家庭訪問と使用人
ミーナを家まで送り届けたあと、ディディエ司祭と私はソーカ家の屋敷へ向かっていた。
別れ際のミーナは、あんなことがあった直後だというのに、
「じゃあね! クロノちゃん、また明日!」
と、いつもの調子で笑って手を振っていた。
つよ。
身体能力だけじゃなくて、メンタルまで陽キャ性能が高すぎる。私にも太陽の加護くれ。
私はというと、たぶん表情にも普通に出ていた。頭の中がずっともやもやしている。異能を隠してこそこそしてる上に、メンタルまで陰寄りとか救いがない。
ていうか、家庭訪問って何を話されるんだろう。あの変な女の人のこと? 海辺の魔物のこと? それとも、まさか前にやらかした洞窟爆破のこと?
いや、今日の変な女の件の方がどう考えても重そうだった。重そうだったんだけど、「家庭訪問」って響きがもう怒られる寄りなんだよな。先生が家まで来るイベント、いいことなんて基本ないだろうし。
隣を歩くディディエ司祭は、さっきからずっと静かだった。いつも通り穏やかな顔はしている。しているんだけど、ふとした瞬間に眉間へ皺が寄る。考え込んでる人の顔だ。しかも、あんまり良くない種類のやつ。
やがて屋敷の門をくぐり、玄関を開ける。
「ただいまー……」
すると、すぐに使用人の声が返ってきた。
「おかえりなさいませ」
それから、いつも通りの匂い。晩ごはんの準備をしてくれているのが分かる。
ああ、帰ってきた。
でも、ディディエ司祭まで一緒だし、あの女の人のせいで私の精神はまったく帰宅できていない。まだ海辺で事件現場の延長戦をやらされてる気分だ。
廊下の向こうから現れたのは、イザベラだった。ソーカ家で働く使用人で、いつも最初に迎えてくれる人だ。掃除も料理も洗濯も庭の手入れもきっちりこなす。とにかく有能。たぶんイザベラが三人いれば、大抵の屋敷は問題なく回る。なんなら小国の行政くらいなら回りそうな気すらする。
イザベラは一礼して、それから私を見た。
その視線が、顔、肩、袖、靴先へと流れる。さらに髪の乱れ、指先、膝、靴裏まで見られた気がした。
……ん? なんか今、一瞬で全身点検されなかった?
いやまあ、今日は校外学習で海へ行くとは伝えていたし、砂浜で転んでいてもおかしくない。服の汚れでも見たのだろう。さすがイザベラ、仕事が丁寧である。丁寧すぎて一瞬、税関みたいだったけど。
でも次の瞬間、イザベラの視線は私の後ろに立つディディエ司祭へ移った。
「……そちらの方は?」
声は丁寧だった。でも、なんかちょっとだけ固い。
「あ、えっと、聖堂院の担任のディディエ司祭。今日、急に家庭訪問に来ることになったんだけど……」
私がそう言うと、イザベラは私ではなく、ディディエ司祭を見た。ほんの少しだけ眉が寄る。
「司祭様。お嬢様をこのような形でお連れになる場合、事前に当家へご連絡をいただけますと助かります」
声は丁寧だった。けれど、その丁寧さの奥に、明らかに硬いものがある。
「まして、本日は校外学習の日だったはずです。お嬢様は明らかにお疲れのご様子」
イザベラは、少しだけ間を置いた。
「それにもかかわらず、事前の連絡もなく司祭様が同行されている。よほどの事情があるのでしょうね」
うわ。珍しく刺がある。いつもの優しくて礼儀正しいイザベラどこ行ったの? これ、完全に屋敷の受付じゃなくて、貴族令嬢の身辺警護担当の目なんだけど。
ディディエ司祭が、ぺこりと頭を下げる。
「きゅ、急にお邪魔して申し訳ありません。ただ、グラン殿かサラサ様に、すぐにでもお伝えしたいことがありまして……」
「差し支えなければ、先に私が概要を伺っても?」
「いえ、できればサラサ様に直接……」
「……そうですか」
そうですか、の温度が低い。いやいやイザベラ、さすがに担任の司祭だよ? そんな警戒しなくても――。
「大丈夫よ、イザベラ」
母さんの声がした。奥から母さんが出てくる。最初の表情は、いつもの母さんだった。でも、ディディエ司祭の顔を見た瞬間、その空気が変わった。
あ。顔見知りだな。
「ディディエ司祭、どうかなさいましたか」
「サラサ様。少々、お話が」
母さんは一瞬だけ黙ったあと、私に視線を向けた。
「クロノ。あなたは自分の部屋に行っていなさい」
「え、でも――」
「行きなさい」
静かな声だった。怒鳴っていない。でも逆に怖い。
私は「はーい……」と小さく返して、階段へ向かった。
⸻
向かった。
向かったけど、気になるに決まってるじゃん。というわけで、二階に行くふりをして途中で引き返し、廊下の角からこっそり聞き耳を立てる。
よし。完璧。
我ながら雑なスパイである。でも今は細かいことを気にしている場合じゃない。
でも、聞こえてきたのは会話の断片だけだった。
「今回の襲撃、目的は聖堂院の防衛体制を測ることだったのね」
「おそらくは。聖堂院の生徒たちが結界の外へ出た時、こちらがどう守るのか。それを見ていたのでしょう」
「校外学習を利用した偵察……」
「ええ。ジェイド師範、エリシアさん、カタリナさん。そして私の動きも見られたはずです」
少しだけ間が空いた。
「ただ……クロノさんは、目に留まったかもしれません」
「……あの子の力を見たの?」
「断言はできません。ですが、岩嘴鳥を倒したのがクロノさんだと知っていました。そのうえで、グラン殿への警告を残していった」
父さんへの警告。
その言葉だけで、胸の奥が嫌な感じに冷えた。
「グラン殿は、まだ戻られていないのですか」
「……ええ」
「では、結界の内側まで入り込まれた可能性が?」
「あるわ。それも、私やグランでも見抜けないほど、人に紛れる高位の――」
そこから先は、母さんの声がふっと低くなって聞き取れなかった。
え? いや、ちょっと待って。家庭訪問だよね? 私の素行の話じゃなかったの? 校外での防衛体制? 目に留まった? てか岩嘴鳥を倒したの、やっぱりバレてるし。エリシア先輩が言った? それとも、あの女が見てた?
そもそもディディエ司祭は、私の力のことを母さんから聞いて――。
「お嬢様」
「ひゃいっ!?」
後ろから声がして、私は文字通り飛び上がった。イザベラだ。いつの間に。足音どこ行った。
「聞き耳は感心いたしません」
「ご、ごめんなさーい……」
完全に叱られた。
私はしゅんと肩を落として、今度こそ本当に二階へ逃げた。
⸻
マークの部屋を開けると、そこにはいつも通りの光景があった。マークが、のんきに炭酸シュワシュワとポテチを机の上に広げ、ドリカーをしていた。
「どけDK! 僕の赤甲羅の餌食にしてやろうか?」
なんかもう、この家の中だけ世界線違う。下では結界がどうたら言ってるのに、こっちは赤甲羅である。温度差で風邪ひきそう。
「ただいま」
「おかえりー」
おかえりはせめて一回こっちを見てから言いなさい。
私はそのままベッドにどさっと倒れ込んだ。
「今日、校外学習で海に行ったんだけど」
「へえ」
「魔物が出た」
「ふーん」
「空から腐る糞を落としてきた」
「ふんふん」
「先輩がめちゃくちゃ強かった」
「すごいじゃん」
「変な女の人に声かけられてめっちゃ怖くてさ」
「やったじゃん」
「父さんの浮気相手かも……」
「まあなんとかなるよ。姉ちゃんだもん」
会話が滑ってんな。
「ねえ! ちゃんと聞いてる!?」
マークは画面から目を離さないまま言った。
「聞いてるよ」
「絶対聞いてないでしょ! もうポテチ出してあげないよ!」
その瞬間、マークの指がぴたりと止まった。
「それは困る」
よし、効いた。やっぱこいつ、ポテチへの忠誠心だけ異常に高いな。
ようやくゲームの音が小さくなって、マークがちゃんとこっちを見る。
「で、何があったの」
「最初から話してたんだけど!?」
「姉ちゃん、最初から最後までテンション同じだから、大事なところが分かりづらいんだよ」
弟にプレゼン改善点を指摘された。ぐぬぬ。
私は深呼吸して、最初からもう一度話した。海が綺麗だったこと。鳥の魔物が最悪だったこと。エリシア先輩とカタリナ先輩とジェイド師範が強すぎたこと。岩みたいなハシビロコウもどきがいたこと。そして、女の人が現れて、父さんに「あまり調子に乗るな」と伝えていったこと。
……ついでに、浮気相手かもしれないこと。
それで今、下で母さんとディディエ司祭が話していて盗み聞きがバレたこと。
話し終わると、マークは少しだけ首をかしげた。
「その女の人、別の意味でやばそうだね」
「別の意味?」
「うん。てか、家庭訪問の原因が父さんの浮気相手なら、司祭さんは来ないでしょ」
「たしかに」
いやでも待て。
「でもあの女の人、すごい綺麗だったんだよね」
「姉ちゃん、まだその線追うつもり?」
「いや違うよ!? 父さんを信用してないんじゃなくて!」
「してる人の発想じゃないんだよなあ」
ぐうの音も出ない。
私はベッドの上でごろっと仰向けになった。
「でもほんと、意味わかんないんだよな……。名前を知られてる。父さんへの伝言がある。しかも、それを聞いたディディエ司祭がうちまで来る。普通じゃないじゃん、どう考えても」
マークはコントローラーを置いて、天井を見ながら言った。
「お母さん、怒ってた?」
「怒ってたっていうか……なんか、普通じゃなかった」
「じゃあ、とりあえず姉ちゃんが怒られる話じゃないんじゃない?」
それはちょっと、救いだった。
「マークさあ、最初からそれくらいちゃんと聞いてよ」
「姉ちゃん、なんだかんだ解決しちゃうし。あと、ポテチがかかってなかったから」
「ポテチ基準で動くな」
でも、こうやって話していると少しだけ息がしやすくなる。マークはのんきだ。のんきなんだけど、たまに変なところで本質を刺してくる。
「で、結局、盗み聞きしてた話は何だったの」
「それが全然意味がわからないんだって。あの女の人の正体っぽい話の途中で、イザベラに見つかったから」
「気になるね」
「めちゃくちゃ気になる」
その時、こんこん、と控えめなノックの音がした。
「お嬢様。ディディエ司祭がお帰りになります。居間へお越しくださいませ」
扉越しに聞こえたのは、イザベラの声だった。
「はーい」
私は小さく息を吐いて、立ち上がった。
居間へ向かう途中、イザベラが窓の外へ鋭く視線を向けた。
近所のおばちゃんが、犬の散歩をしていた。
……そんな通りすがりの人を睨まなくても。
今日のイザベラはやたら警戒している。いつもはもっと和やかなのに。
⸻
居間へ戻ると、ディディエ司祭はもう帰る支度をしていた。
母さんはいつも通り澄ました顔をしている。でも、家族だからこそ分かる。今日はその表情が、ほんの少しだけ硬かった。
父さんは――今日も遅いのかな。
ディディエ司祭が私を見る。
「クロノさん。これからしばらく、聖堂院でも一人で動かないようにしてください」
「え」
「何かあれば、すぐに周囲へ知らせること。登下校についても、できる限り一人にならないように」
「え、そこまで?」
私が目を丸くすると、母さんが静かに言った。
「明日からはイザベラに付き添ってもらいます」
「……はい?」
一瞬、意味が分からなかった。
「付き添いって、え、登下校?」
「そうよ」
「まじで?」
「まじです」
母さんは、こういう時、冗談を言わない。でも今だけは、冗談であってほしかった。
イザベラはいつも通り、すました顔で一礼した。
「明日より、私が同行いたします」
いやいやいやいや。
待って。登下校にイザベラがついてくるの? それ、めちゃくちゃ恥ずかしいやつでは?
「ちゃんと行きますよ!? さぼったりしませんよ!? なんか私、不登校予備軍とか不良候補みたいな扱いされてない!?」
「されていません」
母さんの返答が早い。そして冷静。
いやでも、やだー!
使用人付き登校とか、めちゃくちゃ目立つじゃん!
前世にも、登下校のたびにお母さんがついてきていた子がいた。別に悪いことじゃない。でも子ども心には、「一人で学校行けない子」みたいに見えてしまっていた。
そして今、私がその枠に入ろうとしている。無理。精神的に無理。
イザベラのことは好きだ。好きなんだけど、イザベラは仕事ができすぎる。いつもきっちりしていて、立ち姿も綺麗で、何をしても隙がない。そんな人が毎朝ぴしっと横に立っていたら、私まで「ちゃんとしたお嬢様です」みたいな空気を出さなきゃいけなくなるじゃん。
私が露骨に嫌そうな顔をしていると、ディディエ司祭は少しだけ困ったように笑った。
「急なことで申し訳ありません。ただ、最近は少し物騒ですから。念のためです」
念のため? あの女の人が危険、ということなんだろうか。
ディディエ司祭は、私を怖がらせないように軽く言ってくれているのだと思う。でも、さっき下で聞こえた会話は、そんな言葉で済むようなものには思えなかった。
ディディエ司祭はもう一度母さんに頭を下げ、それから帰っていった。
玄関の扉が閉まる音が、いつもより大きく聞こえた。
ただの家庭訪問じゃなかった。それだけは、私にも分かる。
そして、玄関の脇に静かに立つイザベラも、いつもの和やかな使用人には見えなかった。
⸻
その日から、私の登下校にはイザベラがつくことになった。
ただの使用人だと思っていた彼女が、なぜ付き添いに選ばれたのか。
そして、ソーカ家がなぜ彼女を屋敷に置いていたのか。
その意味を、私はまだ知らなかった。




