第20話 友達できたと思ったんだけどな
霧絹蜘蛛が飛んだ。
虫特有の、ぞっとするような速さだった。しかも、横からは小蜘蛛まで数十匹、雪崩みたいに押し寄せてくる。
でかい。多い。速い。
どう考えても、近づかれたら終わる。
ショットガンじゃ止まらない。盾でも足りない。もっとでかい、もっと広い、真正面から受け止められるやつ――。
頭の中に、意味不明なくらい場違いな映像が浮かんだ。
夜の街。川。ネオン。ビルの壁。そして、そのど真ん中で、白いランナーが両手を上げて走っている。
……なんで今それ?
自分でも分からない。もう考えている時間はなかった。
「来いっ!! でっかい看板っ!!」
限界具現が発動した。
次の瞬間、巨大な発光看板が、洞窟の床と天井の間へ斜めに突き刺さるように現れた。
どう見ても、前世の都会のど真ん中にありそうな巨大広告看板だった。両手を上げて走る白いランナーが、満面の笑みでこちらを向いている。
これで、《限界具現》は残り一回。
でも今は、場違いとか言っている場合じゃない。
ドゴォォォンッ!!
看板の向こう側から、凄まじい衝撃が叩きつけられた。洞窟そのものが揺れ、看板の中央が大きくひしゃげる。白いランナーの笑顔まで、ぐしゃっと潰れた。
そして、それだけじゃ終わらなかった。
ばちっ――!
看板の向こう側で何かが弾け、ひしゃげた縁から垂れた線が青白い火花を散らした。
ばちばちばちばちっ!!
眩しい火花が看板の縁を走り、そのまま上から張り出していた霧絹蜘蛛の前脚へ飛び移る。
ぎちぁぁぁっ!?
霧絹蜘蛛の巨体が、びくんと大きく跳ねた。
今までの不気味な鳴き声とは違う、明らかな苦悶の悲鳴が洞窟に響く。看板の両脇にいた小蜘蛛たちまで一斉に跳びのき、透明な糸がその衝撃でぶるぶると震えた。壁へ散った火花が、青く瞬く。
ちょっと待って。
看板を出しただけなのに、なんで感電してるの?
いや、光ってる看板なんだから電気は通ってるんだろうけど。
……電源、どこ?
発光看板は、ひしゃげた縁から何本かの線を垂らしたまま、びりびりと不気味に明滅していた。さっきまで元気よく走っていた白いランナーも、もはや都会の広告というより、意味不明な雷の壁にしか見えない。
「はぁっ!? クロノさん! 今のなんですの!? 魔法!?」
「雷……!?」
アルガスの声まで裏返る。
続いて、エルヴィンが思い出したように口を開いた。
「……勇者だけが使える雷鳴魔法というものがありますが……いえ、違う。魔力の流れがない。けれど、現象だけは酷似している……」
うん。私も驚いてる。
なんなら、一番驚いてるのは私だから。
やめて、エルヴィン。そこで急に考察モードへ入らないで。こっちは“なんか感電した!?”で手いっぱいなんだよ。
でも、おかげで止まった。
止まっただけだけど。
ひしゃげた看板の上では、霧絹蜘蛛の前脚がまだ細かく痙攣していた。その向こうから、赤く濁った目がいくつもこちらを睨んでいる。通せんぼされたせいで、さっきよりもずっと怒っているように見えた。
今だ。
ここしかない。
「逃げるよ!! シャーロットちゃんを連れて、入口まで戻る!!」
「言われるまでもありませんわ!」
リリスが氷を走らせる。
「凍てよ、縫い止めなさい――《氷縛》!」
薄い氷が看板の脇へ走り、回り込もうとしていた小蜘蛛の足元だけを凍らせた。白い脚が岩床へ張りつき、小蜘蛛たちがその場で何度も足掻く。
アルガスも火を飛ばした。
「焦げろ、散れ――《火走》!」
細く絞られた炎が糸を焼き、入口へ戻る道を広げる。
エルヴィンは、すでに手をかざしていた。
「砂よ、押し出せ――《砂壁》!」
さっ、と低い砂の壁が立ち上がり、別方向から迫っていた小蜘蛛の群れを一拍だけ押し返した。
ミーナはシャーロットの肩を抱くように支えながら、こちらを振り向く。
「クロノちゃん、早く行こう!」
「うん! ミーナは先に行って!」
私はショットガンを抱え直し、最後尾に回った。
もう完全に、異世界令嬢の持ち物じゃない。でも今さらだ。ここまで来たら、“母のすごい魔導具”で押し切るしかない。
二挺目の灯火爆裂杖に残っているのは、あと二発。
看板の向こうから、霧絹蜘蛛がぎちぎちと怒り狂った音を立てる。発光面にひびが入り、白い光が不規則に明滅した。
白いランナーまで、なんだか必死に見えてくる。
頑張れ、白いランナー。
君はいま、私たちの命を背負ってる。
そんな祈りが届くはずもなく、看板の横から小蜘蛛が何匹も這い出してきた。
「来た!!」
「もっと速く走って!」
私は振り返りざまにショットガンを構え、引き金を引いた。
――ドォン!!
轟音が狭い洞窟の中で何倍にもなって跳ね返り、先頭の小蜘蛛たちがまとめて吹き飛ぶ。絡み合った糸ごと、通路の端へ弾けた。
今なら走れる。
「うわっ、やっぱりそれすごい!」
「感想はあと!!」
前を走るアルガスの笑い声が返ってきた。
「お前のその魔道具、反則だろ!」
「私もそう思う!!」
さらに、横道から二匹。天井から三匹。
しつこい。
蜘蛛、しつこい。
私の脇をエルヴィンの石弾が抜け、小蜘蛛を弾き飛ばす。続いてリリスの氷が別の一匹の足元を奪い、アルガスの炎が伸びてきた糸を焼いた。
それでも、止まり切らない。
だから、足を止めずに撃つしかない。
私は後ろ向きに数歩下がりながら、最後の一発を撃った。
――ドォン!!
また群れが散る。耳が痛い。肩にくる。火薬の匂いが鼻を刺す。
でも、効く。
異世界の魔物だろうが、物理の散弾は普通に痛いらしい。
これで、本当に弾切れだ。
「本当に何なんですの、それは!?」
「だから、母の秘蔵の灯火爆裂杖だって!!」
「杖ですの!? 名前が物騒すぎますわ!!」
「ですが、性能は本物です」
エルヴィンの妙に真剣な声がかぶさった。
その時、後方から嫌な破砕音が響く。
バキィッ!!
発光が一瞬大きく揺れ、霧絹蜘蛛の前脚が看板を押し割って突き抜けた。
「うわあ、壊された!!」
もう駄目だ。
止まるな。走れ。
私たちは無我夢中で入口へ走った。
⸻
「入口見えた! あとちょっと!!」
ミーナの声に、全員が前を向く。
外の光。風。草の匂い。
私たちは転がるように洞窟の外へ飛び出し、そのまま何歩も走った。
生きてる。
でも、終わってない。
振り返ると、洞窟の入口の暗がりで赤い目がいくつもぎらついていた。小蜘蛛が這い出てくる。その奥には、霧絹蜘蛛の巨大な影まで見える。
ここで逃げても、逃げ切れない。この洞窟をどうにかしない限り、あいつらは追ってくる。
そして、ここは聖堂院の実習林だ。こんなものを外へ出したら、絶対に被害が出る。
私は洞窟の入口を見上げた。
古い岩肌。黒ずんだ苔。ひび割れた天井。雨水に削られたような、脆そうな石の継ぎ目。
たぶん、最初から頑丈な場所じゃなかった。それも、立入禁止にされていた理由のひとつなのかもしれない。
なら、ここで潰す。
崩れかけている場所に、とどめを刺すだけでいい。
「……この洞窟、塞ぐ」
「は?」
リリスが振り向いた。
「何を言っておりますの?」
アルガスも顔をしかめる。
「お前、まだ何かあんのかよ!?」
「あるよ! でも、これで最後!!」
最後。
本当に最後だ。
「みんなは入口から離れて! 林の方まで下がって!」
「あなたはどうする気ですの!?」
「入口ごと崩す! いいから早く!!」
ミーナとアルガスが両側からシャーロットを支え、入口の右手側にある林へ向かう。リリスは下がりながら、這い出してきた小蜘蛛の足元へ氷を走らせた。エルヴィンも入口の前へ低い土壁を立ち上げ、群れを一瞬だけ押し返す。
長くは持たない。
でも、その一瞬で十分だ。
私は空になったショットガンを足元へ放り出した。
《限界具現》の残り回数は、あと一回。これを出したら、今日はもう何も出せない。消すための一回すら残らない。
弾と筒を別々に出している余裕もない。
頭に思い浮かべるのは、爆薬弾が装填済みのロケットランチャー。
それを、ひとつの完成品として具現する。
私はリュックをごそごそさせることすらやめた。
「限界具現――!」
ぐにゃり、と空間が歪んだ。空気そのものが捻じれ、そこへ“ないはずのもの”が割り込んでくる。
次の瞬間、現れたのは――。
筒の太い、黒い武器。
ロケットランチャー。
これで、《限界具現》は残りゼロ。
当然ながら、この世界にロケットランチャーなんて存在しない。
少なくとも、ここにいる五人には、それが何なのか分からないはずだ。
振り返ると、出てくる瞬間そのものを目の前で見られたせいで、みんなまとめて目を剥いていた。
「ひぃっ……!」
シャーロットが小さく悲鳴を上げる。
「今度は何ですの!?」
「さっきのより、形がやべぇぞ!?」
「……もしやクロノさんは、古い神話に残る“召喚魔法”と呼ばれる系統の使い手なのでは……?」
エルヴィンが変な方向に考察を始めた。ミーナだけは、ちょっと目がきらきらしている。
「クロノちゃん、それも爆発するやつ!?」
「する!!」
私は構えた。
「母の秘蔵・灯火爆砕筒……!!」
リリスが即座に突っ込む。
「あなた、なんでもお母様のせいにしようとしてますわよね!?」
さすがにバレたか……。
ごもっともです。
ごめん、母さん。
でも今は、押し切るしかない。
洞窟の入口では、エルヴィンの土壁に亀裂が走っていた。凍りついていた小蜘蛛の脚も、少しずつ氷から抜け始めている。
もう時間がない。
狙うのは、蜘蛛本体じゃない。
入口の上。
ひび割れた岩盤。
いくつもの石に支えられ、辛うじて形を保っている場所。
あそこを落とす。
失敗なんてできない。
でも、外す気はしなかった。
私は引き金を引いた。
ボシュッ――!
ショットガンとは違う、腹に響く重い発射音。同時に、筒の後ろから猛烈な熱風が噴き出した。
「うわっ、危な!?」
よ、よかった。みんなは入口の右手側へ下がっていて、私の真後ろには誰もいない。
そんなことを考えた、次の瞬間――。
入口の上で、真っ白な光が弾けた。
ドッカァァァンッ!!
岩と土が一斉に吹き上がり、私は反射的に腕で顔を覆った。飛んできた小石が、制服や腕へばらばらと叩きつけられる。
蜘蛛たちの悲鳴に重なって、ごごごごごっ、と重たい崩落音が響き始めた。
土埃の中で、恐る恐る目を開ける。
崩れた岩盤が次々と落ち、洞窟の入口を塞いでいく。最後に大きな岩が滑り落ち、残っていた隙間まで完全に埋めた。
土煙が、ぶわっと実習林へ広がる。
やがて、轟音が止んだ。
蜘蛛の鳴き声も聞こえない。岩の崩れる音も消えた。
静かになった。
「……た、助かりました?」
シャーロットが、かすれた声で言う。
ミーナがその場へへたり込みながら笑った。
「たぶん!」
「なんだよ、この威力……洞窟ごと塞ぎやがった……」
アルガスは呆気にとられたまま、低くつぶやいた。
リリスも、ぼさぼさになった銀髪のまま呆然としている。それから悔しそうに唇を噛み、私を見た。
「……今回は、助けられましたわ。ありがとうございます、クロノさん」
あのリリスが、お礼を言った。
ちょっとだけ意外で、ちょっとだけ嬉しい。
「……いや、まあ。うん」
こういう時、気の利いた返しが出てこないの、ほんと私の悪い癖だ。
エルヴィンだけが、妙に真面目な顔で崩れた入口を見つめていた。
「やはり、あの時助けてくれたのはクロノさんだったんですね……」
「え? なんか言った?」
「いえ、独り言です」
絶対、独り言じゃないだろ。今の。
たぶんこいつ、最初から勘づいていたんだ。だから、あんなに私を見てきたし、最近付きまとってきたんだろう。
商人の観察眼、こわ。
私は使い終わったロケットランチャーを足元へ下ろし、肩で息をしながら視線を横へやった。
そこには――。
さっきまで“灯火爆裂杖”と呼んでいたショットガンと、“灯火爆砕筒”と名づけたロケットランチャーが、でんと転がっていた。
《限界具現》を使い切ったから、消せない。
リュックにも入らない。
隠せない。
そう思った瞬間、遠くから声がした。
「今の音は何ですか!?」
「こちらです!」
「生徒がいます!」
ディディエ司祭の声だ。ほかにも何人もの大人の声と、生徒たちのざわめきが近づいてくる。
やばい。
蜘蛛より、別の意味でやばい。
地面に転がった二つの異物は、存在感がありすぎた。でかい。黒い。明らかに、この世界の道具じゃない。
どう考えても隠せない。
母さんの秘蔵の――いや、無理。
司祭相手に、その言い訳が通るわけない。
リリスが、ゆっくり私を見た。アルガスは遠くを見ている。シャーロットは安心したように、司祭たちの声がする方へ顔を向けていた。ミーナは現代兵器を眺めて、ちょっと楽しそうだった。
ほんと、なんでだよ。
エルヴィンだけは下を向いたまま、何かを確信したような顔で黙り込んでいる。
同じものを見ているはずなのに、みんなそれぞれ違うことを考えているように見えた。
私は思った。
なんだかんだで、楽しかった学園生活は今日で終わりだ。
この変な能力も、魔法が使えないことも、たぶん全部バレる。それに、この五人には、もうバレている。
白状しないで済む段階は、とっくに過ぎていた。
ていうか、司祭達にバレたらきっと私は、もう二度と聖堂院には戻ってこられないだろう。
友達ができて、これから楽しくなると思ったんだけどな……。




