奇跡のあとで
強盗団襲撃事件の翌日。
教室に入った瞬間、私は妙な居心地の悪さを覚えた。原因は、すぐに分かった。教室の前方。エルヴィン・フォスティエが、こちらを見ていた。商人の息子で、金勘定が好きで、将来は大商会の主になる予定です、と入学早々に言い切っていた、あの怖いくらい落ち着いた男子。
その彼が、じっとこちらを見ているのだ。
しかも、目が合った瞬間に逸らすでもなく、なぜか少しだけ満足そうにうなずいた。いや、何。何その「やはり」みたいな反応。私は何事もなかったみたいな表情を作り、自分の席へ向かった。
昨日の件、バレてないよね? 歌う鳥とか光とか、だいぶ派手だったけど。証言もめちゃくちゃだったし、さすがに私だとは――。
前の席のミーナが、くるっと振り返る。
「クロノちゃん、おはよー!」
「おはよ……」
「なんか元気ない?」
「なんか見られてる気がして……」
「え、誰に?」
私は目だけで、ちらっとエルヴィンの方を示した。ミーナもちらっと見て、「ふーん」と小さく笑う。
「クロノちゃん、人気者だからねえ」
「その雑なまとめやめてくれる?」
人気者じゃない。人気者というのは、ミーナちゃんみたいにみんなから自然に声をかけられる子のことだ。私みたいに、商人の息子から鑑定対象みたいな目で見られることではない。あれはもっとこう、珍しい虫を見つけた子どもの目だ。もしくは、発掘された遺物を前にした考古学者。どっちにしろ嫌である。
そんなことを考えているうちに、リリスが教室に入ってきた。
今日も完璧な令嬢だ。金髪はつやつや。姿勢はぴん。歩き方まで「わたくしは格が違いますの」って感じがする。前世なら完全にキャラ設定だと思っていたやつが、普通に目の前を歩いている。
リリスは席に着く前に、私の前でぴたりと止まった。
「クロノさん」
「……なに?」
「本日の身体測定、わたくしは楽しみにしておりますの」
「え、なんで?」
「決まっております。身長ですわ」
「身長……?」
「今、わたくしとあなた、ほぼ同じくらいですわよね? ですが!」
リリスがビシッと指を立てる。
「きちんと測れば、わたくしの方が高いはず! 絶対に勝ってみせますわ!」
「知らんがな」
思わず即答してしまった。なんでそこで勝負になるの。ライバル認定って身長まで入るんだ。守備範囲が広すぎる。
⸻
問題の身体測定。
小等部の生徒たちがずらりと並び、順番に身長と体重を測っていく。こういうイベント、前世でもあまり好きじゃなかった。数字で現実を突きつけられる感じがするからだ。今は転生ボディだから前世よりはだいぶマシではある。でも、嫌なものは嫌なんだよな。
まずは身長。背筋を伸ばして、ぴしっと立つ。こういう時だけは「姿勢! 顎を引きなさい!」の地獄訓練が役立つのが悔しい。
係の司祭が数字を書き込む。そのあと、リリスも測った。
結果は、ぴったり同じ。
リリスが私を見る。
私もリリスを見る。
……無言。リリスは、静かに言った。
「来年ですわ」
「う、うん」
なにその宣戦布告の継続。身長勝負って来年持ち越し制だったの?
「日々の鍛錬を重ねておりますもの。わたくしはこれからも、ぐんぐん伸びますわ」
いや、それたぶん逆では? 鍛えすぎると身長が伸びにくいって聞いたことある。来年、むしろ私の方が伸びてそうなんだけどな。もちろん口には出さない。出したらまた変な勝負になる。この令嬢、氷属性の癖に燃料を投下するとすぐ燃え上がるタイプなのである。
次は体重だった。私は普通に測って、普通に降りる。問題はそのあとだ。リリスが測定台から降りた瞬間、係の司祭が数字を記録した。その数字を見て、リリスの動きが止まる。
「……え?」
彼女は自分の数字と私の数字を見比べて、ゆっくりこちらを振り向いた。
「な、なんでですの?」
「え?」
「なぜ、わたくしの方が重いのです!?」
「知らないよ!」
「クロノさん、見た目はわたくしよりやわらかそうですのに!」
「やめてよ、その言い方!」
後ろの子たちがざわつく。ミーナは口元を押さえて笑っているし、シャーロットちゃんは「ひゃっ」と変な声を出している。アルガスは「くだらねぇ……」とか言いながら、肩がちょっと揺れていた。
リリスは本気でショックを受けた様子だった。
「おかしいですわ……。わたくし、こんなに鍛えておりますのに……」
そりゃあんた、鍛えてるからですよ。筋肉は重いんだよリリスちゃん。あとその年齢でそのカモシカみたいな足は普通にストイックすぎる。でも、もちろん言わない。絶対に面倒くさいことになるから。
リリスはしばらく呆然としていたけれど、やがてきりっと表情を引き締めた。
「……つまり、これはさらなる鍛錬が必要ということですわね」
「えっ、そっちに行くの?」
「当然ですわ!」
いや、たぶん逆なのでは? でも、この人はたぶん、そういう話をしても聞かない。努力の方向がいつも真っ直ぐすぎる。真っ直ぐすぎて、壁に全力で突っ込んでいる。私は心の中で、そっと手を合わせた。がんばれ、未来のリリス。たぶん来年も同じことで燃えてる気がするけど。
⸻
昼食の時間。
私はいつものようにミーナと席を寄せて、お弁当箱を開けた。
「わー、クロノちゃん、今日もきれい!」
「母さんが詰めてくれたやつだからね……」
使用人に任せればいいのに、母さんは買い出しも料理も、できる時にはきちんと一緒にやる。特にイザベラとの連携がすごい。目配せひとつで次の動きが通じる。長年そばにいた主従というのは、ここまで息が合うものらしい。
そんな母さんの作るお弁当は、見た目が強い。彩りも栄養も完璧で、たぶん異世界貴族のお弁当としてかなり上位層だと思う。一方で、ミーナのお弁当は明るくて元気な感じだった。小さい肉団子がいっぱい入っている。実にこの子らしい。
「ねえクロノちゃん、リリスちゃん今日めっちゃショック受けてたね」
「まあ……うん……」
「でもちょっとかわいかった」
「それはわかる」
私たちがくすくす笑っていると、また視線を感じた。顔を上げる。
エルヴィンが、こちらを見ていた。しかもお弁当を食べながらである。その弁当がまた、やたら豪華だった。二段重ね。肉多め。卵料理きれい。高そうな果物まで入っている。
あいつ、すごいうまそうなメロン食べてるな。メロンだけ交換したい。
……いや、そこじゃない。見られているのだ。しかも、ただ見ているだけじゃない。たぶん査定中だ。商人の息子が人を見る時の目。値踏み、鑑定、商品価値の確認。
やめて。私は売り物ではありません。
ミーナがその視線の流れを追って、ぽんと手を打った。
「あっ、クロノちゃん、もしかして惚れられてる?」
「は?」
「だってさー、めっちゃ見てるよ?」
「見てるけど! でもあれはそういうのじゃないって!」
「じゃあどういうの?」
「もっとこう……怖い系!」
「……禁断の恋?」
「恋に分類しないで!」
ミーナはけらけら笑っているが、こっちは笑い事じゃない。私はおかずをつまみながら、ちらっともう一度エルヴィンを見る。目が合った。エルヴィンは、ほんの少しだけ微笑んだ。うわ、こわ。今の絶対、なんか悪いことを考えた顔だった。私は慌てて視線を戻した。ミーナが楽しそうににやにやしている。
「やっぱそうじゃん」
「違うってば。あれは恋じゃない。もっとこう、契約とか査定とか、仕入れとか、そういう方向の目だから」
「じゃあ告白されたら教えてね」
「されません」
「即答だねえ」
即答である。だって、なんか違うもの。仮に本当の恋だったとしても、それはそれで嫌すぎる。私が求めている青春は、値踏みされるやつじゃない。
⸻
放課後。
私はいつものように帰り支度をして、ミーナと途中まで一緒に歩いた。シャーロットちゃんはアルガスに声をかけられて、一緒に校門の方へ向かっていく。
リリスはたぶん鍛錬のつもりなのか、全力疾走で帰っていった。あの令嬢、めちゃくちゃ走っててなんかおかしい。
校門を出て、脇道でミーナと別れ、私は屋敷の方角へ向かう。そこで気づいた。後ろに、足音がある。
こつ、こつ、こつ。
一定の距離を保って、ついてくる。
私はさりげなく後ろを振り返った。エルヴィンだった。しかも、口元が少しだけゆるんでいる。にやにや、とまではいかない。でも、明らかに機嫌がいい。
いやいやいやいや。おまえんち、こっちじゃなくない?
私が歩く速度を上げると、後ろの足音も少し早くなる。
こ、こわい!
やだやだやだ。なにこれ。追跡? 尾行? 商人の息子が同級生を値踏みしながら尾行するな。普通に怖い。私はついにくるっと振り返った。
「……あの」
エルヴィンがぴたりと止まる。
「はい」
「なんでついてくるの?」
「ついていっているわけではありません」
「じゃあなんで同じ方向なの!?」
「偶然です」
「絶対嘘でしょ!」
エルヴィンはちょっとだけ考える様子を見せた。
「では、半分は偶然です」
「半分は何なのよ!」
「確認です」
「何を!?」
「いろいろです」
「いろいろで済ませるな!」
私は本気で一歩下がった。怖い。この子、静かに怖い。エルヴィンはそんな私を見て、ふむ、と小さくうなずく。
「やはり」
「何が!?」
「いえ。クロノさんは本日も、非常に――」
そこで言葉を切って、また妙に満足そうな顔をした。
「価値がありますね」
「は???」
私の頭の上に、見えないクエスチョンマークが五十個くらい浮いた。
「何その評価!?」
「言葉通りです」
「言葉通りが意味わかんないんだけど!?」
「お気になさらず」
「気になるわ!」
だめだ。会話が通じない。この子、頭はいいのに、会話になると急に霧の中へ消えるタイプだ。エルヴィンはそんな私を見て、なぜか少し楽しそうだった。
「では、今日はここで」
「えっ」
「これ以上は警戒されそうですので」
「されてるよ!? 今まさに!」
「それは良かったです」
「よくない!」
エルヴィンはぺこりと礼をすると、そのままくるりと向きを変えて去っていった。その背中は妙に軽い。一人で納得して帰る人の足取りだった。私はしばらく、その場で固まっていた。なにあれ。怖。何ひとつ分からない。
でも、とりあえず一つだけ確かなことがある。
あいつ、たぶん昨日の件で、私がなにかしたことに勘づいた。しかも、めちゃくちゃ都合のいい方向に。やばいな……。また勘違いの犠牲者が増えてる気がする……。
私はため息をついて、空を見上げた。静かな令嬢として生きていきたいだけなのに、どうしてこう、まわりが勝手に話を大きくしていくんだろう。
……ほんと、勘弁してほしい。
この先も、たぶんエルヴィンは私のことを監視するつもりでいるんだろう。
「やはりあの人は、ただの"灯火の聖女の娘"ではない」
――とか何とか、勝手に価値を盛りながら。




