友達できたと思ったんだけどな
霧絹蜘蛛が飛んだ。
虫特有の、ぞっとするような早さだった。しかも横からは小型蜘蛛まで数十匹、雪崩みたいに押し寄せてくる。
でかい。多い。速い。どう考えても、近づかれたら終わる。
ショットガンじゃ止まらない。盾でも足りない。もっとでかい、もっと広い、真正面から受け止められるやつ――。
頭の中に、意味不明なくらい場違いな映像が浮かんだ。
夜の街、川、ネオン、ビルの壁。そして、そのど真ん中で、白いランナーが両手を上げて走っている。
……なんで今それ? 自分でも分からない。もう考えている時間はなかった。
「来いっ!! でっかい看板っ!!」
限界具現が弾けた。
次の瞬間、洞窟の床と天井に、巨大な発光板が斜めに突き刺さるように現れた。どう見ても、前世の都会のど真ん中にありそうな巨大広告看板だった。両手を上げて走る白いランナーが、満面の笑みでこっちを向いている。
でも今は、場違いとか言っている場合じゃない。
ドゴォォォンッ!!
霧絹蜘蛛の突進は、その巨大看板に真正面からぶつかった。洞窟そのものが揺れた。看板が大きくひしゃげる。白いランナーの笑顔まで、ぐしゃっと潰れた。
そして、それだけじゃ終わらなかった。
ばちっ――!
千切れた何かの線から、青白い火花が散る。
ばちばちばちばちっ!!
看板の縁を走るように、眩しい光が爆ぜた。蜘蛛の前脚へ青白い火花が跳ね、霧絹蜘蛛がびくん、と大きく身を震わせる。
ぎちぁぁぁっ!?
今までの不気味な鳴き声とは違う、明らかな苦悶の悲鳴が洞窟に響いた。小蜘蛛たちまで一斉に跳ねのき、脚をばたつかせる。透明な糸がその衝撃でぶるぶる震え、壁に散った火花が青く瞬いた。
ちょっと待って。感電してない?
いや、してるよね、これ。
発光板は、千切れた線をぶら下げたまま、びりびりと不気味に明滅していた。さっきまで元気よく走っていた白いランナーも、もはや都会の広告というより、意味不明な雷の壁にしか見えない。
「はぁっ!? クロノさん! 今のなんですの!? 魔法!?」
リリスが叫ぶ。
「雷……!?」
アルガスまで目を見開いた。エルヴィンが、珍しく息を呑んでいる。
「……勇者だけが使える雷鳴魔法というものがありますが……いえ、違う……魔力の流れがない。けれど、現象だけは酷似している……」
うん。私も驚いてる。なんなら一番驚いてるの私だから。やめてエルヴィン、そこで急に考察モードに入らないで。こっちは"なんか感電した!?"で手一杯なんだよ。
でも、おかげで止まった。止まっただけだ。
霧絹蜘蛛は脚を痙攣させながらも、なお看板の向こうでこちらを睨んでいた。赤い眼が、通せんぼされてさっきよりもずっと怒っている。
今だ。ここだ。
「逃げるよ!! シャーロットちゃん連れて入口まで戻る!!」
「言われなくてもですわ!」
リリスが氷を走らせる。
「凍てよ、塞げ――《氷路》!」
看板の横の通路が一瞬白く凍り、回り込もうとした小蜘蛛の脚が滑った。アルガスも火を飛ばす。
「焦げろ、散れ――《火走》!」
細く絞った炎が糸を焼き、通り道を広げる。エルヴィンはすでに手をかざしていた。
「砂よ、押し出せ――《砂壁》」
さっ、と低い砂の壁が立ち、小蜘蛛の群れの進行を一拍だけ遅らせる。
ミーナはシャーロットちゃんを引きずるように抱えて振り向いた。
「クロノちゃん、早く行こう!」
「うん! ミーナは先に行って!」
私はショットガンを抱え直して、最後尾に回った。もう完全に異世界令嬢の持ち物じゃない。でも今さらだ。ここまで来たら、"母のすごい魔道具"で押し切るしかない。
看板の向こうで、霧絹蜘蛛がぎちぎちと怒り狂った音を立てる。看板の表面にひびが入り、赤い光が揺れた。白いランナーまで、なんか必死に見えてくる。
頑張れ、白いランナー。君はいま、私たちの命を背負ってる。
そんな祈りが届くはずもなく、看板の横から小蜘蛛が這い出してきた。
「来た!!」
「もっと速く走って!」
私は振り返りざまにショットガンを構える。引き金を引いた。
ドォン!!
轟音が狭い洞窟で倍になって跳ね返る。先頭の小蜘蛛たちがまとめて吹き飛び、絡み合った糸ごと通路の端へ弾けた。今なら走れる。
「うわっ、やっぱそれすごい!」
「感想は後!!」
アルガスが前で笑った。
「お前のその魔法、反則だろ!」
「私もそう思う!!」
さらに横道から二匹。天井から三匹。しつこい。クモ、しつこい。
エルヴィンが石弾を飛ばし、リリスが氷で足場を奪い、アルガスが糸を焼く。でも止まりきらない。だから、止まらないで撃つしかない。
私は後ろ向きに数歩下がりながら、もう一発撃った。
ドォン!!
また群れが散る。耳が痛い。肩にくる。火薬の匂いが鼻を刺す。でも効く。異世界の魔物だろうが物理の散弾は普通に痛いらしい。
「本当に何なんですの、それは!?」
「だから母の秘蔵の灯火爆裂杖だって!!」
「杖ですの!? 名前が物騒すぎますわ!!」
エルヴィンが真顔でかぶせる。
「ですが、性能は本物です」
後ろでは、ついに巨大看板が限界を迎えたらしい。
バキィッ!!
嫌な破砕音。発光が一瞬大きく揺れ、霧絹蜘蛛の前脚が看板を押し割って突き抜けた。
「うわあ壊された!!」
もうダメだ。止まるな、走れ。
私たちは無我夢中で入口へ走った。
⸻
「入口見えた! あとちょっと!!」
ミーナの声に、全員が前を向く。
外の光。風。草の匂い。
私たちは転がるように洞窟の外へ飛び出した。
生きてる。でも、終わってない。
洞窟の入口の暗がりで、赤い目がいくつもぎらついていた。小蜘蛛が這い出てくる。その奥には、霧絹蜘蛛の巨大な影まで見える。
ここで逃げても、逃げ切れない。この洞窟をどうにかしない限り、あいつらは追ってくる。そして背後には聖堂院の実習林だ。こんなものを外に出したら、絶対に被害が出る。
私は洞窟の入口を見上げた。古い岩肌、黒ずんだ苔、ひび割れた天井。雨水に削られたような、もろそうな石の継ぎ目。
たぶん、最初から頑丈な場所じゃなかった。だから立入禁止だったのだ。なら、ここで潰す。崩れかけている場所に、とどめを刺すだけでいい。
「……この洞窟、塞ぐわ」
「は?」
リリスが振り向いた。
「何を言ってますの?」
アルガスも顔をしかめた。
「お前、まだ何かあんのかよ!?」
「あるよ! でもこれで最後!!」
最後。本当に最後だ。
限界具現の残り回数は、あと一回。これを出したら今日はもう何も出せない。消すこともできない。でも、そんなことを言っている場合じゃない。
私はリュックをごそごそさせることすらやめた。限界具現を、直接発動する。
ぐにゃり、と空間が歪んだ。空気そのものが捻じれ、そこに"ないはずのもの"が割り込んでくる。
次の瞬間、現れたのは――。
筒の太い、黒い武器。
ロケットランチャー。
当然ながら、この世界の誰一人として、それが何なのか分からない。というか、出てくる瞬間そのものを目の前で見られたせいで、みんなまとめて目を剥いていた。
「ひぃっ……!」
シャーロットちゃんが小さく悲鳴を上げる。
「今度は何ですの!?」
「さっきのより、形がやべぇぞ!?」
「……もしやクロノさんは、古い神話に残る"召喚魔法"と呼ばれる系統の使い手なのでは……?」
エルヴィンが変な方向に考察を始めた。ミーナだけはちょっと目がきらきらしている。
「クロノちゃん、それも爆発するやつ!?」
「する!!」
私は構えた。
「母の秘蔵・灯火爆砕筒……!!」
リリスが即座に突っ込む。
「あなた、なんでもお母様のせいにしようとしてますわよね!?」
さすがにバレたか……。ごもっともです。ごめん、お母さん。でも今は押し切るしかない。
狙うのは、蜘蛛本体じゃない。入口の上。ひび割れた岩盤。石に支えられて辛うじて形を保っている場所。あそこを落とす。失敗なんてできない。でも、外す気はしない。
引き金を引いた。
ボンッ――。
ショットガンとは違う、腹に響く重い発射音。一瞬遅れて、入口の上で――。
ドッカァァァンッ!!
爆発。岩が砕ける。土が吹き上がる。白い糸が焼けちぎる。古い岩盤が、衝撃に耐えきれず崩れ始めた。小蜘蛛が数匹、巻き込まれて吹き飛ぶ。その向こうで、霧絹蜘蛛が怒りの悲鳴を上げた。
でも、もう遅い。
ごごごごごっ、と重たい音を立てて、洞窟の口が崩れ落ちた岩と土砂で一気に塞がっていく。土煙がぶわっと広がった。
全員が、その場で固まった。轟音も、蜘蛛の鳴き声も、岩の崩れる音も消えていた。
静かになった。
「……た、助かりました?」
シャーロットちゃんがかすれた声で言う。ミーナがへたり込みながら笑った。
「たぶん!」
「なんだよこの威力……洞窟ごと塞ぎやがった……」
アルガスは呆気にとられたまま低くつぶやく。リリスも、髪ぼさぼさのまま呆然としていた。それから悔しそうに唇を噛んで、私を見る。
「……今回は、助けられましたわ。ありがとうございます、クロノさん」
あのリリスが、お礼を言った。ちょっとだけ意外で、ちょっとだけ嬉しい。
「……いや、まあ。うん」
こういう時、気の利いた返しが出てこないの、ほんと私の悪い癖だ。
エルヴィンだけが、妙に真面目な顔で崩れた入口を見ていた。
「やはり、あの時助けてくれたのはクロノさんだったんですね……」
「え? なんか言った?」
「いえ、独り言です」
絶対独り言じゃないだろ、今の。
たぶんこいつ、最初から勘づいてたんだ。だからあんなに私を見てきたし、最近付きまとってきたんだろう。商人の観察眼、こわ。
私は肩で息をしながら、ふと視線を横へやった。
そこには――さっきまで"灯火爆裂杖"と呼んでいたショットガンと、"灯火爆砕筒"と名づけたロケットランチャーが、でんと転がっていた。
限界具現を使い切ったから、消せない。リュックにも入らない。隠せない。
そう思った瞬間、遠くから声がした。
「今の音は何ですか!?」
「こちらです!」
「生徒がいます!」
ディディエ司祭と、他の司祭の声だった。さらに、生徒たちのざわめき。
やばい。蜘蛛より、別の意味でやばい。
地面に転がった二つの異物は、存在感がありすぎた。でかい。黒い。明らかにこの世界の道具じゃない。どう考えても隠せない。
母さんの秘蔵の――いや、無理。司祭相手にその言い訳が通るわけない。
リリスが、ゆっくり私を見た。アルガスは遠くを見ていた。シャーロットちゃんは安心したように司祭たちの方を見ていた。ミーナは現代兵器を見て、ちょっと楽しそうだった。ほんと何でだよ。エルヴィンだけは下を向いたまま、何かを確信した顔で黙り込んでいた。
同じものを見ているはずなのに、みんな違うことを考えていた。
私は思った。
なんだかんだで、楽しかった学園生活は今日で終わりだ。この変な能力も、魔法が使えないことも、たぶん全部バレる。いや、この五人にはもうバレている。白状しないで済む段階は、とっくに過ぎていた。
ていうか、きっと私はもう二度と聖堂院には戻ってこられないだろう。
友達ができて、これから楽しくなると思ったんだけどな……。




