザベラは、少しだけ目を伏せた。そして、静かに言う。
「……昔の話だ。今は、ソーカ家の使用人でやってる」
声はいつも通りだった。けれど、いつもの使用人としての口調が違うだけで、雰囲気がまるで変わる。
ハルバードの男が、準備運動でもするように武器をぶん回しながら笑った。
「昔の話、ねえ。だが腕は錆びてねえみたいだな」
細槍の男の足元に、うっすらと霜が広がる。
「灯火の聖女の護衛が、今はソーカ家の使用人か。筋は通ってるが……」
筋は通ってるの?
私だけ話についていけてないんだけど? でも、今は聞ける空気じゃなかった。
ハルバードの男が、ふとマルクスさんを見た。
「ってことは……聖女がここにいるのか?」
「……いや、灯火の聖女なら、この状況で隠れたりはしないだろう」
細槍の男が静かに言う。
そして、顎に指を添え、少しだけ視線を動かした。
「となると……最近、裏で値がついたという聖女の子供か?」
マルクスさんの顔が、青ざめた。イザベラの眉が、ぴくりと動く。
その一瞬で、細槍の男の口元がわずかに上がった。
「……当たりだ」
背筋が冷えた。
今、何かがこっちに届いた気がした。顔を見られたわけじゃない。名前を呼ばれたわけでもない。でも、見つかった。そんな気がした。
細槍の男は、声を低くした。
「四紋札どころじゃないな。今日の仕事は、こっちが本命だ」
ハルバードの男が、楽しそうに武器を担ぎ直した。
「そいつは面白くなってきた」
二人が動いた。ハルバードの男は真正面へ。細槍の男は、半歩横へ。たったそれだけで、イザベラを挟む角度ができた。
イザベラが、右手の細剣を構え直す。左手の指先で、細い鋼糸がきらりと光った。
やばい。
今までとは違う。イザベラが押されているわけじゃない。でも、初めて“受ける”準備をしたように見えた。
ハルバードの男が、石畳を踏みしめる。細槍の男の指先に、蒼い魔力が灯る。
空気が、さらに冷えた。
私は息を呑む。
次の瞬間。
ハルバードの男が、石畳を踏み砕いて飛び出した。




