灯火爆裂杖、炸裂
霧絹蜘蛛が、ぬるりと一段下りてきた。
うわ、嫌だ。
この“ぬるり”って虫特有の動き、ほんと嫌だ。
でかい蜘蛛が静かに動くの、怖さの質がよくない。もっとこう、わかりやすくドシドシ来てくれたほうが、まだ心の準備ができるのに。
でも現実はそんな親切じゃない。
天井には透明な糸。
床にも糸。
壁にも糸。
小型蜘蛛は十匹以上。
シャーロットちゃんは糸に捕まって気絶。
アルガスとリリスはすでに消耗。
そして私は、今まさに“力を出し惜しみしてる場合じゃない”ところまで来ていた。
今日の《限界具現》の残り回数は五。
少ない。
全然安心できない。
でも、ここでケチって誰か死んだら、たぶん一生後悔する。
私は唾を飲み込んだ。
「ちょ、ちょっと待って! 全員いったん私の声聞いて!」
アルガスが火を散らしながら怒鳴る。
「何だよ!」
「なら早く案を出しなさい!」
リリスもきつい。
いやわかる。
この状況で“ちょっと待って”はだいぶ腹立つ。
でも待って。待ってくれ。頭の中では今、めちゃくちゃ高速で作戦会議してるから。
(まずヒーラー)
(回復役を戻す)
(そのあと雑魚)
(ボスはその後)
(ヒーラー落ちたままボス戦は無理ゲー)
(この編成でヒーラー縛りプレイはさすがに死ぬ)
すると、隣でエルヴィンが静かに言った。
「状況把握ができているのは、クロノさんです。指示を」
ミーナまで当然みたいにうなずいた。
「うん、クロノちゃん司令ね!」
リリスが蜘蛛の脚を凍らせながら歯ぎしりする。
「……今回は聞きますわ! 早くなさい!」
アルガスも炎を振りながら叫んだ。
「ミスったら承知しねぇからな!」
「責任だけ重っ!」
前世から数えたら、もう中身はそこそこ大人だ。
こんな状況、腹くくるしかないのもわかる。
でもなんで私が、異世界でMMOのレイドリーダーみたいなことをやらなきゃならないんだ。
もっとこう、目立たないモブ寄り転生ライフを希望してたんだけど。
でも、逃げてる暇はない。
私はライトを構え直した。
「アルガス! シャーロットちゃんの近くの糸だけ焼いて! 火が暴れてる、もっと絞って!」
「無茶言うな! 細くしたらそのぶん熱が集中すんだよ! シャーロットまで焼けるかもしれねぇだろ!」
「リスクは承知! でも今はそれしかない! うまくやって!!」
アルガスの顔が一瞬むっと歪む。
でも次の瞬間には、短く詠唱した。
「燃えよ、走れ、紅の舌――《火走》!」
細く絞られた炎が鞭みたいに走って、シャーロットちゃんを縛っていた糸の束の一部を焼いた。
「リリス! ボスの前脚! 動き止めて!」
「言われなくても、もうやっております!」
リリスが両手を突き出す。
「凍てよ、絡みつけ――《氷鎖》!」
蒼い霜が蜘蛛の前脚を這い、関節を一瞬だけ鈍らせる。
霧絹蜘蛛が、ぎち、と嫌な音を立てた。
「エルヴィン! 小蜘蛛の進路ずらして!」
「承知しました」
エルヴィンが手をかざす。
「土よ、立て――《砂壁》」
ざざっ、と低い砂の壁が立ち上がり、小蜘蛛たちの突進をわずかにそらす。
倒し切るほどじゃない。
でも、飛びつこうとする角度を狂わせるには十分だった。
「ミーナ! 今!」
「まかせて!」
ミーナが飛び出した。
はやい。
ほんとにはやい。
さっきのゴブリン戦でも思ったけど、この子、足が速いとかそういうレベルじゃない。
躊躇がない。
地面を蹴るタイミングがうますぎる。
糸を避ける時の体重移動が、もう完全に「体で戦う人」のそれだ。
なんなの。
前世でアスレチック系スポーツの全国大会とか出てたの?
……いや、出てないんだけど。
でも、翠嵐魔法の適性って、こういう身の軽さとか、風みたいな動きやすさにも関係あるんだろうか。
だとしたら、才能ってずるい。
ミーナは焼けた糸の切れ目を抜け、氷の隙間を滑り込むようにして、シャーロットちゃんのところまでたどり着いた。
もはや陽キャとかそういう分類ではない。機動型である。
「シャーロットちゃん!」
揺さぶる。
返事がない。
でも、生きてる。
「アルガス、もう一回右! そこまだ残ってる!」
「ちっ、わかってるよ!」
「細かく見えてるのは私だけなんだよ!!」
ライトで照らすと、見える。
透明な糸が。
見えないままだったら絶対無理だった。
アルガスがもう一度火を飛ばし、ミーナがその隙にシャーロットちゃんの腕を引っ張る。
糸が、べり、と剥がれた。
その瞬間、小蜘蛛が三匹、横から跳んだ。
「来る!」
エルヴィンが石弾を飛ばし、一匹の軌道をずらす。
リリスの氷がもう一匹の脚を止める。
最後の一匹は、ミーナが体をひねって避けた。
「っあぶな!?」
でも、そのままシャーロットちゃんを抱えて転がる。
ギリギリだった。
「シャーロットちゃん、起きて! 自分に回復! 少しでいいから!」
ミーナが半泣きで叫ぶ。
シャーロットちゃんの瞼がぴくっと動いた。
細い声で、短い詠唱がこぼれる。
「ひ、光よ……やさしく、満ちて――《癒光》……」
淡い光が、シャーロットちゃん自身を包む。
麻痺が完全には取れない。
でも、指が動く。
足が少しだけ戻る。
「よ、よかった……」
私も思わず息を吐いた。
(よし)
(ヒーラー復帰)
(これでまだ詰んでない)
(ここから立て直せる)
――そう思ったのが、甘かった。
霧絹蜘蛛が、天井でぎちぎちと顎を鳴らした。
ぞわっとした。
次の瞬間、巣の奥から、わらわらと小蜘蛛が這い出してくる。
増えた。
いや、増えたっていうか、呼んだ。
完全に増援フェーズだ。
やめろ。やめてくれ。ボスが雑魚を呼ぶの、ゲームだと一番嫌なやつなんだよ。
「……増えましたね」
エルヴィンが冷静に言う。
「見ればわかる!!」
もう十匹どころじゃない。
床を、壁を、天井を、白く細い脚が一斉に走る。
気持ち悪い。ほんと無理。
ミーナがシャーロットちゃんを庇うように前に出た。
「クロノちゃん、私が殿になる。みんなと一緒に逃げて! すぐ追いつくから!」
「ミーナ!」
ミーナは朽ちた剣を構え、小蜘蛛の群れに突っ込んだ。
一匹目を叩く。
二匹目を蹴る。
三匹目を避けざまに切り払う。
強い。
普通に強い。
でも、数が多すぎた。
小型とはいえ、あれは魔物だ。
しかも上級の魔獣の眷属。
一匹一匹が重い。速い。糸も吐く。跳ぶ。
ミーナが四匹目を叩いた瞬間、横から来た一匹が肩にぶつかった。
「きゃっ!」
体勢が崩れる。
さらに二匹。
さらに三匹。
「ミーナ!」
剣で受ける。
でも押し返しきれない。
次の瞬間、大きい一匹が正面からぶつかって、ミーナの体が更に吹き飛んだ。
壁に叩きつけられる。
鈍い音。
私の頭の中が、一瞬だけ真っ白になった。
(無理)
(これ、普通に死ぬ)
(だしおしみとか言ってる場合じゃない)
ミーナがうめきながら起き上がろうとする。
でも小蜘蛛はもう次を跳ぶ態勢だ。
アルガスもリリスも、ボスと糸の相手で手が離せない。
シャーロットちゃんは戻りきってない。
エルヴィンの剛岩魔法だけじゃ押し切れない。
無理だ。
これはもう、無理だ。
私は腹の底で、何かが切り替わるのを感じた。
「全員、下がって!!」
自分でもびっくりするくらい、大きい声が出た。
小蜘蛛たちが一瞬ひるむ。
みんなも、私を見る。
「下がれば終わる!」
アルガスが眉をひそめた。
「何する気ですの!?」
リリスも叫ぶ。
「説明してる暇ない! とにかく下がって、伏せて、目閉じて!!」
私はリュックをごそごそやった。
出したのは――サングラス。
黒いやつ。
どう見ても異世界の小等部一年が、洞窟の中で急にかけるものではない。
「ちょっと待って、それ何ですの!?」
リリスが素っ頓狂な声で叫ぶ。
「いいから! 目守るやつ!」
「今そんな洒落たことしてる場合ですの!?」
「洒落じゃない!!」
私はサングラスをかけながら、もう片手をリュックに突っ込む。
次に出したのは、閃光弾。
もちろん、そんな名前は言わない。
「一回きりの目くらまし聖具だから!! 全員、目閉じて伏せて!! 信じて!!」
アルガスが叫ぶ。
「怪しすぎんだろ!!」
でもエルヴィンは迷わなかった。
「従いましょう!」
その一言で、みんなが反応する。
リリスが舌打ちしながら伏せる。
アルガスも不満そうに身を低くする。
ミーナは転がるようにシャーロットちゃんの上に覆いかぶさった。
エルヴィンは自分の体を盾みたいにして屈む。
私は、投げた。
ころん、と転がる。
(ごめん世界観)
(でも今は命が先だ!!)
次の瞬間。
ぴかぁぁぁぁぁああああん!!!
洞窟の中が、真っ白になった。
光。
音。
反響。
耳の奥まで殴られたみたいな衝撃が走る。
小蜘蛛が一斉にひっくり返った。
ボス蜘蛛も脚をばたつかせて、ぎちぎちと悲鳴みたいな音を立てる。
効いてる。
よし。
ここだ。
私はもう一度リュックに手を突っ込んだ。
具現。
出てきたのは、ショットガン。
黒い。
太い。
完全にこの世界の杖ではない。
でももう知らん。
今さら見た目とか言ってる場合じゃない。
「母の秘蔵の魔道具、灯火爆裂杖……!」
我ながらひどい名前だ。
「何ですのそれ!?」
「後で!!」
「それ、どう見ても杖じゃないですよね!?」
「魔道具だよ!! たぶん!!」
エルヴィンが変なところでつっこみを入れてきた。
知識があるぶん、おかしな事には敏感だ。
小蜘蛛の群れが、光から立ち直り始める。
私は構えた。
起き上がる前に、殲滅する。
肩にずしっとくる重さ。
前世で動画とかゲームで散々見てきた形。
でも、実際に命がかかってる場面で持つと、感覚がまるで違う。
(やるしかない)
(当てろ)
(ぶっ放せ)
引き金を引いた。
――ドォン!!
――ドォン!!
――ドォン!!
洞窟の空気そのものが、真正面から殴られたみたいに震えた。
ただ大きい音が鳴った、なんてものじゃない。
耳をつんざく轟音といっしょに、銃口の先の空気が爆ぜる。
圧そのものが前へ走る。
散弾が扇みたいに広がった。
前方の小蜘蛛が、まとめて吹き飛ぶ。
細い脚が砕ける。
硬い外殻が破れ、黒ずんだ体液が飛び散る。
壁に張りついていた糸の束が、ばつん、ばつん、と何本も断ち切られていく。
ただ“当たった”じゃない。
前にいたものが、まとめて消し飛ばされた。
巣の一部まで衝撃で裂け、洞窟の壁に乾いた破裂音が何度も跳ね返る。
霧みたいに張っていた糸の幕が、一瞬で穴だらけになった。
一瞬、全員が固まった。
ミーナが、ぽかんとした顔でつぶやく。
「え、音のわりに意外と地味……」
「そこ!?」
アルガスが目を剥いている。
「なんだよ!今の音!?」
リリスも完全に動きが止まっていた。
「詠唱なしで、あの威力ですって……!?」
エルヴィンだけが、なぜか妙に真面目な顔で言った。
「……対魔獣用の散布型破砕魔導具ですかね」
「そう! そういう感じ!!」
ありがとうエルヴィン!
今だけ助かる!
でも、助かったのは一瞬だった。
霧絹蜘蛛が、今までと明らかに違う音で鳴いた。
怒った。
完全に怒った。
天井の巣が、びり、と震えた。
残った小蜘蛛たちが一斉に退き、大蜘蛛の周囲へ集まっていく。
長い脚が、ぎちぎちと音を立てて広がる。
そして、その濁った目が、まっすぐこちらを向いた。
……あっ。
これ、まずいやつだ。
リリスが低くつぶやく。
「……クロノさんを狙っていますわ」
「見ればわかる!!」
アルガスは、なぜか口の端をつり上げていた。
「なんでお前そんな余裕そうなんだよ……!」
「そんなふうに見えてんの!? 余裕じゃねえわ!!」
大ボスの霧絹蜘蛛が、ゆっくりと巣から身を起こす。
赤い眼がいくつも、私だけを捉えていた。
さっきまで“そこにいた”だけだったものが、完全に敵になったのがわかった。
ヘイト、全部こっちに来た。
(やばい)
(助けるだけのつもりだったのに)
(気づいたら私がボスのヘイト全部取ってるんだけど!?)
ショットガンを握る手に汗が滲む。
でも、ここで下がったら全員が巻き込まれる。
笑える空気はもう、ほとんど残っていなかった。
私は一度だけ息を吸った。
霧絹蜘蛛が、ゆっくりと脚を持ち上げる。
そして、次の瞬間。
その巨体が、こっちへ飛んだ。
――あと、《限界具現》は二回。




