マークはだいたい知っている
姉ちゃんが最近楽しそうだ。
前は聖堂院の話を聞いても、
「縦巻きロール令嬢とダル絡み男子がやばい」
「次の実習、まじ詰みそうでやばい」
「ストーカーっぽいのに付き纏われててやばい」
みたいな、語彙の大半を“やばい”に頼った切羽詰まった報告ばかりだったのに、今は違う。
ミーナちゃんがどうしたとか。
リリスさんがまた張り合ってきたとか。
アルガスくんは口が悪いのに面倒見がいいとか。
シャーロットちゃんが頑張ってるとか。
エルヴィンくんはやっぱり危ないとか。
晩ごはんの時も、お風呂のあとも、たまに寝る前まで、その五人の話をしている。
姉ちゃんが聖堂院に通い出して、もう半年くらいになる。
最初はどうなることかと思った。
友達ができるのか。
魔法が使えないのがバレないのか。
そもそも姉ちゃんが変なことをして問題を起こさないのか。
いや、最後のは今も普通に心配してる。
でも最近の姉ちゃんは、前よりずっと楽しそうだ。
この前なんか、筋肉痛でおばあさんみたいな歩き方をしながら、
「シャーロットちゃんが昨日ね――」
って、すごく嬉しそうに話していた。
たぶん、最初は不安でいっぱいだった聖堂院が、今は友達もできて、毎日ちょっと楽しくなってきたんだと思う。
それは、弟としてはわりと嬉しい。
……まあ、姉ちゃんが楽しそうだと、だいたいろくでもないこともついてくるんだけど。
⸻
家の方も、何もなかったわけじゃない。
父さんが三日くらい帰ってこなかった時は、さすがに少し心配した。
でも母さんはいつも通りだったし、姉ちゃんも表向きは普通だった。
ただ、食卓の空気が少しだけ静かだった。
いつもいる人がいないだけで、家ってちゃんと寂しくなるんだなと思った。
でも父さんは、四日目の朝には普通に帰ってきた。
普通に帰ってきて、普通に朝ごはんを食べて、普通におかわりまでしていた。
少しだけ眠そうではあったけど。
姉ちゃんはそれを見て、
「お父さん、不倫してたのかもしれない……」
とか、訳のわからないことを言っていた。
なんで三日帰ってこなかった理由の候補が、いきなりそれなんだろう。
姉ちゃんの発想は、たまにものすごく変な方向へ飛ぶ。
もちろん僕は、父さんがそんなことをするとは思っていない。
それより、何かと戦っていたのかもしれない、と思った。
仕事というには、父さんの司祭服の袖がほんの少しだけ裂けていたからだ。
でも姉ちゃんは、そんなことにはまったく気づいていなかった。
父さんの袖のほつれより、存在しない不倫相手の方が気になるらしい。
姉ちゃんはたぶん、現実を見る前に頭の中で物語を始めるタイプなんだと思う。
⸻
僕は、魔法の感覚がなんとなくわかる。
まだちゃんと教わったわけじゃないし、うまく言葉にできるわけでもない。
でも、魔法を扱う人には色みたいなものがあるのがわかる。
そして、それは僕自身にもある。
赤。
緑。
白。
たぶん、紅蓮。
翠嵐。
聖光。
父さんが緑で、母さんが赤と白。
だからたぶん、僕は両方引き継いでるんだと思う。
姉ちゃんにはその感覚がまったくない。
そして僕には三つある。
それくらいは、なんとなくわかる。
きっと大人たちに言えば、すごいすごいって言われるんだろう。
ソーカ家の長男だし、父さんと母さんの子どもだし、才能があってさすが、みたいなことを。
でも。
そんなこと、どうでもよかった。
僕の目は、もうとっくに別のものに奪われている。
姉ちゃんだ。
もっと正確に言えば、姉ちゃんの前世だ。
ゲーム。
アニメ。
漫画。
小説。
ポテチ。
コーラ。
メロンソーダ。
自転車。
自動車。
飛行機。
意味のわからないけど、とにかく面白そうなものたち。
なんていい世界なんだ。
僕は本気で思っている。
僕は姉ちゃんの世界に生まれたかった。
魔法で火を出せても、ポテチは出てこない。
翠嵐で風を起こせても、コーラは冷えない。
聖光で傷を癒しても、ゲームは遊べない。
だったら、そっちの方がすごいじゃないか。
魔法なんてくだらない。
……いや、ちょっと言いすぎかもしれないけど、今の僕には本当にそう思えた。
誰か一人がすごいだけの力より、
ポテチとか、ゲームとか、自動車とか、そういう“みんなが嬉しくなるもの”を生み出せる方が、ずっとすごい。
僕はそう思ってる。
⸻
姉ちゃんはたぶん、自分のことをちゃんと隠してるつもりなんだと思う。
でも家では、だいたい筒抜けだ。
友達に何を話したのか。
どこで無茶をしたのか。
誰に助けてもらったのか。
今度の郊外学習を、ほんのちょっと楽しみにしていることまで。
僕はもちろん、父さんも母さんも、だいたい知っている。
別に、こっそり日記を読んでるわけじゃない。
そもそも姉ちゃんは、日記なんて書くような豆な性格じゃないし、そんなことしなくても普通に喋る。
しかも、自分では隠してるつもりで喋るから面白い。
「いや別に大したことじゃないんだけどね」
「まあ、ちょっとだけなんだけど」
「そんな大げさな話じゃなくてさ」
とか前置きしてから、毎回わりと大ごとを言う。
この前なんて、洞窟を塞いだ話をしていた。
それが大ごとじゃなかったら、何が大ごとなの。
僕はそれを聞いて、必要そうなところだけ家族に流す。
たとえば、母さんがお茶をいれてる時に、
「姉ちゃん、魔法はうまくごまかせてるみたい」
「……本当かしら」
「でも今度、郊外学習あるらしいよ」
「……また問題を起こさないかしら」
「まあ姉ちゃん、変なところでたくましいから大丈夫だよ」
「……頭が痛くなってきたわ」
みたいに。
母さんはそれを聞いて、止めない。
ああ、やっぱりそれは聞いておきたい情報なんだな、って顔をする。
父さんも、食卓で僕の話を聞いてる時はだいたい静かだ。
でも耳だけは、ちゃんとこっちを向いてる。
家族って、たぶんそういうものなんだと思う。
姉ちゃんが隠してることを、無理やり暴いたりはしない。
でも、何も知らないふりもしない。
見守って、必要なら守る。
そういう空気が、この家にはある。
そして、その真ん中で、たぶん一番空気を読んでいるのは僕だ。
五歳だけど。
うん。そこはちょっと自慢していいと思う。
⸻
そして、このソーカ家には、まだ秘密がある。
こっちは姉ちゃんだけが気づいていない。
父さんが、ただの司祭じゃないことも、僕はだいたい知ってる。
翠嵐鏡グラン・ソーカ。
昔、そう呼ばれていたらしいことを聞いたことがある。
しかも父さん、男同士でお風呂に一緒に入るとわかるけど、服の下は普通に筋肉質だ。
普段のゆったりした司祭服で、ちょっとふくよかに見えてるのに騙されてはいけない。あれはたぶん、油断を誘うためのふくよかさだ。
あと、服の下に剣と盾を仕込んでるのも知ってる。
いや、知ってる時点でどうなんだって話だけど、ほんとに仕込んでるんだから仕方ない。
あそこまで隠してるってことは、たぶん何か理由があるんだろう。
母さんだってそうだ。
西の大神殿で、魔王だの魔族だの、そういうすごく危ないものを封じていたらしい。
灯火の聖女、なんて呼ばれていたことも知ってる。
父さんも母さんも、たぶんこの国の中でも相当すごい。
なのに普段は、
父さんはのんびりごはんをおかわりするし、
母さんは姉ちゃんの言動に頭を痛くしてる。
すごい人たちなのに、家の中だと普通に父さんと母さんなのが、ちょっと面白い。
そして、こんな両親から生まれたんだ。
たぶん僕にも、すごい魔法の才能がある。
それくらいは、なんとなくわかる。
でも、駄目だ。
僕が一番ときめくのは、そこじゃない。
父さんが魔族を斬った話より、姉ちゃんの世界に自動車がある話の方が、僕にはずっと面白い。
周りの人が何度も聖女を称える話をしたり、母さんが奇跡を起こした話を聞かされたりしても、やっぱり僕は漫画の話の方が夢があると思ってしまう。
僕はたぶん、もう戻れない。
姉ちゃんの前世文明に脳を焼かれた。
被害者は僕だ。
でも全然困ってない。
むしろ誇らしい。
⸻
だから僕の夢は、父さんや母さんとは少し違う。
父さんみたいに前に出て戦うんじゃない。
母さんみたいに祈って守るんでもない。
姉ちゃんの世界のものを、この世界に増やす。
それが僕の夢だ。
姉ちゃんから知識を吸い取って、この世界をもっと便利にしてやる。
もっと楽しくしてやるんだ。
ポテチを量産したい。
コーラを冷やしたい。
自転車を完成させたい。
できればゲームもほしい。
僕はたぶん、普通に育てば魔法の天才になっていたのかもしれない。
でもそんなことより先に、走る自動車をこの世界で再現したい。
たぶんその方が、絶対すごい。
だって、魔法は才能がある人しか使えない。
でも姉ちゃんの世界のものは、たぶんみんな使える。
それってすごくない?
父さんと母さんが守る世界を、
僕は姉ちゃんの知識で便利にしたい。
姉ちゃんのせいで、僕はたぶんちょっと道を踏み外した。
でもたぶん、悪い方向じゃない。
⸻
夕方、姉ちゃんが帰ってきた。
「ただいまー!」
元気な声。
今日も何かあったらしい顔だ。
いや、楽しそうだからたぶん良いことだ。
「マーク! 今度ね、郊外学習あるんだよ!」
ほら始まった。
「へえ」
「たぶん薬草採ったり、外でいろいろやるんだと思う」
「ふーん」
「みんなと行くの、ちょっと楽しみ」
そう言って笑う姉ちゃんを見て、僕はちょっとだけ安心した。
前なら、楽しいより先に不安そうな顔をしていたはずだ。
でも今は違う。
学園に、姉ちゃんの味方がいる。
それは僕にとっても、かなり大きい。
でも同時に思う。
たぶんまた何かある。
姉ちゃんが外に出る。
友達がいる。
最近は外も少し物騒。
これで何も起きない方がおかしい。
母さんもたぶん同じことを思ってる。
父さんもたぶん知ってる。
でも姉ちゃんには言わない。
姉ちゃんはたぶん、今くらいがちょうどいいからだ。
警戒しすぎず、でも一人じゃない。
それが今の姉ちゃんには必要なんだと思う。
だから僕も、今は何も言わない。
ただ、頭の中で整理しておく。
姉ちゃんが隠してることも。
父さんと母さんが隠してることも。
今度の郊外学習で、たぶんまた何か起きることも。
僕はだいたい知っている。
その上で。
メロンソーダの再現方法についても、そろそろ真面目に考えようと思う。
世界を変える前に、まずはこれだ。
順番は大事だと思う。




