商人の目が見た奇跡
※エルヴィン視点になります。
ボクは昔から、ものの価値を測るのが好きだった。
何が高いか。
何が珍しいか。
何が人を惹きつけるか。
そういうことを考えるのは、わりと楽しい。
父上はよく「商人に必要なのは計算だけではない」と言う。
愛想、信用、付き合い。そういう積み重ねがあってこそ商売は続くのだと。
けれどボクに言わせれば、愛想も信用も付き合いも、それ自体に価値があるわけじゃない。
何に値打ちがあり、何が人を惹きつけ、何が本当に希少なのか。
結局は全部、“見抜けるかどうか”だ。
だから、ボクには分かる。
聖堂院で初めてクロノ・ソーカさんを見た時から、あの人はどこか妙だと思っていた。
妙、というのは失礼かもしれない。
けれど、ほかに言いようがない。
見た目は控えめで、上品で、静かな人。
それでいて、目を引かずにはいられないほど綺麗な令嬢でもある。
灯火の聖女の娘と聞けば、誰だって納得するだろう。
だが、あの人はただ綺麗なだけじゃない。
表に見えているものとは別に、もうひとつ、値札のつかない何かを隠している。
そんなふうに思わせる人だった。
あの帝国のゼルファス家の令嬢、リリス・フォン・ゼルファスさんが、誰が見ても高価だと分かる派手な宝石だとしたら。
クロノさんは、一見そうは見えないのに、目利きだけが価値に気づく秘蔵品みたいな人だった。
そういうのは、商人として非常に気になる。
……まあ、今はそんなことをのんびり考えていられる状況ではないのだけれど。
「金を出せ、こらぁああ!」
「ぐずぐずするな、命が惜しけりゃ財宝置いてけ!」
強盗団の怒号が、商館前に響いていた。
ボクは父上の背にしがみついて、半分泣きそうだった。
というか、たぶんちょっと泣いていた。
怖い。
普通に怖い。
剣を向けられるって、こんなに胃が冷たくなるものなんですね。
護衛として雇っていた方たちは、もうやられている。
父上も青ざめているし、店の者たちも震えている。
お客様の何人かは通りへ逃げたけど、入口近くにいた人たちは身動きが取れずにいた。
(だれか……だれか助けて……!)
そう思った時だった。
「やめろーっ!」
人だかりの横から、ひとりの男が飛び出した。
革鎧に、擦り切れたマント。腰には剣。
いかにも冒険者、といった風体の男だった。
「冒険者だ!」
「助けてくれ……!」
男はそのまま強盗へ斬りかかった。
速い。
ボクは剣なんて詳しくない。
でも、それでも分かる。
少なくとも、素人の動きじゃない。たぶん迅玉式に近い何かだ。
一瞬、いけるかもしれないと思った。
思ったのだけれど――次の瞬間には、その期待は崩れていた。
強盗たちの動きもまた、素人のそれではなかったのだ。
受ける。
流す。
踏み込む。
押し込む。
回り込む。
名前だけは知っている。
胸に宿る闘気という力を身体に巡らせ、活かす武術。
力で断ち割る、破剣式。
受け、流し、返す、鏡盾式。
速さで攪乱する、迅玉式。
ただ剣を振り回しているわけではないことだけは分かった。
特にひとり、正面から叩きつけるように剣を振るった強盗がいた。
その一撃は、見ているだけでぞっとするほど重かった。
石畳が砕け、近くの木箱が跳ねた。
店先の窓までびりっと震えた気がした。
(破剣式って、見世物じゃなくて実戦であんな威力なんですか?)
(鏡盾式も、もっと地味なものだと思ってました……!)
冒険者の男も弱くはなかった。
でも、押されていた。
気づけば、体勢を崩し、横から入られ、地面へ転がされていた。
「ぐあっ!」
悲鳴。
怒鳴り声。
逃げ惑う人たち。
男はうめいていた。
まだ動いている。
でも、立てない。
(し、死んでませんよね?)
(死んでいたら今日の記憶、一生引きずるんですけど……!)
強盗たちは何事もなかったみたいに剣を構え直した。
その時、はっきり理解した。
これはただの脅しじゃない。
この強盗たちは、本当にやれる人たちだ。
ボクの喉はからからで、声も出なかった。
父上の肩も震えていた。
そのくせ、頭の隅では妙に冷静なことを考えていた。
(ああ、こんなに強い人が負けたなら、うちの商会はもう終わりです)
――その時だった。
白い煙が、通りへ広がった。
もくもくと。
ほんとうに、突然。
「な、なんだ!?」
「剛岩魔法か!?」
「騎士団の突入か!?」
強盗たちがざわつく。
ボクも最初は何が起きたのか分からなかった。
でも、その煙の向こう、向かいの建物の二階あたりに、ちらりと見えたものがあった。
金色の髪。
整った立ち姿。
目立たないようでいて、なぜか目につく姿。
クロノさんだった。
ほんの一瞬。
ほんの輪郭だけ。
でも、見間違えるはずがない。
何故あんな所に?
しかも、まるで示し合わせたみたいに、同じ髪色のふっくらした小さな男の子が、野次馬の影にまぎれて見えた。
けれど、その視線だけは野次馬のものじゃない。
何かを確かめるように、煙の向こうを見ていた。
……たぶん弟さんだ。
少し丸いけれど、顔立ちはどこか似ている。
(まさか)
(まさか、この煙……?)
そう思った時、今度は妙な音が上から響いた。
見上げる。
黒いものが飛んでいる。
鳥のようで、鳥じゃない。
生き物みたいでもあり、道具みたいでもある。
周囲もざわついていた。
「なんだあれ……?」
「魔物か?」
「いや、魔道具じゃないのか……?」
ボクは目を凝らした。
煙。
人だかり。
強盗。
その向こうで、その黒いものが空を動く。
はっきり見えたわけではない。
でも、妙な確信があった。
これは、偶然じゃない。
そう思った直後だった。
聞いたことのない大音量が、頭の上から叩きつけられた。
腹に響く。
空気が揺れる。
耳が痛い。
しかも、妙に陽気な音楽だった。
(なんですかそれ!?)
(怖いのか愉快なのか、どっちなんですか!?)
でも、周囲にとっては十分すぎるほど異常だったらしい。
強盗たちは完全に混乱していた。
さらに光が弾けた。
白く、強く、目を焼くような光。
「目がぁぁ!」
「なんだこの光は!」
ボクも思わず目を閉じた。
まともに見えていたのは、そこまでだ。
その後は、断片しか分からない。
乾いた音。
倒れる影。
悲鳴。
ざわめき。
煙の向こうで何かが起きて、強盗たちが一人ずつ地面に沈んでいく。
それだけは分かった。
そして騎士団が来た時には、すべて終わっていた。
強盗たちは捕まっていた。
冒険者の男も生きていた。
父上も、店の者たちも無事だった。
周囲の証言はひどいものだった。
「歌う鳥が……」
「空から光が……」
「魔物みたいな何かが……」
うん。
それはそうなるだろう。
でも、ボクは思う。
あれは偶然なんかじゃない。
ただの奇跡でもない。
建物の2階にいたクロノさん。
野次馬の中、動じない弟さん。
空の黒いもの。
聞いたことのない音。
⸻そして、あの異様な収束の仕方。
全部を一本の線で結ぶとしたら、答えはひとつしかない。
(クロノさん、ですよね……?)
断定はできない。
煙に邪魔されたし、距離もあった。
でも、商人の勘というのは、時に証拠よりも先に働く。
あの人は、ただ静かな令嬢ではない。
もっと奥に、もっと深いところに、とんでもない何かを隠している。
しかも、それをわざわざ見せびらかす気もない。
なんて恐ろしい。
なんて魅力的なんだ。
リリスさんが誰の目にも分かる“一級品”なら、クロノさんは限られた者にしか正体が見抜けない“規格外”だ。
つまり、価値が高い。
とんでもなく高い。
怖かった。
さっきまで本当に怖かったはずなのに。
今はそれ以上に、胸が高鳴っていた。
知りたい。
確かめたい。
あの人はいったい、何を使ったのか。
あの黒いものは何だったのか。
あの光は。
あの音は。
もしあれが魔法ではなく、何かしらの道具や仕組みなら。
それはたぶん、ただ珍しいだけじゃ済まない。
価値がある。
しかも、誰もまだ値段をつけられていない類の価値だ。
「エルヴィン!」
父上に呼ばれて、はっと我に返った。
「あ、はい!」
「無事か!?」
「無事です!」
それから、ボクは少しだけ声を潜めた。
「……父上」
「なんだ」
「今の、見ましたか?」
「何をだ」
「すごいものです」
父上は疲れた顔で、でも真面目にうなずいた。
「そうだな……」
ボクも、そっとうなずき返した。
そう。
正体までは分からなくても、父上にも見えていたのだ。
あの場で、たしかに“すごいもの”が動いたことだけは。
しかもたぶん、まだほんの一部しか見えていない。
騒ぎの向こうで、いつのまにか野次馬に紛れていたクロノさんは、“灯火の聖女”に抱きしめられていた。
何事もなかったみたいに。
あくまでお上品に。
あくまで控えめに。
でも、もう誤魔化されない。
ボクは知ってしまったのだ。
あの人は、静かな顔で、とんでもないものを隠している。
だったら。
商人として、見過ごすわけにはいかない。
ボクは胸の前で、そっと拳を握った。
(クロノさん)
(あなたはきっと、とんでもない人です)
(そして、たぶん――ボクがこの先、絶対に手放したくない“縁”です)
誰にも聞こえないように、小さく笑う。
取引になるのか。
協力になるのか。
まだ分からない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
ボクはきっと、これからもあの人を目で追うだろう。
商人として。
そしてたぶん、それだけじゃなく。
規格外の奇跡――ボクと同じ年に生まれた“聖女”を見上げるみたいな気持ちで。




