第18話 洞窟の奥の悲鳴
――などと嘆いている場合ではなかった。
私は今、立入禁止の洞窟の前に立っている。
目の前には、「この先、実習生立入禁止」の看板。奥は暗く、湿っていて、空気がもう“授業の延長で入っていい場所”ではなかった。
本当なら、入口のあたりで追いついて、リリスたちを引きずってでも止めるつもりだったのだ。せいぜい「何やってるの!?」と怒鳴って終了。そういう平和的な回収を予定していた。
……でも、現実はそう甘くなかった。
入口の内側には、もう誰もいない。試しに大声で呼んでみたけれど、返事もない。残っているのは、アルガスの火がかすめたような煤の跡と、踏み荒らされた足元だけだった。
つまり、もう入ってる。しかも、わりと迷いなく進んだっぽい。
駄目じゃん。
だけど隣では、ミーナがわくわくした顔をしていた。
「もう入るしかないね!」
「その言い方だと、ずっと冒険したかった人なんだよなあ……」
エルヴィンは真顔だった。
「リリスさんたちを見失う前に急ぎましょう」
「言い方だけは参謀なんだけど、今からやることは普通に無謀だからね……」
でも、ここでぐだぐだ言っていても仕方がない。入口で止めるという、いちばん平和な選択肢は、どうやらもう消えていた。
入るなら、最低限の準備がいる。
灯りだ。
私は意を決してリュックを開けた。見た目はただの通学用リュックだ。一年生が背負うには少し大きいけれど、このサイズには理由がある。
この中で《限界具現》を発動すれば、外からは「リュックから出しました」で押し切れるからだ。
つまりこれは、私専用の隠し四次元ポケットである。
発案者は、またしてもマークだった。
もう認める。私の弟はたぶん天才だ。食欲だけはちょっと不安だけど。
今回の言い訳先は――“灯火の聖女”、サラサ・ソーカ。
ごめん、母さん。
母さんがすごい人なのは、みんな知っている。だから母さんの力のせいにすれば、勝手に“聖女のすごい魔導具”ということになるはずだ。
たぶん押し切れる。
押し切れてほしい。
私はリュックの中をごそごそ探るふりをしながら、一本ずつ、合計三本の懐中電灯を《限界具現》した。それから、何食わぬ顔で一本ずつ取り出す。
細長い円筒形。黒っぽい金属の質感。
いかにも現代文明の道具である。
「ここの小さい突起、押してみて。点いたり消えたりするから」
ミーナが目を丸くした。
「なにこれ!?」
「う、うん。母から借りた、ちょっと特殊な魔導具。前もって魔力を込めておくと、しばらく光るの」
我ながらひどい説明だ。
雑にもほどがある。
そもそも私には魔力が使えないし、これを光らせているのは電池だ。
でも、二人は普通に納得するどころか、ちょっと感動していた。
「わあ……!」
「なるほど。魔力封入式の灯具、ということですか」
「う、うん。そう。たぶん、そんな感じ」
エルヴィンがじっと懐中電灯を見つめている。目が完全に“希少品を前にした商人の目”になっていた。
「……魔力を流して使う型では、なさそうですね」
「え?」
「これは、相当珍しいものです」
その言い方が、やけに重かった。
私はこの世界の灯り事情に、そこまで詳しいわけじゃない。前世の電気みたいに、スイッチひとつでぱっと光るものとは少し違う気はしていた。
でも、エルヴィンがこんな顔をするということは――たぶん、これでもかなりすごいものなんだろう。
便利だとは思ってたけど、こっちだとそんなレベルじゃないのかも……。
私は慌てて一本ずつ二人に渡した。
「絶対に秘密ね」
「秘密の魔導具ってこと!?」
ミーナの声が、ちょっと弾んだ。
「そうだけど、そういう言い方やめて。今すぐ広めそうだから」
「広めないよー!」
「ミーナさん」
エルヴィンが、やけに真剣な声で割り込んだ。
「魔力を流さず、ここを押すだけで灯りを点けたり消したりできる。これは、軽々しく口外してよい品ではありません」
一拍置いて、さらに低い声で続ける。
「――世に出れば、灯りの常識そのものが変わります」
「わ、分かった!」
なんか知らないけど、うまくいった。
エルヴィンが勝手に深読みして、懐中電灯の危険度を引き上げてくれたらしい。こういう時だけ妙に頼もしい。
ミーナが懐中電灯の突起を押した。
かちっ。
白い光がすぱっと伸びて、洞窟の入口を切り裂いた。
「おおお……!」
ミーナが感動している。エルヴィンも無言で見入っていた。
分かる。
でも今は、それどころではない。
「行くよ。さっさと追いついて、奥に行く前に止めるからね」
「はーい!」
「……了解しました」
軽い返事と重い返事が重なった。
こうして、私たちは洞窟の中へ足を踏み入れた。
⸻
洞窟の中は、思っていた以上にひんやりしていた。
じめっとした空気が肌にまとわりつく。水滴がどこかで落ちる音がする。足元の石は微妙に滑るし、壁にはうっすら苔まで生えている。
古びた剣や盾。そのそばに転がる白骨まで見えた。
ひぃ。
アンデッドは出ていない。
出ていないけど、雰囲気だけでもう無理。
帰りたい。
「わあ……ほんとにダンジョンっぽい……!」
ミーナは感動している。
感動するな。警戒しろ。
エルヴィンは足元を照らしながら、低い声で言った。
「先行した三人の痕跡がありますね」
地面には足跡。壁には煤の跡。少し先には、凍りかけた水たまりまである。
「アルガスの火と、リリスの氷か」
「派手ですね」
「ほんとにね。追跡しやすすぎる」
……でも、氷は何に使ったんだろう。
そう思った、その時だった。
前方の暗がりで、何かが動いた。
ぬっ、と。
「……え?」
次の瞬間、低い唸り声が響いた。
「グギャッ!」
小柄な緑色の影が、二つ。
洞窟の脇道から飛び出してきた。
「うわっ!?」
ゴブリンだ。
見たことはないけど、これはもうゴブリンだろう。汚い。小さい。棍棒を持ってる。顔がいかにも雑魚敵。
異世界だから、そりゃ出るだろうけど、本当に出ると心の準備って間に合わないんだな!?
「ミーナ、下がっ――」
言い終わる前に、ミーナが動いていた。
「借りるね!」
近くの白骨が握っていた朽ちた剣を、ミーナはためらいなくひったくった。
えっ、使うのそれ?
いや待って、もう距離詰めてるんだけど。
「ちょ、ミーナ! 危な――」
止める間もなく、ミーナは突進して、そのまま剣を振りかぶる。
「えいっ!」
ばしっ!
先頭のゴブリンの手首に、剣の腹がきれいに入った。棍棒が宙を舞う。
「うそっ、強っ!?」
「やった!」
ミーナはそのまま一歩踏み込み、足元を払った。ゴブリンがひっくり返る。
そこへ剣を振り下ろす。
ごすっ。
「ギャッ!」
え、ちょっと待って。
普通に強くない?
躊躇がない。ちゃんと嫌なところを狙っている。運動神経がいいとか、そういうレベルじゃない。
反応速度がバグってる。
「クロノさん、左!」
「えっ」
エルヴィンの声に反射的に懐中電灯を向ける。
いつの間にか、もう一匹がこちらへ走ってきていた。白い光をまともに浴びたゴブリンが、ぎゃっと顔をそむける。
その瞬間、エルヴィンが手をかざした。
「土よ、崩れろ――《沈土》」
ぐしゃ。
ゴブリンが踏み込んだ右足の下だけ、土が拳ひとつ分ほど沈んだ。踏ん張るはずの足が空を切り、ゴブリンの体が前のめりに崩れる。
地味だけど、めちゃくちゃ嫌な攻撃では?
「おりゃーっ!」
ミーナの朽ちた剣が、脳天にクリーンヒットした。
沈黙。
洞窟に、水滴の音だけが戻る。
私はしばらく、その場で固まっていた。
「……え?」
ミーナが朽ちた剣を肩に担いで、えへへと笑う。
「なんかいけた!」
「いけた、じゃないのよ……」
エルヴィンは服の裾を払った。
「小鬼ですね。洞窟の入口付近に棲みついた個体でしょう」
「いや、その分析の前に、あんたも普通にやばいからね?」
「ボクですか?」
「土をへこませたでしょ、さっき!」
「剛岩魔法の初歩です」
「初歩でそれできるの!?」
この世界の一年生、やばすぎない?
……いや、違う。
この二人が優秀なんだろう。
ミーナは、ただの陽キャじゃなかった。足が速いのは知ってたけど、あそこまで容赦なく殴れるとは思わなかった。
エルヴィンも、商人の息子だから座学型かと思ったら、しれっと実戦補助が上手い。
え、なにこれ。
私、出番ないわ。
むしろ懐中電灯係なんだけど。
さっきまでの胃痛が、別方向に変わる。
この二人、意外と強い。
だったら、この二人よりさらに戦えそうなリリスとアルガスなら――。
あれ?
もしかして向こう、普通に大丈夫なんじゃ……。
そう思った、その時だった。
「きゃああああっ!!」
洞窟の奥から、悲鳴が響いた。
シャーロットの声だ。
空気が、一瞬で凍った。ミーナの顔から笑みが消える。エルヴィンも即座に懐中電灯を奥へ向けた。
「急ぎましょう」
「う、うん!」
私たちは一気に走り出した。
奥へ進むにつれて、様子がおかしくなっていく。壁に焼け焦げた跡。床に薄く張った氷。ちぎれた糸のようなもの。シャーロットのものらしいメモ紙の切れ端。
さらに、妙に白い葉が絡んだ巣のようなものが、岩肌にべったりと貼りついていた。
「これ……霧糸葉?」
私がつぶやくと、エルヴィンが険しい顔で答えた。
「いえ。たぶん、もっと進化したものです。商会の古い記録で読んだことがあります。特定の蜘蛛が霧糸葉を巣の中で育て、上位種の霧絹葉へ変えることがある、と」
「なにそれ、怖い」
「もしそれなら……この先にいるのは、魔獣――霧絹蜘蛛かもしれません」
聞いたことはないけど、名前だけでもう嫌だ。
霧、絹、蜘蛛。
綺麗そうな単語に、絶対近づきたくない生き物が混ざっている。
「魔獣ってなに? 強いの?」
ミーナが小声で聞く。
エルヴィンが一拍置いて答えた。
「魔物と違い、魔法を使います。上級の冒険者が数人で組んで対処する相手だ、と」
「は???」
私の声が裏返った。
「いやいやいや、子どもだけで対処していい相手じゃないでしょ、それ!?」
「その通りです」
「冷静に言うな!!」
その時だった。
広い空洞へ出る。
そこで、ようやく見つけた。
リリスたちだ。
アルガスが前に出て、どこかで拾ったらしい棍棒に火をまとわせ、必死に振り回している。でも髪は乱れ、腕には傷がある。
リリスは氷で蜘蛛の足元を固めているけれど、制服の裾が裂け、銀髪にも何か白いものが絡みついていた。
空洞の奥には、シャーロットがいた。
蜘蛛の糸にぐるぐる巻きにされ、足が地面につかない高さで宙に吊られている。気を失ったのか、ぐったりと頭を垂れたまま動かない。
そして――。
私の懐中電灯が、天井を照らした。
その瞬間、ぞわっと全身が粟立った。
見えた。
さっきまで見えていなかったものが、全部見えた。
天井一面に透明な糸が張り巡らされ、壁から床すれすれまで、何重にも巣が重なっていた。
その中を、小型の蜘蛛がうじゃうじゃと蠢いている。小型といっても、五歳児くらいはある。
けれど、巣の中心にいる親蜘蛛は、さらに別格だった。
荷車ほどもある胴。赤く濁った目。人の腕ほどもある細長い脚が、いやに静かにうごめいている。
光を浴びた瞬間、そのすべてがぴたりと動きを止めた。
「……うそでしょ」
思わず声が漏れた。
巨大な蜘蛛が、ぬるりと頭をこちらへ向ける。
リリスが、こっちに気づいた。
「ク、クロノ・ソーカ……っ!」
シャーロットを助けようとしていたアルガスも振り向く。
その瞬間、天井の巨大な蜘蛛が、ゆっくりと一段下りてきた。
糸が、ぎしりと鳴る。
小蜘蛛たちが床を這いながら、こちらへ向きを変えた。
助けて逃げるには、シャーロットが遠すぎる。
もちろん、助けに行かないなんて選択肢はない。
もうこれ、完全にボス戦前なんだけど。
力を出し惜しみしている場合じゃない。
今朝、頭に浮かんだ数字は八。
懐中電灯を三本出すのに、三回使った。
今日の《限界具現》の残り回数は――五。
少ない。
全然足りる気がしない。
でも、やるしかなかった。




