灯火爆裂杖、炸裂
霧絹蜘蛛が、天井からすうっと一段下りてきた。
でかいのに、音がしない。重さも感じない。まるで天井に張りついた影が、そのまま静かに落ちてきたみたいだった。蜘蛛って、こういうところが本当に嫌だ。
私たちが飛び込んだ空洞は、前世の体育館くらいはありそうな広さで、天井もやたら高かった。背後にあるのは、今来た細い通路。正面奥の天井近くには親蜘蛛が張りつき、右奥の壁際ではシャーロットちゃんが糸に吊られている。その手前で、アルガスとリリスが何とか踏みとどまっていた。
そして、糸は至るところにあった。天井から垂れ、壁から壁へ渡り、床すれすれを這い、空中を透明な線となって横切っている。まるで空洞そのものが、巨大な巣の中だった。
しかも洞窟には、冷たい白い霧が薄く漂っていた。ただの霧じゃない。ライトで照らしても、透明な糸の輪郭がぼやける。アルガスの火でも糸がすぐには焼き切れないのも、たぶん霧絹蜘蛛の魔法だ。視界を悪くして、糸を隠して、糸そのものまで強くしている。
その中で、小型蜘蛛が十匹以上蠢いている。小型といっても五歳児くらいはある。魔法は使ってなさそうだけど、十分すぎるほどでかい。気持ちが悪い。普通に無理。
シャーロットちゃんは、糸に捕まったまま気絶している。アルガスは彼女を助けようと、火のついた棍棒を振るいながら少しずつ前へ進んでいるが、肩で息をしていた。
そして、リリスは氷で蜘蛛の足元を固めているだけに見えた。でも、それだけじゃなかった。彼女が詠唱するたび、周囲へ蒼い魔力が薄く広がっていく。その魔力が、洞窟に漂う白い霧を少しずつ押し返していた。
だから、まだ糸が見える。足元も見える。シャーロットちゃんが完全に凍りついていないのも、たぶんリリスが霧絹蜘蛛の魔法と拮抗しているからだ。
この場がまだ崩れていないのは、リリスのおかげだった。
……この令嬢、マジですごい。
でも、そのリリスですら、もうかなりきつそうだった。
今日の限界具現の残り回数は五。少ない。全然安心できない。でも、ここでケチって誰か大怪我でもしたら、たぶん一生後悔する。
私は唾を飲み込んだ。
「ちょ、ちょっと待って! 全員いったん私の声聞いて!」
アルガスが火を散らしながら怒鳴る。
「何だよ!」
「口じゃなく、早く手を貸しなさい!」
リリスも余裕が声から消えていた。
わかる。この状況で“ちょっと待って”はだいぶ腹立つ。でも待って。頭の中では今、めちゃくちゃ高速で作戦会議してるから。
優先すべきは、シャーロットちゃんの救出だ。聖光魔法が使えるシャーロットちゃんは、この場で唯一のヒーラー。回復役が落ちたままでは、誰かが大怪我した瞬間に詰む。だから、最初にシャーロットちゃんを戻す。
その次に、小蜘蛛を減らす。
親蜘蛛は倒すんじゃない。リリスに足止めしてもらって、その隙に全員で入口側へ逃げる。生きて帰れば、それで勝ちだ。
隣でエルヴィンが静かに言った。
「この状況で全体を見られているのは、クロノさんだけです。指示をお願いします」
ミーナが当然みたいにうなずいた。
「うん、クロノちゃん司令ね!」
リリスが蜘蛛の脚を凍らせながら歯ぎしりする。
「……今回は聞きますわ! 早くなさい!」
「ミスったら承知しねぇからな!」
「責任だけ重っ!」
前世から数えたらそこそこ大人だ。腹をくくるしかないのもわかる。でもなんで私が、異世界でMMOのレイドリーダーみたいなことをやらなきゃならないんだ。
でも、文句を言ってる暇はない。
私はライトを構え直した。入口側にいる私たちから、右奥で吊られているシャーロットちゃんまではかなり距離がある。
アルガスとリリスが押し進めてくれたおかげで、かろうじて通れそうな隙間はある。でも、その道にも小蜘蛛の細い糸と、親蜘蛛の太い糸が何本も残っていた。
「リリス! 霧、もう少し押さえられる!?」
「誰に言っておりますの!」
リリスが歯を食いしばりながら片手を広げる。
「凍てつく霧よ、我が氷に従いなさい――《氷域制御》!」
洞窟に漂っていた白い霧が、ほんの少しだけ薄くなった。はっきり見えた。シャーロットちゃんを縛っている糸、横から小蜘蛛たちが吐き出している細い糸、そして親蜘蛛の前脚から伸びる、ひときわ太い糸。
「アルガス! シャーロットちゃんの近くの糸だけ焼いて! 火をもっと絞って!」
「無茶言うな! 細くしたら熱が集中して、シャーロットまで焼けるかもしれねぇだろ!」
「リスクは承知! でも今はそれしかない! うまくやって!!」
アルガスの顔が一瞬むっと歪む。でも次の瞬間には、短く詠唱していた。
「燃えよ、走れ、紅の鞭――《火走》!」
細く絞られた炎が鞭みたいに走り、シャーロットちゃんを縛っていた糸の束の一部を焼いた。じゅっ、と白い糸が焦げる。でも、切れない。親蜘蛛の糸だけが妙に硬い。霧絹蜘蛛の魔法で凍るように強化されているらしい。
「くそっ、焼けねぇ!」
「もう一回! 同じ場所!」
アルガスがもう一度、細く絞った炎を走らせた。
じゅっ、と白い糸が焼ける。今度は、切れかけた。
シャーロットちゃんの体が、ぐらりと落ちかける。でも最後の一本だけがまだ残っていた。細い糸が限界まで引き伸ばされ、ぎちぎちと嫌な音を立てる。
「落ちる!」
私が叫ぶより早く、ミーナが飛び出していた。
「私が行く!」
速い。ほんとに速い。判断してから動くんじゃない。もう体が先に動いている。
でも同時に、霧絹蜘蛛がぎち、と顎を鳴らした。まるで獲物を奪われまいとするみたいに、親蜘蛛の前脚が動く。周囲の小蜘蛛たちも一斉に向きを変え、シャーロットちゃんの落下地点へ群がろうとした。
右奥へ走るミーナ。その正面には落ちてくるシャーロットちゃん。上からは親蜘蛛の脚。左右の壁からは小蜘蛛。完全に挟まれかけている。
「リリス! 親蜘蛛の前脚、止めて!」
「言われなくても、もうやっております!」
リリスが両手を突き出す。
「凍てよ、絡みつけ――《氷鎖》!」
蒼い霜が親蜘蛛の前脚を這い、関節を一瞬だけ鈍らせる。でも霧絹蜘蛛も蒼氷属性だ。完全には止まらない。ぎち、と嫌な音を立てて、ゆっくり力で押し返してくる。
私とエルヴィンも、ミーナを追って空洞の中央付近まで踏み込んでいた。
「エルヴィン! 小蜘蛛の進路ずらして!」
「承知しました」
エルヴィンが手をかざす。
「土よ、立て――《土壁》」
ざざっ、と低い砂の壁が立ち上がり、右側から走ってきた小蜘蛛たちの突進をわずかにそらした。倒し切るほどじゃない。でも、飛びつこうとする角度を狂わせるには十分だった。
「アルガス! 左から来る糸、焼いて!」
「ちっ、注文が多いんだよ!」
アルガスが火をまとわせた棍棒で、左側から伸びてきた白い糸を叩き焼く。
リリスが上を止め、エルヴィンが右をずらし、アルガスが左を焼く。そのほんの一瞬の隙間を、ミーナが駆け抜けた。
冷たい霧の中でも、ミーナは止まらない。蜘蛛の攻撃を避ける時の体重移動が、もう完全に「体で戦う人」のそれだ。翠嵐魔法の適性って、こういう身の軽さにも関係あるんだろうか。だとしたら、才能ってずるい。
ミーナは糸の隙間を滑り込むように抜け、落ちてくるシャーロットちゃんの下へ飛び込んだ。
「シャーロットちゃん!」
両腕を伸ばし、落ちてきたシャーロットちゃんの体を受け止める。でも勢いまでは殺し切れない。
「っ、重っ……!」
そのまま二人まとめて転がった。位置は、まだ空洞の右奥。私たちがいる入口側までは遠い。
ミーナがシャーロットちゃんを揺さぶる。返事はない。でも、生きてる。
ただ、腕や足にはまだ白い糸が絡みついていた。このままじゃ、連れて逃げられない。
「アルガス、もう一回右! そこまだ残ってる!」
「ちっ、わかってるよ!」
「細かく見えてるのは私だけなんだよ!!」
ライトで照らすと、見える。透明な糸が。リリスが霧を押さえてくれているから、かろうじて見える。アルガスがもう一度火を飛ばし、ミーナがその隙にシャーロットちゃんの腕を引っ張る。
糸が、べり、と剥がれた。これでようやく動かせる。
そう思った瞬間、小蜘蛛が三匹、横から跳んだ。ミーナとシャーロットちゃんが入口側へ戻ろうとする進路を塞ぐように。
「来る!」
エルヴィンが土を崩し、一匹の踏み込みをずらす。二匹目は、アルガスが火をまとわせた一撃で横から叩き飛ばした。最後の一匹は、ミーナが体をひねって避ける。
「っあぶな!?」
それでもシャーロットちゃんを抱えたまま転がった。ギリギリだった。
「シャーロットちゃん、起きて! 自分に回復! 少しでいいから!」
ミーナが半泣きで叫ぶ。シャーロットちゃんの瞼がぴくっと動いた。
「ひ、光よ……やさしく、満ちて――《癒光》……」
淡い光が、シャーロットちゃん自身を包む。麻痺が完全には取れない。でも、指が動く。足が少しだけ戻る。
よし、ヒーラー復帰。これでまだ詰んでない。
――そう思ったのが、甘かった。
霧絹蜘蛛が、天井でぎちぎちと顎を鳴らした。
ぞわっとした。
次の瞬間、巣の奥から、わらわらと小蜘蛛が這い出してくる。増えた。増えたっていうか、呼んだ。完全に増援フェーズだ。
ボスが雑魚を呼ぶの、ゲームだと一番嫌なやつなんだよ。
さらに、白い霧が濃くなる。リリスの魔法でも抑え切れない。霧絹蜘蛛の蒼氷魔法が強まったのだ。ライトの光がぼやける。透明な糸がまた見えにくくなる。足元の石に霜が降り、踏み込むたびに靴底が滑りそうになった。
「……霧が濃くなりましたね」
エルヴィンが冷静に言う。
「見ればわかる!!」
もう十匹どころじゃない。床を、壁を、天井を、白く細い脚が一斉に走る。視界は悪い、糸は見えにくい、足場は滑る。
普通に詰みかけている。
ミーナがシャーロットちゃんをアルガスに預け、入口へ戻る道を守るように前に出た。
「クロノちゃん、私が殿になる。みんなと一緒に逃げて! すぐ追いつくから!」
「ミーナ!」
ミーナは朽ちた剣を構え、小蜘蛛の群れに突っ込んだ。一匹目を叩く。二匹目を蹴る。三匹目を避けざまに切り払う。
強い。普通に強い。でも、数が多すぎた。
一匹一匹が重い。速い。糸も吐く。跳ぶ。しかも冷たい霧で距離感が狂う。ミーナが四匹目を叩いた瞬間、横から来た一匹が肩にぶつかった。
「きゃっ!」
体勢が崩れる。さらに二匹、さらに三匹。
「ミーナ!」
剣で受ける。でも押し返しきれない。次の瞬間、大きい一匹が正面からぶつかって、ミーナの体が吹き飛んだ。
床に叩きつけられる。
鈍い音がした。
私の頭の中が、一瞬だけ真っ白になった。
出し惜しみとか言ってる場合じゃない。
ミーナがうめきながら起き上がろうとする。でも、小蜘蛛はもう次を跳ぶ態勢だ。
リリスは親蜘蛛の動きと霧を押さえるだけで精一杯。アルガスとシャーロットちゃんは、まだ右奥から中央付近へ戻りきっていない。エルヴィンの剛岩魔法だけでは、押し寄せる小蜘蛛を止めきれない。
誰か一人でも崩れたら、終わる。
退路は背後にある。でも、そこまでの間を小蜘蛛が埋めようとしている。
これはもう、無理だ。
私は腹の底で、何かが切り替わるのを感じた。
「全員!! 入口側へ下がって!! 私の後ろまで走って!!」
自分でもびっくりするくらい、大きい声が出た。
小蜘蛛たちが一瞬ひるむ。みんなも、私を見る。
ミーナが泣きそうな声で言った。
「下がったら押し込まれちゃう!」
「どうすんだよ!?」
「何をする気ですの!?」
「説明してる暇ない! 下がったらすぐ伏せて! 目を閉じて、耳を塞いで!!」
私は右手を前に出した。隠すとか、ごまかすとか、そんな余裕はもうない。
必要なのは、一瞬だけの隙。小蜘蛛の群れを止めて、みんなを入口側へ下がらせるための、一瞬。
頭の中で、形を思い浮かべる。金属の筒。安全ピン。炸裂する光。
空気が、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、私の手の中に、黒い閃光弾が現れる。
「一回きりの目くらまし聖具だから!! 全員、目を閉じて伏せて!! 信じて!!」
「なんだそれ!? 何する気だよ!!」
でも、エルヴィンは迷わなかった。
「従いましょう!」
その一言で、みんなが動いた。
リリスが親蜘蛛を縛っていた氷を捨てる。アルガスが糸を焼く手を止める。エルヴィンも小蜘蛛の足元を崩していた手を引いた。
一瞬だけ、押さえ込んでいたものが全部ほどける。
親蜘蛛の前脚が動き、小蜘蛛たちが一斉にこちらへ向きを変えた。
「走って!!」
私が叫ぶと、全員が入口側へ駆け出した。
ミーナがシャーロットちゃんの腕を引き、アルガスがその体を支える。リリスは振り返りながら最後に氷を一枚だけ張り、エルヴィンが足元を滑らせないよう土を固める。
みんなが私の背後へ滑り込むように集まった。
「伏せて!!」
リリスが舌打ちしながら身を低くする。ミーナもシャーロットちゃんを抱えるように伏せた。アルガスは二人を守るように覆いかぶさる。エルヴィンは最後尾に小さな土壁を立て、その陰に身を沈めた。
私は顔をそむけ、片腕で目元を覆った。そして、投げる。ころん、とそれは空洞の中央へ転がった。
ごめん世界観! でも今は命が先だ!
次の瞬間。
ぴかぁぁぁぁぁああああん!!!
光。音。反響。
洞窟の中が、真っ白になった。耳の奥まで殴られたみたいな衝撃が走る。目を覆っていても、視界の裏側が白く染まった。冷たい霧ごと、白い閃光が洞窟を塗り潰す。
小蜘蛛が一斉にひっくり返った。親蜘蛛も脚をばたつかせて、ぎちぎちと悲鳴みたいな音を立てる。
効いてる。霧も一瞬、吹き飛んだ。
よし。ここだ。
ふらつく足を踏ん張る。必要なのは、精密射撃じゃない。この距離で、この数を、まとめて止める火力だ。
頭の中に、前世で何度も使った武器の感覚が浮かぶ。黒い銃身。太い銃口。近距離戦で道をこじ開けるための、散弾の暴力。
空気が、ぐにゃりと歪んだ。
次の瞬間、私の両手に、黒いショットガンがずしりと生まれた。
「母の秘蔵の魔道具、灯火爆裂杖……!」
「何ですのそれ!?」
「後で!!」
「それ、どう見ても杖じゃないですよね!?」
「魔道具だよ!! たぶん!!」
小蜘蛛の群れが、光から立ち直り始める。親蜘蛛の霧も、また戻り始めていた。
私は入口側へ半歩下がりながら、ショットガンを構えた。
ゲームで何度も見た形。何度も使った感覚。なぜかこの世界でも、構え方と狙い方だけは自然に分かる。でも、それが逆に怖かった。画面越しじゃない。今、外したら誰かが死ぬ。そう思った瞬間、手の中の重さがまるで別物になった。
装填数は四発。少ない。でも今は、これで道をこじ開けるしかない。
引き金を引いた。
一発目。
――ドォン!!
洞窟の空気そのものが、殴られたみたいに震えた。入口側へ迫っていた小蜘蛛が、まとめて吹き飛ぶ。散弾が扇みたいに広がり、細い脚が砕け、黒ずんだ体液が飛び散った。
二発目。
――ドォン!!
入口付近に張りついていた糸の束が、ばつん、ばつんと何本も断ち切られる。霧みたいに張っていた糸の幕が、一瞬で穴だらけになった。
三発目。
――ドォン!!
天井から降りかけていた小蜘蛛が、まとめて叩き落とされる。洞窟の壁に、乾いた破裂音が何度も跳ね返った。
四発目。
――ドォン!!
正面奥からなおも迫ってくる群れを、まとめて吹き飛ばした。
でも、まだいる。まだ、足りない。
霧絹蜘蛛の霧が、また濃くなり始めている。残った小蜘蛛が、白い冷気の中で蠢いていた。
銃の奥から、次の感触が消えた。
弾切れ。
弾だけ限界具現する? いや、遅い。私は反射的に、空になった灯火爆裂杖を投げ捨てた。
「えっ、何してますの!?」
「使い終わった!!」
「使い終わった!? 魔力切れですの!?」
「ま、魔力はまだある!!」
限界具現、二丁目。
同じ黒い塊が、手の中にずしりと生まれる。灯火爆裂杖、おかわりである。こんなもの、おかわりするものではない。でも今は、そういうことを言っている場合ではない。
「全員、下がって! 撃ちながら下がる!!」
「さすが、クロノちゃん!」
「了解です!」
「わ、わかりましたわ!」
「……すげぇじゃねぇか、クロノ」
アルガスがシャーロットちゃんを支え、エルヴィンが足元を崩して小蜘蛛の進路をずらす。リリスが霧を押さえながら氷で横道を塞ぎ、ミーナが朽ちた剣で糸を切った。全員が少しずつ入口側へ下がる。
私は最後尾で、二丁目を構える。
一発目。
――ドォン!!
追ってきた小蜘蛛が吹き飛ぶ。
二発目。
――ドォン!!
左の壁から回り込もうとしていた群れが、巣ごと裂ける。
それでも、親蜘蛛は止まらなかった。
霧絹蜘蛛が、今までと明らかに違う音で鳴いた。
怒った。完全に怒った。
天井の巣が、びり、と震える。白い霧が、一気に濃くなる。冷気が肌を刺し、糸の輪郭がまたぼやけた。残った小蜘蛛たちが一斉に退き、親蜘蛛の周囲へ集まっていく。長い脚が、ぎちぎちと音を立てて広がった。
そして、赤く濁った目が、まっすぐこちらを向く。
……あっ。これ、まずいやつだ。
「……クロノさんを狙っていますわ」
リリスが低くつぶやいた。
「なら、ちょうどいい。みんなが逃げる時間、私が稼ぐ」
アルガスは、なぜか口の端をつり上げていた。
「なんでそんな余裕そうなんだよ……!」
「そんなふうに見えてんの!? 余裕じゃねえわ!!」
空洞の奥、天井近く。霧絹蜘蛛が、ゆっくりと巣から身を起こす。赤い眼がいくつも、私だけを捉えていた。さっきまで“そこにいた”だけだったものが、完全に標的になったのがわかった。
ヘイト、全部こっちに来た。
ショットガンを握る手に汗が滲む。
残りの弾数で、あれを止められる気がしない。撃てば小蜘蛛は散らせる。でも、あの巨体の突進を止めるには足りない。
ここで止められなかったら、全員が巻き込まれる。
背後には、入口へ続く細い通路。前方には、跳ぶ体勢に入った親蜘蛛。
逃げ道はある。でも、その前に私が潰されたら終わりだ。
私は一度だけ息を吸った。
霧絹蜘蛛が、ゆっくりと脚を持ち上げる。
霧の向こうで、巨体が沈む。
次の瞬間、その巨体が空洞の奥から一直線にこっちへ飛んだ。
――あと、限界具現残り二回。




