第19話 灯火爆裂杖、炸裂
小蜘蛛たちが、一斉に動き出した。
床を這い、岩壁を駆け上がり、天井から糸を伝って下りてくる。ぎちぎちと無数の脚が岩を叩く音が反響し、どこから何匹迫っているのかも分からない。
「うわ、気持ち悪い……!」
今すぐ逃げたい気持ちを押し込み、私は懐中電灯を動かして空洞の中を見渡した。
改めて見ると、ここは前世の体育館くらいの広さがある。天井は高く、奥へ進むほど床が緩やかに下がっていた。
私たちが立っているのは、空洞へ入ったばかりの入口側。背後にある細い通路が、唯一の退路だ。
シャーロットが吊られているのは、そこから最も離れた右奥。親蜘蛛は空洞の中央上部に巣を構え、その真下でリリスとアルガスが小蜘蛛の群れを食い止めている。
距離だけなら、走れば届く。
問題は、そこまでの道だった。
地面には大きさの違う岩が転がり、ところどころに浅い水たまりができている。その上を、足首ほどの高さから胸元まで、透明な糸が何重にも横切っていた。
避けて進もうにも、懐中電灯の光が少し外れただけで見失ってしまう。急いで走れば足を取られ、慎重に進めば蜘蛛に囲まれる。
助けに行くだけで、透明な糸だらけの障害物競走。
しかも、失敗したら蜘蛛の餌。
難易度設定がおかしい。
さらに、空洞の奥から冷たい白い霧が湧き出した。足元を這っていた霧が少しずつ高さを増し、懐中電灯の光をぼんやりと滲ませていく。ついさっき見えていた糸の輪郭が、再び霧の中へ溶け始めた。
ただの霧じゃない。
視界を奪い、糸を隠し、その糸まで強くする。アルガスが伸びてきた糸を炎の棍棒で叩き払ったけれど、表面が焦げただけで切れなかった。
「くそっ、また硬くなりやがった!」
その隣では、リリスが親蜘蛛の脚を凍らせながら、周囲へ蒼い魔力を広げている。彼女が詠唱するたび、押し寄せる白い霧がわずかに後退した。
……もしかして、さっきから霧が空洞全体へ広がり切らないのって、リリスのおかげ?
仕組みは全然分からない。でも、彼女が頑張ってくれている間は、まだ糸も足元も見える。シャーロットの周りも、どうにか霧に飲まれずに済んでいる。
この令嬢、マジですごい。
でも、そのリリスは歯を食いしばり、額に汗を浮かべていた。アルガスも小蜘蛛を叩き飛ばすたび、大きく肩を上下させている。
二人とも、もう長くは持たない。
ここで迷っている暇はなかった。
私は懐中電灯を握り直し、声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待って! 全員、いったん私の話を聞いて!」
「何だよ!」
アルガスが火を散らしながら怒鳴る。
「話はあとですわ! 早く手を貸しなさい!」
リリスの声からも、すでに余裕が消えていた。
分かる。この状況で“ちょっと待って”は、だいぶ腹が立つ。でも待って。頭の中では今、めちゃくちゃ高速で作戦会議してるから。
最優先は、シャーロットの救出だ。何より、糸に吊られたまま気を失っている彼女を放ってはおけない。
それに、シャーロットはこの場で唯一の回復役でもある。彼女が倒れたままでは、誰かが大怪我をした瞬間に詰む。
その次に、小蜘蛛を減らして退路を作る。親蜘蛛は倒そうとしない。リリスに足止めしてもらい、その隙に全員で入口側へ逃げる。
生きて帰れば、それで勝ちだ。
隣で、エルヴィンが静かに言った。
「クロノさん。ボクたちが動きます。全体を見て、指示をお願いします」
「うん。クロノちゃんが司令ね!」
ミーナも当然のようにうなずく。
リリスが親蜘蛛の脚を凍らせながら、歯を食いしばった。
「……今回は従いますわ! 早く指示なさい!」
「ミスったら承知しねぇからな!」
「責任だけ重っ!」
前世から数えれば、私はそこそこ大人だ。腹をくくるしかないのも分かる。
でも、なんで異世界でMMOのレイドリーダーみたいなことをやらなきゃならないんだ。
文句を言っている暇はないけど。
まずは、救出路を見えるようにする。
「リリス! 霧をもう少し押さえられる!?」
「このわたくしを誰だと思っていますの!」
リリスが片手を大きく広げた。
「凍てつく霧よ、我が氷に従いなさい――《氷域制御》!」
周囲へ広がった蒼い魔力が、白い霧を空洞の奥へ押し返していく。
見えた。
シャーロットを縛る何本もの糸。左右から小蜘蛛たちが吐き出す細い糸。そして、彼女の体を吊り上げている、ひときわ太い一本。
「アルガス! シャーロットの近くの糸だけ焼いて! 火をもっと絞って!」
「無茶言うな! 細くすりゃ熱が集中して、シャーロットまで焼けるかもしれねぇだろ!」
「分かってる! でも今はそれしかない! うまくやって!」
「簡単に言いやがって……!」
アルガスの顔が一瞬、むっと歪む。でも、次の瞬間には短く詠唱を始めていた。
「燃えよ、走れ、紅の鞭――《火走》!」
細く絞られた炎が鞭のように走り、シャーロットを縛っていた糸の束を焼く。
じゅっ、と白い糸が焦げた。
何本かの細い糸は焼き切れた。けれど、シャーロットの体を吊り上げている太い糸だけが残っている。霧絹蜘蛛の魔法で強化されているらしい。
「くそっ、まだ切れねぇ!」
「もう一回! 同じ場所!」
「分かってる!」
アルガスがもう一度、細く絞った炎を走らせる。じゅっ、と糸が焼け、今度はほとんど切れかかった。シャーロットの体がぐらりと傾く。
けれど、完全には切れない。その糸が限界まで引き伸ばされ、ぎちぎちと嫌な音を立てた。
「落ちる!」
私が叫ぶより早く、ミーナは朽ちた剣と懐中電灯をその場へ放り出し、駆け出していた。
「私が行く!」
転がった懐中電灯の光が、床を横切る透明な糸を白く浮かび上がらせる。
速い。
本当に速い。
判断してから動くんじゃない。もう体が先に動いている。
同時に、霧絹蜘蛛がぎち、と顎を鳴らした。獲物を奪われまいとするように、親蜘蛛の前脚が動く。周囲の小蜘蛛たちも一斉に向きを変え、シャーロットの落下地点へ群がり始めた。
右奥へ走るミーナ。その正面には、落ちてくるシャーロット。上からは親蜘蛛の脚。左右からは小蜘蛛。
完全に挟まれかけている。
「リリス! 親蜘蛛の前脚を止めて!」
「言われなくても、もうやっております!」
リリスが両手を突き出した。
「凍てよ、絡みつけ――《氷鎖》!」
蒼い霜が親蜘蛛の前脚を這い、関節を一瞬だけ鈍らせる。でも、霧絹蜘蛛も蒼氷属性だ。完全には止まらない。
ぎち、と嫌な音を立てながら、ゆっくりと力で氷を押し返してくる。
私とエルヴィンも、ミーナを追って空洞の中央付近まで踏み込んだ。
「エルヴィン! 右から来る小蜘蛛の進路をずらして!」
「承知しました」
エルヴィンが手をかざす。
「土よ、立て――《土壁》!」
ざざっ、と低い土の壁が立ち上がり、右側から走ってきた小蜘蛛たちの突進をそらした。倒し切るほどの高さはない。でも、飛びつこうとする角度を狂わせるには十分だった。
「アルガス! 左から来る糸を焼いて!」
「ちっ、注文が多いんだよ!」
アルガスが火をまとわせた棍棒で、左側から伸びてきた白い糸を叩き焼く。
リリスが上を止め、エルヴィンが右をずらし、アルガスが左を焼く。
その一瞬の隙間を、ミーナが駆け抜けた。
冷たい霧の中でも、ミーナは止まらない。蜘蛛の攻撃を避ける時の体重移動が、もう完全に“体で戦う人”のそれだ。
翠嵐魔法の適性って、こういう身の軽さにも関係あるんだろうか。
だとしたら、才能ってずるい。
ミーナは糸の隙間を滑り抜け、落ちてくるシャーロットの下へ飛び込んだ。
「シャーロットちゃん!」
両腕を伸ばし、その体を受け止める。でも、落下の勢いまでは殺し切れない。
「っ、重っ……!」
二人まとめて地面を転がった。
位置は、まだ空洞の右奥。私たちがいる入口側までは遠い。
ミーナがシャーロットを揺さぶる。返事はない。でも、呼吸はしている。
ただ、腕や足にはまだ白い糸が絡みついていた。このままでは連れて逃げられない。
「アルガス、もう一回右! そこ、まだ糸が残ってる!」
「ちっ、分かってるよ!」
「細かく見えてるのは私だけなんだよ!!」
懐中電灯で照らせば、透明な糸が見える。リリスが霧を押さえてくれているから、かろうじて追える。
アルガスがもう一度炎を飛ばし、ミーナがその隙にシャーロットの腕を引っ張った。
糸が、べりっと剥がれる。
これで動かせる。
そう思った瞬間、小蜘蛛が三匹、横から跳んだ。ミーナとシャーロットが入口側へ戻る進路を塞ごうとしている。
「来る!」
エルヴィンが地面を崩し、一匹の踏み込みをずらす。二匹目は、アルガスが火をまとわせた棍棒で横から叩き飛ばした。
最後の一匹は、ミーナがシャーロットを抱えたまま体をひねって避ける。
「っ、危な!?」
それでも勢いを殺し切れず、二人まとめて転がった。
ギリギリだった。
「シャーロットちゃん、起きて! 自分に回復! 少しでいいから!」
ミーナが半泣きで叫ぶ。
シャーロットの瞼が、ぴくっと動いた。
「ひ、光よ……やさしく、満ちて――癒光……」
淡い光が、シャーロット自身を包み込んだ。完全に動けるほどではない。でも、指が動き、足にもわずかに力が戻った。
ミーナとアルガスが両側から支え、シャーロットを入口側へ引き戻し始める。途中、ミーナは先ほど放り出した朽ちた剣を拾い上げた。
よし。
これで、まだ詰んでない。
――そう思ったが、甘かった。
霧絹蜘蛛が、天井でぎちぎちと顎を鳴らした。次の瞬間、巣の奥から小蜘蛛がわらわらと這い出してくる。
増えた。
というか、呼んだ。
完全に増援フェーズだ。
ボスが雑魚を呼ぶの、ゲームだといちばん嫌なやつなんだよ!
さらに、白い霧が濃くなる。リリスの魔法でも抑え切れない。霧絹蜘蛛の蒼氷魔法が強まったのだ。
懐中電灯の光がぼやけ、透明な糸がまた見えにくくなる。足元の石には霜が降り、踏み込むたびに靴底が滑りそうになった。
「……霧が濃くなりましたね」
エルヴィンが冷静に言う。
「見れば分かる!!」
もう十匹どころじゃない。床を、壁を、天井を、白く細い脚が一斉に走っている。
視界は悪い。糸は見えない。足場は滑る。
普通に詰みかけている。
ミーナはシャーロットをアルガスに預けると、拾い直した朽ちた剣を構え、入口へ戻る道を守るように前へ出た。
「クロノちゃん、私が殿になる! みんなと一緒に逃げて! すぐ追いつくから!」
「ミーナ!」
ミーナは小蜘蛛の群れへ突っ込んだ。一匹目を叩く。二匹目を蹴る。三匹目を避けざまに切り払う。
強い。
普通に強い。
でも、数が多すぎた。
一匹一匹が重い。速い。糸も吐く。跳ぶ。しかも、冷たい霧で距離感まで狂わされる。
ミーナが四匹目を叩いた瞬間、横から来た一匹が肩へぶつかった。
「きゃっ!」
体勢が崩れる。さらに二匹、三匹と迫ってくる。
「ミーナ!」
剣で受ける。でも、押し返し切れない。
次の瞬間、大きな一匹が正面からぶつかり、ミーナの体が吹き飛んだ。
床へ叩きつけられる。
鈍い音がした。
私の頭の中が、一瞬だけ真っ白になった。
出し惜しみとか言ってる場合じゃない。
ミーナがうめきながら起き上がろうとする。でも、小蜘蛛はもう次に跳びかかる態勢へ入っている。
リリスは親蜘蛛と霧を押さえるだけで精一杯。アルガスとシャーロットは、まだ右奥から中央付近へ戻り切っていない。エルヴィンの剛岩魔法だけでは、押し寄せる小蜘蛛を止められない。
誰か一人でも崩れたら、終わる。
退路は背後にある。でも、入口へ続く細い通路まで、小蜘蛛たちが押し寄せようとしていた。このままバラバラに逃げれば、誰かが捕まる。
私は腹の底で、何かが切り替わるのを感じた。
「全員!! いったん私の後ろまで下がって!!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。みんなの視線が、一斉に私へ向く。
ミーナが泣きそうな声を上げた。
「でも、このままじゃ出口まで行けないよ!」
「分かってる! だから一回、全員こっちに集まって!」
「どうすんだよ!?」
「何をする気ですの!?」
「説明してる暇はない! 私の後ろまで来たら、すぐ伏せて! 目を閉じて、耳を塞いで!!」
私は右手を前へ出した。
隠すとか、ごまかすとか、そんな余裕はもうない。
このままでは、全員そろって逃げ切れない。
必要なのは、一瞬だけの隙。
小蜘蛛の群れをまとめて止め、出口までの道をこじ開けるための一瞬だ。
頭の中で形を思い浮かべる。
金属の筒。
安全ピン。
炸裂する光。
「限界具現――!」
空気が、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、私の手の中に黒い閃光弾が現れる。
これで残り四回。
「一回きりの目くらまし聖具だから!! 全員、伏せて、目と耳を塞いで!!」
「なんだそれ!? 何する気だよ!!」
「信じて!!」
でも、エルヴィンは迷わなかった。
「従いましょう!」
その一言で、みんなが動いた。
リリスが親蜘蛛を縛っていた氷鎖を手放す。アルガスが糸を焼く手を止め、エルヴィンも小蜘蛛の足元を崩していた手を引いた。
一瞬だけ、押さえ込んでいたものがすべてほどける。親蜘蛛の前脚が動き、小蜘蛛たちが一斉にこちらへ向きを変えた。
「走って!!」
私が叫ぶと、全員が入口側へ駆け出した。ミーナがシャーロットの腕を引き、アルガスが反対側からその体を支える。リリスは振り返りながら最後に氷の壁を一枚だけ張り、エルヴィンが足元を滑らせないよう土を固める。
みんなが私の背後へ、滑り込むように集まった。
「伏せて!!」
リリスが舌打ちしながら身を低くし、両手で耳を塞ぐ。ミーナはシャーロットを抱き寄せ、二人で顔を伏せた。アルガスが、その上に覆いかぶさる。
エルヴィンは最後尾に小さな土壁を立て、その陰へ身を沈めた。
私は安全ピンを引き抜き、閃光弾を空洞の中央へ投げる。
ころん、と黒い筒が岩の上を転がった。
すぐに顔をそむけ、片腕で目元を覆う。
ごめん、世界観!
でも今は、命が先だ!
次の瞬間――。
ぴかぁぁぁぁぁああああん!!!
光。
爆音。
反響。
洞窟の中が、一瞬で真っ白に塗り潰された。耳の奥まで殴られたような衝撃が走る。目を覆っていても、瞼の裏側が白く染まった。
冷たい霧ごと、閃光が空洞を飲み込む。小蜘蛛たちは一斉に脚をもつれさせ、何匹もがその場でひっくり返った。親蜘蛛も脚をばたつかせ、ぎちぎちと悲鳴のような音を立てている。
効いてる。霧も一瞬、吹き飛んだ。
よし。ここだ。
ふらつく足を踏ん張る。
必要なのは、精密射撃じゃない。この距離で、この数をまとめて止める火力だ。
頭に浮かべるのは、黒い銃身。太い銃口。近距離で道をこじ開けるための、散弾の暴力。
前に狙撃銃を出した時は、銃と弾倉を別々に《限界具現》して回数を使った。
でも、今回は違う。
銃と弾を分けて考えない。
装填済みの一挺を、ひとつの完成品として思い描く。
「限界具現――!」
空気が、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、私の両手に装填済みの半自動式ショットガンがずしりと現れた。
これで残り三回。
「母の秘蔵の魔導具――灯火爆裂杖……!」
「何ですの、それ!?」
「あとで説明する!」
「それ、どう見ても杖ではありませんよね!?」
「魔導具だよ!! たぶん!!」
重い。
十歳の腕で、まともに支えられるはずのない重さだ。
それなのに、銃を握ると、不思議なくらい手が迷わなかった。
……そういえば、前にもそうだった。
フォスティエ商会で狙撃銃を使った時も、初めて本物を握ったはずなのに、構え方も狙い方も妙にすんなり分かった。
前世でFPSを何年もやり込んでいたとはいえ、コントローラーと本物の銃はまったく別物だ。
なのに今回も、体が勝手に動く。
構え方が分かる。狙い方が分かる。引き金を引く瞬間も、反動を逃がす方法も、なぜか分かる。
……なんだこれ。
転生特典か何かのチートでも乗ってるの?
小蜘蛛の群れが、閃光から立ち直り始める。親蜘蛛の霧も戻りかけていた。
私は入口側へ半歩下がり、ショットガンを構えた。
画面越しじゃない。
外せば、誰かが死ぬかもしれない。
そう思った瞬間、手の中の重さがまるで別物になった。
装填数は四発。
少ない。
でも、今はこれで道をこじ開ける。
照準を小蜘蛛の群れへ重ね、引き金を引いた。
一発目。
――ドォン!!
洞窟の空気そのものが殴られたように震えた。強烈な反動が肩を打つ。それでも、足は下がらない。構えも崩れない。
散弾が扇状に広がり、入口側へ迫っていた小蜘蛛をまとめて吹き飛ばした。細い脚が砕け、黒ずんだ体液が岩肌へ飛び散る。
二発目。
――ドォン!!
入口付近に張りついていた糸の束が、ばつん、ばつんと何本も断ち切られた。薄い幕のように広がっていた糸が、一瞬で穴だらけになる。
三発目。
――ドォン!!
天井から下りかけていた小蜘蛛が、まとめて叩き落とされた。乾いた破裂音が、洞窟の壁に何度も跳ね返る。
四発目。
――ドォン!!
正面奥からなおも迫ってくる群れを、まとめて吹き飛ばす。
でも、まだいる。
まだ足りない。
霧絹蜘蛛の霧が、再び濃くなり始めている。残った小蜘蛛が、白い冷気の中で蠢いていた。
引き金を引く。
でも、もう弾は出ない。
弾切れ。
弾だけを《限界具現》する?
いや、遅い。
私は反射的に、空になった灯火爆裂杖を脇へ放り出した。
「えっ、何をしていますの!?」
「使い終わった!!」
「使い終わった!? 魔力切れですの!?」
「ち、違う! まだ出せる!!」
《限界具現》、二挺目。
同じ黒い塊が、手の中へずしりと現れる。
これで残り二回。
灯火爆裂杖、おかわりである。
こんなもの、おかわりするものではない。でも今は、そういうことを言っている場合じゃない。
「全員、下がって! 撃ちながら下がる!!」
「さすがクロノちゃん!」
「了解しました!」
「わ、分かりましたわ!」
「……すげぇじゃねぇか、クロノ」
アルガスがシャーロットを支え、エルヴィンが地面を崩して小蜘蛛の進路をずらす。リリスが霧を押さえながら氷で横道を塞ぎ、ミーナが朽ちた剣で糸を切った。
全員が少しずつ、入口側へ下がる。
私は最後尾で二挺目を構えた。
一発目。
――ドォン!!
追ってきた小蜘蛛が吹き飛ぶ。
二発目。
――ドォン!!
左の壁から回り込もうとしていた群れが、巣ごと引き裂かれた。
それでも、親蜘蛛は止まらなかった。
霧絹蜘蛛が、今までとは明らかに違う声で鳴いた。
怒った。
完全に怒った。
天井の巣が、びりっと震える。白い霧が一気に濃くなり、冷気が肌を刺した。糸の輪郭が再びぼやけ、残った小蜘蛛たちが一斉に退いて親蜘蛛の周囲へ集まっていく。
長い脚が、ぎちぎちと音を立てて広がった。
そして、赤く濁った目が、まっすぐ私へ向けられる。
……あっ。
これ、まずいやつだ。
「……クロノさんを狙っていますわ」
リリスが低くつぶやいた。
「なら、ちょうどいい。みんなが逃げる時間は、私が稼ぐ」
アルガスが、呆れたように口の端をつり上げた。
「なんでそんな余裕そうなんだよ……!」
「そんなふうに見えてんの!? 余裕じゃねぇわ!!」
空洞の中央上部で、霧絹蜘蛛がゆっくりと巣から身を起こした。赤く濁った目がいくつも、私だけを捉えている。
さっきまで、その場にいる全員を獲物としていた魔獣が、今は完全に私だけを標的へ定めたのが分かった。
ヘイト、全部こっちに来た。
ショットガンを握る手に、汗が滲む。
あと二発。
小蜘蛛なら散らせる。でも、あの巨体の突進を止められる気がしない。
ここで止められなければ、全員が巻き込まれる。
背後には、入口へ続く細い通路。前方には、跳びかかる態勢に入った親蜘蛛。
逃げ道はある。
でも、その前に私が潰されたら終わりだ。
私は一度だけ、深く息を吸った。
霧絹蜘蛛が、ゆっくりと脚を持ち上げる。霧の向こうで、巨体が沈み込む。
次の瞬間、霧絹蜘蛛は巣を蹴り、一直線に私へ飛びかかってきた。
――《限界具現》、残り二回。




