洞窟の奥の悲鳴
静かな学園生活って、どうやって送ればいいんだろう。
そんな現実逃避めいたことを考えながら、私は洞窟の入口の前に立っていた。
目の前には、関係者以外立入禁止の看板。奥は暗く、湿っていて、空気がもう「授業の延長で入っていい場所」ではなかった。
本当なら、入口のあたりで追いついて、リリスたちを引きずってでも止めるつもりだったのだ。せいぜい「何やってるの!?」って怒鳴って終了。そういう平和的な回収を予定していた。
……でも、現実はそう甘くなかった。
入口の内側には、もう誰もいない。試しに大声で呼んでみたけれど、返事もない。残っているのは、アルガスの火がかすめたみたいな煤の跡と、踏み荒らされた足元だけだった。
つまり、もう入ってる。しかも、わりと迷いなく進んだっぽい。
ダメじゃん。
だけど隣では、ミーナがわくわくした顔をしていた。
「もう入るしかないね!」
「その言い方だと、ずっと冒険したかった人なんだよなあ……」
エルヴィンは真顔だった。
「リリスさんたちを見失う前に急ぎましょう」
「言い方だけは参謀なんだけど、今からやることは普通に無謀だからね……」
でも、ここでぐだぐだ言っていてもしょうがない。入口で止める、という一番平和な選択肢は、どうやらもう消えていた。
入るなら、最低限の準備はいる。
灯りだ。
私は意を決してリュックを開けた。見た目はただの通学用リュックだ。ただ、一年生が背負うには少し大きい。でもこのサイズには理由がある。この中で限界具現を発動すれば、外からは「リュックから出しました」で押し切れるからだ。つまりこれは、私専用の隠し四次元ポケットである。
発案者は、またしてもマークだった。もう認める。私の弟はたぶん天才だ。食欲だけはちょっと不安だけど。
今回の言い訳先は――灯火の聖女、サラサ・ソーカ。
ごめん母さん。母さんがすごい人なのは、みんな知っている。だから母さんの力のせいにすれば、勝手に"聖女のすごい魔道具"ということになるはずだ。
たぶん押し切れる。押し切れてほしい。
私はリュックの中をごそごそ探るふりをしながら、三本の懐中電灯を限界具現した。それから、何食わぬ顔で一本ずつ取り出す。
細長い円筒形。黒っぽい金属の質感。いかにも現代文明の道具である。
「ここの小さい突起、押してみて。点いたり消えたりするから」
ミーナが目を丸くした。
「なにこれ!?」
「う、うん。母から借りた、ちょっと特殊な魔道具。前もって魔力を込めておくと、しばらく光るの」
我ながらひどい説明だ。雑にもほどがある。そもそも私には魔力が使えないし、これを光らせてるのは電池だ。
でも、二人は普通に納得するどころか、ちょっと感動していた。
「わあ……!」
「なるほど。魔力封入式の灯具、ということですか」
「う、うん。そう。たぶんそんな感じ」
エルヴィンがじっと懐中電灯を見つめている。目が完全に"希少品を前にした商人の目"になっていた。
「……魔力を流して使う型では、なさそうですね」
「え?」
「これは、相当珍しいものです」
その言い方が、やけに重かった。
私はこの世界の灯り事情に、そこまで詳しいわけじゃない。前世の電気みたいにスイッチひとつでぱっと光るものとは少し違う気はしていた。でも、エルヴィンがこんな顔をするということは――たぶん、これでもかなりすごいものなんだろう。
便利だとは思ってたけど、こっちだとそんなレベルじゃないのかも……。
私は慌てて一本ずつ渡した。
「絶対に秘密ね」
「秘密の魔道具ってこと!?」
ミーナの声がちょっと弾んだ。
「そうだけど、そういう言い方やめて。今すぐ広めそうだから」
「広めないよー!」
「ミーナさん」
エルヴィンがやけに真剣な声で割り込んだ。
「魔力を流さず、ここを押すだけで灯りを点けたり消したりできる。これは軽々しく口外していい品ではありません」
一拍置いて、さらに低い声で続ける。
「――世に出れば、灯りの常識そのものが変わります」
「わ、わかった!」
なんか知らないけど、うまくいった。エルヴィンが勝手に深読みして、懐中電灯の危険度を引き上げてくれたらしい。こういう時だけ妙に頼もしい。
ミーナが懐中電灯の突起を押した。
かちっ。
白い光がすぱっと伸びて、洞窟の入口を切り裂いた。
「おおお……!」
ミーナが感動している。エルヴィンも無言で見入っていた。わかる。でも今はそれどころではない。
「行くよ。さっさと追いついて、奥に行く前に止めるからね」
「はーい!」
「……了解しました」
軽い返事と重い返事が重なった。
こうして、私たちは洞窟の中へ足を踏み入れた。
⸻
洞窟の中は、思っていた以上にひんやりしていた。
じめっとした空気が肌にまとわりつく。水滴がどこかで落ちる音がする。足元の石は微妙に滑るし、壁にはうっすら苔まで生えている。朽ちた剣や盾、そのそばに転がる白骨まで見えた。
ひぃ。
アンデッドは出ていない。出ていないけど、雰囲気だけでもう無理。帰りたい。
「わあ……ほんとにダンジョンっぽい……!」
ミーナは感動している。感動するな、警戒しろ。
エルヴィンは足元を照らしながら、低い声で言った。
「先行した三人の痕跡がありますね」
地面には足跡。壁には煤の跡。少し先には、凍りかけた水たまりまである。
「アルガスの火とリリスの氷か」
「派手ですね」
「ほんとにね。追跡しやすすぎる」
……でも、氷は何に使ったんだろう。そう思った、その時、前方の暗がりで何かが動いた。
ぬっ、と。
「……え?」
次の瞬間、低い唸り声が響いた。
「グギャッ!」
小柄な緑色の影が、二つ。洞窟の脇道から飛び出してきた。
「うわっ!?」
ゴブリンだ。
見たことはないけど、これはもうゴブリンだろう。汚い、小さい、棍棒持ってる、顔がいかにも雑魚敵。異世界だからそりゃ出るだろうけど、本当に出ると心の準備って間に合わないんだな!?
「ミーナ、下がっ――」
言い終わる前に、ミーナが動いていた。
「借りるね!」
近くの白骨が握っていた朽ちた剣を、ミーナはためらいなくひったくった。
えっ、使うのそれ? いや待って、もう距離詰めてるんだけど。
「ちょ、ミーナ! あぶな――」
止める間もなく、ミーナは突進してそのまま振りかぶる。
「えいっ!」
ばしっ!
先頭のゴブリンの手首に、剣の腹がきれいに入った。棍棒が宙を舞う。
「うそっ、強っ!?」
「やった!」
ミーナはそのまま一歩踏み込み、足元を払った。ゴブリンがひっくり返る。そこへ剣を振り下ろす。
ごすっ。
「ギャッ!」
え、ちょっと待って。普通に強くない? 躊躇がない。ちゃんと嫌なところを狙っている。運動神経がいいとか、そういうレベルじゃない。反応速度がバグってる。
「クロノさん、左!」
「えっ」
エルヴィンの声に反射的にライトを向ける。いつの間にか、もう一匹がこちらへ走ってきていた。白い光をまともに浴びたゴブリンが、ぎゃっと顔をそむける。
その瞬間、エルヴィンが手をかざした。
「土よ、崩れろ――《沈土》」
ぐしゃ。
ゴブリンが踏み込んだ右足の下だけ、土が拳ひとつ分ほど沈んだ。踏ん張るはずの足が空を切り、ゴブリンの体が前のめりに崩れる。
地味だけどめちゃくちゃ嫌な攻撃では?
「おりゃーっ!」
ミーナの朽ちた剣が、脳天にクリーンヒットした。
沈黙。
洞窟に、水滴の音だけが戻る。
私はしばらくその場で固まっていた。
「……え?」
ミーナが朽ちた剣を肩に担いで、えへへと笑う。
「なんかいけた!」
「いけた、じゃないのよ……」
エルヴィンは服の裾を払った。
「小鬼ですね。洞窟入口付近に棲みついた個体でしょう」
「いやその分析の前に、あんたも普通にやばいからね?」
「ボクですか?」
「土をへこましたでしょ、さっき!」
「剛岩魔法の初歩です」
「初歩でそれできるの!?」
この世界の一年生、やばすぎない?
……いや違う。この二人が優秀なんだろう。
ミーナはただの陽キャじゃなかった。足が速いのは知ってたけど、あそこまで容赦なく殴れるとは思わなかった。エルヴィンも、商人の息子だから座学型かと思ったら、しれっと実戦補助が上手い。
え、なにこれ。私、出番ないわ。むしろ懐中電灯係なんだけど。さっきまでの胃痛が、別方向に変わる。
この二人、意外と強い。だったら、この二人よりさらに戦えそうなリリスとアルガスなら――。
あれ?もしかして向こう、普通に大丈夫なんじゃ……。
そう思った、その時だった。
「きゃああああっ!!」
洞窟の奥から、悲鳴が響いた。
シャーロットちゃんの声だ。
空気が、一瞬で凍った。ミーナの顔から笑みが消える。エルヴィンも即座にライトを奥へ向けた。
「急ぎましょう」
「う、うん!」
私たちは一気に走り出した。
奥へ進むにつれて、様子がおかしくなっていく。壁に焼け焦げた跡。床に薄く張った氷。ちぎれた糸のようなもの。シャーロットちゃんのものらしいメモ紙の切れ端。そして、妙に白い葉が絡んだ巣みたいなものが、岩肌にべったり貼りついていた。
「これ……霧糸葉?」
私がつぶやくと、エルヴィンが険しい顔で答えた。
「いえ。たぶん、もっと進化したものです。商会の古い記録で読んだことがあります。特定の蜘蛛が霧糸葉を巣で育て、上位種の霧絹葉へ変えることがある、と」
「なにそれ、こわ」
「もしそれなら……この先にいるのは、魔獣、霧絹蜘蛛かもしれません」
聞いたことないけど、名前だけでもう嫌だ。
霧、絹、蜘蛛。
綺麗そうな単語に、絶対近づきたくない生き物が混ざっている。
「魔獣ってなに? 強いの?」
ミーナが小声で聞く。エルヴィンが一拍置いて答えた。
「魔物と違い、魔法を使います。上級の冒険者が数人で組んで対処する相手だ、と」
「は???」
私の声が裏返った。
「いやいやいや、子どもだけで対処していい相手じゃないでしょ、それ!?」
「その通りです」
「冷静に言うな!!」
その時だった。広めの空洞に出る。
そこで、ようやく見つけた。
リリスたちだ。
アルガスが前に出て、火を灯した棍棒を振り回している。でも髪は乱れ、腕には傷がある。リリスは氷で蜘蛛の足元を固めているけれど、制服の裾が裂け、金髪にも何か白いものが絡んでいた。
空洞の奥に、シャーロットちゃんがいた。
蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされ、足が地面につかない高さで宙に吊られている。気を失ったのか、ぐったりと頭を垂れたまま動かない。
そして――。
私のライトが、天井を照らした。
その瞬間、ぞわっと全身が粟立った。
見えた。さっきまで見えていなかったものが、全部見えた。
天井一面に透明な糸が張り巡らされ、壁から床すれすれまで何重にも巣が重なっていた。その中を、小型の蜘蛛がうじゃうじゃと蠢いている。小型といっても、五歳児くらいはある。
けれど、巣の中心にいる親蜘蛛はさらに別格だった。荷車ほどもある胴。赤く濁った目。人の腕ほどもある細長い脚が、いやに静かにうごめいている。
光を浴びた瞬間、その全部がぴたりと動きを止めた。
「……うそでしょ」
思わず声が漏れた。
巨大な蜘蛛が、ぬるりと頭をこちらへ向ける。
リリスが、こっちに気づいた。
「ク、クロノ・ソーカ……っ!」
シャーロットちゃんを助けようとしていたアルガスも振り向く。
その瞬間。天井の巨大な蜘蛛が、ゆっくりと一段、下りてきた。
糸が、ぎしりと鳴る。
小蜘蛛たちが、床を這いながらこちらへ向きを変えた。
助けて逃げるには、シャーロットちゃんが遠すぎる。もちろん助けに行かないなんて選択肢はない。
もうこれ完全にボス戦前なんだけど。
力を出し惜しみしている場合じゃない。
今日の限界具現の残り回数は――五。
少ない。全然足りる気がしない。
でも、やるしかなかった。




