海辺の空から最悪が降ってきた
ジェイド師範が剣を抜き、盾を構えて怒鳴った。
「魔物だ! 墨羽鴎! 上空に注意しつつ退避しろ!」
え、やっぱりそうなの!? ただの鳥と鳥型の魔物の違いとか、遠目で見たら全然わからんのだが!?
その声を皮切りに、上空を回っていた墨羽鴎たちが、ひゅっと翼をたたんだ。
「来るよ!」
ミーナちゃんが叫ぶ。次の瞬間、白と黒のまだら模様の影が、矢みたいな勢いでこちらへ落ちてきた。
速っ!?
しかもそいつら、攻撃手段がクチバシや爪だけじゃなかった。急降下の途中で、上から黒っぽいものをばらまいたのだ。
べちゃっ。
近くの岩に落ちたそれが、次の瞬間、じゅうううっと音を立てて白い煙を上げた。
「は?」
岩、溶けてるんだけど。空飛ぶ魔物が、上から腐食性の糞を落としてくるって、発想が最悪すぎない?
「いやいやいや、攻撃方法が汚すぎるでしょぉ!?」
「全員、こちらへ!!」
私のツッコミをぶった切ったのは、ディディエ司祭の声だった。
「大地よ、鎮まりて我らを守れ――《岩護膜》!」
その足元から、どごっ、と岩がせり上がる。腰ほどの高さの岩壁が一年生たちの前に現れ、さらにその上へ薄い岩の膜が傘みたいに広がった。
直後。
べちゃっ! べちゃっ! べちゃっ!
黒い塊がその膜に次々ぶつかって、じゅわあっと白い煙を上げる。うわ。守られてなかったら普通にアウトだったやつだ。
ていうか魔物じゃなくても、上から鳥の糞くらうの普通に嫌なのに、なんでそれが腐る仕様なんだよ。ゲームバランス考えて?
「ひぃっ!?」
「やだああああ!」
「助けてぇぇぇ!!」
同級生たちが一斉に悲鳴を上げる。うん、そりゃそうだ。そっちが正常反応だと思う。冷静にツッコんでる私の方が、たぶんちょっとおかしい。
エリシア先輩が片手を上げた。
「風よ、舞い遮れ――《風障壁》!」
翠嵐の魔力が指先に集まり、次の瞬間には、目に見えるほど鋭い風の流れが海辺を走っていた。
声は静かだった。でも、やってることは全然静かじゃない。墨羽鴎の落とした腐食糞を横へ流し、こちらへ向かってきた個体の姿勢を崩し、群れの隊列までぐちゃっと乱していく。
すげえ翠嵐魔法。
風って、もっとこう、地味なサポート職だと思ってた。でも違った。敵の攻撃を流す。敵の姿勢を崩す。味方の退路を作る。
何この有能属性。風、めちゃくちゃ仕事できる。
「落ち着いてください! 上は私が制御します! ディディエ司祭は防壁の維持を! ジェイド師範は、私の風を抜けてくる低空の個体を優先で! カタリナは建物までの道を作ってください! 途切れた場所は司祭が防壁でつなぎます!」
エリシア先輩の声が続いた。
え、なんで高等部二年の先輩が仕切ってるの?
……って最初は思った。でも、ディディエ司祭もジェイド師範も止めない。
「わかりました!」
「任せろ!」
「はいはい、わかったわよ!」
返事と同時に、ジェイド師範がエリシア先輩の前へ出る。カタリナ先輩は地面へ片手をかざした。
迷いがない。たぶん、エリシア先輩には、こういう場で判断を任されるだけの何かがあるのだ。
「剛岩よ、道となれ――《大地盾》!」
建物へ向かって、岩壁が左右に伸びていく。屋根はない。でも、生徒たちが身をかがめて進むには十分な高さと幅があった。
そこへ、ディディエ司祭の岩護膜が重なる。左右の壁の上に岩の膜がかぶさり、むき出しだった通路が、少しずつ屋根つきの避難路へ変わっていく。
まるで、岩でできた避難通路だった。
剛岩魔法、すご。
土属性って、もっとこう、耐久力だけ高いタンク役みたいな印象だった。でも違った。足場を作る。進路を作る。逃げ場を作る。戦場の形そのものを、こっちに有利なマップへ変えていく。
何この安心感。
剛岩、めちゃくちゃ頼れる。
三羽の墨羽鴎が、エリシア先輩の風を抜け、低空で突っ込んできた。密集したまま横に広がり、地面すれすれをえぐるように飛んでくる。狙いは、どう見てもエリシア先輩だ。
やばい。あれは、防げない。
そう思った瞬間、ジェイド師範が前に出ていた。
盾を砂浜へ落とし、腰を深く沈める。剣を腰の横まで引き、ぴたりと止まった。動かない。呼吸すら、止めているように見えた。
え、なにしてんの!?
その間にも、三羽の墨羽鴎は迫ってくる。近い。もう、届く。
次の瞬間。
ぶん、と空気が重く鳴った。
横一閃。
届くはずのない距離だった。なのに、三羽の墨羽鴎が同時に斬り裂かれ、砂浜へ落ちた。
「……え?」
魔法じゃない。詠唱もない。魔力の揺らぎも見えなかった。でも、ただの剣でもない。
なに今の。
剣って、飛ぶ武器だったっけ?
「すげえ……」
というか、私の限界具現が活躍する場なんてない。
普通に魔法を使える人たちが強すぎる。風で敵を散らす。土で避難通路を作る。しかも魔法を使ってないのに、剣だけで空飛ぶ魔物をまとめて斬る人までいる。
どうなってんじゃああああ、この世界!!
こっちは使用回数あり、睡眠回復あり、知識不足だと失敗ありの制約つきで頑張ってるんですけど!?
周りが雑に強すぎる。
普通に嫉妬するんだけど!!
「一年生は頭を下げてください! 動ける人から防壁の方へ!」
エリシア先輩の指示が飛ぶ。その声で、みんながようやく動き出した。
……いや、動けない子も多いけど。
「た、立てない……」
「やだぁ……!」
「おかあさぁん……!」
そりゃそうだよな。いきなり海辺で空飛ぶ魔物の腐食糞爆撃に遭うなんて、誰も想定してない。
その中で、リリスがぴしゃっと声を張った。
「意地でも立ちなさい! しゃがんでいても当たる時は当たりますわ!」
厳しい。でも、正しい。
アルガスは前の方で小さい子の腕を掴んでいた。
「おい、足動かせ! 無理なら抱えてやるから来い!」
シャーロットちゃんは、袖に少しだけ黒い液が飛んだらしい子の手を、聖光魔法で癒していた。顔はめちゃくちゃ青い。手も震えている。でも、逃げてない。
「だ、大丈夫です……! すぐ、すぐに……!」
蜘蛛の時は、みんな余裕なんてなかった。
でも今は違う。他の一年生が泣くか固まるかの中で、みんなちゃんと動いている。もちろんミーナちゃんも、エルヴィンもだ。
前の修羅場、無駄じゃなかったんだな。
私たちはディディエ司祭とカタリナ先輩が作った岩の通路に守られながら、海辺の建物へ押し込まれていった。
⸻
建物の中は、すでに避難してきた海辺の人たちでごった返していた。
「こっち空いてる!」
「子どもを先に!」
「窓から離れろ!」
うわ、カオスその二だ。
でも外よりはマシ。腐食糞が降ってくる外よりは。
本当、あの魔物最低すぎる。
入口の近くでは、ディディエ司祭が避難してくる人々を守るように、岩護膜を広く展開していた。司祭というより、完全に移動式避難シェルターだった。
外を覗くと、墨羽鴎たちのさらに上空に、ひときわ大きな鷹みたいな鳥がいた。
群れを指揮しているのだろうか。他の墨羽鴎とは明らかに動きが違う。たぶん、あれがボスだ。
「……あれ?」
ミーナちゃんが、入口の脇から外を見たまま呟いた。
「どうしたの?」
「なんか、変」
「あの上空にいるでかい鳥?」
「ううん。あっち」
ミーナちゃんが指したのは、空じゃなかった。
海辺の少し奥。灰色の岩がごろごろしている一角。
「……岩?」
「違う気がする」
違うって言われても、どう見ても岩だ。
いや、でも――。
私は目を凝らした。灰色の塊。長い影。ごつい輪郭。妙に澄ました顔みたいな形。
……と思った、その時。
岩だと思っていたものの片側で、ぬるっと目が動いた。
「まじだ! 鳥だ! でっか!!」
しかも、そのシルエットに私は見覚えがありすぎた。
ずんぐりした胴。やたら大きいクチバシ。妙に澄ました顔。そして、動かない圧。
「いやいやいや、ハシビロコウじゃん!」
「はしび……?」
「あっ、いや……前に似た鳥を見たことある気がして!」
動物園で見たことあるやつにそっくりだ。でかくて、まーじで動かない鳥。
……なんで異世界で魔獣になっとるんかい!?
その横で、エルヴィンの顔色が変わった。
「まずいです」
「え?」
「あれは、岩嘴鳥です」
エルヴィンの声が少し硬くなる。
「岩場に紛れて獲物を待つ魔獣です。高価な素材が取れることで有名ですが、それはつまり、狩るのが難しいということでもあります」
素材が高い魔獣、多くない? この世界、危険なほど値段が上がるシステムなの?
「動かないのではなく、待っているんです。獲物が油断した瞬間だけ、一気に間合いを詰める。見つけた時には遅い、と言われています」
嫌な情報しかないモンスター図鑑、再びである。
「見つけた時には遅いって、今見つけたんだけど!?」
「だから、すぐに行動しないとまずいんです」
私は改めて外へ目を向けた。
さっきまで防ぐだけで精一杯だった戦況が、少し変わっている。
生徒たちの避難が進んだことで、エリシア先輩たちがようやく攻めに回り始めたのだ。
エリシア先輩は、上空の墨羽鴎たちを翠嵐魔法で操るように動かしていた。ただ散らしているわけじゃない。群れの流れをずらし、低く降りた個体をジェイド師範とカタリナ先輩の射程へ流し込んでいる。
ジェイド師範は、低空へ押し出された墨羽鴎を次々に斬り落としていた。カタリナ先輩も、避難路へ近づく個体を岩の礫で撃ち落としている。
守るための動きじゃない。
群れを削って、押し返して、主導権を取り返す動きだ。
その流れの中で、エリシア先輩はひときわ大きな鷹みたいな個体を、少しずつ低い位置へ追い込んでいた。
たぶん、あれを落とすつもりなんだ。
「……やば」
そして、岩嘴鳥の視線の先は、どう見てもエリシア先輩だった。
空の大型個体を仕留めようとしている、その集中。狙い澄ました一撃の直後に生まれる、ほんのわずかな隙。
あの鳥は、そこだけを待っているみたいにじっと見つめ、動かない。
「ディディエ司祭に言った方が……」
私が言いかけた時、エルヴィンが首を振った。
「ディディエ司祭に言ったところで、すぐには動けないでしょう」
たしかにそうだ。ディディエ司祭は防壁維持と生徒の保護で手一杯だし、今ここで大声を出しても、群れの鳴き声と騒ぎに埋もれる。伝わる前に終わるかもしれない。
岩嘴鳥が、わずかに重心を前へ移した気がした。
やばい。こいつ……動くぞ。
「……前に、遠くから僕を助けてくれた力。あれを使えませんか」
エルヴィンが小さく言った。
私はエルヴィンを見る。珍しく商売っけがない。人を助けたい目だ。真っ直ぐな目を逸らさない。
「今のこの状況なら、クロノさんが何をしたかなんて、誰も気づかないはずです」
ミーナちゃんも外を見たまま言った。
「クロノちゃん、あそこの裏口から出られそうだよ」
ここで限界具現を使ってバレたら、騒ぎになるかもしれない。
でも。
エリシア先輩を見捨てるなんて、できない。
私は覚悟を決めた。
「……やろう。一緒に来てくれる?」
二人が頷いた。
心臓が、嫌なくらいうるさかった。
でも、もう迷っている時間はない。




